01-720

 GONsanの歳ともなりますと、身近な人が次から次にとお亡くなりに…
 つぃ先日は、町内の親しくして頂きました方がご逝去…その数日後にはGONsanの従兄のお嫁さんが亡くなってしまいました。
 生者必滅会者定離…定めとは言いましても、実に哀しいものであります。
 昨夜の通夜から我が家に戻ってきますと、従姉からLINEで、こんなメッセージが…

 
先程は、お疲れ様でした。10月2日の中国新聞に、葛原のお月見会の記事が写真付きで載ったのですが、子供たちも3人だけ、大人も高齢者と病人が増えて淋しい限り。
 私も、あの日に二弦琴を弾く心境ではなかったのですが、余りにも少ないので参加しました。新聞があれば見てください。…と、こんなご連絡。

 
10/2(金)に中国新聞朝刊記事に掲載…とは、この記事ですネ。
 ここ近年は、本屋sanで書籍を求めての読書とはスッカリ疎遠となってしまいましたGONsanで、情報源は、WEB上の情報と中国新聞の朝刊記事のみなんです。
 ですから、朝刊は毎日、結構時間を費やし隅から隅まで眼を通しておりますので、勿論、この記事も眼にしておりました。が、演奏しておられます方のお一人が、従姉とは想いもよりませんでしたよ(^-^)
 ふ~ん、そぅでしたか…ステージ上の左からお二人目が従姉ですねぇ~
 「
二弦琴」は、2本の弦のみで色んな音が出るのですか…
 水呑学区の文化祭等で「大正琴」の演奏は何度か拝見しておりますけど、今まで「
二弦琴」の演奏は拝聴の機会に恵まれておりません。
 機会がありましたら、一度、聴いてみたい…こんな気持ちが生じましたネ(^.-)☆
 永年、琴を嗜んでおります従姉ですけど、
二弦琴も奏でていますとは聴いておりませんでしたし…まぁ、GONsanなんぞは「二弦琴」すら眼にした事はありませんから(^-^)

 
歳を重ねて行きますと色んな制約も出て来まして、仲々自分の思うようには動けませんけど、出来る範囲内で地域活動への前向きな従姉の取り組み…イィですねぇ~
 今後もお元気に、地域の皆様と楽しく日々を過ごされますよう、ご祈念申し上げたいと思います(^-^)//"

 ◆二弦琴

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 二弦琴(にげんきん、二絃琴)とは、ツィター属の弦楽器の一種。二本の弦を同音に調律するのが特徴である。
 日本における二弦事の一番古い形は八雲琴で、明治期にこれを改良・分岐した東流(二絃琴)、更に大正期に東流を改良・分岐した大正琴、これらとは別の流れである竹琴が知られている。

 八雲琴は文政3年(1820年)に伊予国の中山琴主が出雲大社の神託を受けて作ったものとされ、当初は出雲琴・玉琴とも呼ばれた。
 元々は竹を2つに割って作ったが、今日では杉や桐の板で作られ、表板には竹を模した3つの節を、裏板には2つの響穴を刻んでいる。また、表板の表面には31か所の徽と呼ばれる目印が記され、徽に刻まれた31文字を読むと「ヤクモコトツホハウエヨリシタマテヲワカノミソチニナラヒキメヌル(八雲琴(の)壺(=目印)は上より下までを和歌の三十一(文字)に倣ひ決めぬる)」となる。
 胴の長さは約109cm、幅は11.5cm(尾部)~12.4cm(頭部)ある。頭部に開けられた2個の孔から絹糸で出来た2本の弦が出て、尾部に開けられた1個の孔を通して転軫に巻き付ける。転軫とは糸巻きのことで弦の張力調整機能を持つ。
 実際の演奏は琴を琴台に載せ、左手中指にはめた転管で弦を抑え、右手人差指にはめた竜爪を弾いて演奏した。琴主の没後は、大岸元琴(琴主の実弟)・村田友琴・黒田琴翁によって三派に分かれて明治に隆盛を迎えるが、大正以降は衰微して今日に至っている。

 大岸元琴の弟子で囃子方であった藤舎廬船(長唄家元としては初代藤舎呂船)は明治の初めに裏板を設けず、表板の裏側を船形にくり抜いた新しい琴を開発して新たな流派を創設して「東流」と称した。
 廬船が囃子方であったことから、歌舞伎の世界で用いられ始め、三味線とも組み合わされて演奏された。大正の初めには森田吾郎が更なる改良を行って大正琴を発明した。
 竹琴は明治の初めに盲目の地歌箏曲家であった葛原勾当が発明したもので、八雲琴とは別の系列に属する。

 …と、WEB上で検索しますと、こんな『
二弦琴(にげんきん)』のようであります(^-^)/"

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)