銀寿観世音菩薩へのお詣りを終えますと、鳶尾城古城址・櫓台を見てみます事に…
WEB上で、「鳶尾城跡」を検索してみますと、こんな記載が…
◆鳶尾山城
築城年代は定かではない。周防の大内義隆によって築かれ、井上伯耆守春忠が城代として在城していたという。その後、井上春忠は毛利元就の武将小早川隆景に従っている。
鳶尾城は虚空蔵山の東の峰から南東に伸びた尾根の先端頂部に築かれており、現在は公園として整備され、主郭の一角に銀寿観音菩薩礼拝所が祀られている。
観音菩薩のある所が主郭で北端には櫓台を模した建物がある。ここから南尾根に二段の削平地が付いている。尾根の南端には堀切はなく、北背後も駐車場になっており堀切があったかどうかはわからない。
・井上伯耆守春忠(人物往来社干「小早川隆景の人物事典」by 館鼻誠氏著)
隆景家臣。奉行人筆頭。又右衛門尉。伯耆守。父は井上賢明。毛利家臣井上元盛の次男秀俊の養子となる。隆景の沼田小早川家相続に従い、隆景の側近として活躍。永禄11年(1568)の正月座敷配りでは上座から八番目に小早川山門と同じように「殿」の敬称をつけて記される。
天正年間(1573)の座敷配りでは殿の敬称はなくなるが、8~10番目前後にすわり、同22年(1594)、隆景が秀吉に謁見するために上洛したときも従った。隆景の筑前支配でも「御奉行衆」の中核として博多の復興事業や名島城下の建設を指揮し、名島城内に屋敷も与えられた。隆景の死後、毛利家臣に編入されたが、毛利家臣から外様視されるのを嫌ってか、慶長六年(1601)、子息の景貞とともに出奔。次男は三原に土着し、江戸時代に三原の東町の町年寄を務めて角屋を名乗った。
…と、こんな歴史がありますようですネ。
それでは、今から、立入禁止のチェーンがありますけど、『里庄 美しい森』に向かって散策です(^.-)☆
里庄町のホームページには、こんなお知らせが…
◆里庄美しい森 閉鎖のお知らせ
里庄美しい森は、平成31年3月31日をもちまして閉園とさせていただきます。
長年のご利用、誠にありがとうございました。
・閉園理由
平成30年7月豪雨災害により進入路が崩壊し、利用が出来なくなりました。
閉鎖期間中に、イノシシがキャンプ場や遊歩道に出没し、施設の被害が発生しており、再開した場合、多額の復旧費用やイノシシが利用者と遭遇する危険性があるため、閉園としました。
…と、こんな事情で閉鎖となりましたようですねぇ~
イノシシとの遭遇はイヤですけど、ササッと短時間で散策してみたいと思います(^-^)//"
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