中国風の建物『六角亭』を背景に池の畔には、『吉備真備公顕彰碑』が…
◆【吉備真備公顕彰碑】
故右大臣 故右大臣(吉備真備)は
往学盈帰 往きて学び盈みちて帰る
播風弘道 風を播ほどこし道を弘め
遂登端揆 遂に端揆たんき(大臣)に登り
式翼皇猷 式もって皇猷こうゆう(天子の政治)を翼たすけたり
この碑文は、平安京を開いた桓武天皇が、延暦3年(784)の勅みことのりのなかで、吉備真備公を讃えて述べた言葉である。
・碑文の意味
吉備真備公は、中国唐の進んだ文化や政治制度を採り入れるために大海の波涛を越えて中国へ渡った。そして17年間様々な学問を学び、頭の中にいっぱい学問を詰めて帰国した。帰国後は日本の人々に新しい生活のあり方を教え、人として生きるための道徳を広め、遂に右大臣にまでに昇進して、天皇の政治を助けた。
この吉備真備公顕彰碑は、吉備真備公を深く尊敬する真備町出身で倉敷市在住の宇渡宅二氏の協力のもと真備町文化協会が、日展作家の佐藤翠雲氏に揮毫を依頼し、真備町箭田の「まきび公園」に平成16年5月4日に建立除幕したものです。真備町は昭和27年に町が誕生した時、町名を吉備真備公にちなんで真備町と名付けました。それ以来、真備町は真備公を町のシンボルとして町づくりの核に捉え、「まきび公園」や「まきび記念館」をつくり、真備公ゆかりの中国西安市長安区との間で交流を続けてきました。--- (まきび記念館パンフレットより) ---
それでは、「吉備公廟」に向かってみますけど、石段の上り口付近には、どなたかの銅像が…
近付いてみますと、「高見章夫翁」の胸像です。WEB上で「高見章夫翁」を検索してみましたけど、特に記載はありませんでしたネ。地元の郷土史家・農学者のようであります。
・まきび公園内の陶製胸像・高見章夫像」
(1877-1946 旧真備町尾崎・郷土史家・農学者・元郡長・山陽新報社)
…と、この程度の記載はありました。
それでは、石段を上がって「吉備公廟」に向かってみましょうか(^-^)//"
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