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 ノンビリと歩いて下りましたけど、どうやらスタート地点の駐車場まで戻って来ましたようです。
 「P道祖溪駐車場」の表示板がありましたけど、う~ん、GONsanは道祖溪の駐車場ではなくて㈱共和鋳造所sanの駐車場に車を駐めましたようですねぇ~たまたま、この日は日曜日でしたから良かったものの、いゃぁ気付きませんでしたネ(^-^;
 駐車場まで戻って来まして、せっかく道祖溪を訪れましたのですから、この近くに存在します『那須与一公墳』に立ち寄ってみましょうか…
 ですが、その前に、那須一族の菩提寺であります「永祥寺」sanに参詣を(^.-)☆

 WEB上で「永祥寺」を検索してみますと、こんな記載が…

 ◆永祥寺(井原市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 永祥寺(えいしょうじ)は岡山県井原市西江原町にある曹洞宗の寺院。山号は禅洞山。
 当寺が所在する西江原町は、那須与一が屋島の戦いにおいて扇の的を射落とした功の恩賞として与えられたとされる5か所の荘園のうちの一つ、備中国荏原荘にあたる。那須氏はもともと下野国が本貫であり、荏原荘は分家の荏原那須氏が治めていた。当寺は、嘉慶元年(1387年)に那須資道、資英親子が荏原那須氏の菩提寺として、峨山韶磧門下の実峰良秀(峨山二十五哲の一人に挙げられる高弟)を招いて創建したと伝わる。
 境内には那須与一が屋島で扇の的を射る際に邪魔になるとして破り捨てた右袖を納めたとされる「袖神稲荷大明神」があり、扇の的の故事になぞらえて祈願必中の社として信仰を集めている。寺域には荏原那須氏の墓所がある他、やや離れた山中に那須与一公墳がある。

 ◆禅洞山 永祥寺(えいしょうじ)

 那須与一が屋島の合戦の功績として与えられた荏原荘に、那須氏が地頭として来地後、菩提寺として開基したといわれているのが永祥寺です。
 境内には、与一が屋島の合戦で弓を引く際に破り捨てた片袖を祀ったという袖神稲荷があります。また、寺の北東の山中には与一を供養する五輪塔が建てられています。
 ※ 永祥寺にご用の方は、華光寺(けこうじ)(0866-96-0916)までお問い合わせください。
 所在地:岡山県井原市西江原町5512
 TEL:0866-96-0916(華光寺)

 ◆袖神稲荷/永祥寺

 所在地:岡山県井原市西江原町5512
 那須与一が源平屋島の戦いにおいて扇の的に向かって弓を引く際に破り捨てた片袖を奉納したとされる稲荷。源平の戦いの後、那須氏が備中荏原里庄の地頭として来地後に菩薩寺として創建した永祥寺の境内にあります。

 それでは、「禅洞山 永祥寺」に向かいます(^-^)//"

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