この日はカメラ持参ですから、ウォーキングと言いますより、もぅ散策となってしまいましたけど、眼に入ります見慣れた景観をパチリです(^.-)☆
その内に定期的な除草作業で刈り取られますのでしょうけど、河川敷には無数のヒナギクが風に揺られて爽やかさを漂わせておりました(^-^)
今、GONsanがおります地点は「芦田川アメニティ広場」なんですけど、第12回アジア大会記念事業の一環として整備されました。
◆1994年アジア競技大会
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
1994年アジア競技大会(1994ねんアジアきょうぎたいかい、12th Asian Games Hiroshima 1994)は1994年10月2日から16日まで広島県広島市で行われた第12回アジア競技大会。
この大会は広島市への原子爆弾投下という特異な歴史がある広島で、アジア諸国間の平和と調和促進をテーマに開催された。当大会の首都以外での開催は初めてだった。
・招致
1978年3月、当時の広島市長だった荒木武が広島市議会で、大規模な国際的スポーツイベントを招致することを努力すべきであると表明したことから、市民から開催すべしとの世論が高まり、各種団体から決議が寄せられるようになった。1980年1月に当時の広島県知事の宮澤弘や荒木広島市長らが協議し第11回アジア大会の広島招致が決定した。招致に必要となる日本政府のお墨付きとして1984年2月に「昭和65年第11回アジア競技大会の広島招致について」の閣議決定が行われた。
当初は11回(1990年)の開催を希望していたが、中華人民共和国も北京開催を希望したことから競合することになった。そのため1984年9月28日に韓国のソウルで開催されたアジアオリンピック評議会(OCA)総会で、OCA会長が「両都市とも過去の大会よりもすばらしい大会が出来る」として、仲裁により2大会連続をセットで開催を決定することになった。これに対し1994年開催を望んでいたインドネシアを支持する東南アジア諸国などは反対したが、賛成43、反対22、白票6で2大会連続の開催都市が決定された。
・参加国 地域
旧ソ連から独立したカザフスタン、タジキスタン、ウズベキスタン、トルクメニスタン、キルギスの中央アジア5か国の初参加や、国の復興が始まったカンボジアの復帰などが注目された。一方、北朝鮮の参加拒否やパレスチナ代表の不参加などの問題もあった。なお、イラクは1990年のクウェート侵攻以来資格が停止されていたため、最初から招待されなかった。
◆芦田川河口堰
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
芦田川河口堰(あしだがわ・かこうぜき)は、広島県福山市の芦田川河口部に治水と利水を目的に作られた、国土交通省中国地方整備局が管理する可動堰(河口堰)。
道路橋(河口大橋)として併用されており、河口湖は漕艇場として利用され、右岸側は福山市竹ヶ端運動公園として整備されている。
・沿革
昭和30年代に入り高度経済成長の波に乗り、1961年(昭和36年)日本鋼管福山製鉄所(現・JFEスチール西日本製鉄所)の立地決定、1964年(昭和39年)通商産業省(現・経済産業省)による「備後工業整備特別地域」指定、1966年(昭和41年)製鉄所操業開始とともに関連企業進出、1968年(昭和43年)広島県による箕沖工業団地の造成など、福山市は重化学工業都市へと変わっていく。その中で大量の工業用水が必要となった。
そこで芦田川の利水について広域的・総合的に開発計画が検討され、三川ダム嵩上げ工事・八田原ダム建設が計画された。ただ、もともと流量が少ない(流域雨量は全国平均の2/3、保水力のある山はおしなべて低い)ところへ、都市化で水需要は減らないため、下流域にも用水を確保する必要があった。そこで、洪水の疎通能力の増大や海水の遡上を阻止し塩害防除を図る治水効果と、工業用水170,000m3/日を確保する利水を目的に、河口1.3km地点に全長450mの可動堰の建設が計画された。
1969年(昭和44年)建設省において工事着工。 1973年(昭和48年)福山市が広島県からダム使用権設定予定者の地位を継承し、工業用水道施設の建設に着工。 1978年(昭和53年)河口堰を水源として芦田川河口堰工業用水道の一部給水を開始。1981年(昭和56年)竣工。
・現況
当初は治水も建設目的の一つであったが、現在は最下流部で川から田畑に水を引く農家はいなくなったため、塩害防除目的に利用されているとは言い難い。
また他の河口堰と同様に、生態系への影響は非常に大きいと言われている。特に芦田川は昭和40年代(1960年半ば)よりの汚濁化が進行し、2004年時点で中国地方の一級河川13水系の内「水質ワースト1位(連続31年間)」になるほど深刻な問題となっており、その原因の一つがこの河口堰による汽水の消滅と言われている。地元漁業関係者や市民グループなどにより常時開放を願う嘆願書を福山河川国道事務所や市に提出しているが、 福山事務所は弾力的放流を行うにとどまっている。
・漕艇場
1994年アジア競技大会を機に、竹ヶ端運動公園から小水呑橋までの間に国際A級漕艇コースが整備され、管理棟である水上スポーツセンター(愛称リヴァマリン)が併設されている。1996年のひろしま国体でも漕艇会場として利用された。
«芦田川漕艇場»
規模 : 2,000m(国際A級公認コース)
レーン : 13.5m×6レーン
水深 : 2.5m以上
設備 : 水路用具一式、決勝判定搭、発艇施設、発艇台、操舵標識、線審台、ビデオ判定装置
«水上スポーツセンター»
福山市が所有し、財団法人福山市体育振興事業団が管理運営
着工 : 1992年、竣工 : 1993年
敷地面積 : 3,960.96m2、建築面積 : 1,631.35m2、延床面積 : 1,973.30m2
構造形式 : 管理棟 - 鉄骨造2階建、艇庫 - 鉄骨造平屋建(約70艇収容)
諸室 : 事務室、応接室、医務室、研修室、トレーニングルーム、更衣室など
…と、第12回アジア大会の漕艇会場となりました芦田川なのであります。
既にもぅ26~27年も昔の事となってしまいましたけど、当時に想いを馳せておりましたら、先ほどの自転車のオジサンにまた抜かれてしまいましたネ(^-^)
今度は、河口堰・芦田川大橋方向に向かわれますのでしょうねぇ(^-^)//"
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