五の丸を後にしますと、次は「四の丸」。
◆四の丸
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手前が四の丸郭部だが、その奥は三の丸の切崖である。比高5m前後とかなりの高さを保つ。四の丸の規模は、12m×20mとややこぶりなもの。
三の丸やこの四の丸・五の丸のほぼ中央部には南北に長くこのような2列に並んだ石列が残る。
『日本城郭体系』では、何らかの建造物を物語るもの、としている。実際、本丸では礎石配列と思わせる遺構が確認できたが、三の丸から下方の石列は、その配置から考えて建造物のものではないような気がする。
いずれ紹介する予定にしている播磨の「置塩城」などにもこうした石列状のものが散見されるが、これはほぼ生活及び雨水排水のための側溝跡で、猿掛城のに配置された石列はこれとは異質な用途と思われる。不可解である。
…と、WEB上には、こんな「四の丸」に関します記載がありました(^.-)☆
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