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 ◆京都の名所のひとつ「美空ひばり座」

 ~京都は私の第ニの故郷なの~という言葉を残されています。残した方は、昭和を代表する大スターの『美空ひばり』です。あまりにも偉大すぎる存在ゆえに、レジェンドになっている『美空ひばり』。9歳でデビューしてからというもの、9歳とは思えない圧倒的な歌唱力でスター街道を走りました。美空ひばりの歌声で、敗戦後の日本はどれだけ勇気付けられてきたことでしょう。美空ひばりの歌声とともに、日本は見事な戦後からの復興を果たしたので美空ひばりの歌は、日本の昭和史と見事に重なります。

 昭和の歌姫といわれる『美空ひばり』が永眠したのは、昭和が幕を閉じる1989年です。昭和64年で時代は平成元年という平成の幕開けでもあります。美空ひばりが永眠しても、ひばりの歌は愛され続けています。そして「美空ひばり」を偲ぶため、ファンが美空ひばりにふれることのできる場所として、東京の目黒には『美空ひばり記念館』があり京都には『美空ひばり座』という形で、美空ひばりにちなんだ品物や衣装などが展示されています。

 ★『美空ひばり座』と京都

 現在京都に「美空ひばり座」としてあるのは東映太秦映画村にあります。以前は嵐山にありました。嵐山にオープンしたのは1994年(平成6年)のことで、その時には「美空ひばり座」ではなく、『美空ひばり記念館』としてオープンしました。オープンした1994年の入場者数はなんと100万人を超える入場者数となって、美空ひばりファンの凄さを感じました。京都の嵐山には渡月橋に天龍寺や常寂光寺といった、嵐山を代表する名所がありますが「美空ひばり座」は4年目には300万人を超えた入場者数を突破したことから、嵐山の新名所とも言われたほどです。

 2008年(平成20年)に『京都嵐山美空ひばり座』として、リニューアルオープンして、現在は嵐山から東映太秦映画村へと移り『京都太秦美空ひばり座』となりました。気になるのは展示物ですが、東映太秦映画村ということもあって美空ひばりが東映映画に出演していた黄金期の映画館の風景が、とってもリアルに再現されていたりという美空ひばりファンにはたまらない演出の数々です。もちろん展示物には、美空ひばりが出演した時に着用していた衣装はもちろんのこと、その当時の台本なども展示されているので、ファン必見の数々の展示物です。

 ★美空ひばり座の見所

 昭和40年代生まれの私としては、「美空ひばり」は歌手のイメージのほうが断然強いです。名曲の「川の流れのように」を歌い上げる美空ひばりであったり、子どもの頃のタキシード姿で歌っているかなり古いVTRだったりと、歌手としての美空ひばりのイメージしかないほどです。
 ところがさすが昭和の大スターだけあって、おまけに芸能活動生活もかなり早い9歳で芸能界入りをしているだけあって、東映映画に美空ひばりが出演している数はびっくりの93作品もあります。こんなにも映画に出演していることに驚くばかりですが、「美空ひばり座」では東映映画に出店した全部で93作品の全て作品のポスターが展示されているだけではなく、美空ひばりの名場面もスチール展示もあります。

 東京ドームで“こけら落し”公演となる、歌手として初めて東京ドームでコンサートを行い伝説となったステージの『東京ドーム不死鳥コンサート』で、美空ひばりが着用した衣装2点も展示されています。この公演は美空ひばりが命を削ってまで歌いきったという、伝説のコンサートですが歩けるような状態ではない身体でしたが、花道100メートルを歩きコンサートに集まっている沢山の美空ひばりファンたちに、花道を歩きながら手をふることで「美空ひばりは全快!」というアピールをしました。
 公演先の福岡で、済世会福岡総合病院に入院した時49歳で、一時は再起不能説まで飛び交った状態を払拭するために力を振り絞った東京ドームでのコンサート。その時に身近にいた美空ひばりの息子は、母親の美空ひばりがコンサートを出来るような身体ではないことを知りコンサートの準備段階で大反対をしますが、東京ドームでのコンサート準備はどんどん進み昭和天皇が崩御してから約1ヵ月後の1989年(昭和63年)2月5日に、東京ドームで不死鳥コンサートが行われました。

 病状は決してよくない状態での東京ドームでのコンサート、楽屋は会場に一番近い場所で簡易ベットにドクターも。そして不測の事態に備えて、裏手には救急車も控えている中で楽屋ではベットで横たわってコンサート開始まで控えていた美空ひばり。ギリギリの状態で脚の激痛にも耐えながらも、39曲もの曲を歌いきった美空ひばりとして東京ドームのステージで100メートルの花道を歩いて、ゴールのところで待っていたのは息子でした。倒れこむように息子の下へたどり着き、その姿を見て思わず息子は涙しました。息子の目の涙を見て、美空ひばりは「ママが頑張ったから泣いているの?!」と、息子に尋ねると「ママの衣装がまぶしかったから、目を擦っていたんだ」と照れかくしての答えをしていますが、美空ひばりが命を削って歌いきりステージに立った不死鳥コンサートでの衣装も、「美空ひばり座」で2点展示されています。あの伝説のコンサート衣装を見ることができるなんて、ファンにとってはたまらない喜びになることでしょう。

 不死鳥コンサートで着用した黒の豪華なドレスには、美空ひばり不死鳥コンサートでお馴染みの黒の大きな羽飾りが付いたヘッドドレスも展示されています。そして不死鳥コンサートで着用した、真っ赤なドレスは、袖のドレープが分かるようにジュディ・オングの「魅せられて」のようなポージングのマネキンで着用されています。不死鳥コンサートの衣装を見るだけでも、十分に見ごたえがあります。
 歌や舞台と同じように、美空ひばりが情熱を傾けた舞台に関しても、美空ひばり芸能生活40周年記念公演の「春秋千姫絵巻’86歌声はひばりと共に」で着用した着物も展示されています。

 …と、こんな「美空ひばり座」でありました。

 東映太秦映画村を後にしますと、次に向かいましたのが「栂尾山髙山寺(とがのおこうさんじ)」でありました。
 嫁さんが福井県人ですから、若い頃には、京都から琵琶湖の西側を走行、大原三千院の麓を抜け山の中を若狭路へ走行、そして、遠回りとなりますけど国道162号線で小浜方面へ走行…と、この3ルートのいずれかで福井へ抜けておりました。
 国道162号線経由で福井に向かいます時には、よく、栂尾山髙山寺参道入口の駐車場で休憩しておりました。
 広島から福井に向かいます時には、大概、深夜に車で走行しますから未明にこの駐車場に到着です。で、休憩には格好の場所でありましたけど、この駐車場が鳥獣戯画で有名な栂尾山髙山寺参拝者用の駐車場でありますことは、当時は全く知りません。鳥獣戯画で有名なお寺と言う事は、今回初めて知りました(^-^;
 もっと早く知っておりましたら、20代には既に拝観していましたのでしょうけど…

 ◆鳥獣戯画

 高山寺を代表する宝物である。現状は甲乙丙丁4巻からなる。甲巻は擬人化された動物を描き、乙巻は実在・空想上を合わせた動物図譜となっている。丙巻は前半が人間風俗画、後半が動物戯画、丁巻は勝負事を中心に人物を描く。
 甲巻が白眉とされ、動物たちの遊戯を躍動感あふれる筆致で描く。甲乙巻が平安時代後期の成立、丙丁巻は鎌倉時代の制作と考えられる。鳥羽僧正覚猷(かくゆう、1053~1140)の筆と伝えるが、他にも絵仏師定智、義清阿闍梨などの名前が指摘されている。いずれも確証はなく、作者未詳である。天台僧の「をこ絵」(即興的な戯画)の伝統に連なるものであろうと考えられている。

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