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 東京2020パラリンピックでは、GONsanにとりましては初めて眼にします競技種目も多々ありますけど、「ボッチャ」もまた、その中の一つでありました(^.-)☆
 9/1(水)に行われました「杉村英孝×ワッチャラポン・ボンサー(タイ)」戦を、本日、テレビ観戦となりましたけど、あまりにも精密な競技に、ただただ感動のGONsanなのでありました\(^o^)/

 ◆ボッチャ

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 ボッチャ(伊:Boccia)は、ボッチー(英語版)(Bocce, イタリア語・ボッチェ)から派生した障害者、とりわけ脳性麻痺などにより運動能力に障害がある競技者向けに考案された障害者スポーツの一つ。
 ボッチャを統括する国際競技連盟は、2013年に設立された国際ボッチャ競技連盟(Boccia International Sports Federation:BISFed)である。

 ・概要

 競技名のボッチャとは、元々イタリア語で“ボール”を意味する単語から来ている。競技名「ボッチャ」の元々の意味に関しては、同じくイタリア語で、他に“木の球”や“球を投げたり転がしたりする”と紹介するメディアも存在する。
 ファイル:Boccia in Shimbashi - Japan - Oct 30 2019.ogv
 赤または青の皮製ボールを投げ、白い的球〔まとだま→ジャックボール(目標球)〕にどれだけ近づけられるかを競う競技で、パラリンピックの公式種目となっており、全世界で40カ国以上に普及している。
 競技は個人、ペアないしは3人1組のチームで行い、男女の区別はない。パラリンピックなどの国際大会ではBC1~4のクラスに別れて行われる。このほか、これらに該当しない者のオープンクラス(車椅子と立位)も日本独自で設定されている。
 ボッチャについては、そのルールが氷上で行われるカーリングと似ているところから「地上のカーリング」、または「床の上のカーリング」とも呼称されている。

 ・歴史

 ボッチャの元となったボッチー(英語版)はヨーロッパが発祥とされ、ペタンクやローン・ボウリングから発展したとされるが、類似のゲームは世界各地に存在し、はっきりしない。
 パラリンピックにおいては、1984年のニューヨーク/ストーク・マンデビル(エイルズベリー)大会に於いて公開競技として採り上げられ、1988年のソウル大会より正式競技として採用されてきている。
 ボッチャが日本に取り入れられたのはレクリエーション的用途であり、千葉県立桜が丘養護学校教員であった古賀稔啓(前・日本ボッチャ協会理事長)がヨーロッパでの脳性麻痺患者の国際大会出席時にボッチャに出会い、授業に取り入れようと持ち帰ったのが最初と言われている。その後1997年に日本ボッチャ協会が設立され、国際ルールを紹介、全国的に広まっていくこととなった。2014年4月1日、一般社団法人 日本ユニバーサルボッチャ連盟が設立された。
 日本代表チームは「火ノ玉JAPAN」の愛称で呼ばれ、2016年のリオデジャネイロパラリンピックで混合団体(BC1、2)が銀メダルを獲得している。
 2021年の東京パラリンピックでは、個人BC2クラスの杉村英孝が金メダルを獲得した。

 ・ルール

 ゲームの目的は、赤又は青(コイントスでどちらを選ぶか決める。赤ボールチームが先攻)の皮製ボールを投げ、ジャック(jack)と呼ばれる白い的球(まとだま)にどれだけ近づけられるかを競うことである。
 長さ12.5m、幅6mのコートを用いてゲームの始めに的球を投げる。的球は、コートにV字型に引かれたジャックボールラインを越えなければならず、両サイドが交互に投球し、的球がコート内の有効エリアに収まるまで繰り返す。続いて1巡目の投球は的球を投げた側の先行、次に相手側の順で的玉に向けてボールを転がす。2巡目以降ボールが尽きるまでの投球は、的球に遠いボールを投げたサイドが相手チームよりも近いボールを投げられるまで連続して投球を行う。
 各ラウンドの終了、すなわちエンドの度に審判は的球と投げられたボールとの間の距離を測定し、そのエンドで負けた側の最も的球に近いボールよりもさらに的球に近いボールに各1点が与えられる。ゲーム終了後に高得点を上げたチームないしは競技者が勝ちとなる。
 エンドの数及び各エンドで使用するボールの数は場合によって異なる。個人対抗戦の場合、エンドは4、使用するボールは6である。一方、ペア対抗戦では、エンドは4、使用するボールは各ペア6(1人当たり1エンドに3投)である。さらに、チーム対抗戦となると、エンドは6、ボールは1チーム6(1人当たり1エンドに2投)となる。

 ◆ビタチャン「スギムライジング」ボッチャ杉村英孝「思いを1つに」金メダル

 --- 日刊スポーツ 東京2020パラリンピック [2021年9月1日22時47分] ---

 <東京パラリンピック:ボッチャ>◇混合個人決勝(BC2:脳性まひ)◇1日◇有明体操競技場
 杉村英孝(39=伊豆介護センター)がボッチャ個人で日本勢史上初メダルとなる金メダルを獲得した。BC2(脳性まひ)の決勝で、16年リオデジャネイロ大会で個人、団体ともに金メダルのウォンサ・ワッチャラポン(タイ)に5-0で勝利した。

 第1エンドで自分のボールをジャックボールにビタビタに寄せる正確なコントロールで2-0と先制。同エンドで投げた球が密集する球に乗り上げる得意技「スギムライジング」も繰り出した。「完勝というか、やってきたことを試合で出すだけ。自分のプレーを心掛けた。金メダルにつながってよかった」。16年リオ大会覇者でタイの国民的英雄に、得点を許さない完璧な試合運びだった。
 練習も生活も、新型コロナウイルス感染拡大の影響を大きく受けた。19年12月から7月の日本代表の壮行試合までの間、実戦の場がなかった。先天性の脳性まひで手足の動きが不自由。日常生活はサポートを必要とするため、移動も制限された。「今までの日常ではないことが1番大変。感染に対する不安はもちろんありました」。同県内のビルのオフィスフロアにパラ会場と同じ素材のコートを敷き、本番を見据えた練習を続けた。コーチにオンラインで指導を受けた。
 3大会連続で出場。リオ大会チーム戦で銀メダルに貢献したが、個人ではメダルには届かなかった。東京大会を見据えて体力づくりに加え、競技用具も徹底的に改善した。車いすは市販の折り畳み式からフレームが固定されたものに変更。右手で握るバーの位置など、細かく調整を繰り返した。「体と向き合ったし、車いす、ボール、競技用具も1つ1つ見直し、自分の体にマッチするものを作り上げてきた。多くの方のサポートや支援のおかげだと思っている。思いを1つにして勝ち取ることできた金メダルです」。周囲への感謝の金メダルとなった。
 試合後、笑顔で小さくガッツポーズ。コーチと抱き合うと、目が涙で光った。余韻に浸る間もなく、2日からチーム戦初の金メダルを目指す戦いが始まる。【近藤由美子】

 ◇杉村英孝(すぎむら・ひでたか)
 1982年(昭57)3月1日、静岡県伊豆市生まれ。先天性の脳性まひのため両手足が不自由で、特別支援学校の高等部3年生の時、先生が見せたビデオでボッチャと出会う。01年に競技を開始。得意技は密集する球に乗り上げて目標球に接触させる「スギムライジング」。趣味もボッチャ。ニックネームは「すぎちゃん」。

 …と、こんな『ボッチャ』で、こんな試合展開でありましたけど、本当に感動しながらの観戦となりましたネ(^-^)//"

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