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 ◆楷の木

 中国山東省済寧曲阜にある孔子の墓所「孔林」には弟子の子貢が植えた「子貢手植の楷」の子孫が今も美しい姿をとどめている。
 日本へは大正4年、白澤保美博士が初めて孔林から種子を持ち帰り、育てた苗を各地の孔子廟や儒学に関わりの深い場所に配布した。その中の2株が、岡山県閑谷学校で今も見事な紅葉を見せている。
 しかし、楷は雌雄異株のため日本で自然に殖えることはなかったが、昭和38年に、朝比奈貞一博士が人工交配に成功し、多くの種子が得られるようになった。
 平成に入っても孔林の楷は各地で育てられ、ここに植えられている2本の楷も足利市から贈られたものである。
 足利市の本貫地である栃木県足利市には足利学校があり、そこに大正世代の楷の木が植えられている。鞆の安国寺は、足利尊氏が諸国に置いた安国寺の一つで、足利の縁でこの地に楷の木を植えることにした。

 --- 福山市教育委員会 ---

 ◆県史蹟 安國寺本堂跡

 ・創建の由来

 瑞雲山安國寺は(臨済禅宗)暦応2年(西暦1339年)法燈國師の法孫愚谷尚が足利尊氏(鎌倉時代)の命に応じて以前の金宝寺を安國寺と改名して開創されました。
 一時地方宗教界の権威を握り末寺九ヶ寺寺領境内頗る広かりしが足利氏失すると共に漸く衰頽し殿字荒廃せしを一時恵瓊長老が京都南禅寺より住し(天正元年)(1572年)毛利輝元を大檀越として再営に着し釈迦堂及び庭園が再興されしが恵瓊長老京にて処刑され徳川の世に移るや又々荒廃せり其の後寛文の初め仁山和尚再興もあり又万國和尚松永承天寺より移住し領内六郡に石五分の化を課し本山に摸せる方丈の本堂を再建せりと云う。広く廻廊になり庭園を眺めらるゝ本堂は近在に無き素晴らしき本堂であったろうと想像されます。
 其の堂宇庭園も明治大正頃には無檀家故に住する者も無く庭は土砂に埋り堂宇荒廃し大正9年11月30日雨宿りの浮浪者が火を失して蒼古七百年来の仏像法具遂に灰となりかろうじて隣寺の和尚法燈國師の像を持ち出されしと云われています。
 現在は境内地と共に県史蹟として保存されております。-- 山主日 --

 ◆安国寺庭園

 --- 県史跡 昭和30年1月31日指定 ---

 この庭園は枯山水式庭園で、白砂や岩石で滝や流水を表し、室町末期の作庭と推定されています。三途の川には石橋がかかり、蓬来山には岩石で仏様を表し、蓬来式庭園ともいいます。中央部の鶴島にはソテツを配し、亀島には松を植え、鶴亀式庭園ともいいます。鶴亀式庭園は戦国時代に流行し、武将は自分たちや主家の繁栄を願い、作庭しました。そして石橋の矢穴や長さ高さが桃山期の手法で1599年(慶長4年)安国寺恵瓊が改造したといわれています。

 ◆安国寺(あんこくじ)のソテツ

 --- 県指定天然記念物 昭和36年(1961年)4月18日指定 ---

 ソテツは九州南部から琉球列島に分布する常緑の裸子植物であるが、関東以西の各地で植栽され巨大な株に生長している名木・大木も少なくない。
 安国寺のソテツは安国寺釈迦堂(重文)の背後にある枯山水の庭園内にあり、2株となっている。根廻りは5.65mと5.45m、樹高約9mで、県内有数の大木で庭に風情をそえていたが、白蟻と台風の被害を受けて倒れ、現在その根株から新しい葉茎が伸び、昔日の面影をわずかにとどめている。

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