町内清掃が終わり我が家に戻って来ますと、あまり気乗りはしませんでしたけど、少しだけ見物しようと松永の「第25回・ゲタリンピック」行きとなりました(^.-)☆
国道2号線沿いの銀行sanの駐車場に無断駐車しテクテク歩いてJR松永駅へ(^-^)
駅構内を抜け南口におりますと、時間はA.M.10:15でありました。
A.M.9:30からのオープニングセレモニーはとっくに終わり、南口広場では愛津咲(あづさ)sanが熱唱中でありました。で、早速、数枚パチリ(^_^)v
ですけど、パッと見廻した感じでは、今回はゲタリンピックに訪れておられます観客が決して多くはありません。
せっかくの熱唱なのに観客が多くありませんから、お気の毒な気持ちが湧いてしまいます。
福山市で活動する歌手、愛津咲(あづさ)さんのプロフィールは、WEB上で検索しましたら出て来ますでしょうから、紹介は省略です(^-^)
駅南口ロータリーには、塩田の町「松永」ですから、こんなモニュメントも存在です。
それにしましても「本莊重政公」とは、どんな方なのでしょうねぇ~
これは、WEB上で検索です(^.-)☆
WEB上には、こんな記載がありました(^_^)v
◆本莊神社 広島県福山市松永町5-41-17
・本莊重政命
宝暦九年(1759)松永村庄屋、村上久兵衛、岡本喜与八、村民と相謀り、本莊重政公を松永村開祖と敬い、承天寺境内にその霊を祀って社殿を創建。本莊社と称して毎年四月十五日を以て祭礼を行って来た。
本庄(本莊)重政公は福山藩主水野氏に仕えた本庄重昭の嫡子として生まれたが家督を弟重幸に譲り、江戸に出て兵法を修業し島原の乱の際には戦功をたてた。
岡山藩主池田光政に仕えた後、福山藩に帰った彼は万治三年(1660)春より松永湾岸に堤防を築き、塩田を開き、街並みを整備して、数年で町を繁栄させたという。延宝四(1676)二月十五日没(享年七十歳)。
墓は自らが建立した承天寺の墓地にあり、広島県の史跡となっている。なお、天保二年(1831)本莊重政公の故居である現在地に遷座。明治二十五年には幣殿・拝殿を再建した。
--- 参考:「広島縣神社誌」---
…と、こんな記載が。
ふ~ん、また機会がありましたら、承天寺・本莊神社に参拝してみたいと思います(^-^)//"
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