「竜王みはらしライン」ですか…仲々快適なドライブが出来ますイィ道です(^_^)v
途中で展望台らしきスペースを見つけ暫し眺望です。穏やかな瀬戸内を臨めますが、海と島の景観です。が、ノンビリとした気持ちにはなれますネ(^.-)☆
そしてまた走行再開で、スグに竜王山駐車場にと到着です。
竜王山を訪れています方は、それなりにおられますようです。
「竜王山」の駐車場付近にある石碑には、「龍王山水神 慰霊観音」とあり、慰霊観音由来には、「太平洋戦争で英霊となった友ら同胞に大慈大悲の眼を注いでいます」と記載がありましたネ(^.-)☆
WEB上で「竜王山(三原市)」を検索してみますと、色んな記載がありました。その中から少し拾ってみますと、
◆竜王山(三原市)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
竜王山(りゅうおうざん)は広島県三原市にある山。標高は445mである。展望台からの眺めは非常に素晴らしく、北東に隣接する筆影山と並び瀬戸内海髄一の眺望と言われている。晴れた日には四国山地も遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7橋を見ることができる。この地は1185年に屋島の戦いで敗れた平家の重臣、秦四郎国重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある龍王山(665m)と区別して葉田竜王山とも呼ばれている。
2017年3月26日、三原市幸崎町久和喜から竜王山山頂までを結ぶ総延長4.6kmの竜王みはらしライン(林道久和喜竜王線)が開通した。
◆標高445mの竜王山
竜王山一帯の集落は、1185年に屋島の戦いで敗れた平家の家臣秦四郎國重(葉田重五郎正時という説もあり)が落ち延びて開いたという伝えがある。
この山並み一帯は地元では畑山(はたのやま)と呼ばれて親しまれてきた。(三原市観光情報サイトより)
「ハタ」には葉田・畑・畠などの漢字を当てるが、伝説的には「葉田」が古い由来を示しているようだ。1185年2月、屋島の戦いで源氏に破れた平家が更に瀬戸内海を西へと敗走する中で、葉田重五郎国重一族だけは船を龍王山麓(ろく)の海岸に着けて上陸、険阻(けんそ)な山腹斜面や深い谷をよじ登って、尾根や谷間に隠れ里を作ったという。
山頂付近を境として北西部を和田ハタ・田野浦ハタ(登町)、南西部にかけて須波ハタ(沖浦町)と言われてきた。(毎日新聞より)
◆「筆影山山頂、竜王山の展望台」多島美は瀬戸内海随一
筆影山山頂、竜王山の展望台から眺められる多島美は瀬戸内海随一と評されています。筆影山の標高は311m。名前は、海に映ると山の形が筆の様に見えることから命名されたそうです。
筆影山の南西に位置し、テレビ塔のある山が竜王山です。
標高は、445mで二等三角点があります。山頂付近は、いこいの森として整備され、桜の名所です。
展望台からの眺めは実にすばらしく、晴れた日には四国山地が遠望でき、しまなみ海道の10橋のうち7つの橋を見ることができます。
この地は、1185年に屋島の合戦で敗れた平家の家臣、秦四郎國重(はたしろうくにしげ)が開いたという伝承があり、三原市の北にある竜王山(668m)と区別し葉田竜王山とも呼ばれています。
…と、こんな記載がありました。
では、山頂展望台に向かってみましょう(^-^)//"
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