1月の下旬頃でしたか…何気なくテレビの前に座りますと、岡山県玉島の沙美海岸が画面に…小学生時代に、一度だけ沙美海岸で泳ぎました記憶が懐かしくボンヤリと(^-^)
暫く画面を見つめておりまして、玉島には円通寺公園があったなぁ…と、急に出掛けてみたくなりましたGONsanです。
玉島市街地から南西方向に位置し、円通寺(良寛和尚が修行した寺として有名)を中心に広がる公園なんですけど、急ではありましたが出掛ける事に(^-^)
嫁さんは忙しそうでしたから、GONsan独りで(^.-)☆
玉島には、国道2号線でなく寄島・沙美海岸を経由の海岸沿いを走行です(^.-)☆
寄島まで来ますと、別に急ぎのドライブでもありませんから、三ツ山スポーツ公園に立ち寄りです。この海岸沿いには「三ツ山(三郎島)」が存在しますから、ここで数枚パチリとなりました(^.-)☆
◆三郎島
三郎島は、青佐鼻海岸の南方、三郎島海水浴場の西南部沖合いに三っつ並んで浮かぶ島で別名三ツ山とも呼ばれている。この三っつの島は、粗粒花こう岩からなり、高さ各10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並んでいる。干潮時にはこれらの島へ陸地側から歩いていくことができる。
★以前は「三郎島」と呼ばれていた「三ツ山」
「寄島の地名」によれば、神功皇后が還御の途中、吉備の島に寄り、天神地祇を祀られたとき、お供えの握り飯が海に転がり三つの島となった…と伝えられる。その後、この小島を仲哀天皇・應神天皇・神功皇后の現身として祀った。
十六世紀半ば、富士権現が祀られ、小さい祠があったが、明治四十年(1907)の大津波によって流出した。また中央の島を天照大神、北の島を素盞嗚尊、南の島を嚴島神社の主神である杵島姫命(いつきしまひめのみこと)になぞらえて祀り、現在坦(なる)にある嚴島神社は明治12年(1879)、三ツ山から還されたという。明治の始め頃、嚴島神社(宮島さまの愛称)の祭礼のとき、お召し船が三ツ山を左廻りに三回まわる神事があったと伝えられている。
☆浅口市HPの説明は次のとおり
寄島園地のある三郎島の西海岸沖に粗粒花こう岩からなる三つの島があります。高さ10m、長さ15m、相互に約6mの間隔をおいて規則正しく並び、干潮時には三つの島へ本土側から歩いていけます。この付近は潮干狩りのできる場所としても有名です。
以前はそれぞれの島に松の木が自生していたそうだ。特に南の島には大松が生えていたが昭和五十年頃に枯渇した。その後、植樹を繰り返しても現存する木以外は生育が困難であるという。
…と、こんな記載がWEB上にありました(^.-)☆
それでは、引き続き、沙美海岸を通り抜け「円通寺公園」にと走行です(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)