後山山荘への入口を通り過ぎ、医王寺への石段を上がっておりますと、途中に、これもアート作品なのでしょうか…サクラの木の下に1台の自転車が…アーティストのお名前も作品名も表示がありませんから、アート作品ではありませんのかも(^-^)
ここで暫し一服で、眼下を眺望です。
うん、うん、あの赤い屋根の建物は、ジブリ映画「崖の上のポニョ」のモデルになりました家ですネ(^.-)☆
WEB上で検索しますと、こんな記載が…
◆ジブリ映画「崖の上のポニョ」のモデルになった場所・舞台は日本!広島県なのです
--- https://xn--t8j4aa4nqjmj045t3fpcjd.com/%E3%82%B8%E3%83%96%E3%83%AA%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%80%8C%E5%B4%96%E3%81%AE%E4%B8%8A%E3%81%AE%E3%83%9D%E3%83%8B%E3%83%A7%E3%80%8D%E3%81%AE%E3%83%A2%E3%83%87%E3%83%AB%E3%81%AB%E3%81%AA%E3%81%A3%E3%81%9F/ ---
2008年公開された宮崎駿監督によるジブリ映画「崖の上のポニョ」。
2004年の「ハウルの動く城」以来4年ぶりになる宮崎ジブリということで、話題になり、大ヒットしましたね。『人間になりたいと願っている魚の女の子“ポニョ”と心優しい5歳の少年“宗介”の物語』
崖の上の一軒家に住む5歳の少年・宗介は、ある日、クラゲに乗って家出したさかなの子・ポニョと出会います。アタマをジャムの瓶に突っ込んで困っていたところを、宗介に助けてもらったのです。
宗介のことを好きになるポニョ。
宗介もポニョを好きになります。
「ぼくが守ってあげるからね」
しかし、かつて人間を辞め、海の住人となった父・フジモトによって、ポニョは海の中へと連れ戻されてしまいます。
“人間になりたい!”ポニョは、妹たちの力を借りて父の魔法を盗み出し、再び宗介のいる人間の世界を目指します。しかし、このポニョの行為は海の世界を混乱させ、津波となって宗介たちが暮らす町をまるごと飲み込んでしまうのです。
さらに、「ぽーにょ、ぽーにょ、魚の子っ♪」という可愛くて軽快な曲も大ヒットしましたね。そんな崖の上のポニョのモデルになった場所が広島県福山市にある…
・鞆(とも)の浦 どのような港町なのか?
自然の景色と素晴らしい街並みが美しい!以前訪れた朝鮮通信使が、「日本で一番美しい景色」と絶賛したそうです。
そのような名所に宮崎監督は、2004年11月にスタジオジブリの社員旅行で訪れ、「大変気に入った!」そして2005年の春に鞆の浦の海沿いの一軒家に約2ヶ月間滞在しました。
さらに2006年夏にも再び単身でやってきたそうな。
こうして広島県福山市にある「鞆(とも)の浦」が次回作であった「崖の上のポニョ」の舞台として出来上がったのです。
鞆の浦には今だ古い町並みが残っており、1992年には都市景観100選に、2007年には美しい日本の歴史的風土100選にも選ばれました。
江戸時代の港湾施設である「常夜燈」、「雁木」、「波止場」、「焚場」、「船番所」が全て揃って残っているのは全国でも鞆港のみです。江戸時代中期と後期の町絵図に描かれた街路もほぼすべて現存し、当時の町絵図が現代の地図としても通用します。そのような町は港町に限らず、全国でも鞆の浦以外には例がないほど貴重な町なのです。
…と、こんな記載が(^.-)☆
それでは、医王寺の境内へ向かいます。本堂では、法要が執り行われておりました。
◆医王寺
--- 鞆物語 https://tomonoura.life/spot/12669/ ---
坂道や階段をえっちら上った先の後山(うしろやま)の中腹に、鞆の浦で2番目に古いお寺・医王寺があります。このお寺は826(天長3)年に弘法大師・空海によって開基されたと伝えられています。その後、火災で焼失していますが、慶長年間に、鞆城代・大崎玄藩により再興されました。
高台にあるため眺めは最高で、鞆湾の全景が一望の下に見渡せます。1826年には、オランダ商館の医師シーボルトもツツジや松の観察のために、この小径を登ったのでしょうね。
・オリンピックよりも珍しい、6年に一度のご本尊のご開帳
医王寺のご本尊は「木造薬師如来立像」。これは広島県の重要文化財にも指定されています。6年に一度しかご開帳されない、ありがたいご本尊です。
山門には二体の金剛力士像が。なんとなく愛嬌を感じるお仁王さまが出迎えてくれます。
◇山門のお仁王さま―ね、愛嬌あるでしょ?
・「太子殿」への583段のハイキング
医王寺の境内からさらに上を目指してハイキング。長い長い階段を登っていくと、「583」と刻まれた階段が。その最後の階段を踏みしめて、ついに「太子殿」に到着!ハイキングのごほうびは、鞆の浦を一望できる最高の眺めです。
(注)夏場は水分補給に気をつけて、笑。
◇階段を上った先には「太子殿」―最高の眺めをプレゼント
◆石段の先に待つのは鞆の浦を見渡す最高の絶景 – 医王寺(太子殿)
--- https://visittomonoura.com/2020/01/1161/ ---
後山の中腹に鞆で2番目に古い寺『医王寺』があります。そこからさらに長い長い石段を上った先にあるのが『太子殿』。特に夏場だと心がくじけてしまいそうな長い階段ですが、がんばって上った人にだけ見ることができる最高の絶景というご褒美が待っています。鞆の浦の全景が一望できる太子殿からの景色。オランダ商館の医師・シーボルトもこの小径を上ったのかもしれません。
・医王寺を目指して表参道をえっちらおっちら
「鞆に来たんなら、いっぺんは上がらにゃーいけん」と言われて、行かずにはいられなくなってしまった『太子殿』。絶景スポットとして必ず名前があがる『医王寺』から更に石段を上った先にあり、地元の人でもなかなか行かない隠れた名所です。地元の人によると、「医王寺には表参道を通って行くべし」とのこと。後山の中腹にある医王寺の表参道は、鞆港西側の焚場町と江の浦町の間にあります。
表参道を進みはじめてすぐ、ひっくり返ってしまうほどの急な坂道に出会います。不安な気持ちを抑えつつ、一歩一歩、えっちらおっちらと上った先には仁王門があり、阿吽の仁王さまがお出迎え。
医王寺の境内から眺める景色も抜群で、「ここでも十分じゃない?」と心折れそうな自分を鼓舞し、さらに上を目指します。
・長い石段を上った先に待つ絶景という名のご褒美
看板を目印に太子殿へのトレッキングがスタート。つづら折りになった長い長い石段を踏みしめて上ります。うっそうと樹々が茂りとても気持ちが良いのですが、ゴールが見えないため「あとどのくらいあるんだろう…」と不安な気持ちがムクムク。
途中にベンチが置いてあり、美しい景色を眺めてひと休みしながら前に進みます。すれ違う人たちから「もうすぐゴールよ、がんばれ!」と声をかけてもらいながらラストスパート。
石段を上り切ったら急に視界が開け、展望台のようになっていました。ゴールに広がっていたのは、想像以上の絶景!鞆の浦の全体を見渡せるまさにベストスポットです。
トレッキングは少し大変ですが、多少の苦労は吹き飛んでしまうほどの絶景。のんびり楽しみながら歩いてみてはいかが?
→ 坂道の先には絶景という名のご褒美が!「医王寺」
…と、WEB上にはこんな記載がありましたけど、GONsanも後で「太子殿」に上がってみたいと思います(^.-)☆
丁度、本堂前には、『修行 竹内康雄 素材:鉄』のアート作品が(^-^)
ふ~ん、竹内康雄sanは、福山市のご出身のようであります。WEB上には、こんなご経歴の記載が…
◆経歴
・2011年 -- 福山工業高校卒業
・2013年 -- 溶接人杯準グランプリ
・2015年 -- 広島県美展奨励賞
・2016年 -- 国展、二科展入選
・2017年 -- 躍動する現代作家展福岡アジア美術館展示、名古屋個展、中目黒個展
・2018年 -- ZEN展東京埼玉展示努力賞、インドネシア展示
・2019年 -- ギャラリーフクヤマツイスト主宰発足
・2020年 -- 溶接人杯2020幕張メッセ審査員就任
・2021年 -- ZERO展大阪府知事賞
この竹も、素材は鉄!?…手が届きませんので触れる訳にも行きませんから確認は不能。見た感じは「竹」に見えますから、素材は竹なんでしょうねぇ~
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)