この、浪形コミュニティ広場の一角には、『橋本龍太郎記念植樹』の石柱が…
ふ~ん、元総理・橋本龍太郎sanもこの地を訪れておられましたようですねぇ(^.-)☆
◆橋本 龍太郎
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
橋本 龍太郎(はしもと りゅうたろう、1937年(昭和12年)7月29日 - 2006年(平成18年)7月1日)は、日本の政治家、登山家。位階は正二位。勲等は大勲位。学位は法学士(慶應義塾大学)。岡山県総社市名誉市民。剣道錬士六段。
衆議院議員(14期)、厚生大臣(第57代)、運輸大臣(第58代)、大蔵大臣(第93・94・103代)、通商産業大臣(第59代)、副総理(村山改造内閣)、内閣総理大臣(第82・83代)、沖縄開発庁長官(第42代)、行政改革担当大臣(初代)、沖縄及び北方対策担当大臣(初代)、規制改革担当大臣(初代)、自由民主党幹事長(第29代)、自由民主党政務調査会長、自由民主党総裁(第17代)などを歴任した。
◇来歴
初当選以来自由民主党に所属し、衆議院議員を14期にわたって務める。また第1次大平内閣で厚生大臣に就任し、昭和2ケタ生まれで初めて入閣を果たしたのを皮切りに運輸大臣・大蔵大臣等を歴任し、いわゆるニューリーダーの後を担う総裁候補と目されるようになった。
竹下派七奉行の一人であり、1990年代の日本の政界を代表する政治家である。ポマード頭と呼ばれた独特の髪型がトレードマーク。剣道教士六段の称号・段位を持つ。
1994年に発足した自社さ連立政権の村山内閣では通商産業大臣を務め、自由民主党総裁就任に伴って副総理を兼務し、1996年の村山富市首相退陣に伴い、内閣総理大臣に就任する。
在任中は住宅金融専門会社問題(住専問題、第136回国会)や行財政改革に取り組み、外交面ではアメリカのクリントン大統領・ロシアのエリツィン大統領と親交を深める。第18回参議院議員通常選挙での自民党惨敗を受け引責辞任した後も、同期当選の小渕恵三首相の下で外交特別顧問に就任し、その後も第2次森改造内閣で行政改革担当大臣や沖縄開発庁長官を、また中央省庁再編後には規制改革担当大臣や沖縄及び北方対策担当大臣を歴任。
2001年自由民主党総裁選挙に再起を期して出馬するが、小泉純一郎に敗れる。2005年に政界を引退し、地盤を次男の橋本岳に譲る。翌2006年に死去。68歳没。
◇政治家の道へ
社会人3年目の1962年、父・龍伍が急死した。会社に出勤してから2時間後に父の訃報を聞いたという。
父の意中の後継者は弟・大二郎であり、龍太郎本人も政界に進むつもりはなかった。後に橋本は「親父は僕を政治家にするつもりはなかったし、僕も全くやる気はなかった。腕白坊主だったから」と述べている。しかし、当時未成年であった大二郎は被選挙権を得ておらず、橋本の継母・正に出馬を求める声も挙がったが、父と親交の深かった佐藤栄作による指名を受け、龍太郎が亡父の後継者として選挙に出馬することになった。立候補が決まった龍太郎は、当時の西村英一厚生大臣にお願いして、父が大臣を務めた厚生省の会議をまんべんなく見学、実務を熟知しているノンキャリアの課長補佐に貼り付くように質問をしながらノートを取り続けて猛勉強しており、その姿は政治記者だけでなく厚生省を取材していた社会部記者も感心していたという。
1963年の総選挙で衆議院議員に初当選。開票結果は選挙戦前の予測を上回る7万4564票で、江田三郎に次いで2位の得票数だった。この選挙で小渕恵三(のち首相)も初当選を飾った。
初登院の時に継母・正が付き添ったことから、マスコミからは「大学入試ばかりではなく、国会議員も保護者が付き添う時代になった」と揶揄され、「マザコン代議士」と冷やかす報道もあった。本人は、秘書代わりに選挙で苦労した母に対する労いの気持ちから出た行動であると説明している。
議員当選後に遠縁に当たる久美子と結婚。久美子はカトリックだったため、六本木のチャペルセンターで結婚式を挙げた。媒酌人は佐藤栄作。佐藤家と橋本家は軽井沢の別荘も隣同士ということで毎夏顔を合わせる仲であり、父が亡くなった時、佐藤が葬儀委員長を務めた。そういった関係でもあり派閥は佐藤派に所属した。
1969年の第32回衆議院議員総選挙では選挙直前まで国会活動で多忙を極め、苦戦が予想されたが、自民党幹事長の田中角栄や佐藤派の中堅だった竹下登のてこ入れで3選を果たした。この事により、佐藤派内で田中、竹下に傾倒することになり、佐藤引退を受けての総裁選挙では、かねてより保利茂系であったことから、父代わりとも言うべき佐藤が福田赳夫を支持するように示唆するのを固辞、田中派に参加した。
…と、こんな元総理・橋本龍太郎sanであります。
この記念植樹は、ご多忙なのに、いつの時代に行われましたのでしょうねぇ(^-^)//"
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