「乃木将軍腰掛の岩」から、また少し進んで行きますと、今度は「平山郁夫画伯『スケッチの場』」が(^.-)☆
ふ~ん、平山郁夫画伯は、ここでスケッチされましたのですねぇ(^_^)v
案内表示板には、こんな記載が…
◆平山郁夫画伯「スケッチの場」
平成8年11月12日、日本画壇で活躍中の画伯が黒滝山に登られました。
この美しい瀬戸の風景を緞帳(どんちょう)にする為、その原画を岩に腰掛けて描かれました。
「輝く瀬戸内海」と題された素晴らしい緞帳は、広島県立忠海高校、創立100周年記念事業の一つとして新築された講堂体育館に同校同窓会から寄贈されました。-- 平成9年10月 --
…と、こんな記載。ふ~ん、忠海高校の講堂体育館の緞帳に「輝く瀬戸内海」を描かれるため、スケッチで平山画伯も訪れましたのですねぇ(^.-)☆
平山郁夫画伯は、皆さんよくご存知の方ですけど、改めてWEB上で「平山郁夫画伯」先生をお勉強です。
◆平山郁夫
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
平山郁夫(ひらやま いくお、1930年6月15日-2009年12月2日)は、日本画家、教育者。日本美術院理事長、一ツ橋綜合財団理事、第6代・第8代東京藝術大学学長を務めた。文化勲章受章者。称号は広島県名誉県民、広島市名誉市民、鎌倉市名誉市民。
子に古代生物学者の平山廉(早稲田大学教授)。妻は平山美知子(公益財団法人 平山郁夫シルクロード美術館館長)。実弟は平山助成元海上自衛官 海将補(防衛大学校10期)、現平山郁夫美術館(広島県尾道市)館長。
◇人物
旧制広島修道中学(現修道中学校・高等学校)3年在学中、勤労動員されていた広島市内陸軍兵器補給廠で広島市への原子爆弾投下により被災。この被爆経験が後の「文化財赤十字」活動などの原点になっている。
第二次世界大戦後は実家に近い旧制忠海中学(現広島県立忠海高等学校)に転校した。ここでは高橋玄洋と同級生となっている。卒業後、清水南山(祖母の兄)の強い勧めもあり東京美術学校(現・東京藝術大学)に入学。前田青邨に師事する。
東京藝術大学で助手を務めていた1959年ごろ、原爆後遺症(白血球減少)で一時は死も覚悟したなか玄奘三蔵(三蔵法師)をテーマとする『仏教伝来』を描きあげ院展に入選する。以降、郁夫の作品には仏教をテーマとしたものが多い。
仏教のテーマはやがて、古代インドに発生した仏教をアジアの果ての島国にまで伝えた仏教東漸の道と文化の西と東を結んだシルクロードへの憧憬につながっていった。そのあと、郁夫はイタリアやフランスなど、ヨーロッパ諸国も訪ねている。
郁夫は1960年代後半からたびたびシルクロードの遺跡や中国を訪ね、極寒のヒマラヤ山脈から酷暑のタクラマカン砂漠に至るまでシルクロードをくまなく旅している。その成果は奈良・薬師寺玄奘三蔵院の壁画に結実している。
アッシジのサン・フランチェスコ聖堂壁画の模写、法隆寺金堂壁画の模写、高松塚古墳壁画の模写や、ユネスコ親善大使として中国と北朝鮮を仲介して高句麗前期の都城と古墳と高句麗古墳群の世界遺産同時登録に寄与した功績で韓国政府より修交勲章興仁章(2等級)を受章した。
また、国内外を問わず長年にわたって後進の指導に当たる。日本への敦煌研究者及び文化財修復者など受け入れ事業などを提唱し、敦煌莫高窟の壁画修復事業にあたって日本画の岩絵具を用いた重ねの技法を指導するなど、現地で失われた美術技法の再構築と人材育成に尽力した。「文化財赤十字活動」の名のもとカンボジアのアンコール遺跡救済活動、敦煌の莫高窟の保存事業、南京城壁の修復事業、バーミヤンの大仏保護事業などの文化財保護や相互理解活動を評価されるなどその活動は幅広く社会への影響も大きい。
◇批評
日本とアジア諸国との友好活動や東北アジア・中央アジアでの文化財保護活動はアジア諸国、特に中国政府から評価が高く、日中友好協会会長も務め、「文化交流貢献賞」が贈られている。またマニラ市のラモン・マグサイサイ賞財団よりマグサイサイ賞を贈られている。
一方、「文化大革命や都市開発により中国人自身の手によって破壊された中国の歴史的建造物を『戦時中に日本軍が破壊した』として日本人から寄付金を募って中国の文化財の復元事業に当てた」として批判も受けている。「梁思成は日本の古都の大恩人」という根拠薄弱な説に基づいて寄付金を募り、梁思成の銅像建立事業を主導した事も批判の対象となっている。また国立大学(後に国立大学法人)である東京藝術大学の学長という公職にありながら、出版社、百貨店、放送局などとタイアップした自作の展示即売会で多額の利益を上げている点などを批判されることもある。東京藝術大学学長を辞任した1995年には岩橋英遠の「赤とんぼ」という作品からの盗作疑惑が持ち上がっている。
…と、こんな「平山郁夫画伯」先生でありますけど、「批評」の部分の記述は、う~ん、GONsanには知らないままの方が良かったのかも…
「平山郁夫画伯『スケッチの場』」を通過しますと、また左手の山側の石仏を眼にしながらの歩行が続きます。
その内に、石仏群が存在します場所に到達で、暫し小休止となりました。この石仏群の中には「南無妙法蓮華経」と刻まれました石碑も…我が家の宗派は日蓮宗でありますから、この石碑にはチョッと嬉しい気持ちにも(^-^)//"
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