階段が整備され蛇円山頂きに上がりますのは楽なのですけど、一直線に延びた階段の長い事(^-^;
結構キッくはありましたネ(^.-)☆
◆蛇円山
小さいころ、高い山と言えば、熊ケ峯(四三八m)・蔵王山(二二五m)・蛇円山(五四五m)の名前を思い浮かべたものです。中でも蛇円山の名前は「じゃえん」という不気味な響きとともに強い印象が残っています。初めてこの山に登ったのは中学三年生の六月。山麓で登り道を聞いた時、「蛇円きゃあ、蛇円にゃあハミ(まむし)が多いどう」と脅かされたことも、今では良い思い出です。
蛇円山に登るには、府中街道を通ってもいいのですが、車で行くのでしたら、芦田川の土手道を通った方が分かりやすいでしょう。御幸町の中津原から土手道に上ると、すぐ右前方に円すい形の秀麗な山容が見えます。これが、一名「備後富士」とも呼ばれる蛇円山です。芦田川の土手を山守橋北詰で右折、真っすぐ進めば駅家町服部の谷、谷奥で左折すれば登山道へ。私が初めて登ったころは、幅五〇cmくらいの山道をあえぎながらでしたが、今では自動車道も完成し、道標も完備しているので、だれでも登れます。山頂からの眺めは素晴らしく、南は、はるかに瀬戸内海が白く輝き、周囲は雄大な吉備高原の山並みが広がっています。
山頂には、八大竜王を祭る神殿が建っています。この神様は水神で、蛇円山の名の起こりとなったもの。俗に、蛇円山の山容は、「蛇がトグロを巻いた様子に似ている」ところからその名がついたと言われていますが、蛇は古代より、農耕のシンボル・水神として祀られてきた動物―つまり、平野から望むと秀麗な姿を見せるこの山は、古代より「水神のまします神の山」として、いつしか蛇円山と呼ばれるようになったと考える方が妥当でしょう。そう言えば、山の中腹に、岩畳神社と呼ばれる古社がありますが、平安時代以来と言われるこの神社には、昔は社殿がなかったとか。古代、神社には社殿がなく、山や巨石、巨木を御神体としてお参りする拝殿のみでした。その名残なのでしょう。
山頂のすぐ下には、女郎屋敷と呼ばれる土塁をめぐらした広場、山中には、和田屋敷・梶原屋敷。原城と呼ばれる由緒ありげな屋敷跡と山城跡が残っています。戦国のころ、城塞として利用されたのでしょうか。それにしても興味の尽きない山です。
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