鮮やかな紅葉に眼を奪われながら歩いておりましたけど、山門に渡る木橋まで戻って来ました(^.-)☆
ここまでの参道が紅葉を楽しみますのには最高のスポットでありました(^_^)v
それでは、この辺で仏通寺とお別れです。が、最後に、往路で眼にしました「御許神社」の石標に従って、「御許権現社」にも足を向けてみたいと思います。
でも、「御許神社」は、どんな神社なんでしょうネ…WEB上で検索しますと、こんな記載がありました(^-^)
◆三原編(60) 佛通寺12/御許神社 <2012年10月28日>
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名残惜しいけど、巨蟒橋(きょもうきょう)を渡って本寺域を出る。
案内図には、そう離れてないところに「鎮守社」と描いてあったので、最後に探しに行った。仏通寺川に沿って奥へ進むと、すぐに案内の碑があった。
ちょっと写真がないんだけど、奥の谷から細い川が流れていて、ちと心細い橋を渡るようになっていた。ここから聖域なんだな。
たぶん、この奥の谷にもかつては堂宇があって、そこに雪舟さんが居候したんじゃないかと思う。
いかにも人の来なさそうな神社だよな…ホント私って、こーゆーとこばっかり泣き笑いでも、社殿は思ってたより立派~。
おお、小早川の幕が懸かってるし黄ハート。
【御許(おもと)神社】
当山鎮守社、応永11(1404)年、九州の一僧、豊前の国、宇佐八幡宮の本山(もとやま。許山)に由来する八幡大菩薩の石像を持参。開山禅師と小早川則平公 神廟を創建し、佛の権現としてこれを祀る。山中の野鹿をもって神の使いとした。社殿を感夢殿と称す。祭日は8月15日。(現地解説板より)
帰ってから「大本山佛通寺誌」を読んでたら、もう少し詳しい伝承が書かれていた。
【鎮守(御許権現)】
応永11年異僧が豊前の御許山から石像を持参し開山禅師に呈して、「この石像は八幡大菩薩陰地(因地、修業中)の時、自刻されたところの本地弥陀の尊容で霊感により持参しました。どうぞ祀ってください」と申出て、鎮守廟を建て御許山権現と号した。
遷宮の時に野鹿が群り鳴いたので、地方民は鹿をこの神の使いとしたという。寺で飼っていたものを放つときは角にお経を書いたから、猟師も決して捕らぬという。
う~ん、縄文時代じゃあるまいし、猟ってそんな接近戦じゃないから、果たして角にお経が書かれてるかどうかなんて、遠くから見わけがつくものだろうか…
なんてツッコミをすかさず入れた後で、自分がイヤになりました。いやでも、鹿で人生が狂った人もいるしさ(笑)。(「三原編(6)」をご参照ください)
佛通寺近辺では、鹿は獲らない方が無難だよね。
中には小さな本殿がある。まだ新しくてキレイ。小さな本殿の中にはさらに厨子があり、ご神体らしきものが鎮座していた。
正面からじゃ撮れないので、脇からムリムリに撮ったんだけど、写真を見て「やっぱり撮っちゃいけないモノかもな…」と思い直して、すぐ削除した。
そーゆーことって、あるでしょ?
ちなみにここのは、石像というほどのものじゃなく、なんとな~く人っぽいかな~?って感じの、ちっちゃくて素朴なもの。素朴な造りだけに、なんだか迫力があった。
…と、こんな記載がありました。
これを参考に、橋を渡って「御許権現社」に向かってみます事に致します(^-^)//"
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