奥宮参道鳥居を潜り本殿前の境内に下りて来ますと、また改めて境内を見廻しです(^.-)☆
で、眼に入りましたのが、キレイに掃き集められましたこの落葉…思わず笑ってしまいましたネ(^_^)v
紅葉を楽しみます散策スタート時点でも、この掃き集められました落葉には気付いておりましたけど、鳥居側から眼にしまして初めて「ハート形」に集めておられますのに気付きましたねぇ(^-^)
毎朝、大社関係者の方が行っておられますのでしょうけど、遊び心も垣間見れまして、思わず笑みが\(^o^)/
こぅいぅ光景は、結構、好きなGONsanですから、迷わずパチリ。
そして、境内の一角には、『東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば』が…
眼を通しますと、こんな記載でありました(^.-)☆
◆東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(平成23年3月16日)
この度の東北地方太平洋沖地震は、マグニチュード9.0という例を見ない規模の巨大地震であり、被災地の悲惨な状況に深く心を痛めています。地震や津波による死者の数は日を追って増加し、犠牲者が何人になるのかも分かりません。一人でも多くの人の無事が確認されることを願っています。また、現在、原子力発電所の状況が予断を許さぬものであることを深く案じ、関係者の尽力により事態の更なる悪化が回避されることを切に願っています。
現在、国を挙げての救援活動が進められていますが、厳しい寒さの中で、多くの人々が、食糧、飲料水、燃料などの不足により、極めて苦しい避難生活を余儀なくされています。その速やかな救済のために全力を挙げることにより、被災者の状況が少しでも好転し、人々の復興への希望につながっていくことを心から願わずにはいられません。そして、何にも増して、この大災害を生き抜き、被災者としての自らを励ましつつ、これからの日々を生きようとしている人々の雄々しさに深く胸を打たれています。
自衛隊、警察、消防、海上保安庁を始めとする国や地方自治体の人々、諸外国から救援のために来日した人々、国内の様々な救援組織に属する人々が、余震の続く危険な状況の中で、日夜救援活動を進めている努力に感謝し、その労を深くねぎらいたく思います。
今回、世界各国の元首から相次いでお見舞いの電報が届き、その多くに各国国民の気持ちが被災者と共にあるとの言葉が添えられていました。これを被災地の人々にお伝えします。
海外においては、この深い悲しみの中で、日本人が,取り乱すことなく助け合い、秩序ある対応を示していることに触れた論調も多いと聞いています。これからも皆が相携え、いたわり合って、この不幸な時期を乗り越えることを衷心より願っています。
被災者のこれからの苦難の日々を、私たち皆が、様々な形で少しでも多く分かち合っていくことが大切であろうと思います。被災した人々が決して希望を捨てることなく、身体からだを大切に明日からの日々を生き抜いてくれるよう、また,国民一人びとりが、被災した各地域の上にこれからも長く心を寄せ、被災者と共にそれぞれの地域の復興の道のりを見守り続けていくことを心より願っています。
…と、こんなお言葉が。
WEB上で、「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」を検索してみますと、うん、うん、これに関しての記載もありましたネ。
◆東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば(とうほくちほうたいへいようおきじしんにかんするてんのうへいかのおことば)とは、2011年(平成23年)3月16日午後4時35分(日本時間、以下同)に放送された、第125代天皇明仁自らによるビデオ映像を用いて国民向けに発せられたおことばである。正式名称は特に定まっていないため、単に「ビデオメッセージ」、「おことば」と呼ばれることも多いが、宮内庁の公式サイトにおいては、「東北地方太平洋沖地震に関する天皇陛下のおことば」のタイトルを使用している。
・概説
2011年(平成23年)3月15日、天皇は宮内庁長官・侍従長と相談の上、国民向けのビデオメッセージを放映することを決定し、皇后と相談しながら原稿作成を進め、翌日の3月16日午前中までに完成。同日午後3時にはビデオの収録を開始し、天皇はビデオカメラの前で「おことば」として読み上げた。メッセージは、東日本大震災・福島第一原子力発電所事故の状況を憂慮し、防災関係者を労い、被災者を激励する内容であった。
午後4時35分から、日本放送協会(NHK)をはじめとする、日本の大部分の放送局が録画されたビデオメッセージを報道特別番組の一環として放送した。その際に緊急の情報が入った場合は、そちらを優先してほしいとの天皇の意向も各局に伝えられていた。
天皇が不特定多数の日本国民に対し、マスメディアを通じて自らメッセージを伝えたことが1945年(昭和20年)8月15日の終戦の玉音放送に喩えられ、一部で「平成の玉音放送」とも表現された。
そぅですねぇ~東北地方太平洋沖地震から早や10年の日々が流れてしまいましたネ。
未だに、この地震により所在不明の方もおられます。地震による津波で、多くの民家が押し流されていますテレビ画面の光景は、今でも鮮明に蘇ってしまいます。
改めて、本殿前で哀悼の意を表しますGONsanなのでありました。
では、この辺で駐車場へと戻りましょうか…
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