鯉のぼりが気持ちよさそうに泳いでいますのを横目に町家公園内をノンビリと散策です。
このまま公園内を上の方に向かいますと鴨神社にと行けそうですので、とりあえず鴨神社へと(^.-)☆
町家公園の最上部に上がって来ますと、「田中索我の墓碑・西山拙斎の墓碑」の案内表示板が。
WEB上で検索してみますと、
・田中索我の墓碑
江戸時代中期の絵師。京都で鶴沢探索に仕え画法を学ぶ。仙洞御所の屏風や杉戸を描くのに関わり法橋上人位にも任ぜられた。帰郷してからも活動を続け、備中に多くの作品を残している。
・西山拙斎の墓碑
岡山を代表する江戸中期の儒学者。大坂・京都などで儒学や医学を学んだ後、39歳で帰郷。当時全国的に学風が乱れているのを嘆き、幕府儒官柴野栗山に朱子学を正学とする学制の統一を説き、翌年老中松平定信が行った教育改革の「寛政異学の禁」につながった。
…と、こんな記載がありました。西山拙斎の墓碑は後ほど拝見する事に致します。田中索我の墓碑は今回はパスとなりました。
この表示板前を左折しますと、正面に石橋が…これは「宮の石橋」と呼ばれていますようですネ。
・宮の石橋
鴨神社の随身門下にある石橋で、「鴨方に過ぎたるものが三つある。拙斎・索我・宮の石橋」と謡われた鴨方三奇一つです。長い板状の石6枚を反らせて整えた太鼓橋で、鴨方の町筋からの参道を上ってくる参拝者のために造られたものとのことです。石橋が跨ぐ小道付近の小字名が「鴨之下通」であることから、この小道がかつての古道であり、本来の参拝口はこの石橋辺りにあったことを思わせます。かもがた町家公園の北西側にあります。
ついでに鴨神社も検索してみますと、
・鴨神社
「神社明細書(昭和2年)」には、836年の京都の加茂大明神を勧請した旨を記している。近世史料には「加茂大明神」「加茂宮」とあり、1887年、鴨神社と改号した。
…と、こんな記載がありました。
それでは、これから「宮の石橋」を渡り鴨神社に参拝です(^-^)//"
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