国道486号線脇の駐車スペースから正面に眼に入りますのが、4/27(火)に訪れました「猿掛城跡」です。
それでは「まきび公園」に向かいますけど、その前にまたチョッと寄り道です。この近くに『琴弾岩』がありますので、訪れてみます事に(^.-)☆
◆琴弾岩(ことびきいわ)
吉備真備公が晩年父祖の地に帰り、中秋の名月の夜に、この岩の上で琴を弾かれたと伝えられています。
毎年、中秋の名月の夜にこの岩に集い、真備公の故事にちなみ弾琴祭が開催され、岩上で琴、尺八を演奏しています。
◆琴弾岩【ことひきいわ】
真備町の名前は、奈良時代の政治家・吉備真備に由来する。右大臣にまで登りつめた人物であるが、その出自はこの吉備地方出身の豪族であり、中央政界での出世は歴史上まさに唯一無二のものである。
ところが、吉備真備の晩年は謎に包まれている。宝亀2年(771年)に右大臣の職を辞してからは完全に歴史の表舞台から消えてしまい、その4年後の死去の記録以外、所在すら全く不明である(墓と伝わる塚は奈良市内にある)。
真備町を流れる小田川を臨む岸辺に、琴弾岩という名の巨石がある。この岩には、晩年故郷に戻った真備が、中秋の名月を眺めながらこの岩の上で琴を弾じたという伝説が残されている。そして、吉備真備の遺徳を偲ぶという目的で、昭和24年(1949年)から「弾琴祭」と称して、毎年中秋の名月の夜にこの岩の上で琴と尺八の演奏会が開かれている。
◆吉備真備
695-775。吉備出身の政治家。遣唐留学生として唐へ赴き、多くの政治や文化の知識を習得。帰国後は聖武天皇の寵愛を受けて出世する。一時期大宰府や遣唐副使など、中央政界から脱落するも、政敵の藤原仲麻呂失脚後に復権。最終的に右大臣にまで登りつめる。
◆琴弾岩(ことひきいわ)とは
真備町西端付近の小田川沿いにあり「琴弾岩(ことひきいわ)」と呼ばれています。この琴弾岩は「吉備真備」が大きく関係しています。
右大臣となった「真備公」は世界で活躍後、政界を引退し下道郡で余生を過ごしていたと言われており、この巨石「琴弾岩(ことひきいわ)の上で晩年、琴を弾いていた」と伝えられています。
現在も、毎年中秋の名月の日に「弾琴祭(だんきんさい)」と呼ばれるお祭りが行われています。この「弾琴祭」では、遠方の方も多く集まり、「琴弾岩」の上で琴と尺八の演奏が行われ、真備公の遺徳をしのんでさまざまな行事が行われています。
…と、WEB上には「琴弾岩」に関しまして、こんな記載がありました。
>ところが、吉備真備の晩年は謎に包まれている。
>宝亀2年(771年)に右大臣の職を辞してからは完全に歴史の表舞台から消えてしまい、
>その4年後の死去の記録以外、所在すら全く不明である(墓と伝わる塚は奈良市内にある)。
との事ですけど、右大臣まで登りつめ中央政界で活躍されました方の晩年が不明とは、不思議ではありますネ。何がありましたのでしょうねぇ(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)