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鬼ヶ岳ダム~千手院までのルートでは、「白糸の滝」の前を通過しましたハズなんですけど、う~ん、案内看板に気付きませんでした(^-^;
また次の機会に訪れてみたいと思います。
ナビ通り走行し、難なく「千手院」にと到着です。WEB上で検索してみますと、こんなお寺のようであります(^.-)☆
◆千手院
・住所 -- 岡山県井原市野上町971
・本尊 -- 十一面千手観世音菩薩
・御詠歌 -- いたみやま 月の光の かがやけば くらき道にも いかで迷わん
・見所 -- 浪形貝化石岩自然庭園(岡山県の天然記念物である浪形貝化石岩の露出を巧みに取込んだ自然庭園)
◇由来
聖武天皇の天平九年三月、行基菩薩により開創され七十二坊を有した。千手院は、その統轄としての寺格をもち大坊といわれ、一山の行事を執行する。また、往時は、八丁四面の地をもち、その四隅に諸天善神を勧請安置し「シメ」を張り、真言密教の霊地と定められていた。
保元年間、火災により消失のところ、建長三年藤原資泰(那須与一一族)再建し、梵鐘を寄進した。くだって天文年間、尼子・毛利両雄の戦場となり、一山の宝物文書一切焼失した。
梵鐘は猿掛城に持ち去られ、のち笠岡市持宝院に寄進されたが、現在、和鐘としては三十九番めに古いものである。
慶長二年、隆慶上人再興。
現在の建物は寛政六年改築したものである。鎮守は八幡社で、天慶年間に一国一社八幡宮として勧請したものである。
◆瀬戸内三十三観音霊場 第15番 頂見山 千手院
(岡山県井原市野上町971)
・浪形貝化石自然庭園の寺
奈良時代に行基が創建したと伝えられる真言宗頂見寺(ちょうけんじ)の坊の一つで、神社や本坊跡、石仏などに往時繁栄の姿がしのばれます。本堂裏の庭には露出した、岡山県指定天然記念物の浪形岩(なみがたいわ)があり、頂見(いたみ)山五景の一つとして親しまれています。
裏庭には浪形岩(岡山県指定天然記念物)と呼ばれる地層が露出しています。約2千万年前浅海であったものが造陸運動によって隆起した新生代第三紀層中の海成層で、その層はカキ、ハネガイ、ベンケイガイなどの貝類の化石から形成されていて、まれにサメの歯、ウニの化石が密集堆積してできた含化石砂岩層が 存在しています。この化石を含む石灰岩が浪形岩(なみがたいわ)と呼ばれています。
国道486号に沿って井原鉄道があります。「早雲の里荏原駅」の北方、井原ゴルフクラブ西側の道をさらに北へ約800m進み、南西へ鋭角に曲がり、山道を3~400m進むと、広場へ寺の石柱が見えます。そこから寺への道を進むと、山門下に駐車場があります。
・千手院浪形石(平成21年5月15日追加作成)
真言宗頂見山千手院の裏手には浪形石を使った、落ち着いた雰囲気の庭があります。幕末の時に住職であった証算和尚が作られたということです。
浪形石はおよそ1500万年から2000万年前(新生代第3紀)、中国地方が浅い海であった頃に貝殻や砂が堆積して出来た砂岩で、別名浪形石灰岩とも呼ばれています。ハネガイ、ベンケイガイといった多くの貝化石の他に、まれにホウジロザメの歯の化石なども見つかります。
また浪形石はこうもり塚古墳、王墓山古墳、牟佐大塚古墳といった県下屈指の古墳の石棺に使用されています。古の人々は、山の上に貝の姿が見えるということに、畏怖の念を抱いたためではないかと思っています。
千手院のある頂見山一帯は、かつて行基の開いた頂見寺が隆盛を誇り、盛時には72坊を数え、鎌倉期には那須氏の外護を得たということです。しかし戦国の尼子、毛利の戦いによって灰燼に帰し、以後曲折を経て、本尊は塔中であった千手院に遷座されました。
…と、こんな由緒のあります「千手院」であります(^-^)//"
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