次に向かいましたのが、下蒲刈島~上蒲刈島を結びます「蒲刈大橋(無料)」です。渡り口の蒲刈大橋下に駐車場がありましたので、とりあえずここで小休止。
駐車場前にお土産屋sanがありましたので、嫁さんはそちらでお土産を物色。その間にGONsanは周辺の景観を何枚かパチリです(^.-)☆
買い物を終え嫁さんが戻って来ますと、手には帰路の安芸灘大橋の回数券を一枚(^.-)☆
いゃぁ、全く知りませんでしたけど、安芸灘大橋を利用し、島内で1,000円以上の買い物をしましたら、帰りの橋代を助成して貰えますようであります。
後で知りましたけど、『2012年4月から安芸灘諸島内での指定施設で1,000円以上買い物をした場合に帰りの通行料を助成する「安芸灘大橋有料道路回数通行券助成事業」を展開している』との事でありました。
ここでお土産物を求めて助かりましたねぇ(^_^)v
それでは、上蒲刈島にと渡ります。
蒲刈大橋を渡りますと「であいの館」が…
◆蒲刈大橋
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
蒲刈大橋(かまがりおおはし)は、広島県呉市(旧安芸郡蒲刈町および旧安芸郡下蒲刈町)の上蒲刈島と下蒲刈島を結ぶ道路橋。
・概要
1979年10月開通。県の「蒲刈地区広域営農団地農道整備事業」により建設された農道橋である。本州と安芸灘諸島を8つの橋で結ぶ安芸灘諸島連絡架橋の1つであり通称「安芸灘2号橋」、蒲刈広域農道の一部を構成する。上蒲刈と下蒲刈を結ぶ唯一の橋である。
竣工当時は農道橋としては国内最長であった。2014年現在でトラス橋としては国内第7位の支間長にあたり、トラス橋としては広島県最大の橋にあたる。
施工は石川島播磨重工業(現IHI)で、架設はフローティングクレーンを用いた大ブロック一括架設工法を用いた、トラス橋として初施工例となった。また橋脚施工に際し、ニューマチックケーソンと一体化したものを仮設ヤードで組みFCで運ぶ、橋脚付き設置ケーソン工法を採用している。
・構造
橋長 : 480メートル
最大支間長 : 255.0メートル
全幅 : 8.0メートル
幅員 : 車道6.5メートル + 歩道1.5メートル
橋種 : 3径間連続下曲弦プラットトラス橋
橋格 : 1種橋(TL-20)
海面からの高さ : 23.0メートル
◆であいの館
--- http://www.kamagari.com/ ---
・上蒲刈島入口のお土産物屋さん
蒲刈大橋を渡り、上蒲刈島に入ったところにある休憩所(道の駅の様なイメージ)です。お土産物等ここで買う事が出来るほか、ドライブの途中の休憩にとても良いと思います。ここからは、蒲刈大橋の様子を見る事が出来、瀬戸内海の島々も見え、写真等をs撮るにも良い場所と思います。
ここでも暫し立ち寄りです。
◆上蒲刈島
上蒲刈島(かみかまがりじま)は、瀬戸内海の中部にある蒲刈群島の島。蜜柑などの果樹栽培が盛ん。
呉市の東、本州からわりと近い瀬戸内の離島 上蒲刈かまがり島へ、蒲刈大橋を渡ってすぐ南に「であいの館」という観光施設がある。2005年3月建立。安芸郡蒲刈町は、2005年に呉市に編入された。
◆蒲刈蜜柑発祥の地
蒲刈蜜柑の歴史は古く、室町時代に信州(長野県)より移住してきた木村道禎(向浦の福島屋二代目の子、俗名木村太郎兵衛)が、天文6年(1535)に讃洲(香川県)より苗木を求めてきて、蒲刈島の串山(向垣内)と、刈浜にあった清光山光明寺の境内に栽植した。これが芸州(広島県)における蜜柑栽培の最初である。そののち、永禄年間(1558~69)に下蒲刈島に増殖され、寛文2年(1662)に田戸、宮盛、大浦に移植された。(「広島蜜柑」より)
当時の蒲刈蜜柑とは小蜜柑のことで、はかり蜜柑ともいわれ、枡で量って売買していた。販路は、下は博多、上は姫路のあたりまで、山陰では中国山地を越えて蒲刈蜜柑がやってこなければ正月が来ないと言われていた。
であい岬公園整備にあたり、ここに蒲刈蜜柑発祥の碑を建立する。
--- 平成17年3月建立 蒲刈町長 柴崎 龍雄 ---
◆蒲刈ふるさと自然のみち
平成8年に環境庁の事業として、全国で3ケ所が採捉された「ふるさと自然のみち」のうちの1つで、「身近な体験をしてもらおう」というコンセプトのもとに整備された遊歩道です。訪れた方に適したコースをアドバイスし、その時期に見られる植物や鳥などの紹介するウォーキングセンターがあります。遊歩道には野鳥観察所、展望台、トイレ等の付帯設備も充実しています。
・蒲刈ふるさと自然のみち コース案内図
ふるさと自然のみちは、都会の近くにあって、自然やなつかしい田園の風景が残されている所を舞台にして、人と自然の共存の方法を考えたり、自然とふれあいながら休養したり、体を鍛えたりするために設けられた道です。
・島の生活を支えた農産物
平地が少なく、水も豊富でないこの島では、米など穀物の栽培が難しく、温暖な気候を利用してミカン栽培が始まりました。
蒲刈ミカンの愛称を持つ葉ミカンは天文6年(1535)にもたらされ、下関から姫路、山陰方面にまでその名が知れわたりました。今でも老樹が実を付けています。宝永7年(1710)には大三島からサツマイモがこの向地区にもたらされ、これを契機として人口は爆発的に増加しました。
--- 蒲刈町・広島県・環境庁 ---
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