本殿前の境内に到着しますと、まずは参拝を…かと思いましたら、境内を通り抜け、随身門を潜り常夜燈と言うか石灯籠に向かわれます。
そして、石灯籠の脚部を入念にチェック・確認となりました。
脚部には、多分、作られた石工のお名前が刻まれていますのでしょう。鳥居と同じ「尾道石工平三郎」と刻まれていましたのでしょうけど、この『平三郎』のお名前が「ヘイザブロウ」と読みは同じなのですけど、漢字が異なって刻まれていますのでしょうねぇ~4名の皆様は、その点を会話しておられましたが、GONsanは社殿を見廻しておりまして、その会話をシッカリとは聴いていませんでした(^-^;
でも、多分、そんな内容の会話だったものと推察です。
後で、脚部の刻み文字を確認したのですけど、経年のせいか、何と刻まれていますのか、よくは分かりませんでしたネ(^-^;
リーダーは、資料を取り出し加筆・修正をしておられますようでしたネ。
裏参道から境内にヤッて来ましたから、GONsan達は随身門から出て行きましたが、表参道からヤッて来ますと、随神門を潜りますと狛犬が迎えてくれます。
この狛犬の台座には、「尾道石工丈介」と、刻まれておりました。
◆尾道石工丈介
随神門の随神は立像のようです。随身門裏側にも随神と狛犬がいます。浪速型ですが尾道石工丈介の作です。
尾道石工の名工達の初期の作は浪速型の模倣から始まっています。寛政十二年(1800)、石工 尾道住 丈介 作。丈介は棟梁格の石工で安永から作品を残しています。
徳島県の新宮本宮両神社に丈介作、安永六年(1777)尾道石工銘の最古の狛犬がいます。広島県三原市に天明六年(1786)の丈介作がいます。
県内最古の尾道石工銘入り狛犬です。
WEB上に、「尾道石工平三郎」で検索しますと、お名前程度しか出て来ませんけど、「尾道石工丈介」で検索しますと、こんな記載がありましたネ(^.-)☆
随神門周辺を見廻しておりますと、「寄ノ宮八幡神社」の説明板が…
◆寄の宮(よりのみや)
もとは下山南の菅野にあったものを、現在地に移したもので、亀山八幡神社ともいいます。天暦年間(947~57)の創祀と伝えられ、1247年(宝治元年)、1539年(天文8年)、1602年(慶長7年)、1712年(正徳2年)に社殿が再建され、社殿のあちこちに、室町時代の面影を残す美しい蟇股(かえるまた)が使われています。
境内には多くの石造物があり、最も古いものは1699年(元禄12年)の灯籠で、参道の両脇にある常夜燈は、1824年(文政7年)の作です。1723年(享保8年)に作られた鳥居は市の重要文化財に指定されています。
--- 2013年(平成25年)3月 福山市教育委員会 ---
…と、こんな記載でありました。
大変立派な神社ですから、後日、また機会がありましたら、独りで再訪してみたいものであります(^-^)//"
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