余市蒸留所見学の最後は、「ニッカ会館(無料試飲会場)」へ。
結構な量を試飲されましたのか、集合時間となりましても、仲々現れません方が…皆さん手分けして捜しましたら、気持ちよさそうに眠っておられましたとか(^-^)
ニッカ会館(無料試飲会場)につきましては、WEB上にこんな事を記しておられます方が…
★“マッサンとリタの愛情生活が偲ばれる素晴らしい名所です”
何といっても無料で見学できるのが嬉しい。大きな試飲会場では3種類のウイスキーをこれも無料で試飲できる。別棟の有料の試飲会場が博物館の中にある。マッサンとリタの生活も偲ばれる。戦前に遠いスコットランドから雪深い余市に来たリタの心中はどうだったのだろうか。マッサンの愛情を全身に受けて幸福な人生だったと思いたい。
余市蒸留所を後にしますと、まずは小樽で昼食です。昼食場所は、小樽寿司通り「日本橋」で「旬のおまかせ握り会席」でありました。
「日本橋」のホームページを覗いてみますとこんな記載がありました。
◆すしの道ひとすじ…日本橋
小樽で寿司?
~世界一美味しい漁具類を洗練された技で~
北海道の海の幸は世界一美味しいと言われ、これに加えて小樽は早くから鰊漁で栄える。その恵まれた自然素材の味を活かした寿司職人が腕を競い合い、地元独自の由来を持ち、地元に親しまれて来たからこそ、小樽の寿司は独自の食文化となりました。「小樽で寿司!」の由来はここにあります。
…と。
それはさて置きまして、昼食後は、13:10~15:20間の約2時間を自由散策となりました(^.-)☆
で、GONsanはとりあえず、初めての小樽ですので『小樽運河』へと(^_^)v
◆小樽運河
小樽運河(おたるうんが)は、北海道小樽市にある運河。
・概要
1923年(大正12年)完成。日本国内唯一となる海岸の沖合い埋立て方式で造られており、緩やかに湾曲しているのが特徴になっている。全長1,140 mあり、幅は臨港線沿いは20m、北部(通称:北運河)は当時のままの40mになっている。1986年(昭和61年)に運河の一部を埋立てて幅の半分が道路となって散策路が整備されると小樽市の観光資源になり、周辺地区を含めて観光地へと変貌した。散策路には63基のガス灯が設置されている。運河沿いにある石造倉庫群は当時の姿を残しており、夕暮れ時からライトアップしている。また、運河周辺では『小樽雪あかりの路』『おたる☆浅草橋オールディーズナイト』などのイベントを開催している。
・歴史
小樽運河は、小樽港が取り扱う荷量が多くなったため、沖合いで艀(はしけ)を使った荷揚げから艀が倉庫の近くまで直接行けるために建設した水路である。
戦後になると港に埠頭が整備されて運河は使命を終え、運河周辺の重厚な木造石造りの倉庫群などの歴史的建造物は数多く取り残された。1966年(昭和41年)、モータリゼーションによって深刻化していた小樽市内の交通渋滞緩和を図るため、臨港線(現在の北海道道17号小樽港線と北海道道454号小樽海岸公園線の一部区間)全路線を6車線化する都市決定計画を行った]。
この計画には運河の埋立てと倉庫群の解体が伴っていたため、周辺の歴史的建造物を含めて保存に向けた市民活動が起こり、1973年(昭和48年)に「小樽運河を守る会」が設立した。10年以上に及ぶ議論が続き、臨港線は運河区間を残す一部が開通した。
1983年(昭和58年)に「小樽運河百人委員会」を結成して約10万人の署名を集めるなど再度保存活動が盛り上がり、小樽市も北海道初の景観条例となる「小樽市歴史的建造物及び景観地区保全条例」を制定するなど姿勢が変わった(1992年には発展的解消した「小樽の歴史と自然を生かしたまちづくり景観条例」を制定)。
なお、百人委員会は当時の小樽市長のリコール運動を巡る急進派と慎重派の対立により翌年に解散した。その後、慎重派が1984年(昭和59年)に「小樽再生シンポジウム実行委員会」を結成し、翌年に発展的解消した「小樽再生フォーラム」を設立した。
最終的に、運河の幅の半分を埋立てて道路とし、残りはポケットパークの配置や散策路を整備することで議論が決着して1986年(昭和61年)に完成した。
再生された小樽運河は小樽を代表する観光地になり、運河周辺も民間資本による投資が活発となった。小樽運河周辺は「小樽歴史景観区域」に指定されており、石造倉庫の再活用や歴史的建造物と調和したデザインの建物が新築され、ガラス・オルゴール工房や飲食店、海産物店、菓子店、土産物店などが立地している。
運河周辺を人力車で遊覧することができるほか、2012年(平成24年)からは運河を周遊する観光船を運航している。
…と、こんな「小樽運河」でありますようです(^-^)//"
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