それでは、山門を入り「永祥寺」境内へ(^.-)☆
山門を入りますと、正面に本堂、右側に鐘楼。左側には、袖神稲荷大明神(そでがみいなりだいみょうじん)、那須一族之墓が…
WEB上で検索しますと、こんな記載がありました。
◆袖神稲荷大明神(そでがみいなりだいみょうじん)
那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したという永祥寺の境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。
また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔が建てられています。
『袖神稲荷の縁起』には、
屋島の源平合戦の際、その名をはせた那須与一宗隆は稲荷を守護神として戦場でも肌身を離さなかった。
平家の船が扇を竿の先につけ舳(へさき)に立たせて源氏の兵に射せしむ、射失じなば生還せずと、右袖を波打ち際に投げ捨てる。この袖を拾った同族の主、押し戴いて稲荷大明神に大願の成就を祈念す。
与一その扇の要を一矢にて射抜き、戦功により荏原の庄を賜り、その孫荏原に小菅城を築き城内に稲荷を祀り、ご神体と共にその片袖を安置す。最初は片袖稲荷と申し上げていたが、いつ頃からか袖神稲荷大明神と唱え、小菅城より永祥寺境内に遷し祀る。
◆袖神稲荷大明神
井原市西江原町の「永祥寺」境内にある稲荷で、当地にゆかりのある那須与一が屋島の合戦で扇の的を射抜くとき、破り捨てた袖を祀っています。別名「一発稲荷」として多くの受験生が願かけに訪れます。
一発必中のご利益があるということで受験生や新規出店など商売繁盛を祈願する「絵馬」などが多くかけられる。
◆井原駅に合格祈願ガチャ 那須与一伝説にちなむ
--- 2020年1月3日 3時00分 朝日新聞デジタル ---
受験シーズン本番を前に、合格祈願のガチャガチャが、井原鉄道井原駅にお目見えした。1回100円のカプセルには、受験生に縁起のよい「一発稲荷」と呼ばれる地元の神社で祈禱(きとう)をすませたおみくじやお守りが入っている。
おみくじ、お守りとも、弓の名手・那須与一をまつる「袖神(そでがみ)稲荷」(井原市西江原町)で12月半ばに祈禱を受けた。
那須与一は、平家物語の源平・屋島の合戦に登場する武士。源義経の命で、平家側の船上にかざされた扇を波打ち際の馬上から一矢で射落としたとされる。袖神稲荷ではその際に与一が破り捨てた袖をまつっており、地域では一発成就の神様として多くの受験生が願かけに足を運ぶという。
◆岡山県井原市の歴史散歩(那須与一菩提寺永祥寺)
--- https://194116410.at.webry.info/200902/article_3.html ---
所在地:岡山県井原市西江原町才児
興譲館の北東に名刹曹洞宗永祥寺がある。
源平屋島の合戦で、みごと船上の扇の的を射落とした那須与一宗隆は、その恩賞に備中国荏原荘ほか4庄を賜った。那須氏はその中心の西江原に本拠をおいたようである。
備中那須氏の子孫は室町時代に没落したが、その菩提寺がこの永祥寺である。境内には遠州流庭園があることでも知られている。また那須一族の墓もある。
永祥寺の南方にある小菅山城跡があり、かつて那須氏の城砦だと伝えられている。寺のそばを流れる雄神川を遡ると県名勝の道祖渓がある。
…と、那須与一にまつわる記載は多いようであります(^-^)//"
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