本丸跡には、こんな案内板が…
◆多治比猿掛城本丸跡
猿掛山の頂上(標高376m、比高120m)に位置し、長さ50m、幅24mの長大な平垣面を持つ。
南側背後は、約13mの深い堀切で背後の尾根続きをさえぎっている。三方は急峻な崖で東側に一段、南側に四段の付曲輪がある。
本丸平垣部南端に長さ約20m、高さ、幅とも約1mの土塁がみられる。北端には約10m四方で、約3m高い盛土があり、櫓台として使用したものと思われる。
ここからは、南を除く三方が見え、石州路に沿う要衝の地であった事が伺える。東側からは、約4km離れた郡山城が望まれる。
-- 平成2年3月 吉田町教育委員会 --
…と、こんな案内がありました(^.-)☆
暫し、多治比猿掛城本丸跡を見廻って、今度は下山です。上って来ます時には、結構な急勾配で少々キツい歩行でありましたけど、さすがに下山は楽。ですが、油断しますと足が滑りますので、それなりに用心しながらの歩行が続きます。
途中、また案内板がありまして、往路では、復路で確認しようと思っていましたので、下山時に立ち寄りとなりました。この案内板には…
◆寺屋敷曲輪群
この曲輪群は、中心部曲輪群の西端から造られた幅6mないし7m、深さ2m、長さ約130mに及ぶ長大な堅堀によって、中心部曲輪群から隔てられ、中心部曲輪群より60m下方にある。
曲輪群は、上方中央には面積約860㎡の広大な曲輪(寺屋敷)を中心に、北方に階段上の曲輪が4段、それをとりまく帯曲輪が8段、さらに上方に3段の計15段からなっている。
現在、この曲輪群の下段には猿掛山教善寺が建っており、当初からこの段を含めた一帯が寺屋敷曲輪群として使われていたのかも知れない。
この曲輪群は、急斜面に平坦面を造成し、防禦としては堅堀しかないということから、当初から城としてより、寺屋敷として造られたとも考えられる。
-- 平成4年3月 吉田町教育委員会 --
…と、こんな記載がありました。
それにしましても、皆さん、結構、不安そうに感じられます歩行なのですけど、普段からこぅした山歩きには慣れておられますのかも…上り口まで下りて来ますと、誰一人遅れます事も無く無事に下山。
う~ん、意外と皆さん健脚でありました(^-^)//"
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