昨年のいつでしたか…「中世夢が原」を訪れました際に頂いた資料に、遠藤周作が、この小笹丸城を舞台に「反逆」という作品を書いている旨の記載がありまして、いつの日か機会があれば「小笹丸城跡」を訪れようと思っておりました。
で、この日も天気が良いし温かいし、GONsanの足の調子も良さそうでしたので、「小笹丸城跡」散策となりました(^.-)☆
WEB上で「小笹丸城跡」を検索してみますと、こんな記載がありました(^_^)v
◆小笹丸城跡
--- 岡山県井原市美星町黒忠 ---
・小笹丸城跡の施設紹介
きわめて緻密なプランによって築城されたと考えられます。
小笹丸城は、城としてはとても小さく、100人なんとか入れるくらいの規模で、戦国期の村落領主の詰めの城の典型例と言われています。ただし、小さいながらも優れた構成をもち、緻密な計算の下建てられたことが分かります。遺構がほぼ当時のまま、完全な状態で保存されているため貴重な史跡です。建てられた年代やその時の城主は不明ですが、後年、作家の遠藤周作の母方の祖先である竹野井氏が居住していたという記録があり、遠藤周作はこの城を舞台に「反逆」という作品を書いています。
◆小笹丸城跡(おざさまるじょうせき)
本丸、二の丸、三の丸と、段重ねのケーキのように彫りが鋭く、中世城砦の名残を色濃くとどめる城址です。
また、遠藤周作氏の小説「反逆」の舞台としても有名です。
◆備中 小笹丸城
・歴史
築城年代は定かではない。有力国人の竹野井氏の居城で、大永年間(1521年-1527年)には竹野井市朗衛門尉が、天正3年(1575)には竹野井氏高、竹野井春高が城主と云われる。
・説明
小笹丸城は城平川に沿った標高390mの山に築かれており、現在は公園として整備されている。
小笹丸城の縄張りは少々変わっており、中心に一段小高くなった本丸を取り囲むように帯曲輪群がある。しかし、この帯曲輪群も北にある大きな竪堀によって分断され、竪堀から東側は外に大土塁を設けた横堀状になっている。竪堀の西側は完全に切岸で、さらに側面に小さな曲輪を配し、竪堀に対して横矢が掛かるようになっている。
◆小笹丸城跡
--- http://www.siromegu.com/castle/okayama/ozasamaru/ozasamaru.htm ---
・歴史
小笹丸城の遺構は、現在ほぼ完全な状態で保存されている。頂上の平坦な部分は主郭(江戸時代の用語で本丸)と呼ばれ、城の中心である。城道がとりつく北と、尾根つづきの東側に土塁を備える。
主郭から一段下の曲輪(江戸時代の用語で二の丸、三の丸など)2~6は、次第に下がりながら主郭を一巡する帯曲輪である。曲輪6は、尾根つづき側を防衛する重要な曲輪である。東下にさらに2段の曲輪があり、その直下には堀切りを設け尾根筋を完全に遮断する。曲輪6の北側で土塁がカギの手に曲がる所は、虎口(城の防禦された出入口で門がつくられた場所)で、北側の竪堀に開かれている。
見事に整備された状態です。竪堀は、北側斜面を区分し横移動を防ぐ。竪堀底は幅が広い上に、武者隠しによって守られる。こうしたことから、この竪堀は当時小笹丸城への大手道を兼ねていたと考えられる。曲輪7は内部に石積み井戸をもつ重要な場所である。このため、両脇に土塁を備える。
小笹丸城は、戦国期の村落領主の詰めの城の典型的な事例といえ、大規模な石垣などはないが、土の造形によってきわめて綿密なプランを創出している。その整った構成から、現在地表面から確認できる遺構が完成したのは、天正期(1573~91年)に降ると考えられる。
--- 『小笹丸城跡案内板』より ---
・私見
主郭に土塁がよく残っています。周囲を一望できる主郭です。小笹丸城は美星町内西部に位置する小高い山城で、非常に散策しやすい整備されたお城でもあります。築城された時期は不明ですが、竹野井市郎衛門尉が築城し以後竹野井氏が居城し、天正の秀吉による高松城攻めの頃にまで存在していたようですね。城の状態は案内板にある遺構の説明が実に分かりやすいので縄張りをそのまま載せておきます。まるで中世山城の遺構を一気に説明するにはうってこいのお城ですね。
◆小笹丸城(おざさまるじょう)
--- https://saigokunoyamajiro.blogspot.com/2011/06/blog-post_20.html ---
・所在地:岡山県井原市美星町大字黒忠字笠丸
・築城期:不明
・築城者:不明
・城 主:竹野井市朗衛門尉、竹野井常陸守氏高、竹野井又太朗春高
・遺 構:主郭・郭・土塁・竪堀・虎口・武者隠し・井戸
・高 さ:標高390m/比高90m
・指 定:井原市指定重要文化財
・登城日:2009年8月30日
◇解説
旧小田郡美星町にあった山城で、小規模ながら遺構保存が良好な山城である。
所在地は、合併した井原市の北東部にあり、北西1キロを進むと、高梁市(川上町)に入る場所にある。
◇小笹丸城の由来
小笹丸城は、標高390m・比高90mの丘陵に位置し、美星町大字黒忠字笠丸に所在する。
戦国期の村落領主クラスの詰めの城であると考えられ、大規模な石垣などはないが、土の造形によってきわめて綿密なプランによって築城されたと考えられる。
城域は、東西に150m、南北に120mを測り、主郭・曲輪・土塁・竪堀・虎口・武者隠し・井戸などが創出されている。
創築年代は不詳であるが、大永年間には竹野井市朗衛門尉が、天正3年(1575)には、竹野井常陸守氏高・竹野井又太郎春高が居城したと伝えられる。
主郭からの眺望は、八日市、星田の金黒山城址、川上町の国吉城址、弥高山などまで及び、各城砦や見張り所との連絡は、たとえば狼煙、鏡、釣鐘によって容易であったと推定される。
南側の曲輪には、小説「反逆」のなかで、この小笹丸城を舞台としてとりあげた小説家・遠藤周作氏直筆の石碑が設けられている。
・現地の説明板によると、
「戦国期の村落領主の詰めの城の典型的な事例といえ、大規模な石垣などはないが、土の造形によってきわめて綿密なプランを創出している。その整った構成から、現在地表面から確認できる遺構が完成したのは、天正期(1573~91)に下ると考えられる」と記されている。
…と、こんな『小笹丸城跡』のようであります。
小笹丸城跡への上り口には、車を駐車可能なスペースもありまして、『小笹丸城址へおいでの皆様へ 小笹丸城址への車の乗り入れはできません。ここからは徒歩でおこしください。美星町観光協会』の案内表示も(^-^)
それでは、ここから、散策開始です(^-^)//"
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