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 大型連休・GWの前半の5/3(金)は、町内の皆様に誘われて岡山県矢掛町「葛城山 妙泉寺」で行われます『守護神 葛城大尊天 春季大祭』への参詣となりました(^.-)☆
 『葛城大尊天』と言いますと水呑葛城神社の守護神でありますけど、水呑葛城神社と“葛城山・妙泉寺”には、こんな関わりがありますようですネ。

 水呑町の葛城神社は、昭和30年頃現在地(八幡神社と六方学園の間)にと移転されましたが、昔は水呑町を眺望します熊ヶ峰の九合目付近にありました。

 安元元年(1175年)ですから今から830余年ばかりも昔、小松内大臣・平重盛公が宮島の厳島神社に参詣の途中、鞆の浦に上陸。
 その際に、水呑上空に閃光が出現し熊ヶ峰山頂付近に消えましたとか…それで、平重盛公はこの閃光を追って水呑から熊ヶ峰に登られましたようです。

 重盛公は熊ヶ峰山頂にと向かわれる途中、6・7合目の所で主従共に息も絶えるかと思われるほど疲労のところに白髪の翁が現れて、傍らにあった岩を取り除いたら、たちまち冷泉が湧き出したとの事。
 重盛公はこれを飲みましたところ間もなく元気を回復しましたので、重盛公はこの泉を“蘇命水”と名付けたと伝えられています。
 そして、時に翁は何者であるかと公が尋ねたところ、「吾れはこの峰の頂上に祀られる“かつらぎ大権現”の待者である」と応えたそうです。

 こんな経緯もありまして、重盛公は熊ヶ峰に登り葛城神社と熊野神社を祀ったと伝えられています。
 重盛公が冷泉を呑まれた事から『水呑』の地名が生まれたと言われています。

 この葛城神社の祭祀を司っておられましたのが妙泉寺の先代のご住職。
 この方が歳も重ねられ郷里の矢掛町にお帰りになられます際に、水呑葛城神社の分院の形で現在の妙泉寺の地に葛城大尊天を祀られ現在に至っていますようです。
 こんな関係で、現在も矢掛町・妙泉寺『守護神 葛城大尊天 春季大祭』には水呑から出かけまして参詣が続いていますようですネ(^.-)☆
 また逆に、水呑葛城神社冬至祭の際には、妙泉寺様からも参詣を頂いております。

 こんな関係で、水呑から矢掛に参詣しておりますけど、GONsanが妙泉寺への参詣は、丁度、10年振りとなりますようですネ(^-^)
 当日は、A.M.8:30に中村集会所に集合し数台の車に分乗しての矢掛行き。
 皆さんがお集まりになられますまで、集会所周辺の景観を数枚パチリ。
 そぅしておりましたら、集会所の掲示板に「水呑交流館 開館1周年記念コンサート」のご案内が…そぅなんですねぇ~水呑交流館が竣工し早や1年経ますのですネ(^_^)v
 日々過ぎ去りますのが本当に速く感じられてなりませんGONsanなのであります(^-^)//"

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日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)