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 八幡神社を後にし、次に向かいましたのが葛城神社であります(^.-)☆
 葛城神社は、八幡神社から少し六法学園方向に上りました所に存在です。

 ◆葛城神社

 備南の秀峰熊ヶ峰(峯)葛城山(標高689m)は内海を鳥瞰し、其の風光明媚に於いて絶勝の地であり、今を去る840年の昔、平重盛の霊験によってこの山を開き、山嶺に一宇を建立して霊峰となった。熊ヶ峰鹿津良岐大権現の由来云々。
 鹿津良岐大権現を鎮守している葛城神社は、中古、法華勧請となり、葛城尊天と改称され今日に及びたり。
 葛城尊天の霊徳は世々番々神妙不可思議こと著しく、救世の妙用を讃迎し、威光を敬慕するも甚だ多く、世人呼んで崇高となす。遠きもの、近きもの人々は集い参詣し、法鼓絶えるひまなく、実に闇黒を照らす巨灯となる。
 
 ・小松内大臣 平重盛公が宮島の厳島神社に参詣の途中、鞆の浦に上陸し、水呑の上空に閃光出現し、熊ヶ峰のあたりで消えたのを見て熊ヶ峰に登った。
 ・熊ヶ峰に登る途中で息絶え絶えの時、白髪の翁が現れ、巌を撃ったら冷泉が湧き出た。
 ・平重盛公がその冷水を飲んだらたちまち元気になった。
 ・その冷泉を「蘇命水」と名付け、その地を水呑と称す。(葛城山縁起より)

 ★祭典 -- 冬至祭 12月第3日曜日 南瓜汁で無病息災を祈る
      西・中村の町内会が交互に当たる。

 葛城神社は、創建当時は葛城山の頂上付近にありましたが、天保年間(1830)に山麓移転し、明治44年(1911)に再び山頂に新築移転した。山頂のため参詣が容易ではなく、昭和35年(1960)に現在の場所に西・中村町内の信者が中心となり移築されました。
 山頂時代から現在地に移転されてからも、葛城神社をお祀りしておられました谷口住職は、老後を故郷の矢掛町横谷にお帰りになり、妙泉寺の住職となられ、葛城大尊天を祀られておられます。

 こんな経緯のあります葛城神社のお詣りを終えますと、また六法学園方向に少し上りますと、ほどなく右側斜面に「山神」様が…
 市道から少しばかり斜面の奥に存在ですから、大概の方々が、この「山神」様に気付きませんし、存在すら知りません方々も多いものと思います。

 ◆山神(やまのかみ)

 葛城神社と新池との中間のあたりの右手20mの林間にあり、無名の石碑(高さ60cm)で、元文元年(1736)夢枕に鬼形現れ、重顕寺日明が祈祷してこれを収めたと言い伝えられている。

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