参道を登ると注連柱(しめばしら)が有りまして、抜けますと、正面に正戸山城跡に建造された石鎚神社が存在し、境内広場には、左側に「御統監之碑」。右側には、石灯籠と百度石。「正戸山」を説明しました案内板も設置されてありました。
この案内板には、こんな記載がありました(^.-)☆
◆正戸山(しょうとやま)
・正戸山
正戸山は、神辺平野の中央部、御幸町上岩成の北東部に位置し、標高49m、平野部からの高さは34mで、山頂からは神辺平野を一望に見渡すことができます。
・正戸山城
南北朝時代に、足利尊氏から備後国守護として下向された岩松頼宥(いわまつらいゆう)によって、正戸山の山頂に築かれたと伝えられる山城が正戸山城です。戦国時代には、尼子方の宮氏が居城していましたが、1552(天文21年)、毛利元就の軍勢の攻撃を受け落城し、毛利氏の城となりました。
・昭和天皇行幸
1930年(昭和5年)昭和天皇が行幸され、正戸山の山頂から視察統監される中、岡山方面から来る東軍と広島方面から来る西軍が正戸山南方で決戦する想定で、陸軍特別大演習が行われました。昭和天皇の行幸を仰ぐため、当時の両備慧敏鉄道(現JR福塩線)では、正戸山臨時駅を設置しました。
大演習から5年後の1935年(昭和10年)、昭和天皇の御野立所(おんのだてしょ)となった正戸山の山頂に、記念の石碑「御統監之跡」が建てられました。
・四ヶ村合併
1938年(昭和13年)、深安郡上岩成、下岩成、森脇村、中津原村の四ヶ村が合併し、昭和天皇の行幸を記念して村名を御幸村(みゆきそん)と名付けました。これが御幸という地名の由来です。
・正戸山城跡公園
私たち御幸町の住民は、正戸山城跡を、ふれあいの場、歴史教育の場、健康作りの場など市民の共有財産として位置付け、市民が参加協力し、憩い集うことが出来る公園として環境整備していきます。
そして、御幸町や周辺地域の人々が心の豊かさと相互の交流を築いていける場所として、後世へ伝え残していきます。
2011年度(平成23年度)
福山市協働のまちづくり推進事業キーワードモデル事業
福山市
福山市教育委員会
正戸山を愛する会
…と、こんな記載が(^.-)☆
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