囲碁発祥の地記念碑の傍らには、「囲碁発祥の地記念碑について」の説明板がありましたので、古代の丘を拝見する前に眼を通してみたいと思います。
◆囲碁発祥の地記念碑について
奈良時代の偉人正二位右大臣吉備真備公は、二度にわたって万里の波涛を越え遣唐使として唐の都長安に渡航し、国威の発揚に尽力され、天平七年(七三五)帰国に際しては当時世界最高といわれた唐の最新の文化を数多く持って帰り、日本の政治、文化、軍制の発達に大きな功績を挙げました。
平安時代後期に書かれた江談抄には、吉備公が在唐中、唐の囲碁名人と対局し、知恵をもって勝った説話があり、これが日本の著作に現れる囲碁に関する最初の説話であるところから、吉備真備公が、日本における囲碁の開祖として伝えられ、その後の各種辞典、又著作に現れております。
その故に吉備真備公は、日本における囲碁の開祖であり、その居館跡を囲碁発祥の地として、吉備真備公の遺徳を顕彰するために、ここに記念碑を建立したものであります。
--- 平成二年十一月吉日 吉備保光会 ---
…との、こんな記載でありました。
古代の丘には、「古代の丘」説明書きにもありましたけど、飛鳥・天平時代を中心に古代の文化と知恵をモチーフとしたオブジェが配置され、散策しておりましても仲々楽しい広場であります(^.-)☆
ヘビと亀のオブジェには、『玄武』の標題で、こんな説明書きが…
◆玄武
北方を守る神獣。足や首の長い亀の甲羅に蛇が絡み合う姿をしている。甲羅上で蛇と亀が睨み合い円形に近いデザインとなる。玄とは黒を意味し、亀の甲羅などに黒色が使用されると共に、蛇の背は緑色に塗られる。奈良県のキトラ古墳や高松塚古墳では北壁中央のやや上寄りに描かれる。
この玄武の石板は、矢掛町名誉町民書家 田中塊堂先生の門弟である奈良県の書家 山田勝香氏(千草会会長)より、師が尊敬してやまなかった奈良時代の高官 吉備真備公の遺徳を偲んで造られたこの公園に設置された。
--- 平成22年7月吉日 ---
WEB上で『玄武』を検索しますと、こんな記載もありました。
◆玄武:亀と蛇が合体した四象で、水と人の生死を司る神秘的な霊獣
--- http://prometheusblog.net/2018/02/14/post-614/ ---
・玄武とは(げんぶ xuan2wu3 シュエンウゥ)
玄武とは四神の内、北方を守護する黒い霊亀です。四神の中でもとりわけ信仰されているのがこの玄武であり、真武大帝として生命を司るその神性より四神最強はこの玄武なのではないかと思います。
玄武はもともとの名前は玄冥と言い冥界へ行き神託を受けて帰ってくる霊亀の事を指していました。その神託は火にくべた亀の甲羅の割れ具合で判断されました。つまり玄武はもともとは亀甲占いから作り出された存在だったのです。
玄冥はその後陰陽五行説に取り入れられて北方を守護する玄武となりました。
玄武は亀と蛇をあわせた形をしており、象徴する色は黒で、季節は冬で方角は北を司ります。五行では水を象徴し、不老長寿、子孫繁栄など様々なご利益をもたらすという水神です。
日本では漫画やゲームの影響で守備力が高いだけとも思われがちですが、本場中国ではどのような扱いなのでしょうか。今回も徹底的に調べてみましたのでご紹介いたします(´∀`)
・玄武とは
玄武は亀とヘビが組み合わさった霊獣の一種です。玄武の本来の漢字は玄冥です。
玄は黒色の意味で、冥は陰の意味です。そもそも玄冥の名は亀甲占いに由来しています。亀甲占いとは亀を冥府へ送り祖先に会い、返答を受け取り戻ってきてその結果を甲羅の亀裂を通して占っていますので冥という漢字が使われました。
一方の玄という漢字は亀の甲羅は黒いことに由来しています。今では玄武は蛇と亀とが合わさっていますが、最も初期の玄武は玄冥と言い亀だったのです。
そして時代とともに少しずつ変化していき、古の武と冥の漢字が同じ発音であったことから、やがて名前も玄武となり道教などの影響を受け次第に様々な性格を帯びていきました。
…と、こんな記載が(^.-)☆
前方後円墳を形どった前方部のお立台は、易の八卦に通ずる八角とし、舞台にもなりますとの事。
後円部は径30mの円形を玉石で縁どり、ここにつぎの三種のオブジェを古代祭祀遺跡の環状列石のように建てました…と、説明板には記載されてありましたネ(^-^)//"
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