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 古墳群巡りは、「金光教芸備教会」に隣接の民家横の狭い道を上って艮大明神にとスタートとなりました(^.-)☆
 この「艮大明神」から少し進みますと、先ほどの集合場所であります「金光教芸備教会」が眼下に(^-^)
 この辺りは、金光教芸備教会の裏山ですネ。

 そして、また少し進みますと「張田遺跡(仮称)」に到着です。
 イノシシが掘り起こしました穴なんですけど、この穴から「弥生時代後期の朱塗り壺」が出土しましたようですネ(^.-)☆
 当日、案内頂きました「御領の古代ロマンを蘇らせる会」の会長sanのお話しでは、土器が埋まっている場所をイノシシはよく掘り起こしている…との事でありました。
 弥生時代後期の朱塗り壺の出土の経緯は、WEB上に「御領の古代ロマンを蘇らせる会」sanが、こんな記載を…

 ◆やっぱり!朱塗り壺は急斜面に埋納されていた!!

 --- 2017年06月30日 07:00 御領の古代ロマンを蘇らせる会 ---
 (http://blog.livedoor.jp/geibi/archives/51587029.html)

 4月9日の記事に書いた、金光教芸備教会の裏山で出土した弥生時代後期の朱塗り壺について続報です。
 その後、大学、文化財課、調査研究機関等の専門家の方々に現地を見て頂いたところ、どなたも、「こんな急斜面に遺跡を造るのは考えにくい」「山上にあった物が土砂崩れ等で流れ落ちたのではないか」、というようなご見解でした。
 専門家の方々のご見解に、「なるほど…」と思う反面、誠に失礼ながら「本当にそうだろうか…」という思いもわいてきました。と言うのも、この山を平坦な所まで登るとなると、かなりの距離があり、その距離、しかも急斜面を転落したとなると、木端微塵に砕けて斜面のあちこちに分散してしまうと思います。
 しかし、この度見つかった破片は結構大きく、しかもひと所でまとまった量が出ています。
 こうなったら、今のところ遺跡ではないし、猪の沼田場(ヌタバ)をさらえてみることに…f^_^;

 これは大変だということで、すぐに文化財課に連絡を入れました。その日の内に職員さんが現場に来て下さり、状況を確認され、「これは間違いなく、ここに埋納されていた物ですね。こんな所に遺跡を造るかな…」と少々困惑の表情。
 沼田場の底には、まだ土器片が埋まっているようでしたが、ひとまずこの日は、沼田場の泥に混じっているものと周囲に散乱しているものだけを拾い上げ、現場に土を被せて撤収しました。
 前例のないシチュエーションで見つかった弥生後期の朱塗り壺…これまで知られていない弥生後期の営み、それも、祭祀あるいは墓制に関わる重要な営みがあったことが、この遺跡から明らかになるかもしれません。
 文化財課としても確認調査を検討したいとのことでした。
 今後の展開が非常に楽しみです!

 …と、こんな記載が。
 ふ~ん、ここから出土しましたのですねぇ~

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