秋本哲治さんに、まず館内をご案内して頂きましたが、平成20年01月に発見されました前方後円墳「甲立古墳」は、県内では最大級の規模で、今では国史跡に指定。
3次元レーダー測量図では、畿内地域の古墳とよく似ておりますねぇ~
技術の進歩で、今では全体を発掘調査しなくても概要は把握出来ますのですねぇ~凄い\(^o^)/
◆甲立古墳(甲田町)
甲立古墳は、平成20年1月に甲田町上甲立菊山の山林で新たに発見された前方後円墳です。全長は77.5メートルに達する、県内では最大級の規模です。平成28年3月に国史跡に指定されました。
平成22年度から25年度まで実施した発掘調査では、傾斜地上に築かれた均整がとれた墳丘、隙間なく葺かれた精緻な葺石、実際より大きく見せる大規模造成など、高度な技術で墳丘が築造されていることを確認しました。
後円部墳頂では、中央に5基の家形埴輪を一列に並べた石敷区画や数種類の埴輪で構成された埴輪列などで、築造当時に並べられた埴輪の配列を良好な状態で確認することができ、古墳祭祀、埴輪祭祀を研究する上で極めて重要な調査例となりました。
出土した埴輪は、切妻造高床建物の1・2号家形、特異な形の囲形状、出土例が極端に少ない子持家形などの家形埴輪をはじめ、船・甲冑・蓋など器材埴輪、普通・楕円・朝顔形などの円筒埴輪がありました。
いずれの埴輪も端正な作りで、埴輪を製作した工人の技術の高さを示しており、当時の中心地であった畿内の中枢で出土した埴輪と近似します。これらのことから甲立古墳は4世紀後半に畿内の勢力が深くかかわって築造されたと考えられます。
山間に築かれた4世紀後半の畿内色の強い前方後円墳は全国的にあまり例がなく、当時の社会情勢や畿内勢力の動向を知るうえでも貴重な資料と考えられています。
・概要
4世紀後半頃に築造された前方後円墳で、安芸高田市教育委員会が広島大学考古学研究室に依頼した測量調査によって、2009年11月に確定に至った。
この菊山付近には、安芸国の国人領主・宍戸氏の城であった柳ヶ城があり、古墳はその一部と見なされており、上記調査までは古墳として認識されていなかった。柳ヶ城の調査を担当した東広島市教育文化振興事業団の指摘などによって、2008年2月に調査が開始され、古墳と確認された。
調査古墳は菊山中腹斜面に築かれており、前方部分が南、後円部分が北に配置されている。広島県内では最古の時期のものとされ、推定されるその規模は全長75m、高さは約13m。三ツ城古墳(5世紀、全長92m、東広島市、国の史跡)、辰の口古墳(4世紀後半、全長77m、神石高原町、県史跡)に次ぐものである。また、古墳側面の斜面部分には川石を使った葺石が施され、埴輪が配置されていたことも判明した。
2010年より発掘調査が行われ、それに併せて市指定史跡として指定された。その後、2016年3月に国の史跡に指定されている。
◆家形埴輪
石敷区画に並べられていた家形埴輪は切妻造高床建物2、特異な形状の囲形状、他のものより小型の家形2で、いずれの埴輪も写実的でシャープな仕上がりであることから、高度な技術持った埴輪工人が製作に携わったと考えられます。
また、後円部墳頂中央の浅い落ち込みからは、全国的に出土が珍しい子持家形埴輪が出土しました。
◆3Dレーザー測量ってどんな技術?
従来の測量では時間のかかってしまう複雑な地形も、3Dレーザースキャナーなら写真のように細かく測量することができます。光波・レベルによる従来測量に比べ測点数は1万倍。測量時間は1/10以下と大幅に短縮。低価格での現況測量・地形測量が可能となります。
…と、こんな「甲立古墳」でありますようです(^.-)☆
現在も未だ発掘調査が続いていますのでしょうけど、う~ん、凄い古墳なんですねぇ(^-^)//"
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