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 小笹丸城跡からの帰路には、井原市神代町の「高越城址」に立ち寄ってみます事に…帰り道でもありますから(^-^)
 で、井原ゴルフ倶楽部方向に向かっておりまして、これも突然ですけど、以前に近くまで来ましたけど立ち寄らずに帰りました『金魚岩』も訪れてみます事に。
 昨年10月に訪れました「浪形コミュニティ広場(浪形岩子安観音)」の近くですから、ここを通過していますと、前回訪れました時には雑草が生い茂っておりましたけど、キレイに手入れしてありますから、再度、「浪形コミュニティ広場(浪形岩子安観音)」に立ち寄りとなりました(^_^)v

 ◆浪形岩子安観音

 この辺りは、浪形岩発祥の地であり、古墳時代文化の華やなりし頃には、この岩が石塔や石棺として多く使用された。その出土品の中でも有名なものに、吉備路のこうもり塚古墳(国指定史跡)の家形石棺がある。その他にも岡山市の牟佐大塚古墳(国指定史跡)の石棺、倉敷市庄の王墓山古墳(県指定し席)の石棺、総社市秦の金子石塔塚古墳の石棺等が発掘されている。
 当地(井原市野上町)頂見山一帯は、聖武天皇の天平9年(737)名僧行基により開山された頂見寺を中心に全山72坊を数え仏教文化の栄えた所である。鎌倉時代には那須氏により再興され、その後、尼子と毛利の戦(1560-1570前後)で廃墟となるなど、幾多の盛衰を経て今日に至った。
 昭和46年、この土地の老人有志が発起し、8年の歳月をかけて発掘した浪形岩の洞窟は、まことに見事なものである。奥の洞窟へは奥之院子安観音を、中ほどには慈母観音を安置して、古くから安産や長寿にご利益が多いとして信仰された観音本殿、明治四国の札所などとともに、この山地一帯を「ふれあいの広場」として開発、整備したものである。

 --- 井原市観光協会 ---

 …と、設置されました案内表示板によりますと、こんな「浪形コミュニティ広場(浪形岩子安観音)」であります。
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