松室神社を後にしますと、次は妙顕寺にと向かいます。
途中の道脇の畑には、昔懐かしい宝酒造の陶器で創られました酒樽が(^-^)GONsanが幼少時には、宝酒造の工場周辺では、日常、ごく当たりまえとして眼にしておりました。が、今ではスッカリ眼にします機会も無くて…
それが久し振りに眼に出来ましたから懐かしいと言うか、チョッと感激です(^_^)v
◆旧宝酒造鞆工場と芦田川の伏流水
岡本亀太郎は大正九年六月鞆保命酒屋を株式会社に拡張し、水呑駅東側に分工場を建てる。昭和4年9月宝酒造はこの工場を吸収合併し、宝酒造鞆工場とし昭和四十年まで操業後閉鎖した。
水は洗谷に井戸を堀り送水管で工場まで送水、後、山本織物に水利権を売り渡す。
現在の宝団地が宝酒造鞆工場の存在しました場所ですネ(^.-)☆
まぁそれは良いとして、妙顕寺入口の「南無妙法蓮華経」と刻まれました法界石を過ぎますと妙顕寺境内に続きます石段を上がります。
そしてスグに仁王門。
◆仁王門
仁王門は寛永6年(1629)に建立され、再建を経て明治12年(1879)に現在地に移された。仁王尊阿形(右)・吽(うん)形(左)が祀られている。アウンの呼吸は、これからきたようです(^.-)☆
この仁王門は、中に入ることが出来まして、画像の仁王様は「吽(うん)形(左)」を撮りましたものなんです。
GONsanが幼少時には、この仁王様の下でベロ(舌)を出しますと、嘘つきは仁王様にベロを引き抜かれると祖母・両親によく言われておりました。ですからGONsanは、今でもそぅなんですけど、この仁王様の足元では決してベロなんぞ出せません(^-^;
勿論、今でも決して出せません(^-^)
理由は勿論、子供の頃以上に現在の方が嘘つきですから\(^o^)/
仁王門を過ぎまして、妙顕寺境内まで続きます石段の真ん中辺りに、右に進めば玉泉寺、左に進めば寿泉寺が存在です。寿泉寺の先には玄祥寺が…
・妙性山 妙顕寺
刀匠法華一乗として兄弟性、弟本性は龍華樹院日像上人の高徳を慕い度々上洛、その教化により妙性上人は延文元(1356)年、日像上人を開山として水呑の地に妙顕寺を建立した。京都妙顕寺を龍華と言うのに対し西龍華と呼ばれる。
・妙性山 玉泉寺
正保4(1647)年の創建。開基は水呑妙顕寺18世本迹院日意上人。一乗院妙性上人(妙顕寺開基)を開山に仰ぐ。
・法雲山 寿泉寺
正保4(1647)年の創建。開山は水呑妙顕寺18世本迹院日意上人。昭和43年(1968)に本堂を改築した際に身延山久遠寺藤井日静法王から山号を授与された。
・妙性山 玄祥寺
元和7(1621)年6月8日、水呑妙顕寺18世本迹院日意上人の創建。戦後、大水害に遭い堂宇を著しく損壊するが、昭和53年、現在の如く寺院を一新、面目を施す。通称祈願寺と呼ばれ、大黒天祭、鬼子母神祭には参詣者で賑わう。
…と、こんなお寺なのであります(^-^)//"
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日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)