どなたも訪れておられないのかも…と思いながら天文台駐車場に到着しますと、3台の車が駐まっておりました(^-^)
うん、うん、土曜日ですから、やはり来訪者はおられますようです(^.-)☆
入館料は、100円ですから、早速、岡山天文博物館に入館です。
◆岡山天体物理観測所(GONsanが小学生の頃は、竹林寺天文台と言っておりましたような)
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
岡山天体物理観測所(おかやまてんたいぶつりかんそくじょ)は、岡山県浅口市と同県小田郡矢掛町にまたがる竹林山山頂付近にあった天文台。1960年に「東京大学附属東京天文台岡山天体物理観測所」として開所、1988年に東京天文台が国立天文台に改組されてからも国立天文台によって運用されたが、2018年3月31日にCプロジェクトとして終了した。2018年4月以降も、観測施設は国立天文台ハワイ観測所岡山分室によって管理され、共同研究グループによって機器の保全及び利用がなされている。
・沿革
1960年に萩原雄祐らの尽力により開所された。当地は晴天率が高く、竹林寺山頂(海抜・標高372m)に位置しているため気流等が安定しており、光・赤外観測にはうってつけの場所であったため設営に至った。また標高が低いため、山頂への道路等も当時には既に整備されており、観測施設の建設及び精密望遠鏡の運搬・調整などにおいて支障をきたさない点が評価されたことが設営の理由となった。
1953年(昭和28年) 日本学術会議で、大型天体望遠鏡設置に関する要望を行う。
1954年(昭和29年) 望遠鏡設置場所の調査開始(気象資料調査、星像実地測定観測)
1956年(昭和31年) 竹林山山頂に、観測施設の設置を決定する
1958年(昭和33年) 188cmドーム、91cmドーム施設の建設開始
1959年(昭和34年) 91cm反射望遠鏡完成
1960年(昭和35年) 東京大学附属東京天文台岡山天体物理観測所 開所
1962年(昭和37年) 188cm反射望遠鏡、91cm反射望遠鏡の本格観測開始
1968年(昭和43年) 65cmクーデ式太陽望遠鏡完成
1984年(昭和59年) 第1回「岡山天体物理観測所ユーザーミーティング」実施
1988年(昭和63年) 東京天文台が国立天文台に改組
2004年(平成16年) 大学共同利用機関法人・自然科学研究機構・国立天文台に改組。
2017年(平成29年) 12月28日、全ての全国大学共同利用を終了。
2018年(平成30年) 3月31日、プロジェクト終了。
・観測所の望遠鏡
188cm反射望遠鏡:グラッブ・パーソンズ社製。ニュートン焦点、カセグレン焦点、クーデ焦点の三つの焦点を持ち、観測目的・観測装置によって使い分ける。クーデ焦点に置かれた高分散エシェル分光器((HIDES, HIgh Dispersion Echelle Spectrograph)を使った恒星の分光観測が精力的に行われた。
91cm反射式望遠鏡:日本光学工業(現:株式会社ニコン)製の、国産1号機となる大型反射式天体望遠鏡。2003年10月に運用を停止し、超広視野赤外線カメラへの改造が行われている。
50cm反射式望遠鏡:MITSuME望遠鏡(Multicolor Imaging Telescopes for Survey and Monstrous Explosions)として設置された望遠鏡。ガンマ線バースト観測専用の望遠鏡として、東京工業大学のグループと共同で運用を行っている。完全自動制御によって、東京大学宇宙線研究所明野観測所(山梨県)の50cm望遠鏡と共に連動観測が行われている。Gバンド(80nm)、Rバンド(50nm) 、Iバンド(800nm)の3バンドの画像を同時に得ることができる。
65cmクーデ型太陽望遠鏡(運用停止):主に太陽表面の磁場活動を観測していたが、国立天文台三鷹キャンパスに太陽磁場観測専用の望遠鏡が設置されたため、そちらに研究の主体が移った。国内における太陽光学観測の拠点としては京都大学理学研究科附属飛騨天文台(岐阜県)がある。
◆岡山天文博物館
岡山天文博物館は、2018年3月24日(土)にリニューアルオープンしました!
岡山天文博物館は、岡山県の南西部・浅口市鴨方町にある市立の博物館です。
最新鋭のプラネタリウムでまるで本物のような美しい星空を見ることができるほか、天体に関する様々な展示品により身近な宇宙を体験できます。
隣接地には、アジア最大級の3.8m新技術望遠鏡を備えた京都大学岡山天文台や日本最大級の口径188cmを誇る反射望遠鏡を備えた国立天文台岡山天体物理観測所があり、展望デッキ等から雄姿を望むことができます。
◆シュミット式望遠鏡
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
シュミット式望遠鏡(シュミットしきぼうえんきょう、Schmidt telescope)は反射屈折望遠鏡の一形式である。明るく広い写野を得られ、中心部から周辺部までかっちりピントが合い、1988年時点で吉田正太郎は「微光天体の掃天に必要不可欠で、天体観測における世紀の大発明」と評している。
主鏡は球面鏡で、絞りを球心位置に置いて非点収差とコマ収差を除去、四次関数で表される非球面の薄いレンズを置いて球面収差を除去し、収差がほとんどないスチグマートなので極めてシャープである。像面は主鏡の球心と同一位置に球心を持つ凸球面になる像面湾曲があるため、写真乾板やフィルムは湾曲させなければならない。鏡筒は焦点距離の約2倍の長さになってしまうため、かなり大きめの架台が必要になる。また補正板の口径が大きくなってくると色収差が増大しシャープな像を得られる波長域が狭くなるため、口径1メートル(以降m)級の大型望遠鏡では補正板を2枚構成の色消しにしてあるものもある。
望遠鏡という言葉には「接眼レンズを通じて観察する」という印象があり、これは写真撮影専用であるシュミット式の実情には合わず「シュミットカメラ」と呼ばれることも多いが、天文学者はシュミット式望遠鏡と呼ぶ。
・発明
通常のカセグレン式望遠鏡では主鏡は放物面、副鏡は双曲面と2枚の非球面鏡を研磨する必要があるが、右手のないベルンハルト・シュミットは左手だけで扱えない主鏡を単純な研磨方式とするため、主鏡を球面、副鏡を4次以上の項を含む高次双曲面とする方式に設計を変更して、1905年にポツダム天体物理天文台に口径40センチメートル(以降cm)のカセグレン式望遠鏡を製作した。これを使って観測した天文学者はこのことに誰一人として気がつかなかったという。このような球面主鏡のカセグレン式望遠鏡を何台か製作して成功したシュミットは、「非球面は移転することができる」という確信を得た。球面収差を除去するには「光路長一定の条件」を満たす必要があるが、これを理論でなく研磨経験から知ったのである。さらにシュミットは左手だけで扱える軽い平行平面板を研磨して非球面とし主鏡の前に入れる方式とし、これには透過面であるため要求される精度が低くなる利点もあったが、光線が補正板を往復して通過するためレンズコーティングの技術がなかった当時20%の減光になってしまった。
そこでシュミットは次に補正板をずっと前に出し、球面主鏡の曲率中心に置いてみたところ、焦点面が球面になるとともに広い視野にわたりコマ収差も消えることが分かったので、『明るい、コマのない反射鏡系』という論文を1932年ハンブルク天文台報告(Mitteilungen der Hamburger Sternwarte in Bergedolf)で発表した。これが後のシュミット式望遠鏡に関する世界最初の論文である。
1935年にユルィヨ・バイサラはシュミット式望遠鏡の優秀性を説く『トゥルク大学天文台のアナスチグマート反射望遠鏡』という報告をA.N.254に発表、これでシュミット式望遠鏡は国外に有力な支持者を得た。ユルィヨ・バイサラはこの後像面湾曲の低減を企図しライトシュミット式望遠鏡を開発した。
…と、WEB上には色んな記載がありますけど、天体に関しまして全く無知のGONsanには、よく分かりません(^-^;
が、せっかく入館しましたので画像には納めさせて頂こうと思います(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)