◆開山堂
神勝寺勧請開山益州宗進禅師の遺徳を偲ぶため建立された建物である。
神勝寺勧請開山益州宗進禅師は、道号 益州、法諱 宗進、金剛窟と号す。俗称は土田のち竹田と改称。明治29年(1896)7月10日大分県国東半島に生を受け、11歳で滋賀県堅田町の祥瑞寺大友宗忠和尚について得度。大正4年5月に京都建仁寺僧堂に掛搭し、竹田黙雷及び竹田頴川両老師に参禅弁道、竹田頴川老師に嗣法する。
祥瑞寺、大仙院の両寺院住職や大徳寺執事長を経て、昭和19年からは建仁寺僧堂師家、同29年には建仁寺派管長(第7代)に就任し教化布教に務められ、昭和40年には神勝寺の勧請開山となられた。平成元年6月20日に92歳で遷化。
建物は、鎌倉時代の名作といわれる高野山の不動堂を模したもので、堂内には茶席がしつらえられるよう考慮されており、また京都の陶工村田陶苑作の開山像を安置している。扁額は、元円覚寺派管長松尾太年老大師の筆である。
◆非佛堂
最初は、浄土信仰の象徴である阿弥陀如来を祀る「持佛堂」として建立された建物である。
堂内に安置された阿弥陀如来立像は、開基の念持仏である。
建物の設計は中村昌生氏によるもので、足利義政公の持佛堂であった銀閣寺東求堂を思わせる穏やかな姿に作られているが、銀閣寺のものよりはるかに大規模である。
開基によって「非佛堂」と名付けられ、扁額の「非佛」は開基の筆によるものである。
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