本堂を拝見しておりますと、「開基之間」がありましたので、ここも拝見です(^.-)☆
開基・神原秀夫sanを紹介致しますと、こんな凄い方のようですねぇ~
◆開基 神原秀夫
(天勝院殿釈五徳秀嶺大居士前常石造船株式会社社長)
大正5年(1916)9月1日 父 神原勝太郎、母 ヒサの長男として出生。
幾度もの戦役への出征を経験する。昭和14年(1939)立命館大学法学部卒業。除隊後は父の経営する会社に入社し、昭和19年(1944)瀬戸内海船舶株式会社(現 神原汽船株式会社)社長兼常石造船株式会社副社長に就任。
昭和30年(1955)沼隈町初代町長に就任。昭和36年(1961)父の逝去に伴い、常石造船社長に就任。
昭和40年(1965)12月2日神勝寺を建立(宗教法人認可)、開基となる。
昭和52年(1977)2月16日神勝寺無明院を建立・落慶法要。無明院の落慶法要を目にすることなく3月12日、入院先の京都大学附属病院にて逝去。60歳。
◆財部誠一(経済ジャーナリスト)を囲む経営者リレー対談『経営者の輪』より抜粋
◇雇用を守り、地域社会と社員に感謝しながら105年やってきた
ツネイシホールディングス株式会社
代表取締役社長 神原 勝成 氏
神原:
そして船の数が次第に拡大していく中で、持ち船を他の造船所で修理するのもどうかというので、自前で修理工場を作り、その流れで新造船を手がけるようになりました。大正初期(大正2年に初の新造船『第二天社丸』を建造し、同6年に塩浜造船所を開設)のことです。ウチの先代の話をいろいろ聞いていると、とにかく前向きにチャレンジ、チャレンジの繰り返しなんですよね。
財部:
ほお。
神原:
僕も会社に入るまで知らなかったのですが、当社はかつてパプアニューギニアで造船所を建設し失敗したり、南米ウルグアイでも造船所を経営していました。とくに祖父(神原秀夫氏)はちょっと翔んでいる人で、30代半ば(1955(昭和30)年)でここの地元の初代沼隈町長をやっています(旧沼隈郡沼隈町は2005年に福山市に編入)。その当時、祖父は「50年後に食糧危機が来る」と言って南米に土地を買って、「日本の高度成長はそうすぐには来ないだろう」と、地元の約300家族を南米パラグアイやウルグアイに移民させているんです。
財部:
へえ、そうなんですか。
神原:
さらに、祖父は、「(町民たちを)移民させただけではいかん」と言って、味噌や醤油を作ったり、造船所や牧場をやったり、米を植えさせたりしたんです。いろいろなことに挑戦し、たくさんの失敗を繰り返しながら会社が大きくなってきたんですね。また、後を継いだ私の父(神原眞人氏)が社長になってから、造船不況を2度ほど経験しましたが、父は「首切りをせずに雇用を守る」ということで多角化を行いました。その中で失敗したものの1つがレジャー部門で、同部門を整理しようという時に、僕が29歳で社長になったんです。いわゆる金融ビッグバンが始まって2年が過ぎた頃でした。
…と、こんな方のようであります(^_^)v
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