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 整備されました石段の参道を上がって行きますと、スグに「医王山 清滝寺」にと到着です(^.-)☆
 境内で「んっ!?…」と、まず眼が止まりますのが、この「今田慧弦師」の像なんです。清滝寺を訪れます前に、GONsanも少し事前学習しておりますから、この方が何者なのかは分かります(^_^)v
 WEB上で再度、「今田卯兵衛(慧弦)」sanを学習してみますと、こんな記載がありましたネ(^.-)☆

 ◆伏越・石橋町・正寿場町・浜田・鬮場川鉄橋

 --- 伏越踏切に隣接した今は無き「今德薬局」の建物。神島八十八ケ所の今田慧弦ゆかりの薬局。---

 今德薬局は平成24~25年頃までは上の写真の如き建屋が残っていた。
 最近はすべて撤去されてその、趾地は地福寺の駐車場となっている。昭和四十年代後半の写真として左上のモノクロ写真が残っている。
 その説明文に『今田慧弦ゆかりの今德薬局』と書かれている。また郷土資料の昭和26年に刊行された『笠岡町沿革史』によると安政年間(1854-1860)の開業とのこと。今田慧弦と云えば神島八十八ケ所を築造したことで有名な人物である。
 『神島八十八ケ所の創建は元文五年(1740)より延享元年(1744)までの五年間、笠岡の人・今田卯兵衛(慧弦・元禄8年~安永元年1695-1772)が発起し、神島内浦の人池田重郎兵衛の協力によって完成した。
 延享元年春の開眼供養法要には導師遍照寺主辨随阿闍梨を筆頭に八十八人の僧侶が招かれたという。
 「神島四国縁起」によると、「安芸の国今田村に居住していた今田卯兵衛という人が享保年間に笠岡の浜田に移住した。稼業多いにふるった」と書かれている。』(以上、出処は「神島町誌」)
 これらの記述を総合すると、今田慧弦こと今田卯兵衛は安芸国今田村の人、浜田に移住し薬局を開業し事業は繁栄し財を成す。ところが一人息子の後取りが死去、四国霊場八十八ケ所(江戸期初期の成立)を巡りて霊感を得地元笠岡神島に四国に似たる景色があって八十八ケ所霊場を作ることを発心す。元文五年~延享元年までの五年間で完成し開眼供養法要を盛大に行った。
 それからざっと百年後に薬局は浜田から伏越へ移転された。昭和四十年代には営業を続けていたが其の後閉店。平成二十年代になり建屋が取り壊されて駐車場となっている。
 前掲の昭和26年刊行『笠岡町沿革史』の記述は『伏越開業後、德八郎、德太郎を経て先代德一郎昭和二年歿後長男德之輔之を継承す。』と書かれている。歴史とはかくあるもの、埋没の連続の先に再生がある。この地に再生されたのは偶々駐車場ではあるが…

 --- (2014/04/08 記) ---
 http://www.tok2.com/home/ryutaroh/EnjoyWalking/StreetsSight/pages/image0008.html

 協力者であります「神島内浦の人・池田重朗兵衛」sanも検索してみたのですけど、残念ながら「池田重朗兵衛」sanの詳しい記述は見当たりませんでしたネ…
 それでは、清滝寺へお詣り後、境内をくまなく画像に納めてみたいと思います(^-^)//"

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