本殿内の御神像は拝観不能ですけど、案内表示板には、こんな記載が…
◆南宮神社御神像
平成24年、東京国立博物館学芸員による御神像調査が行われ、平安時代に作成されたものと判明、平成25年4月東京国立博物館において開催された国宝大神社展に出展され、丸体の御神像は全国的にも珍しく、大評判となりました。
平成25年12月吉日 南宮神社 総代会
…と、こんな記載がありました。
WEB上で「南宮神社 御神像」と検索してみますと、こんな記載も…
◆木造神像・木造随神立像の概要
・名称(よみがな) -- 木造神像(11軀)・木造随身立像(4軀)(もくぞうしんぞう・もくぞうずいじんりゅうぞう)
・指定種別・種類 -- 国指定重要文化財・彫刻
・所在地 -- 広島県府中市栗柄町2980
・所有者 -- 宗教法人南宮神社
・公開状況 -- 非公開
備後国府の南方に位置する南宮神社に伝来した11躯の神像と、二組の随身像である。
神像は本殿内に御神体として安置されていたもので、像高や作風などから男神その1~4と女神その1~3、女神その4・5と童子形、男神その5に分けられる。そのうち男子その1~4と女神その1~3は同じ作者の手になるとみられるが、年齢や身分を区別しており神格の違いを造り分けているものとみられる。神像製作の有様を考察するうえで注目される。
随身立像は、随身門に安置されていた左右一対の神像二組で、その1・2の製作年代は12世紀後半と考えられ、中国・瀬戸内地方では古例に属する。その3・4は、その体勢や衣文表現に写実味があり、製作年代は13世紀前半から半頃と考えられる。
本神像群は平安末期(12世紀後半)から鎌倉前期(13世紀前半)にかけての製作とみられ、多様な特徴を具えるのに加えて、出来栄えも一定の水準以上で、詳細な製作事情は不詳ながら近在の備後国府の関与があったと考えられる。当地方の神像彫刻を考えるうえで重要な作例と評価される。
本殿の床下には、こんな案内表示板も…
◆府中市指定有形文化財 南宮神社 本殿
--- 昭和58年12月6日指定 ---
祭神=孝霊無天皇 伊弉諾・伊弉冉神金山彦を主祭神として14柱を祀る。
大同2年(807年)の創建で、大昔は宮内の吉備津神社と肩を並べる備後三大社一つであったとも伝える。
現在の本殿は、寛文9年(1669年)の造営と考えられ、正面5間、側面3間で入母屋造りである。大規模な5間社は県内に例が少ない。特徴として向拜は千鳥破風・唐破風付。
内部は身舎柱が立ち仏堂的な建築様式である。近くには神仏習合を物語る別当の神宮寺があり、また、境内に鐘楼が残っている神社は珍しく、往古は非常に隆昌を誇った神社である。
--- 府中市教育委員会・南宮神社 ---
本殿右側には、再築のため比較的新しい四体の神社が…左から右に「塞之神」「市杵島神社」「出雲神社」「貴船神社」が存在です(^.-)☆
◆市杵島神社
・市杵嶋姫神を祀る。
・通称・宮島さん。
安芸・厳島神社より勧請された神社です。もともとはここから200mほど離れた地に鎮座し明治時代初め頃までは、秋祭りの御旅所として賑わっていたそうです。が、神輿が担がれなくなると次第に忘れ去られて衰退…そんな経緯を経て、2000年に地元の有志によってこの地に移転再建された。
◆貴船神社
・水波能売神を祀る。
もともとは、南宮神社・末社の筆頭である二宮として、栗柄・土生・僧殿・府川・高木・中須という6村の崇敬社だったそうです。当時は、平井の城平という地に祀られていた。しかし、1716年建立の本殿の破損が激しく、また同所に再建することが困難だったため、2004年にこの地に移転再建された。
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