我が家を出ましたのが、A.M.10:00頃で、「蔵王憩いの森」駐車場に到着が、A.M.10:20頃でありました。5/11(火)の午前中は、「蔵王憩いの森」を散策のGONsanでした。
平日の午前中だと言いますのに、駐車場には、こんな時間から結構駐まっておりまして、ほぼ満車状態(^-^;
う~ん、「蔵王憩いの森駐車場」まで上がって来ます際に、何ヶ所か道端に車を駐めておられましたけど、駐車場に到着しまして納得です(^.-)☆
GONsanの駐めますスペースは無いだろうなぁ~と思いながらもユックリと奥に進んで行きますと、どなたかが帰られました直後でしたのかも…コペン号が納まりますスペース発見で、ヤレヤレでありました(^_^)v
それにしましても、平日だというのに…ヒマ人が多いなぁ…と、ブツブツのGONsanです。
それでは、今から散策開始です。が、その前に、福山市街地、都心部を眺望です。そんなに高い場所でもありませんけど、それなりに眺望は楽しめましたネ(^_^)v
前回、蔵王山を訪れましたのが昨年の10月でした。その際には、蔵王小学校付近から蔵王山頂へと上りましたので、今回は、「蔵王憩いの森駐車場」→「展望広場」→「巌山観音堂」→「蔵王憩いの森駐車場」→「休息広場」のルートで、テレビ塔(福山南デジタル中継局)を廻るコースで散策となりました。
展望広場への歩道のスタート口には、歌碑が…
歌碑の近くには、説明板もありましたので、これに眼を通してみますと、
路(みち)の後(しり)
深津島山(ふかつしまやま) 暫(しま)しくも
君(きみ)が目見(めみ)ねば 苦(くる)しかりけり
万葉集巻第十一に載せられた柿本人麻呂歌集のの中の一首です。
「路の後」は吉備の路の後、すなわち備後のことで、その備後の深津島山のしまにかけて、暫くでもあなたにお会いしないと苦しくてたまりません、という女性の(立場で詠んだ)歌です。福山は江戸時代以降の干拓によって生まれた町で、万葉の時代には山麓まで海が湾入していました。
眼下に臨める南に延びた丘陵が、かっては海上に長く突き出た半島で、深津島山と呼ばれたところです。
くねくねと延びた深津島山を大蛇にたとえ、そして突端のすぐ沖合(港町児童公園内)にある大岩を蛙にたとえて、大蛇ににらまれた蛙が岩になって身を守ったという伝承も残されています。
揮毫 田頭 央涐
寄贈 福山東ライオンズクラブ --- 平成6年10月吉日 ---
…と、こんな記載でありました(^-^)//"
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