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 圓福寺に向かいます入口石段の脇には、「夾明楼 上り口」の石標が…

 ◆圓福寺・夾明楼(えんぷくじ・きょうめいろう)

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 戦国時代、村上水軍の一族が、大可島城を拠点に海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。慶長年間(1600年頃)に鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在大可城跡に建っている南林山釈迦院円福寺は、真言宗の寺でこの年代に建てられたものです。

 住所:広島県福山市鞆町鞆10
 電話番号:084-982-2508
 アクセス:車--山陽自動車道福山東ICから約40分・福山西ICから約40分、公共--JR福山駅前11番乗り場から鞆鉄バスで約30分「鞆港」下車、徒歩5分
 備考:夾明楼の拝観料200円(要申込)

 …と、こんな「圓福寺・夾明楼」であります。
 境内を見廻しますと、芭蕉の句碑が…

 ◆芭蕉の句碑

 『疑なうし保のはなも浦の春』

 「くだけちる波(潮)の花をみるとこの浦までも新春のめでたさがある。この自然をつくられた神徳を疑うな」
 1777年(安永6年)に建てた石碑を再建したものです。碑文は備後の俳諧の指導者、鼎左(ていさ)の筆です。この区の前文に「二見の図を拝みて」とあり、1689年(元禄2年)伊勢の絵をみてよんだ画賛です。なお、圓福寺の夾明楼は頼山陽の叔父頼杏坪が美しい景色に感嘆して命名したものです。

 ◆圓福寺夾明楼
 江戸時代から鞆では句会が盛んで、圓福寺の座敷は「夾明楼」と呼ばれ、漢詩会、句会の舞台にもなっていた。頼山陽の叔父である頼杏平がこの座敷を「夾明楼」と命名し、美麗な書を残した。

 ◆大可島(たいがしま)城跡

 福山市鞆町鞆の高台に円福寺という寺がある。
 康永元年(1342年)、四国伊予を拠点とする南朝方と備後一帯に勢力をもつ北朝足利方が燧灘(ひうちなだ)で合戦となり大可島城にこもる南朝方は全滅しました。その後、戦国時代に村上水軍の一族が大可島城を拠点に、海上交通の要所である鞆の浦一帯の海上権をにぎっていました。
 慶長年間(1600年頃)鞆城を築いた時、陸続きとなり、現在ある南林山釈迦院円福寺は、真言宗でこの年代に建てられました。現在の本堂は、昭和初期に再建されたものです。

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