路傍への駐車を気に掛けながらの歩行ですから、足取りも重く、仲々頂上には進みませんが、その内に前方が開けて来ましたようにも(^.-)☆
ヤッと辿り着きますと、墳丘らしき、こんもりと盛り上がった箇所全体が、黒ビニールに包まれました土嚢に覆われておりました。多分、これが尾市古墳と思われます。
石室の入口を捜して、周辺をグルッと廻ってみますけど、入口が見当たりません(^-^;
んっ!?…これは、尾市古墳ではないのかも…
この場所から更に少し進んでみましたけど、古墳らしきモノは見当たりませんから、やはりこれが「尾市古墳」なんだろう…と、暫し、休憩。
そして、さらに周辺を廻ってみますけど、入口らしきモノはありません(^-^;
仕方なく、南側から土嚢を上がって行きますと、うん、うん、下からは見えませんでした石室への入口が(^_^)v
やはり、これが『尾市古墳』でありました\(^o^)/
WEB上で「尾市古墳」を検索してみますと、こんな記載がありました。
◆尾市1号墳
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
尾市1号墳(おいちいちごうふん、尾市古墳)は、広島県福山市新市町常にある古墳。形状は八角墳。尾市古墳群を構成する古墳の1つ。史跡指定はされていない。
・概要
広島県東部、芦田川支流の神谷川に流れ込む芦浦川をさかのぼった、芦浦谷の最奥部の丘陵尾根先端部に築造された古墳である。1984年(昭和59年)・2002-2007年度(平成14-19年度)に発掘調査が実施されている。
墳形は八角形で、直径約10.5メートル、高さ1.95メートルを測る。墳丘周囲には外護列石と見られる石列が巡らされる。主体部の埋葬施設は横口式石槨で、南西方向に開口する。三方向に石槨を配置して平面が十字形を呈するという、全国でも類例のない構造の石槨になる。副葬品のほとんどは失われており、調査では若干の鉄器・須恵器のみが検出されている。
この尾市1号墳は、古墳時代終末期の7世紀後半頃の築造と推定される。横口式石槨古墳の多くは畿内に限られるが、備後地方は本古墳のほか猪ノ子古墳(福山市加茂町下加茂)・曽根田白塚古墳(福山市芦田町下有地)でも横口式石槨を採用する点で特異性を示しており、その中でも本古墳の場合には畿内にも類例の少ない八角墳である点・複室構造の横口式石槨を有する点で、畿内ヤマト王権との極めて強い結びつきを示唆するとして注目される古墳になる。
・埋葬施設
主体部の埋葬施設としては横口式石槨が構築されており、南西方向に開口する。三方向に石槨を配置して平面が十字形を呈するという全国唯一の構造になる。石槨の規模は次の通り。
*石室全長:主軸6.68メートル、東西4.6メートル
*中央槨:長さ1.61-1.68メートル、奥壁幅1.16メートル、高さ1.15メートル
*西槨:長さ1.71-1.75メートル、奥壁幅0.95メートル、高さ1.06メートル
*東槨:長さ1.71-1.79メートル、奥壁幅1.01メートル、高さ1.12メートル
*羨道:長さ4.06メートル
石槨は花崗岩の切石を組み合わせることにより、天井・奥壁・側壁・床面は基本的に各1枚で構築される。石槨内には全面に漆喰が塗布されており、石材の接合部には特に丁寧に施される。
3石槨のうち中央槨は幅広で短く、西槨・東槨は幅狭で長い構造になる。石槨部・羨道部の境では西槨・東槨の南側石端が弧状に面取りされることから、扉石が存在したと推測される。また羨道部敷石の外には、礼拝石と見られる敷石が据えられる。
横口式石槨は単葬が基本であり、3人の合葬を前提として築造された本古墳は異例のものとして評価される。
◆尾市古墳
新市町常の芦浦地区にあり、十字塚とも呼ばれる7世紀後半の終末期古墳で、一辺約12mの八角形墳です。花崗岩切石で構築された羨室が十字になっており国内では他に例のない珍しい古墳で、石室に入ることもできます。
◆尾市古墳(十字塚)
--- https://www.k-shinichi.com/spot?id=21 ---
全国でも、ここにしかない横穴式十字石室を持つ古墳です。
巡らせてある列石から近畿を除く西日本では、唯一の八角墳の可能性が高い古墳です。対角長15m、墳丘の裾から少し上側に対角長12mの列石がめぐる箇所があり、全体として8角形西なっています。
一説には石川王の墓とも言われています。
石川王は敏達天皇皇子の難波皇子の子とする系図があり、天武天皇の治下で吉備大宰を務めたとされています。八角墳は古墳時代の終わり頃(7世紀中頃~8世紀)、近畿地方で大王の墓として採用されており、石川王の墓陵であるとすると八角墳であることも自然です。
八角墳は八角形をした古墳で、全国でも十基程度しか発見されていません。近畿以外では関東地方で小規模の八角墳が数例確認されているだけです。
付近は道が狭く、古墳に駐車場も整備されていないので、大きな車だと奥深くまで入ると、バックでしか出れなくなる可能性もありますので注意してください。
内部の羨室は十字形に設けられ、南側に開いた部分が羨道となっており、北・東・西の石室が埋葬施設と考えられています。
3方に設けられた羨室は各面全て綺麗に磨かれた一枚石で構成されており、石の継ぎ目には漆喰が残っています月、元々は石面全体に塗られていたとみられています。
十字の羨室を持つ古墳は全国でも、ここ尾市古墳のみとなっています。
対角長15m、墳丘の裾から少し上側に対角長12mの列石がめぐる箇所があり、列石の形がほぼ8角形となっています。
羨道の奥にの三方向に、それぞれ羨室を配置した横口式石槨で石室の全体の平面形が十字形となっており、羨道を含めた南北の長さが6.68m、東西の石槨を合わせた長さがが4.6mとなり、石槨は長さ1.68m・奥壁1.16m・高さ1.15mので三室とも、ほぼ同じ大きさになります。
石槨部と羨道部の境は、両壁とも弧状の加工がなされており、扉石があったと考えられています。
◆尾市第1号古墳(広島県福山市新市町常)
--- https://iko-yo.net/facilities/39201 ---
・尾市第1号古墳の施設紹介
国内で他に例のない古墳。
尾市第1号古墳は十字塚とも呼ばれている人角形墳で7世紀後半の終末期古墳で大王の墳丘形式として見られています。南西方向に開口しており石室内部を見学することができます。主体部には, 花崗岩の切石を組合わせた横口式石槨を3基配置しています。国内で他に例のない古墳です。羨道を含めた平面形が十字形を呈していて、石材の接合部、窪みなどに漆喰が残っています。出土遺物は、須恵器杯蓋片,鉄製品(鉄釘など)が発掘されています。
…と、こんな「尾市古墳」なんであります。
では、早速、石室の内部へと入ってみます。と、いきなりコウモリが飛び出て来ましてビックリ(^-^;
石室内部は、そぅですネ、奥の石室の手前に左右に石室で、羨道を含めた平面形が十字形を呈しておりますねぇ~ふ~ん、これが、全国でも、ここにしかない横穴式十字石室なんですネ(^_^)v
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