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 ノンビリと本通り商店街を歩いて来まして、「お好み村」に到着です(^.-)☆
 4階建て「お好み村」の入口には、「吉田正三郎村長之像」が設置されています。

 ◆吉田正三郎村長之像

 設置場所:お好み村 《広島県広島市中区新天地》
 設置者:平成4年1月吉日 広島市新天地お好み村飲食組合

 この方が、どんな方なのか詳細は知りませんけど、昔、「広島のお好み焼きを国外に広めた人」と聴きましたような…

 ◆広島風お好み焼の歴史

 お好み村の歴史広島風・お好み焼の歴史広島名物・お好み焼の始まりは、戦前に庶民の間で親しまれた「一銭洋食」。小麦粉を水で溶き、ネギや干エビ、紅ショウガなどを入れて焼いたもので、町のお菓子屋さんなどで気軽に食べられる「おやつ」のような存在でした。食事として食べられるようになったのは、戦後のこと。新天地広場をはじめ、市内一円の屋台や自宅の一部を使ったおかみさん一人の店などでは、栄養不足を補うために、具としてキャベツや卵、魚介類、そば、うどんを入れるなど工夫を重ね、今の広島風お好み焼が誕生しました。

 ◆お好み村の歴史

 戦後、広島市中心部の新天地広場に集まった50件ものお好み焼きの屋台には、町の復興にかける熱気と人情があふれていました。お好み焼を中心に活気づくこの風景を見た作家のきだみのるさんが、「まるでお好み村みたいだね」とおっしゃったのが「お好み村」の名前の由来です。

 昭和38年に広場が公園になった時に屋台は立ち退きとなり、公園前に造られた2階建てのプレハブ風店舗「お好み村」の知名度は全国的なものとなり、カープを応援する地元の方はもちろん、全国から訪れる修学旅行の生徒さんや一般の旅行客などで賑わう広島の名所となりました。平成4年に高層ビルに生まれ変わった「お好み村」は、今も生まれた当時と変わることのない味と活気、親しみやすい雰囲気で皆様のお越しをお待ちしています。

 …と、こんな「お好み村」のようであります。

 とりあえず階段で2階に向かいますと、入口付近の階段には10名ばかりの方々が順番待ち。特定の店の順番待ちのようですから、中に入り空席のあります店を捜しましたけど、どこも皆、満席でありました(^-^;
 仕方なく3階に向かいますと、この階も同様でありました。
 空席は無いのかも…と半ば諦め気味に4階に向かいますと、幸いに一番奥のお店に空席が4席。どぅにか嫁さんと着席可能となりました(^_^)v

 お好み村を後にしますと、また本通りを平和公園方向へ歩行です。せっかくの機会ですから、平和公園を散策します事に(^.-)☆
 大概の皆様は、「広島ドリミネーション」を鑑賞ですから、平和公園内は閑散としたものでありました。一部、観光客の皆様と擦れ違いはありましたけど…
 原爆死没者慰霊碑前で手を合わせ、平和祈念資料館本館下を通り抜け、平和大通りをNHK広島放送局方向へ…

 スタート地点にと戻ってきましたので、そろそろ広島ドリミネーションから退散です。
 それなりに楽しめます「広島ドリミネーション」でありました(^-^)//"

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