GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2025年12月

本年最後の日の出参拝は、我が町北部の〝妙見神社鐘楼〟脇からでした(^.-)☆

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 〝元旦は、何処から初日の出参拝を…〟と、数日前から思案のGONsanで、近場でササッと済ませたいのですけど、仲々イィ場所も見当たりません(^-^)
 で、今朝は、本年最後の日の出参拝で、我が町北部の〝妙見神社〟に上がってみます事に(^.-)☆
 目覚ましは、A.M.05:20にセットしていたのですけど、鳴っては止め、鳴っては止めの繰り返しで、最終的にフトンから抜け出ましたのは06:00目前(^-^;
 急いで洗顔、三脚・カメラ等の準備で、我が家を出ましたのは、06:20で、妙見神社への登り口であります松尾神社下の〝福山電子㈱〟sanの駐車場に無断駐車。(妙見神社に上がります時には、毎回、無断駐車で、誠に申し訳ありませんです)
 それでは、いざ、妙見神社へ。時間を確認しますと、06:35少し前。
 本日の日の出時刻は、07:17ですから、今からノンビリ上がりましても充分間に合います。
 急な上り坂でありましても、日頃ウォーキングをしていますから足は何ともありませんけど、喫煙者のGONsanには、平坦地とは違い上り坂となりますと、息苦しいのなんの(^-^;
 ゼーゼー言いながら石段が平坦地になりますと、その都度休憩。これを何度か繰り返しましたけど、やっとこさ妙見神社に到着です。ここからは反対側の石段を下り、鐘楼へ。この鐘楼脇の南側斜面が、妙見神社から初日の出参拝をします時のGONsanの定位置なんであります。が、当然の事ながら、今朝はどなたもおられません。芦田川大橋・河口堰が眺望出来ます位置に三脚・カメラ・シャッターコードをセット。
 準備は整いましたけど、日の出までには、未だ15分近く待ち時間が…
 ここに来ます時には、大概、せわしく上がって来まして、準備が整い時間を持て余しますと「もっとユックリ上がって来れば良かった…」と、毎回、悔やまれます。本日もまた、そぅでありました(^-^;
 ひたすら待っておりますと、ヤッと、本年最後の日の出が始まりました。時間は、天気予報通りの〝A.M.07:17〟でありました(^_^)v
 雲が多めの空ですけど、風も無く穏やかな大晦日の朝であります。
 JFEの煙に眼を向けますと、多生の風はあるようですけど、殆ど無風状態であります。
 下山時には、毎日、妙見神社に参詣しておられます方なのかも…女性お一人と擦れ違いです。GONsanと同世代、70代後半の方と推察しますけど、実に軽快な足取りですから、やはり、毎日上がっておられますのでしょうねぇ~
 ところで、明日の初日の出…ここでもイィのですけど、さて、何処にしましょうかねぇ(^-^)//"

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本年もいよいよ残しますところ2日間…午前中は河川敷をノンビリとウォーキングでした(^.-)☆

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 新しい年を迎えますので、我が家外周の清掃は、嫁さんから指示されました範囲も昨日までに終えていますから、今日・明日は、ノンビリ過ごそうかと(^-^)
 畑の草取りもあるのですけど、これは何日か要しそうですから、正月三が日も過ぎ去りまして、落ち着きました頃にでも(^-^)/
 …と言う訳で、午前中の10:00前頃から芦田川河川敷へウォーキング行きとなりましたGONsanです。
 河川敷へ出かけますと、遊歩道の一部に水溜まりが…ふ~ん、昨夜から明け方までの夜間に降雨でもありましたようですネ(^.-)☆
 ですが、風も無く暖かく、実に穏やかな年の瀬であります。
 芦田川の川面も、波一つ無く、ガラスの表面のように実にキレイ。護岸では、釣り人がお一人。その釣り竿の沖には、これはカワウ(川鵜)ですネ。真っ黒いですから…
 このカワウが、釣り人に向かって〝獲物は一匹もいないぞぉ~〟とでも言っていますように、ズッと留まっておりましたネ。
 小水呑橋に向かっての帰路には、河川敷に20羽ばかりのカモsanが過ごしておりましたけど、GONsanが近付いて行きますと、リーダーの〝ピィー〟の合図と共に一斉に川面へ…ですから、ガラスの表面の川面も、ここだけさざ波が(^-^)
 河川敷ウォーキングの行き帰りで出会いました方は、釣り人お一人・ウォーキングの方2名・ジョギングの方1名・バイクの方1名…と5名の皆様で、少将寂しい河川敷でありました。
 そぅそぅ、もうお一人、おられました。
 小水呑橋下の駐車場では、ゴーカートと言うかレーシングカートを入念に手入れしておられます男性がおられました。
 タマにお見掛けします方で、今日も部品を外して丁寧に手入れしておられましたネ。今回は、この方とバッチリ眼が合ってしまいまして画像には撮りませんでしたけど、実に楽しそうなお顔でありました(^-^)//"

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一週間ばかり前ですけど、中国新聞朝刊に〝岩倉玲〟sanの記事掲載が(^.-)☆

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 既に一週間ばかり前になりますけど、中国新聞朝刊紙上に、日本を代表しますヨーヨープレイヤーの〝岩倉玲〟sanに関します記事掲載が(^.-)☆
 〝岩倉玲〟sanは、「ふくやまバラ祭り・ふくやま大道芸」でもお馴染みの世界的なヨーヨープレイヤーですから、福山市民の皆様もよく存知あげています有名人。ですけど、何でまた、こんな時期に朝刊紙上に?…と、一瞬、不思議ではありましたけど、記事に眼を通してみますと、ふん、ふん、今年8月にチェコで開催されました世界大会で8回目の優勝を果たし、若い方達がどんどん活躍するようになった事もあり、近く、競技の第一線を退かれますとか…
 で、記事に取り上げ?…と、なりましたのかも…
 世界大会で8度目の優勝も凄いですけど、近く競技の第一線を退かれますとは寂しいですねぇ~
 …と、言う事は、今後は、〝ふくやま大道芸〟にもヤッて来られませんと言う事ですねぇ~それは、実に哀しい(^-^;
 今更とは想いながらも、〝岩倉玲〟sanをWEB上で検索してみますと、

 ◆岩倉 玲

 --- https://c3yoyodesign.jp/reiiwakura ---

 名前:岩倉 玲(イワクラ レイ)
 ローマ字表記:Rei Iwakura
 所属:コンテストチーム、SPIN stAr、ToyToyToy
 誕生日:1986年6月30日
 ヨーヨー歴:1997年頃から
 加入期:2015年4月
 利き手:右
 メインスタイル:4A
 主なタイトル:2019年 世界大会 4A部門 優勝
 シグネチャーモデル:フローレス ほか

 静岡県出身。正確無比のヨーヨーのコントロールと抜群のパフォーマンスで、世界大会と全国大会をそれぞれ8度チャンピオンに。あわせて40大会以上で1位に輝き、その優勝タイトルの数は世界最多。
 競技現役時代は15年以上にわたって優勝候補に名が挙がり続けた、日本を代表するヨーヨープレイヤーの1人。
 もっとも得意とするオフストリングにおいては、現代に通ずる基礎トリックの発展にも大きく寄与した。特に、片手で同時に2個のオフストリングヨーヨーを操る『ソロハム系』トリックは、当時の飛び抜けた難度とユニークさから、瞬く間に彼の代名詞となった。
 アジア最大の大道芸フェスティバルである大道芸ワールドカップin静岡・オン部門への出演歴もあり、パフォーマーとしての顔も持つ。近年は世界チャンピオンチーム『SPIN stAr』、ヨーヨーアーティストNaoto氏の主宰による世界チャンピオンデュオ『Toy Toy Toy』の一員としても活躍中。
 2023年にオフストリング競技からの引退を表明したが、その後は自身が勤める『ヨーヨーストア リワインド』のYouTubeチャンネルでさまざまな道具を用いた新たなスタイルの開拓、公式大会でのヘッドジャッジ、ヨーヨーの歴史研究・講師、海外でのヨーヨーパフォーマンスなど、むしろ活動の勢いは増している。

 ◆岩倉玲(レイアワクーラいわくら れい)とは、日本のヨーヨー・ディアボロプレイヤーである

 --- https://dic.nicovideo.jp/a/岩倉玲 ---

 -- 概要 --
 静岡県出身。愛知県岩倉市とは直接の関係はない。
 元々ディアボロのプレイヤーとして知られており、2004年頃からヨーヨーの大会に出場し始める。ディアボロの経験を生かし、オービット系を主体とする安定感のあるプレイを得意とする。
 一度のミスが大幅減点につながる4A部門において、ミスの極めて少ないプレイが特徴。
 その秘訣は、社会人生活の合間を縫って入念に計画された練習と、ちょっとでもミスをしそうなトリックは完成するまで本番で使わない、という慎重さにある。
 しかし、簡単な技に逃げることもせず、使えると思ったトリックは完璧に仕上げて本番に持ってくる。
 元勤務先がヨーヨー活動を認めており、ホームページに彼の紹介exitが載っているほか、大会のための休暇が認められているという。本業との両立が課題である社会人プレイヤーにおいて、ひとつの理想的な回答を示していると言えるだろう。
 2022年にこの会社を退職し、翌月Rewindへと転職したものの、パーソナルスポンサーとして関係は継続していた。
 シグネチャートリックはフィンガースピンとワンハンドダブルトス。
 また、デモンストレーションやPVでは、1個のヨーヨーを2本のストリングで操作する技を披露することがあり、「ダブルドラゴン(1個のヨーヨーに2本のストリングをつなぐプレイ)」という類似のスタイルから「レイドラゴン」と呼ばれている。詳しくは「エクストリームプレイ」の記事を参照。

 -- 大会成績 --
 4A部門では奇跡の100点満点での世界大会優勝を実現した上、2017年には部門初の2連覇を達成した。
 国内大会でも無類の強さを誇り、ジャパンヨーヨーリーグ地区大会では13連覇、ジャパンナショナルヨーヨーコンテストでは4連覇という驚異的な記録を持つ。
 浜松ヨーヨーコンテストでは、全5回全てでX部門優勝を果たす。
 そのたびに副賞のコメを獲得しているため、通算獲得コメは130kgと全プレイヤー中最多である(チーム部門を除く)。
 2023年のWYYCを最後にコンテストからの勇退を発表した。

 …と、こんな〝岩倉玲〟sanでありますが、ふ~ん、2023年に「コンテストからの勇退」を発表しておられますようですネ。
 2023年と言いますと、挿入の画像が、2023年5月に開催の「ふくやま大道芸」で撮りましたものなんです。
 2023年に「コンテストからの勇退」、そして、今回、世界大会で8度目の優勝を機に「競技の第一線を退く」と言う事は、やはり、今後は〝ふくやま大道芸〟にも出演されないと言う事なのでしょうねぇ~やっぱり、寂しいですねぇ(^-^)//"

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お正月も目前で、本日午前中は、お寺に立ち寄りました後で墓掃除に(^.-)☆

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 年の瀬も迫り、お正月も目前ですから、本日午前中は、お寺に立ち寄りました後で墓地に上がり、お墓掃除のGONsan夫婦でありました(^.-)☆
 墓地では、さすがに、お墓の清掃に追われています方々が何組も(^-^)
 お一人で、墓前でせわしそうな方もおられますけど大概が複数人で…
 GONsanも、毎月月初に独りで墓地を訪れていますけど、春秋の彼岸・お盆・年末・正月三が日は嫁さんと(^-^)
 当然ではありますが、やっぱり二人でお墓参りの方が随分楽ではあります。
 今回は珍しく、草は皆無でしたけど、山際の墓地ですから落ち葉の清掃は毎回大変ではあります。
 GONsanが落ち葉の清掃を担当で、嫁さんは拭き掃除と供花。
 年末ですから、いつもより入念に丁寧に行いましたからキレイになりましたけど、落ち葉の方は、スグにまた落ちて来ますから(^-^;
 一通り清掃も終わり落ち着きますと、墓前で読経。
 そして、後は、暫し眼下の我が町を眺望です。そぅしていますと、救急車の急行音。救急車は見えませんけど、急行音は左から右方向へ…
 芦田川左岸の河川敷に眼を向けますと、何か大会でも開催されていますのかも…走っておられます方々が…
 それにしましても、風も無く、暖かく、実に穏やかな天候の午前中であります。JFEのズッと後方には〝竹林寺天文台〟が…暖かい天候で霞んでいますがクッキリと(^_^)v
 竹ヶ端運動公園の多目的広場では、何の種目か分かりませんけど試合が進行中であります。
 芦田川の川面では、〝河道掘削工事〟が行われていますけど、人影はありません。12/26(金)頃に仕事納めとなりましたのかも(^-^)/
 こぅして墓地から眺望しておりますと、ユッタリと、平和な時間が流れていますように感じられてしまいます。
 そぅそぅ、そぅ言えば、今まで初日の出参拝は、墓地から行った事はありませんGONsanです。一度、墓地から初日の出を迎えますのもイィかも分かりませんねぇ~
 ですが、初日の出を墓地からの参拝がありませんと言う事は、山に遮られまして難しいのかも分かりません。
 う~ん、悩みますネ。
 元旦は、何処から初日の出を(^-^)//"

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元旦の初日の出参拝…週間天気予報によりますと、どぅにか叶いそうですネ(^.-)☆

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 一昨日辺りから、中国地方では山陰側、広島県では県北部に降雪予報が出ておりましたけど、福山市内でも昨朝は、束の間でしたけど小雪が舞っていましたとか(^-^)
 嫁さんの従兄のFacebookを覗いてみますと、福井県若狭町も昨日・一昨日と降雪がありましたようで、掲載の画像を拝見しますと、10cm~20cnm程度積もりましたようですねぇ~
 こんな日々が続いて行きますと、今冬も除雪作業が大変ですネ…
 ですが、若狭町の週間天気予報を見てみますと、明日・12/28~1/2間には雪マークなし。1/3以降は連日、雪マークですから、さて、どぅなりますか…今後も、従兄のFacebookに眼を向けて行きたいと思います(^-^)
 とりあえず、今回の雪景色の画像は2枚ばかりパクらせて頂き、GONsanの絵日記に無断借用です(^.-)☆
 ところで、本年もいよいよ残しますところ4日間となって来ました。
 で、そろそろ気になりますのが、初日の出参拝です。
 福山市の週間天気予報を確認してみますと、う~ん、どぅにか初日の出参拝は叶いそうであります。
 が、今回は、何処で初日の出を画像に納めましょうか…
 白萩団地…洗谷の妙見神社…田尻町の十三仏近くの遊歩道…と、頭に浮かんで来るのですけど、何処がイィでしょうねぇ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(49)

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 皆さん、適当に「道の駅〝新潟ふるさと村〟」内で時間を費やされまして、集合時間の14:30までには駐車場のバスまでお帰りです(^.-)☆
 ここから新潟空港までは、15分も要さず到着で、フライトの15:45までは空港内でノンビリと(^-^)
 新潟空港からは、予定通り出発でしたけど、伊丹空港着は15分ばかりズレ込みましたようですネ。
 大阪にと戻って来ましてからは、伊丹空港(18:05) → 新大阪駅(19:02) → 福山駅(20:03)と、当初の予定通り無事帰福。
 参加者の皆様、大変お疲れ様でございました。2年毎に開催されます玉泉寺様の〝参詣旅行〟。GONsan夫婦は、初めての参加となりましたけど、また機会が訪れましたら、ご一緒させて頂けましたら嬉しいです。
 大変、お世話になりましたです(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(48)

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 当てもなく、ブラブラと〝ふるさと庭園〟内を散策しておりますと、信濃川・河川敷を見渡せます場所にヤッて来ました。
 ここからは、河川敷に下り、信濃川に向かって散策道が続いています。河川敷の散策道と言うか遊歩道入口には〝↑水上バスのりば〟の案内標識が…
 「水上バス」とは何なんだろう?…と、Googleマップを確認してみますと、この遊歩道を進んで行きますと「信濃川ウォーターシャトル」乗船場に出ますようであります。

 ◆信濃川ウォーターシャトル

 新潟の『今』を水辺から。新潟の観光は『水上バス信濃川ウォーターシャトル』。
 水上バス信濃川ウォーターシャトルは、新潟市歴史博物館「みなとぴあ」から新潟国際コン ベンションセンター「朱鷺メッセ」を経て国の重要文化財「萬代橋」をくぐり、新潟県の観光情報発信基地「新潟ふるさと村」までを往復する アナスタシア号とベアトリス号。
 水面を滑るように航行する快適な船の旅・信濃川ウォーターシャトルは、交通手段としてだけでなく、周遊便やチャーター便、水上挙式等お客様の多様な用途に応じてご利用いただけます。

 …と、こんな〝信濃川ウォーターシャトル〟のようであります(^.-)☆
 ここからは、〝ふるさと庭園〟全体も見渡せますので、暫し眺望となりました。
 この赤い植物は、コキア(コキア・スコパリア)ですけど、〝ホウキグサ(箒草)〟と言います方が一般的かも。夏は鮮やかな緑色で、秋になると写真のように真っ赤に紅葉。
 丸くこんもりとした姿が特徴的で、乾燥させた茎は、昔は実際に「ほうき」に使われていましたようであります(^-^)
 ところで、この庭園、春に訪れますとチューリップ等も咲き誇り、さぞキレイな事でしょうねぇ~
 それでは、この辺で〝グリーンハウス〟へと戻りまして、その後で〝ババール館(土産物店)〟に向かってみます事に(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(47)

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 まず、「道の駅〝新潟ふるさと村〟」をWEB上で検索してみますと、

 ◆道の駅〝新潟ふるさと村〟

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 道の駅新潟ふるさと村(みちのえき にいがたふるさとむら)は、新潟県新潟市西区山田にある国道8号・国道17号の道の駅である。
 1991年(平成3年)7月、当時の西蒲原郡黒埼町大字山田地内の旧新潟県運転免許試験場跡地に「新潟ふるさと村」として開業した。「新潟ふるさと村」の名称は、施設の総称として開業当初から使用しているが、1993年(平成5年)4月22日付で道の駅に登録する際の正式名称は、当時の町名から「道の駅黒埼」として登録した。その後2001年1月1日に黒埼町が新潟市に編入合併されたことに伴い、施設の総称「新潟ふるさと村」を道の駅の正式名称として採用した。

 -- 歴史 --

 施設のテーマは「ふるさと新潟再発見」で、新潟県を象徴する観光拠点施設として、観光・物産の振興を図るとともに「ふるさと」に対する県民の意識を高め、地域活性化を一層推進させることを目的に官民一体で整備された。開業時は新潟の風土や観光情報を紹介する有料展示施設「アピール館」、物産販売施設「バザール館」、県花でもあるチューリップの花が年間を通じて見られる温室「グリーンハウス」と「ふるさと庭園」、黒埼町の特産品を扱う「Be-inくろさき」などで構成されていた。
 それまで山田に所在した運転免許試験場は老朽化のため、1989年(平成元年)5月に、北蒲原郡聖籠町の新潟港東港区(新潟東港)内に所在する、県有の工業立地用造成地へ移転した。その当時、東港周辺は工業立地が進んでいなかったことから、新潟県がそれを補完する形で移転計画を進めたもので、ふるさと村の整備事業は試験場移転後の跡地利用の一環として行われたものである。
 整備事業は1988年度(昭和63年度)から着手し、施設の運営管理を行う企業として、新潟県と当時の新潟県内全市町村(112市町村)、新潟交通や佐川急便など民間が出資する第三セクター「株式会社新潟ふるさと村」が設立された。
 しかしその後はバブル崩壊の影響で、1992年(平成4年)には第三セクターが約4.6億円の累積赤字を計上するなど経営不振となり、さらに同年発覚した東京佐川急便事件の捜査過程で、第三セクターが佐川急便側から無利子で10億円の融資を受けていたことも発覚した。
 このため、新潟県は第三セクターの経営再建策として、ふるさと村内のすべての土地・施設を買い受けて県有化したほか、有料となっていた展示施設「アピール館」の入館料を1994年(平成6年)度(1994年4月1日)から無料化するなどの方策を進めた。これにより1994年(平成6年)2月から、施設は新潟県が所有し、アピール館や付帯施設は社団法人新潟県観光協会が新潟県から管理業務を受託し、物産館「バザール館」は第三セクターが新潟県から使用許可を受けて運営を行う方式に変更された。
 「アピール館」「グリーンハウス」は大規模な改装が行われ、1996年(平成8年)4月にリフレッシュオープンとなった。1997年(平成9年)4月にはふるさと庭園の中に「ふるさと越後の家(体験棟)」「ふるさとの家(展示棟)」「ふるさとお休み処(休憩棟)」がオープンした。
 駐車場ロータリー北側に位置する鉄筋2階建の洋館風の施設は、ふるさと村オープン以来テナントの出店と撤退が相次いでいた。1997年(平成9年)6月には当時の地ビールブームに合わせ、白根市(当時、2025年現在の新潟市南区)の醸造機器メーカーが運営する「新潟燦地麦酒醸造所」と、直売所兼レストラン「メイプリップ」がオープンしたが、のちのブーム沈静化などもあって不採算となり、2001年(平成13年)8月をもって閉店した。その後もテナントの出店・撤退が続いたが、2025年現在は新潟市の外郭団体が運営する観光情報案内施設「時の旅人館」となっている。
 展示施設「アピール館」には2006年(平成18年)度(2006年4月1日)から指定管理者制度が導入されており、同日から2007年(平成19年)度末(2008年3月31日)までは新潟県観光協会、翌2008年(平成20年)度(2008年4月1日)以降は2期にわたり、新潟ふるさと村運営グループ(愛宕商事、新潟ビルサービス、グリーン産業による共同事業体)が指定管理者として運営管理が行われている。

 -- 施設 --

 駐車場 -- 最大550台(臨時駐車枠を含む) 第一駐車場380台、河川敷駐車場170台、観光バス:14台、身障者用:9台
 トイレ -- 男:大 17器、小 21器 女:14器 多目的:4器
 物産館「バザール館」-- 営業時間 9:30 - 17:30(夏季延長あり)、インフォメーションカウンター、各種物販スペース、新潟の地酒試飲コーナー、鮮魚コーナー「鮮魚センター マリーン」、レストラン(11:00 - 15:00(平日)、10:30 - 15:00(土日祝))、休憩室
 歴史体感施設「アピール館」-- 営業時間 9:00 - 17:00(夏季は18:00まで延長)、観光情報コーナー、積雪体験コーナー(通常の降雪機運転時間 10:30 - 15:30、GW及び盆期間は運転時間を延長)、ふるさとシアター(上映時間 9:00 - 16:40)、アンテナショップ・カフェ「GATARIBA」(営業時間 9:00 - 17:00)、新潟市観光情報館「時の旅人館」:営業時間:9:00 - 17:00、休館日:12月31日・1月1日、2階:一般社団法人 新潟県サッカー協会

 -- 管理 --

 施設所有 -- 信濃川左岸河川敷内の園地(リバーサイドパーク等):国(国土交通省北陸地方整備局信濃川下流河川事務所)、その他:新潟県、
 各施設の運営管理 -- アピール館およびその付帯施設:指定管理者、バザール館:株式会社新潟ふるさと村、新潟市観光情報館:公益財団法人新潟観光コンベンション協会

 …と、こんな「道の駅〝新潟ふるさと村〟」であります。
 施設内を散策しておりますと、和風庭園「ふるさと庭園」の敷地内に「レルヒさんの家〝ふるさとの家〟」なるモノが…〝レルヒさん〟とは、いったい何者なんでしょう?
 また、WEB上で〝レルヒさん〟を検索です。

 ◆ふるさと村に「レルヒさんの家」オープン!レルヒさんグッズや顔出しパネルを展示

 --- 2024/04/20 Komachi編集部 和田 ----

 新潟ふるさと村にある古民家施設「ふるさとの家」が、4月20日(土)、「レルヒさんの家」としてオープンしました!公開は11月下旬まで。
 「レルヒさんの家」があるのは、和風庭園「ふるさと庭園」の敷地内。庭園を横切る池に架かる橋からは、気持ちよさそうにスイスイ泳ぐ錦鯉の姿も見えます。
 入り口直結の床の間に入ると、レルヒさんの顔出しパネルが出迎えてくれました! 家主の「ヨウコソ」の声がどこからか響いてくるようです(笑)。雰囲気のある囲炉裏も。鮮魚センター「マリーン」で調達した鮮魚と地酒で毎晩楽しんでいるのかな?レルヒ家のホムパ、招かれたい!
 家の奥にはレルヒさんグッズが目白押し!レアなアイテムもあるそうです。皆さんはいくつ持っていますか?
 道中のチューリップ畑も満開。はっとするような絶景をぜひお見逃しなく。「レルヒさんの家」の入場は無料。公開時間は9時~16時30分です。運が良ければ1カ月に1度ほど帰宅するレルヒさんに会えるそうです。ふるさと村を訪れた際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。

 ◆新潟のご当地キャラ「レルヒさん」がふるさと村に帰宅!お友達の「ササダンゴン」も登場!

 --- 2025年3月13日11:34 https://webun.jp/articles/-/769223 公益社団法人 新潟県観光協会 ---

 撮影&サイン会も♪レルヒさんとふれあう特別な1日!開催日:2025年3月30日(日)
 新潟のご当地キャラ「レルヒさん」が、2025年3月30日(日)に新潟ふるさと村「レルヒさんの家」へ帰ってきます!当日は、レルヒさんが館内各所に出没!さらに、レルヒさんのお友達でもあり、新潟の人気キャラ「ササダンゴン」も登場!
 ここでしかできない撮影会やサイン会、グッズ販売をお楽しみください♪

 レルヒさん、新潟県上越市で日本初のスキーを教えたオーストリア=ハンガリー帝国(当時)の軍人テオドール・フォン・レルヒさんがモチーフです。「日本元祖スキー漢(おとこ)」として、ウインターレジャーや新潟の活性化のため日夜活動中です!
 「新潟ヲ 盛リ上ゲルタメ すきーモ ぎゃぐモ すべリ マクッテ イクゼー!!」【レルヒさん X】https://x.com/TheodorVonLerch

 …と、こんな記載がありましたけど、新潟県上越市で日本初のスキーを教えたオーストリア=ハンガリー帝国(当時)の軍人テオドール・フォン・レルヒさんがモチーフの〝新潟のご当地キャラ〟のようですネ。
 新潟県では、有名人なんでしょうネ(^-^)//"

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〝年賀状じまい〟のご案内…我が家も年々増加です(^.-)☆

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 今朝の中国新聞読者投稿コーナー「広場」に、こんな投稿記事が…
 ふん、ふん、「年賀状文化をつなぎたい」お気持ち、充分伝わって来ますネ。
 我が家にも、毎年〝年賀状じまい〟のご案内が何通か届きます。届きます枚数も、年々少しずつ増えていますような(^-^)
 現役時代には、職場の異動で転々とします度に、差し出します賀状は年々増加しておりましたけど、後期高齢者への仲間入り以降は、この「年賀状じまい」のご案内が届きますと、多少の寂しさの反面、有難い気持ちにも(^-^)
 この〝広場〟への投稿者の方は、『健康上の支障がない限り、これからも年賀状を書き続けていきたい』とのお気持ちですけど、私の場合は、『経済上の支障がない限り、これからも年賀状を書き続けていきたい』と、なりますのかも分かりません。
 もぅ何年もお目に掛かります機会に恵まれておりません方でありましても、お世話になりました方に対しまして、私から「年賀状じまい」は、とても申し上げられません(^-^;
 まぁ、経済的な問題で、金銭的に困窮し年賀状の購入が難しくなりましたら別ですが(^-^)
 こんな事情もありますから、〝年賀状じまい〟のご案内は、寂しさの反面、嬉しさも有るのですけどネ(^.-)☆
 そぅは言いましても、「年賀状じまい」が届きましても、この方がお亡くなりになられるまで年賀状はお届けしたい…と、こんな方もおられます。
 そぅいぅ方には、「私は年賀状を続けますけど、気になさらないで頂けたら…」と、翌年の賀状に一言添えて差し上げておりますけど…
 今月の上旬でしたか…「郵便年賀.JP はがきデザインキット2026(https://design-kit.jp/)」を覗いておりましたら、こんなサンプルがありましたネ。〝年賀状つなぎ〟のサンプルで「これからも年賀状つづけます」とは、ほんわかとした気持ちが漂いましてイィですねぇ(^-^)/
 来年からは、〝年賀状じまい〟を頂きました方には、こんな賀状を差し上げますのもイィかも…
 ともかくGONsanは、『経済上の支障がない限り、これからも年賀状を書き続けていきたい』との想いが、暫く続いて行きますのでしょうねぇ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(46)

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 ところで、佐渡島には、島内のアチコチに立派な〝能舞台〟があるような気がしますけど、何故なんでしょうネ。
 最後に、また、ChatGPTに質問してみました。

 ◆何故、佐渡島には能舞台が多いのでしょう?

 ◇佐渡島に能舞台が多い理由は、主に次のような歴史的・文化的背景が重なっているためです。

 ①世阿弥が佐渡に配流されたこと
 室町時代、能楽を大成した〝世阿弥(ぜあみ)〟は、将軍・足利義教の不興を買い、1434年(永享6年)に佐渡へ流罪となりました。
 佐渡滞在中も世阿弥は能の精神と技を伝えたとされる。彼の存在が、佐渡における能の“精神的な源流”となりました。
 佐渡は「世阿弥終焉の地」と伝えられるほど、能と深い縁を持っています。

 ②流人文化としての能の定着
 佐渡は古来より流刑地であり、公家・武士・文化人が多く流されてきました。
 都の文化を知る人々が、芸能や教養を島に伝えた。能は「武家の式楽」であり、流人たちの精神的支えでもあった。
 結果として、能が島の各地に根付いていきます。

 ③神事・奉納芸能として広まった
 佐渡では能が、神社の祭礼や奉納芸能として盛んに行われました。雨乞い、五穀豊穣、疫病退散などの祈り、神前で演じるため、神社境内に能舞台が造られた。
 そのため現在でも、春日神社、牛尾神社、羽茂大崎神社など、神社付属の屋外能舞台が多数残っています。

 ④領主・金山による保護
 江戸時代、佐渡は佐渡金山を抱える重要地でした。
 幕府や代官による文化保護、地域の有力者が能楽を支援。
 これにより、農村部にまで能舞台が建てられるという、全国的にも珍しい状況が生まれました。

 ⑤現在まで受け継がれる「佐渡能」
 佐渡では今も、素人能(地謡・子方)集落単位での奉納能が続いています。
 その結果、人口比で日本一とも言われる数の能舞台が現存しています。

 -- まとめ --
 佐渡島に能舞台が多い理由は---世阿弥配流という決定的な歴史、流人文化がもたらした都の芸能、神事として地域に根付いた奉納能、金山を背景とした文化的余裕、
 これらが重なり、〝「能が生活文化として残った島」〟になったためです。
 佐渡を歩くと、集落の神社にひっそり佇む能舞台が多いのは、まさにこの歴史の証なのですね。

 …と言う事で、佐渡には能舞台が数多く存在しますようであります(^-^)/
 それでは、〝大膳神社〟〝佐渡大膳神社能舞台〟とお別れし、両津港へと向かいます。
 佐渡滞在3日間で、〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟の参詣も終え、後は福山へと帰りますのみ。A.M.11:15・両津港発ジェットフォイルで新潟港に向かいますけど、心配なのが〝ジェットフォイル〟の船酔いです。
 今朝のウォーキング時には、比較的穏やかそうな波に見えましたけど、船酔いの辛さを十二分に味わいましたので、〝ウエルシア〟で求めました〝アネロン「ニスキャップ」〟を乗船までの待ち時間を利用し服用です。
 『酔ってからでも効く』との事ですから、これで大丈夫と思います(^-^)
 昼食は、持ち込みました弁当を船内で。
 さて、どぅしたものか…と、暫し思案後、酔い止め薬を服用済みですから、きっと大丈夫…と、弁当は戴きます事に。
 昼食を終えますと、ひたすらジッとしておりまして、楽な姿勢を維持。新潟港に到着を今か、今かと、待つのみでありました。が、波が穏やかでしたのか、GONsanばかりでなく他の方々も大丈夫のようでしたネ(^.-)☆
 笑顔で新潟港に到着でした(^.-)☆
 〝新潟→大阪〟へのフライトまで、まだ2時間半ばかり時間がありますので、この間は「道の駅〝新潟ふるさと村〟」で自由時間。
 お土産を求められます方…〝新潟ふるさと村〟内を散策されます方…と様々ですけど、GONsanも、施設内をブラブラと散策してみます事に(^-^)//"

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昨朝のNHKの〝Dearにっぽん〟…箕島町が出ましたから、急いでテレビの前に(^.-)☆

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 昨日・日曜日の朝、08:25から放映のNHK「Dear にっぽん“農”で垣根を越える~広島・福山の国際カップル~」に眼を向けていました嫁さんの、「NHKの全国放送で、箕島町の農園が出てるよぉ~」の声で、急いでテレビを前にしますGONsanでありました。
 昨朝は、8:00前頃まで小雨がぱらついておりまして、朝のGGは、嫁さんもGONsanもサボりで家でノンビリと(^-^)
 こんな状況で、NHKの全国放送で、芦田川を挟み我が町・水呑の対岸の箕島町が〝Dearにっぽん〟で放映されるのですから実にラッキーで、視聴しない訳にはいきません(^-^)
 興味深く、視聴となりました。

 ◆“農”で垣根を越える~広島・福山の国際カップル~
 -- Dearにっぽん 12月21日日)午前8:25~ 2025年12月15日 --

 日本では珍しいアジア野菜を栽培する農園が、広島県福山市の郊外にある。経営するのは先家茉子さん(32)とインドネシア出身のカーエル・ファーミさん(36)。ふたりの目指す農業は、様々な“垣根”を越えること。畑には、福祉施設の利用者や日本で暮らす外国人が集う。一方、地域では、高齢化や担い手不足でこれまでの農業が苦境に。“マイノリティ”をつなぐ異色のカップルは、小さな農村にどんな変化をもたらすのか?
 12月21日(日)午前8時25分からの「Dearにっぽん“農”で垣根を越える~広島・福山の国際カップル~」。ぜひご覧ください!

 …と、こんなNHKsanの番組案内でありまして、放映されました内容は、WEB上のブログ『気になるNHK』に分かり易く概略が綴られておりました(^.-)☆

 ◆NHK【Dearにっぽん】“農”で垣根を越える~広島・福山の国際カップル~ 国際カップル農業 アジア野菜 技能実習生 農業福祉/2025年12月21日

 --- https://nhk.shigeyuki.net/?p=15791 気になるNHK ---

 <<目次>>
 “農”で垣根を越える日々が教えてくれること
 広島・福山で始まったアジア野菜の農業
 来日当初の孤立が原点になった思い
 農業と福祉が交わる畑の役割
 ほうれん草の町・福山での地域支援
 宗教への誹謗中傷と向き合う現実
 農を通して越えていく人と人の壁
 まとめ
 アジア野菜が日本の食卓に入りはじめたことで見えてきた変化
 日本の家庭料理に少しずつ増える野菜の選択肢
 地域の食文化が外の世界とゆるやかにつながる
 新しい「ご当地野菜」になる可能性

 -- “農”で垣根を越える日々が教えてくれること --
 このページでは『Dearにっぽん(2025年12月21日放送)』の内容を分かりやすくまとめています。広島県福山市を舞台に、国籍や立場の違いを抱えながらも、農業を通して人と向き合い続ける国際カップルの姿が描かれました。畑で育つのは野菜ですが、その背景では、人の孤立や不安、地域の課題が少しずつほどけていきます。農業、福祉、地域、宗教といった重なり合うテーマが、日々の作業の中で自然につながっていく様子が、この回の大きな軸になっています。

 -- 広島・福山で始まったアジア野菜の農業 --
 インドネシア出身のカーエル・ファーミさんと、妻の千家茉子さんは、広島県福山市の郊外で農業を営んでいます。二人が主に栽培しているのは、アジア各地で親しまれてきたアジア野菜です。福山市は製造業が盛んな地域で、多くの外国人が暮らしています。そうした人たちにとって、アジア野菜は日々の生活の中で故郷を思い出させる大切な存在です。畑で収穫された野菜は、直売などを通じて地域に届けられ、日本人にとっても新しい食文化と出会うきっかけになっています。単なる珍しい野菜ではなく、暮らしと心を支える作物として根づいています。

 -- 来日当初の孤立が原点になった思い --
 ファーミさんは技能実習生として来日しましたが、日本での生活の中で孤立を感じる時期がありました。周囲から見下されていると感じた経験は、強く心に残ったといいます。その体験があったからこそ、同じように居場所を見つけにくい人を支えたいという思いが生まれました。農業を選んだ理由は、言葉や立場の違いを越えて人が関われる場をつくれると考えたからです。畑での作業は、黙々と手を動かす時間があり、人それぞれのペースが尊重されます。その空気感が、人の緊張を少しずつほどいていきます。

 -- 農業と福祉が交わる畑の役割 --
 二人の農園では、福祉施設と連携し、障害のある人たちにも畑仕事に参加してもらっています。農作業は、土に触れ、苗を植え、収穫をするなど、体を動かしながら進める仕事が中心です。複雑な説明や高度な技術を必要としない作業も多く、それぞれが役割を持って関われます。うつ病を患う森田さんもその一人で、畑に通う中で人と接することへの恐怖がやわらいでいった様子が紹介されました。茉子さんの明るい関わり方が、無理のない距離感を生み、安心して作業できる環境につながっています。

 -- ほうれん草の町・福山での地域支援 --
 福山市では、戦後からほうれん草の栽培が盛んに行われてきました。今でも地域の人々にとって誇りの作物です。ファーミさんと茉子さんは、高齢で作業が難しくなった農家の手伝いを続けながら、若手農家の多木さんにも助言をしています。経営に行き詰まりを感じていた多木さんは、二人と出会ったことで、新しい視点や取り組み方を知りました。茉子さんは畑仕事の合間に農家の集まりにも足を運び、地元のほうれん草をPRするホームページ作りにも関わります。若手の発想とベテランの経験が交わり、地域全体で農業を支え合う動きが生まれています。

 -- 宗教への誹謗中傷と向き合う現実 --
 番組では、ファーミさんがイスラム教の参拝をしている様子がSNSで拡散され、誹謗中傷を受けた出来事も取り上げられました。宗教への理解不足が、簡単に人を傷つけてしまう現実が映し出されます。それでもファーミさんは、地域との関係を断つことはしませんでした。距離のあった男性のビニールハウスの張り替え作業を手伝い、その後は地元農家と一緒にほうれん草の袋詰め作業にも参加します。同じ場所で汗をかく時間が、言葉以上に気持ちを伝え、少しずつ壁を低くしていきました。

 -- 農を通して越えていく人と人の壁 --
 畑での作業は、国籍や宗教、障害の有無を意識する前に、目の前の作物と向き合う時間を生み出します。土を耕し、野菜を育て、収穫を分かち合うという日常の積み重ねが、人と人の距離を自然に縮めていきます。ファーミさんと茉子さんが続けてきたアジア野菜の農業は、福山の地域の中で、人が再びつながる場になっています。番組が伝えたのは、特別な答えではなく、畑から始まる小さく確かな変化でした。

 -- まとめ --
 Dearにっぽん(2025年12月21日放送)は、国際カップルが福山で続ける農業の現場を通して、農が持つ人をつなぐ力を描きました。孤立の経験、福祉との連携、地域農業の支え合い、宗教への偏見という現実に向き合いながら、畑で重ねられる一つ一つの行動が、確かに垣根を越えていく様子が伝わってきます。

 -- アジア野菜が日本の食卓に入りはじめたことで見えてきた変化 --
 ここで、番組内容を調べる中で見えてきた視点として、アジア野菜が日本の食卓に広がることで、地域の食文化がどう変わる可能性があるのかについて紹介します。これは番組の中心テーマである「農で垣根を越える」という考え方とも重なり、畑の外、食卓の上でも静かに起きている変化です。

 -- 日本の家庭料理に少しずつ増える野菜の選択肢 --
 日本の家庭料理は、季節の野菜を使い、素材の味を生かす形で長く受け継がれてきました。そこにクウシンサイやレモンバジル、唐辛子といったアジア野菜が加わることで、使える野菜の幅が広がっています。炒める、さっとゆでる、生で香りを楽しむなど、調理の選択肢が自然に増え、毎日の食事に変化が生まれています。特別な料理ではなく、普段のおかずの中に少しずつ溶け込んでいく点が特徴です。

 -- 地域の食文化が外の世界とゆるやかにつながる --
 アジア野菜を地域で育て、地域で食べる流れができることで、その土地の食文化は外の世界とゆるやかにつながります。外国人にとっては馴染みのある食材が手に入り、日本人にとっては新しい味との出会いになります。同じ野菜を囲みながら、育った文化の違いを知るきっかけが生まれ、食を通じた交流が日常の中に入り込んでいきます。これは、観光やイベントではなく、暮らしの中で起きる変化です。

 -- 新しい「ご当地野菜」になる可能性 --
 アジア野菜が特定の地域で継続して育てられるようになると、その土地ならではの野菜として認識される可能性もあります。気候や土に合った品種が選ばれ、育て方が工夫されることで、味や使い方に地域性が生まれます。こうした積み重ねは、従来の伝統野菜とは違う形のご当地野菜として定着していく道にもつながります。地域農業の新しい価値として、食卓から広がっていく可能性があります。

 …と、こんな放映内容でありましたけど、ふ~ん、今まで、対岸の箕島町で「日本では珍しいアジア野菜を栽培する農園」が頑張っておられますとは、全く知りませんでしたネ。
 地域に馴染み、住民の皆様と親睦を深めながら仲良くヤッていかれますのも気苦労多いものと思います。が、この〝異色のカップル〟は夫婦仲も良くて、何よりお二人とも明るいのがイィですねぇ~
 昨日放映の〝Dearにっぽん〟の番組を視聴されました方も多いものと思います。
 理解者も増え、「農で垣根を越える」日がヤッて来ますのも、そぅ遠くはないかも分かりませんネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(45)

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 〝妙宣寺〟~〝大膳神社〟間は、歩いても行けそうでしたけど、一応、バスに乗って(^.-)☆
 でも、スグに到着です。が、進入路は狭くバス通りで下車し徒歩で(^-^)
 WEB上で検索しますと、〝大膳神社〟についてこんな記載が…

 ◆大膳神社(だいぜんじんじゃ)

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0106/ ---

 -- 品格漂う能舞台をもつ資朝卿ゆかりの社 --
 大和飛鳥路に例えられた田園風景に大膳神社が鎮座。地頭・本間山城守によって日野資朝、大膳坊が合祀され、正殿には御食津大神を祀ります。資朝の子・阿新丸が佐渡に渡り、親の刑死の無念を晴らした際、逃亡を助けた大膳坊は処刑。御坊の怨霊を鎮めるために、勧進されたとされます。1846年に再建された茅葺き寄棟造りの能舞台(県の有形民俗文化財)は、定能が盛んであった「国仲四所の御能場」の1つ。佐渡に現存する最古の能舞台と伝わります。現在も4月18日の祭礼には奉納能、6月には能と鷺流狂言が上演されています。

 ◆新潟県指定 有形民俗文化財:佐渡大膳神社能舞台 1棟、附 旧鏡板1面

 --- https://www.city.sado.niigata.jp/site/bunkazai/5131.html ---

 -- 新潟県指定 有形民俗文化財 --
 佐渡大膳神社能舞台 附 旧鏡板1枚(さどだいぜんじんじゃのうぶたい つけたり きゅうかがみいたいちまい)

 松と杉の木を背にした境内地に建つ能舞台で、社殿に向かって左側に、正面を社殿に向けて配置されている。
 現在の建物は、旧鏡板の背面にある墨書から弘化3年(1846)の再建とわかり、本舞台は間口5.5メートル、奥行4.4メートル、寄棟造茅葺である。床板は本舞台、後座を縦と横に張り分けているが、本舞台奥行が後座まで食い込み、天井は裏楽屋まで一体に小屋組を見せているが、松と日輪の絵が描かれた鏡板で仕切られている。
 橋掛りは複式形式で、両側に地覆付の勾欄が付けられ、正面は平桁、裏通路との仕切りには通し貫の形式が用いられ、柱を設けず、3間の軒桁で橋掛り前面を開放し、背面は板壁である。地謡座は、以前は組立式の仮設であったが、今は常設されて竹の勾欄があり、舞台正面寄りの半分が客人桟敷となる。鏡の間の機能を橋掛り上に設け、裏楽屋とつなぐ複式橋掛り形式の代表であり、茅葺屋根ともあいまって佐渡らしい風格をもった能舞台である。
 過去の演能記録としては、文政6年(1823)の「大膳御神事御能番組留」までさかのぼることができ、現在も毎年4月18日の祭礼に定例能、6月には臨時の演能が行われており、当地に伝わる鷺流狂言(県指定文化財)も上演される。

 …と、こんな〝大膳神社〟であります。
 〝大膳神社〟への進入路の入口には、こんな説明板が…

 ◆大膳神社
 大膳神社は、御食津神を正殿に、日野資朝を左殿に、大膳坊を右殿に祀る。延喜式内社「御食神社」は、この社ではないかとする説もある。正中二年日野中納言資朝佐渡流罪、元徳二年、資朝の子阿新丸が渡島する。
 地頭本間山城守は対面を許さず、資朝を処刑、阿新丸は山城守の太刀取り、本間三郎を討ち帰京する。
 阿新丸の逃亡を助けた山伏大膳坊は処刑される。城主が大膳坊の怨霊を鎮めるために勧進した社と伝える。境内に能舞台を有する。
 -- 佐渡市教育委員会 --

 進入路の途中の傍らには、こんな案内板も…

 ◆県指定文化財(有形民俗文化財)
  佐渡大膳神社能舞台(平成9年3月28日指定)

 素朴で美しい佐渡能舞台の代表的な遺例で、弘化3年(1846)に再建されました。
 舞台は寄棟造茅葺で、本舞台と後座からなり、鏡板には日輪と松の絵、天井には演目「道成寺」で使用する鐘穴があります。常設の地謡座は近年の増築によるもので、鏡の間はないものの、複式の橋掛りに裏通路が附属し、舞台裏の楽屋へと通じています。
 演能は現在も盛んで、4月18日の祭礼には奉納能、6月には能と鷺流狂言(県指定無形文化財)が薪能として上演されています。
 -- 平成25年2月 佐渡市教育委員会 --

 境内の一角には、こんな〝大膳神社〟縁起が綴られました石碑も…

 ◆大膳神社縁起

 左殿 日野資朝卿
 正殿 御食津大神
 右殿 大膳坊賢榮

 正殿 御食津大神は農業食饌の祖神豊穣の守護神で古来当地のうぶすな神として尊崇敬慕されている
 その勧請創始については諸説があり一説には式内社当国九社の一つとも言われるがなお詳かではない
 正中の変の折日野資朝卿当国に配流され一子阿新丸は父子対面を求めて遙々都から下向したにも拘らず遂に許されぬ儘父刑死の無念を霽らすべく城主本間山城守の館に潜入しその弟三郎を斬って本懐を果した
 この間大膳坊賢榮は真の敵は鎌倉なりと阿新丸を諭したがその孝心の已み難きに感動してこれを扶け更に迫り来る討手窮追の危機の中に阿新丸を守護し無事虎口を脱して帰京せしめた
 山城守は激怒し大膳坊を処刑したがその後大いに悔い畏れて日野資朝卿と大膳坊を当社に合祀してその霊を崇め奉ったと伝えられている

 -- 昭和31年4月 宮司 --

 大膳神社の境内に隣接し、二つの題目碑を備えた山門が…
 ここは、画像に納めるのみでしたけど、この山門は〝本光寺〟でしたのですネ。山門傍らには、「日蓮聖人 赦免状拝読の地」の説明板がありましたのですけど、気付きませんで眼を通せませんでしたGONsanです(^-^;

 ◆本光寺(佐渡市宮川)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 本光寺(ほんこうじ)は、新潟県佐渡市宮川にある日蓮宗の寺院。山号は日朗山。旧本山は大本山本圀寺(六条門流)。六老僧の日朗菩薩が佐渡流罪の赦免状を披見した場所。至孝第一日朗聖人遺骨を祀る。立正大師日蓮が座った赦免石や袈裟を掛けた袈裟掛けの松近くには日蓮と日朗が再会した日朗坂等が残る。

 -- 歴史 --
 日行(朗門の九鳳の一人)が師の日朗を開山に創建、慶長元年(1596年)地鎮が再興という。

 WEB上には、〝日朗山本光寺〟に関しての、こんな興味深い記載もありました(^_^)v

 ◆日朗山本光寺(佐渡市宮川)

 --- https://ameblo.jp/goreiseki1282/entry-12902609652.html 2018-09-03 20:11:38 ---

 文永11(1274)年3月8日の夕方、日朗上人が命懸けで持ってきた赦免状は、日蓮聖人の手に渡りました!
 その場所には「日朗坂」として題目碑がお祀りされています。
 実はその昔、日朗坂にはお寺があったそうです。
 しかし付近を流れる小倉川の氾濫で、そのお寺は現在、日朗坂から400mくらいかな、西に行った高台に移転されています。
 日朗山本光寺です。日朗上人の偉業に感謝している山号ですね!
 立派な題目碑がありますね。
 わ~、お祖師様の550遠忌に建てられたんですね!
 山門です。佐渡ご赦免の聖地に、入ってゆきます!
 本堂です。
 華美ではないけど存在感のある、そんなお堂です。
 本堂横に…ありました!赦免石(しゃめんせき)です。
 日朗上人から手渡された赦免状を、この石に腰掛けてご披見されたそうです。
 寒く、空腹で、孤独で、なにより理不尽で辛かったこれまでの2年4ヶ月余り…日蓮聖人はこの石に腰掛けて何を思われたでしょう。
 その気持ちを想像しながら、合掌しました。
 袈裟懸けの松です。
 大きな仕事を終えた日朗上人と、そして日蓮聖人は、松の木に袈裟を掛け、お互いに労をねぎらったことでしょう。
 お寺の縁起によると、このお寺を開いたのは日朗上人のお弟子さん、九老僧の妙音院日行上人だそうです。
 日行上人は日蓮聖人苦難の地・佐渡を訪問した際、ここ日朗坂や赦免石を見て去るに忍びず、きちんとご霊跡を残すことを決意しました。
 師・日朗上人を開山に仰ぎ、自らは二祖になり、62才で遷化されるまでこのお寺で修行を積んだといいます。

 ◇佐渡に赦免状が届く
 --- http://www.kujhoji.or.jp/denki.e/sub16.htm ---

 本尊を書かれた後も信者の数が増え、佐渡の寺々は、「自分たちが食べられなくなるから、日蓮を何とかできないものか」と相談して、鎌倉へ訴え出ました。
 佐渡の守護職宣時(のぶとき)は「日蓮の信者は牢へ入れよ」と命令を下したものの、「立正安国論」の予言通り、内乱が起こり、蒙古の来襲が近づき、幕府はあわてて、弟子や信者を牢から出しました。
 信者は聖人の赦免運動を考えましたが「仏さまにまかせるよう」戒められ、ついにその時がきました。
 弟子の日朗上人は、はやる気持ちをおさえつつ、首にしっかりと赦免状を掛けて、佐渡へ迎えに行きました。
 二年五ケ月の佐渡の生活。島の人たちに別れを告げられた聖人は、三月十三日真浦(まうら)を出発して新潟の柏崎に到着、二十六日に鎌倉へ戻られました。

 …と、こんな〝日朗山本光寺〟ですけど、何故か皆さん、〝本光寺〟への参詣もなく〝大膳神社〟を後にされましたネ(^-^)//"

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全国高校女子駅伝…一度もトップを譲らず連覇の〝長野東〟強かったですネ\(^o^)/

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 本日午前中は、全国高校女子駅伝の観戦でテレビを前のGONsanでした。
 勿論、応援しますのは、広島(福山)の「銀河学院」で、8位入賞を祈りながらの応援となりましたけど、う~ん、残念。3区・4区の選手の健闘で10位の位置にいたのですけど、19位でゴール。
 8位入賞は叶いませんでしたけど、選手の皆様、大変お疲れ様でございました。来年、また頑張って下さいねぇ~
 それにしましても、〝長野東〟強かったですネ。
 3区の〝真柴愛理〟のタイムは、驚異的でしたようであります。距離的には「3km」と短い区間ですけど上りのコース。これを〝9:06〟で走り抜けるのですから、解説者もビックリ(^-^;
 WEB上には、早速、こんな速報記事が…

 ◆【高校駅伝】連覇の長野東 驚異の区間賞に伝説ランナーが「えっ!?」絶句「まさか9分1桁を見れるのは幸せ」留学生の記録もぶち抜き監督もビックリ

 --- 2025/12/21(日)11:54配信 最終更新:12/21(日)17:37 デイリースポーツ ---

 「全国高校駅伝」(21日、たけびしスタジアム京都発着、女子=5区間)
 長野東が一度もトップを譲らず連覇を達成。横打監督が驚き、NHKで解説を務めた小林祐梨子さんも「えっ!?」と絶句したのは3区の真柴愛理だ。
 前年1区区間賞の真柴を3区で起用。指揮官は「留学生と戦わせたいという思いで向かわせましたが、本当にすごい。驚きの一言です」とうなった。真柴はトップでタスキを受けると力強い走りで、9分6秒の区間新記録を樹立した。
 これは過去、留学生がたたき出した記録も含めてのもの。小林さんも中継で思わずタイムを見て「えっ!?」と絶句。「まさか9分1桁を見れるのは幸せです。これから世界に向けて羽ばたいて欲しい」とエールを送った。
 真柴は中継所でのインタビューで「今年1年は思うように走れないことが多かったですけど、都大路に持って来れて自信になりました。留学生の方々がいる中でいい位置で4区に渡すんだと思って走りました」とコメント。最後の高校駅伝で圧倒的な輝きを放った。

 …と、こんな記事ですけど、この記事でも真柴愛理選手の3区タイムに触れておりましたネ。
 ところで、棄権チームがありましたネ。四国学院大学香川西高校でしたけど、スタートします前の段階での棄権とは珍しいですネ。競技中での棄権は、何度かありますけど…
 詳細は分かりませんけど、交代要員にも事欠きます状況でしたのかも…とにかく、お気の毒。
 四学香川西は香川県大会を1時間17分06秒で制し、2年ぶり6回目の代表をつかんでいたとの事ですけど、ご無念でしたでしょうねぇ~
 この悔しさは、明日からの練習にぶつけて下さいねぇ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(44)

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 WEB上で〝日野資朝の墓〟を検索していましたら、9年ばかり前に撮られました「日野資朝の墓」の説明板が…う~ん、この画像でしたら鮮明に読めますネ。

 ◆日野資朝の墓
 正中二年(1325)後醍醐天皇の側近、日野資朝は倒幕計画が発覚し、鎌倉幕府執権北條高時により佐渡に流された。檀風城に幽閉されること七年、元弘二年(1332)に城主本間氏は高時の命によって資朝を処刑した。遺体はここで荼毘にふされ、遺骨は従者が高野山へ葬ったとも伝えられる。資朝は明治八年真野宮に合祀むされ同十七年に従二位を贈られた。

 それでは、庫裡へ。
 庫裡へ入りますと、まず眼に入りましたのが立派な〝大黒柱〟です。この〝大黒柱〟のお話しは、関道雄ご住職の姉と言われましたか…妹と言われましたか…この方が、詳細にお話しを(^.-)☆
 庫裡の土間の傍らには、〝愛〟の文字を付けました兜で連想させます上杉景勝の佐渡攻めで活躍した〝直江兼続〟の奉納と伝わる槍の穂先も並べられ、〝上杉景勝制札〟も展示されておりました。

 ◆阿仏房妙宣寺関連の歴史まとめ

 1242年(仁治3)順徳帝、佐渡島にて崩御。北面武士遠藤為守と妻千日尼出家
 1271年(文永8)日蓮上人佐渡へ流罪。阿仏房日得と千日尼、日蓮の生活を援ける
 1273年(文永11)日蓮赦免
 1278年(弘安1)阿仏房日得と千日尼、金井新保の自宅を寺とする
 1279年(弘安2)阿仏房日得、死去
 1324年(正中1)「正中の変」日野資朝、佐渡へ流罪
 1326年(正中5)真野竹田の地に妙宣寺移転
 1331年(元弘1)「元弘の乱」翌年日野資朝、刑死
 1339年(延元4)後醍醐天皇、崩御。南朝は後村上天皇即位
 1589年(天正11)上杉景勝の侵攻により佐渡平定。直江兼続が雑田城(さわたじょう)を廃し、妙宣寺を現在地へ移転させる
 1827年(文政10)五重塔、立塔 

 〝上杉景勝制札〟に関しましては、WEB上に、こんな記載が…

 ◆佐渡市指定 有形文化財:上杉景勝制札

 指定年月日:平成16年3月1日
 所在地:佐渡市阿佛坊、国分寺、金丸
 所有者または管理者:妙宣寺、佐渡国分寺、引田部神社
 これら3点の制札は、真野地区阿佛坊の妙宣寺、同地区国分寺の佐渡国分寺、同地区金丸の引田部神社がそれぞれ所有している。制札とは、支配領域の秩序や寺社・村落・市場などの保護を目的として、領主が軍勢に禁止事項や規制条項を命令した札のことで、主に路傍や寺社の境内などに掲げられた。
 この制札は、天正17年(1589)6月に越後(現新潟県)の上杉景勝が佐渡地頭本間氏とその一族を討って佐渡を所領とした後、島内一般に公布されたものである。この制札には諸軍勢の乱暴狼藉を戒め、竹木の剪採を禁ずるとの命令が記され、景勝の朱印が押してある。朱印は直径6.2cmの正円で、上部に亀の頭のような2cmの凸出部があり、円部は二重郭陽文である。
 上杉氏が佐渡を所領とした直後の様子を伝えるものであり、上杉氏や戦国大名の領土経営を研究する上で貴重である。

 …と、こんな「上杉景勝制札」のようであります。
 〝妙宣寺〟の説明書きは、こんな内容で(^-^)

 ◆伝・直江兼続寄進の鑓の穂先

 天正17年6月、越後上田衆や与板衆を引き連れ景勝に従軍した直江兼続が佐渡制圧の後、妙宣寺に寄進したとされる鑓の穂先である。
 妙宣寺蔵の「当山宝物略説」の中に「後長尾景勝制札並びに家臣直江山城守墨付これ有り」という一項があり、また「阿仏房什物」記の中には、「景勝禁制札一通、直江兼続寄進状一通」という項も見られる。
 この直江の墨付とか兼続寄進状というのが寺地安堵状のことで、「寺内前々の如く諸式相違有るべからず」と記している。江戸時代のこれらの記録の中には直江寄進の鑓の穂先について記録はないが、大正期に書かれた什物の中には「直江山城守寄進の鑓」が記述されている。
 鑓は南北朝時代から使われ、室町時代に盛行する刺突武器である。使用法が簡易で武道に経験の浅い者でも効果を挙げる事が出来たので戦国時代の頃には主要武器として盛んに使用された。
 穂(身)は直線型(素槍)、十字型(十文字鑓)、釣型(片鎌)の三つがあり、刃の部(穂)が刀身のようになかご(中心)造りになっていて柄に挿入する。柄は強靱な木を用いるのが一般である。穂の長さは二、三寸ほどのものから三尺くらいの大身の鑓と呼ばれるものがあり、通常は六、七尺くらいのものが多かった。柄も長さ七、八尺から一丈二、三尺ほどのものもあった。
 当妙宣寺の鑓の穂先は木箱の中に納められており、箱の蓋の内側に「直江山城守兼継奉納槍」と墨書がある。穂先の長さ約八十センチメートル、幅三センチメートルほどの直線型(素槍)鑓である。

 ◆(歴第七号)指定書
 名称 上杉景勝制札

 (当該文化財の特徴を示す簡単な事項)
 制札は領主が支配領域の秩序を保ち、保護するための禁止事項や規制条項を領域の村落や寺社・宿駅などに文書形式で命令したものである。妙宣寺・国分寺・引田部神社が所有する制札は、上杉景勝が佐渡平定直後の天正17年6月にしたもので、諸軍勢の乱暴狼藉をいましめ竹木の剪採を禁じている。

 右を佐渡市民文化財保護条例に基づき佐渡市指定有形文化財に指定する。
 平成16年3月1日 佐渡市教育委員会

 ◆制札

 右当地於て、諸軍勢濫妨狼藉、並に竹木剪採の事、堅く停止せしめ(?)んぬ。若し違犯の輩これあらば、立ち所に於て成敗を加うべき由仰せ出し、御朱印なさる者也、仍て件の如し。

 【朱印】   天正17年6月 日    奉行中

 阿佛坊

 展示されています〝制札〟の現物には、こんな内容で記載されていますのでしょうネ。
 それでは、この辺で〝妙宣寺〟sanとはお別れで、次は、ここから近くの〝大膳神社〟へ向かいます(^-^)//"

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ふ~ん、全国の高速道PAから〝ゴミ箱〟が姿を消しますか(^-^;

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 ふ~ん、昨日(12/20)の中国新聞朝刊で初めて知りましたけど、全国の高速道PAから〝ゴミ箱〟が姿を消しますようですねぇ~
 中国地方の自動車道の一部PAでは、既に半年前頃から〝ゴミ箱撤去〟されていますとか…いゃぁ、全く知りません…と言うか気付きませんでしたねぇ~
 WEB上で「ゴミ箱撤去」を検索してみますと、こんな記事掲載が(^-^;

 ◆【NEXCO中日本】一部のパーキングエリアの「ゴミ箱撤去」へ

 --- 2025年11月17日 高速道路 JAHIC日本高速情報センター ---
 --- https://jahic-etc.com/2025/11/17/jahic_25_11_17/ ---

 ・一部のパーキングエリアからゴミ箱が姿を消す
 東海地方の高速道路網を管理するNEXCO中日本が、トイレのみが設置された小規模なパーキングエリア(PA)12カ所から、ゴミ箱を撤去したことを11月7日に公式発表しました。
 撤去の対象となったPAはいずれも売店がなく、自動販売機とトイレのみのシンプルな施設。例として、岐阜県の 岐阜三輪PAでは、10月14日に空き缶捨て用ゴミ箱3基が撤去され、その跡には地面の色が変わった跡だけが残っています。
 運営側は「レジャー・家庭ゴミの持ち込みが相次ぎ、呼びかけでは改善できなかったため、防犯・管理の観点から苦渋の決断をした」と説明しています。

 ・背景に「家庭ゴミの持ち込み」で対応に限界
 撤去の大きな理由として挙げられているのが、『高速道路上で発生したゴミ』ではなく、レジャー帰りや家庭からの「持ち込みゴミ」が多発していたことです。NEXCO中日本は、家庭で出た燃えないゴミやバーベキュー網などの捨て場にPAを利用するケースが散見され、呼びかけによる改善が進まないことを理由に挙げています。
 特にトイレと自販機のみの施設では、清掃頻度や監視体制に限界があり、処理・管理コストの増加も運営側の苦悩となっていました。

 ・利用者の戸惑いと“休憩空間”としての役割再考
 一方、利用者側からは「休憩ついでにゴミを捨てられなくなって不便だ」といった戸惑いの声が上がっています。 また、SNS上には「高速代も払って利用しているのにゴミ箱までなくなるのか」という不満の声も多く投稿されています。
 この事案は、PA・SAが単なる休憩スポットであるというだけでなく、「利用者が安心してゴミを処理できる場」であるという期待とのギャップを浮き彫りにしています。運営側のコスト・管理制約と、利用者の利便性・安心感という二軸で、施設の役割そのものが再考されていると言えるでしょう。
 
 ・次代に向けて求められる「サービスのあり方」
 今後、こうした施設では「ゴミ箱を置かない」という選択肢を取る際のメッセージ発信や利用者への案内が重要になってきます。具体的には、車内ゴミを持ち帰るための明示的な表示や、PA外で処理可能な代替手段(道の駅などの案内整備が考えられます。また、利用者側も「出したゴミは自分で持ち帰る」というマナー意識を持ち、従来の“置いていってもいい”という暗黙の前提を見直す必要があります。高速道路利用が増える中で、休憩施設が長時間走行の安全と快適を支える場である以上、運営・利用双方の意識改革が進むことが、次世代の“休憩サービス”の質を左右するでしょう。

 …と、こんな記事で、一部のパーキングエリアの〝ゴミ箱撤去〟には、こんな理由がありましたか。
 マナーの悪さに起因ですから、仕方ないとも思いますし、高速料金を支払っているのに…との想いも少々(^-^)
 暫く様子を見まして、〝ゴミ箱設置〟の他のSA・PAの使用状況のマナー向上がありましたら、また〝ゴミ箱設置〟として貰いたいものですけど、どぅなんでしょうねぇ~
 このまま、ズッと「ゴミ箱撤去」も哀しいですねぇ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(43)

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 本堂を拝観しましてから祖師堂に向かい、御開帳です。
 が、祖師堂までご案内して下さった方が〝妙宣寺住職・関道雄〟さんだと思うのですけど、祖師堂での御開帳は、メモ書きのようなモノを玉泉寺・難波住職に手渡され「導師をやって下さい」と依頼されておられたような…
 んっ!?…この方は〝妙宣寺住職・関道雄〟さんではなかったのか…と、この時は思っておりました。関住職がご不在だから難波住職に依頼されたのだと(^-^)
 事情はともかく、当の難波住職は大感激ですよ。
 永い歴史のあります〝妙宣寺〟の『貫首』の座におられます感じで、満面の笑み。どなたかに、本気とも冗談とも取れます「写真撮っておいて!」の依頼には、思わず笑ってしまいましたGONsanであります。
 イイ画像が撮れましたら、家宝にされますのかも(^-^)
 御開帳を無事終えましても、暫くは満面の笑みが続いておりました難波ご住職でありました(^_^)v
 で、後で分かりましたけど、難波住職に御開帳の導師を依頼されました方は、やはり〝関住職〟sanでありました。もぅご高齢で滑舌面・体調面等の要因から、導師を難波住職に依頼されたのだろう…と、勝手に想像しております(^-^)
 ここで、また、〝ChatGPT〟と会話です(^-^)

 ◆お寺の御開帳で、導師を務められますのは、通常はどなたが?

 ◇ChatGPT:一般的に お寺の御開帳で導師(どうし)を務めるのは、次のような方です。

 -- 基本的な原則 --
 そのお寺の住職が導師を務めるのが最も一般的です。御開帳は本尊・秘仏を公に拝観できる特別な法要ですので、寺院の責任者である住職が中心となります。
 一般的に お寺の御開帳で導師(どうし)を務めるのは、次のような方 です。

 -- 例外・補足的なケース --
 御開帳の規模や性格によっては、以下のような場合もあります。
 ・前住職(隠居住職)
 現住職が若い場合や、前住職が長年寺を支えてきた功績がある場合。
 本山・大本山から派遣された高僧
 ・宗派の管長
 ・本山の貫首
 ・宗派内で格式の高い僧侶
 特に、◯◯年御遠忌・大開帳などの大法要では多く見られます。
 開基・中興ゆかりの寺院の住職
 その仏像や寺の由緒と深い縁を持つ寺院の住職が導師となる場合。
 複数日開催の場合
 日によって導師が交代し、
 ・初日:本山高僧
 ・中日:地元住職
 ・結願日:当寺住職
 といった構成になることもあります。

 -- まとめ --
 通常:当該寺院の住職
 大規模・記念的御開帳:本山や宗派の高僧
 由緒重視:縁の深い寺院の住職
 御開帳は宗派・寺格・行事の目的によって運営が大きく異なりますので、特定のお寺や御開帳を念頭に置かれているようでしたら、それに即してもう少し具体的にご説明できますよ。

 …と、こんな回答が、ChatGPTからありました(^.-)☆
 とにかく、ご満悦な難波住職のお顔が、ヤケに印象に残ってしまいましたネ(^-^)/
 御開帳を終え、境内に出て来ますと、今一度、境内を拝観です。
 〝日野 資朝(ひの すけとも)〟のお墓の前には、永年の風雨で読みにくいのですけど〝日野 資朝〟の説明板が…何と記載されていますのかは、不明です(^-^;
 WEB上で捜しますと、こんな記載のようであります。

 ≪現地案内看板≫

 日野資朝の墓
 後醍醐天皇の正中二年(一三二五)十二月、日野資朝は北條高時のために佐渡に流され、壇風城に幽閉されること七年、元弘二年(一三三二)城主本間氏は高時の命によって資朝を処刑した。
 遺体はここで荼毘にし、遺骨は従者が高野山へ葬ったとも伝えられる。
 資朝は明治八年真野宮に合祀され同十七年に従二位を贈られた。
 -- 真野町教育委員会 --

 お墓の傍らには、日野資朝の歌碑が…
 『秋たけし 檀の梢吹く風に 雑田の里は 紅葉しにけり』山本修之助謹書

 ◆檀風城跡

 本間氏は、鎌倉時代佐渡国守護大佛氏の守護代として入国した。室町時代の雑太地頭といわれた本間氏の祖である。
 本間氏の本拠は何度か移り変わるが、鎌倉初期の本拠は波多郷(現畑野)に居館がおかれていた(元の雑太城)。この地は律令時代の佐渡国衙の跡と推定される場所であり、本間氏が居館として再利用したものであろう。
 低地に突き出た標高4mほどの台地に築いた単郭で周囲を取り囲んだ土塁が今も残る。
 日野資朝を預かることになった本間山城入道(泰宣)は、この居館の牢内に資朝を幽閉した。
 幽閉中の資朝が詠んだ歌「秋たけし檀(まゆみ)の梢(こずえ)吹く風に雑太(さわた)の里は紅葉しにけり」から、檀風城の名で呼ばれるようになったという物語は江戸時代にはいってつくられたもので、当時の呼び名ではない。
 資朝の子阿新丸が父との面会を求め、山城入道を訪ねたのもこの居館である。

 〝番神堂〟の前には、こんな案内板がありました。

 ◆番神堂
 法華経守護と当山鎮護の為に各善神を奉祀する。
 一、妙見大菩薩 -- 北極星の化身といわれ日本国総鎮護の善神。
 一、三十番神 -- 日本国内の主神三十体で毎日の当番守護神。
 一、清正公 -- 法華経信者の代表として昔から諸人の信仰を集めている。

 それから、〝庫裡〟の説明板も…

 ◆庫裡
 文久二年再建(1862)
 間口八間(145m)奥行二十間(36m)の大建築にして用材はすべて当国産の赤松で八間の通し梁が六本並列している。
 大黒柱は二尺五寸(76cm)に一尺七寸(52cm)の角材で佐渡随一である。棟高は八間半(155m)破風造りの茅葺大屋根は全国にも珍しい。

 …との事で、それでは今から〝庫裡〟を拝見です(^-^)//"

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火災焼失で復元中の〝首里城正殿〟…来年秋の完成のようですネ(^.-)☆

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 昨朝のTVニュースで、令和元年の火災で焼失し、復元工事が進んでいます〝首里城正殿〟ですけど、来年秋に完成との報道が(^.-)☆
 2019年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失しましたから、7年振りに元の姿に(^_^)v
 WEB上には、こんな記事も…

 ◆ベールを脱いだ「赤い王宮」首里城正殿、2026年秋の完成目指し廊下の復元工事進む

 --- 2025/12/15 18:12 産経新聞 ---

 令和元年の火災で焼失し、復元が進む首里城(那覇市)の正殿(せいでん)で15日、「南之廊下」の復元工事の様子が報道公開された。正殿を風雨から守っていた覆いが外され、南国の青い空の下、あでやかなが姿を現した。
 内閣府沖縄総合事務局などによると、琉球王国の歴史をつなぐ正殿の復元工事は令和4年11月に着工。正殿外観の工事は完了し、今年10月末には「素屋根」と呼ばれる覆いも撤去された。今月から正殿につながる2本の廊下を復元する工事が始まっている。
 正殿外観の塗装には「弁柄(べんがら)」と呼ばれる赤褐色の天然顔料が用いられ、鮮やかな朱色に塗られた正殿正面の「向拝」がより際立って見えるようになったという。向拝には極彩色の装飾も施されている。
 復元工事は清水建設と地元・国場組、大米建設の共同企業体(JV)が担当。現在は正殿以外の復元作業が進む。清水建設の奥村耕治工事長は「なんとか来年秋の完成を目指し、進めている」と話した。
 首里城正殿は戦前、国宝に指定されていたが、先の大戦末期に始まった沖縄戦で破壊された。昭和47年の沖縄の本土復帰後、国と県が復元整備事業に着手。復帰から20年の平成4年に完成したが、令和元年10月に全焼していた。(大竹直樹)

 ◆首里城

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 首里城(しゅりじょう、沖縄語:スイグシク)は、琉球王国中山首里(現在の沖縄県那覇市)にあり、かつて海外貿易の拠点だった那覇港を見下ろす丘陵地にあったグスク(御城)の城趾である。現在は国営沖縄記念公園の首里城地区(通称・首里城公園)として都市公園になっている。
 第二次世界大戦中に焼失後、1992年に柱・壁・瓦など朱色を基調として再建された。しかし、2019年10月31日に正殿など主要7棟が火災で焼失し、その後復旧作業が進められている。2026年秋に正殿の木造復元が完成する。その後、南殿、北殿、黄金御殿、二階御殿、番所、中城御殿等の木造復元をする予定である。

 …との事で、来年秋に〝正殿〟の復元が完成し、以降は順次、南殿、北殿、黄金御殿、二階御殿、番所、中城御殿等の木造復元が進んでいくようであります。
 ところで、この復元工事に掛かります資金は、何処から捻出されますのでしょうネ…国営沖縄記念公園ですから国から?…それとも、寄付金?…
 またまた、ChatGPTに尋ねてみます事に(^-^)

 ◆沖縄の首里城の復元資金は、どこから出るの?

 ・ChatGPT:沖縄・首里城の復元資金(お金)はどこから出ているのか?…について、主な出どころをわかりやすくまとめました。

 ①国や自治体(公的な予算)
 首里城の正殿などの復元工事(建設そのもの)には国の予算が使われています。
 これは内閣府(沖縄総合事務局)が発注する工事で、専門の施工会社が建設を進めています。復元プロジェクトそのものは政府・自治体が主体となって進められています。

 ②寄付金(基金・募金)
 火災後から多くの人々や企業・団体からの寄付(復興支援金)も大きな資金源になっています:
 首里城復興基金/首里城火災復旧・復興支援寄附金 → 火災直後~2022~2023頃まで受付していた寄付金で、復元工事に充てられました。
 首里城未来基金(首里城歴史文化継承寄附金) → 2022年~現在まで受付中の寄付金で、伝統技術の継承や歴史まちづくりにも活用されています。
 令和7年11月までの累計寄付額は約61億円以上にのぼっています。

 ③民間企業・団体からの支援
 大手企業や地元企業も支援プロジェクトを立ち上げて寄付を行っています。たとえばAEON(イオン)の支援プロジェクトでは、復元支援の寄付を実施しています。

 …との事ですけど、総工費はどの位の額となりますのでしょうねぇ~
 国交省の「首里城復元の取組について」の資料がWEB上にありましたけど、総工費の記載はありませんでしたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(42)

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 境内を見廻しておりますと、こんな説明板がありました(^.-)☆

 ◆祖師堂
 明治13年再建(1880)六間(11m)四面三方縁造り宗門最古の宗祖御木像(文永11年(1274)在銘)並びに当山開山阿仏坊日得上人、千日尼御前、捨身供養の御木像を安置す。

 ◆本堂
 文久3年再建(1863)十二間(22m)四面の大堂で島内最大の堂宇。江戸期本堂建築の様式を今に残している。

 〝堂宇〟とは何を意味するのか、WEB上で検索してみますと、

 ◆堂宇

 --- 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 堂宇(どうう)は、四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物。

 -- 種類 --
 仏 堂:仏教寺院の堂宇。金堂、本堂、講堂、法堂など。
 灌頂堂:密教の灌頂の儀式を執り行うための堂宇。
 護摩堂:護摩供の儀式を執り行うための堂宇。
 栄螺堂:札所巡礼を模して堂内に螺旋状の通路を設けた堂宇。
 持仏堂:念持仏を堂内に安置した個人の堂宇。
 鎮守堂:神仏習合により堂内に明神や権現を祀る堂宇。鎮守神を参照。
 辻 堂:村落の辻などに建てられた地蔵や観音、薬師などを本尊とする民間信仰の堂宇。

 …との事で、「四方に張り出した屋根(軒)をもつ建物」と言う意味でありました(^-^;
 本堂に上がりますと、本堂等の建物内の写真撮影はダメなんだろうなぁ…と、写真を撮りますのは控えておりましたけど、皆さん、遠慮なくパチリ、パチリ。これ幸いとドサクサに紛れてGONsanも撮りまくりとなりましたけど、妙宣寺sanごめんなさいです(^-^;

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ふ~ん、福山市も市民全員に〝商品券5,000円分〟を配布ですか(^.-)☆

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 昨日のニュースで、広島県では、廿日市市・三次市・大竹市・三原市が商品券の配布や現金給付などのかたちで支援を行うようですけど、福山市も「市民全員に商品券5,000円分配布」しますようですネ(^.-)☆

 ◆広島 福山市 市民全員に商品券5,000円分配布へ

 --- 2025年12月17日午後6時42分 NHK NEWS ---

 政府の新たな経済対策に盛り込まれた「お米券」などに使える食料品支援について、福山市は、1人あたり5,000円分の商品券を市民全員に配布すると発表しました。
 政府が決定した新たな経済対策では、自治体向けの交付金を拡充し、「お米券」や「電子クーポン」などによる食料品支援に使う枠を設けることが盛り込まれました。
 こうしたなか、福山市は、17日の市議会で追加の補正予算案を提出し、枝広市長が「生活者や事業者への支援をスピード感を持って実施する」と述べ、商品券を配布すると発表しました。

 具体的には
 ▼市民全員に1人あたり5,000円分、
 ▼住民税の非課税世帯などについては、さらに追加で1人あたり5,000円分を配布する計画です。
 このほか補正予算案には、交付金を活用し、▼中小企業などの賃上げの支援や▼介護や障害福祉サービスの事業所や、私立の保育所、幼稚園を対象に応援金を給付することなどを盛り込んでいます。
 予算案の採決は19日行われ、可決されれば来年2月下旬から商品券を配布する方針です。

 【県内で「お米券」の配布を表明の自治体なし】
 広島県内では、これまでに「お米券」の配布を表明している自治体はなく、廿日市市や三次市、大竹市が商品券の配布や現金給付などのかたちで支援を行うことを表明しています。

 …との事でありまして、年金生活者のGONsanなんぞには嬉しいニュースであります(^_^)v
 ですが、こんな記事配信もありまして、

 ◆広島 三原市 8,000円分の商品券を市民全員に配布へ

 --- 2025年12月17日午後6時42分 NHK NEWS ---

 政府の新たな経済対策に盛り込まれた「お米券」などに使える食料品支援について、三原市は、1人あたり8,000円分の商品券を市民全員に配布する方針を固めました。
 政府が決定した新たな経済対策では、自治体向けの交付金を拡充し、「お米券」や「電子クーポン」などによる食料品支援に使う枠を設けることが盛り込まれました。
 これを受けて三原市は、市内のスーパーなどで使用できる1人あたり8,000円分の商品券を市民全員に配布する方針を固めました。
 「お米券」ではなく商品券としたのは、米だけでない食料品など世帯の事情に応じて使いみちを選べるためだということです。
 市は、必要な費用7億6,000万円を盛り込んだ追加の補正予算案を開会中の市議会に提案する方針で、可決されれば来年2月ごろから順次、配られます。

 …と、三原市では〝1人あたり8,000円分の商品券〟とは、羨ましさも(^-^)
 まぁ額がいくらでありましても、貰えますのは嬉しいですし、有難い事であります。でも、3,000円の差は、GONsanには大きいかも(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(41)

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 こぅして本堂に向かって境内のアチコチを見廻しながら、カメラで眼に入ります景観を画像に撮りまくっておりますと、かって、佐渡守護代 竹田本間氏の居城「雑太城」があった場所だけに、現在も城跡の雰囲気が随所に漂っておりますネ(^.-)☆
 かっての城郭を思わせる石垣の跡がシッカリと残っておりますし、永い歴史も感じさせ、落ち着いた実に立派な境内であります(^_^)v

 ◆雑太城(さわだじょう)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 雑太城(さわだじょう)は、佐渡国雑太郡(現在の新潟県佐渡市佐和田大字竹田字内新川)にあった日本の城(平山城)。別名は檀風城・新川城。中世に佐渡を支配した本間氏の居城であった。跡地は妙宣寺となっている。

 -- 概要 --
 新川の城山(50m)から山麓(比高5mほどの微高地)にかけて縄張りがされた平山城である。鎌倉時代から南北朝時代にかけて大佛氏の支配下にあったが、室町時代には守護代の本間氏が自立して戦国大名に成長した。同氏と越後の上杉氏は、謙信の時代には緩やかな従属関係を結んでいたが、次代の景勝は佐渡に侵攻して本間氏を排除した。
 江戸時代に佐渡全域が幕府直轄領となると、本間氏や上杉氏が築いた建物は一国一城令で破却された。

 -- 遺構・復元施設 --
 ・「檀風城址之碑」歌碑 -- 日野資朝の「秋たけし 檀の梢吹く風に 雑太の里は 紅葉しにけり」の歌碑。
 ・本丸跡の石垣 -- 石垣の前に「雑太城跡」説明版。二層の寺門が残る。
 ・土塁・空掘

 -- 周辺施設・関連資料ほか --
 ・妙宣寺の五重塔 -- 新潟県唯一の重要文化財。
 ・新川城絵図 -- 『新潟県中世城館等分布調査報告書』。
 ・下国府遺跡 -- 檀風城の北東500mほどの位置で発掘された平安時代前期の遺跡。上国府(佐渡府内)に付随した施設。

 境内には、山門の横に、正中の変で佐渡に流された公卿・日野資朝(ひのすけとも)の墓所もありました。
 山門を潜り正面の本堂までの参道の左側には、順番に、〝番神堂〟〝宝殿〟〝祖師道〟の建物が…そして、正面に〝本堂〟で、〝庫裡〟が右に隣接です。
 参道の右手には三つばかり建物が…「阿佛房妙宣寺境内之図」を確認しますと〝納屋〟〝土蔵〟の記載がありました(^.-)☆
 境内には、天正17年(1589)に現在地へ移った際に妙宣寺の寺号を起こしたといわれている、日蓮聖人に帰依した佐渡人最初の檀那・日得上人のお墓もありましたネ(^-^)//"

 ◆日野資朝

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 日野 資朝(ひの すけとも)は、鎌倉時代後期の公卿・儒学者・茶人。藤原北家真夏流日野家、権大納言・日野俊光の次男。官位は従三位・権中納言、贈従二位。
 中流貴族の次男に生まれ、自身の才学で上級貴族である公卿にまで昇った。

 -- 経歴 --

 正和3年(1314年)従五位下に叙爵し、持明院統の花園天皇の蔵人となる。宋学を好み、宮廷随一の賢才と謳われた。文保2年(1318年)の後醍醐天皇即位後も院司として引き続き花園院に仕えていたが、元亨元年(1321年)に後宇多院に代わり親政を始めた後醍醐天皇に重用されて側近に加えられた。このことで父・俊光が資朝を非難して義絶したという。花園は資朝の離脱を惜しみつつも、能力のある人物には適切な官位を与える後醍醐天皇の政策のもとなら、それほど身分の良いとは言えない資朝でも羽ばたけるだろうか、と後醍醐と資朝に一定の期待をかけている。
 元亨4年9月19日(1324年10月7日)、鎌倉幕府の朝廷監視機関である六波羅探題に倒幕計画を疑われ、同族の日野俊基らと共に捕縛されて鎌倉へ送られた。審理の結果、有罪とも言えないが無罪とも言えないとして、佐渡島へ流罪となった(正中の変)。
 元弘元年(1331年)に天皇老臣の吉田定房の密告で討幕計画が露見した元弘の乱が起こると、翌元弘2年/正慶元年(1332年)に佐渡で処刑された。
 『増鏡』「久米のさら山」によれば、処刑にあたり、資朝は落ち着きはらって前々から覚悟していたことだと述べ、都にいる子供たちへの手紙を武士に託すと、以下のような辞世の頌(じゅ)を詠んだという。

 四大本無主
  五蘊本来空
   将頭傾白刃
    但如鑚夏風 -- 日野資朝、『増鏡』「久米のさら山」--

 この世界に本より実体はなく 人の肉体と精神もまたその本質は空である
  今、まさに、我が首は白刃を揺らそうとしている
   しかしそれもまた、夏の風を斬るようなものだ -- 日野資朝、『増鏡』「久米のさら山」(大意) --

 斎祀神社に佐渡市吉岡鎮座の大膳神社、佐渡市真野鎮座の真野宮、奈良県吉野町鎮座の吉野神宮がある。
 なお、兄・資名は京都を追われた光厳天皇を最後まで守護した忠臣、弟・賢俊は光厳上皇の院宣を足利尊氏に届けるなど持明院統のために尽くしたことで知られ、兄弟で敵味方で分かれている。

 -- 逸話 --
 資朝が後醍醐天皇に登用される話は、兼好法師の『徒然草』に記されている。また『太平記』には資朝の子の阿新丸が敵討ちを遂げる逸話もある。
 身分の上下を越えて才人を集め、無礼講という茶会を主催した(『花園天皇宸記』元亨4年(1324年)11月1日条)。これは茶道の前身である闘茶や、俳句・俳諧の前身である連歌会の源流ともされ、文化史上で大きな役割を果たした。なお、軍記物語『太平記』では、この無礼講が討幕計画の会であったり、美女を侍らす酒宴であったりと否定的に描かれているが、それを肯定する同時代の史料・実証的証拠はない。

 ◆日得

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 阿仏坊日得あぶつぼうにっとく、阿仏房とも)は鎌倉時代における、日蓮宗の信徒。
 順徳天皇に仕え、従四位上に叙せられる。和漢の学に通じ、歌道にも上達していた。承久3年(1221年)に承久の乱により佐渡島に流された天皇に従って、仁治3年(1242年)に崩御するまで側近く仕える。その直後に妻である千日尼(せんにちに)とともに剃髪し、30年間も天皇の陵に廬を結んで住む。もともと浄土宗を深く信仰し、念仏怠りなく、自ら「阿仏坊」と号していたが、文永8年(1271年)の冬に日蓮が佐渡に流され、塚原に潜んでいたところを訪問し、日蓮の説を聴き、妻とともに浄土宗を棄てて84歳で弟子となる。文久11年(1274年)に日蓮が鎌倉を経て甲斐に隠栖すると、遠くにありながら三度、身延山を訪れては日蓮の説法を聴いていた。弘安元年(1278年)に90歳の身で登山した際に、日蓮は大いに感激して「日得」の名を与えた。その翌年に寂す。
 阿仏房に関しては、承久の乱の時に佐渡に流された順徳上皇のお供の武士で、藤原氏であったという説や、佐渡の人であったという説もあり、定かではない。ただ入信以前は、熱心な念仏の信者であった。弘安2年(1279年)3月21日、91歳で亡くなるまでの間、阿仏房は老齢にもかかわらず、遙かに海山を越えて、身延の日蓮のもとへ三回も登山参詣をした。日蓮から「北国の導師」と称えられた。阿仏房の曽孫に当たる如寂房日満も、幼少より富士の日興のもとに参じて行学に励み、北陸七ヵ国の門下の別当に任じられている。

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■自治会回覧から話題を確認しますけど、別段、変わった事も…

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 話題に事欠きます現状から、自治会の回覧から話題を拾ってみましょうか…
 とは、言いましても、別段、話題になりますような事も無さそうであります(^-^)
 まず、「旧畑田商店敷地 建物解体工事のお知らせ」ですけど、ふん、ふん、建物の解体ですか…この建物の裏と言うか東側には畑がありますけど、建物の解体で、畑と一緒に宅地造成。そして、賃貸住宅でも建設されますのかも…
 先日、小学校に出掛けます際に眼を向けますと、建物には居住しておられないようにも見えましたのですけど、ふん、ふん、取崩しですか…
 そぅ言えば、水呑小学校の〝スクールサポートスタッフ連絡「すぐーる」〟でも、こんな連絡が一週間ばかり前に入っておりましたネ。

 ◆工事作業(元畑田商店)について

 お世話になっております。
 元畑田商店の解体工事が計画されています。工事関係者の方が安全確認・安全指導をしてくださることになっていますが、登下校の時間帯にも作業が行われます。周辺の道路は狭いため一列で歩くなど、ご家庭でもおこさんと安全な登下校についてお話してください。十分注意して登下校するよう学校でも指導していきます。
 よろしくお願いいたします。

 工事場所:水呑町中村2010番地あたり
 工事期間:2025年12月10日~2026年2月28日
 作業時間:午前8:00~午後17:00(大型車両の出入りは8:30頃~)

 …と、こんな連絡が。まぁ、GONsanには直接関係は無いようですから、別にイィのですけど…
 次に、〝水呑交番だより〟です。

 ◆水呑交番からのお知らせ

 ・事故:11件、人傷 2件
 ・事件: 3件、窃盗 1件

 ここ最近、消防車の急行音がよく聞こえます。11月発生の事故件数11件の内容は分かりませんけど、チョッとした火災事故が多いのかも…
 火災も怖いですから、充分留意しなくてはなりませんネ。
 〝水呑交流館だより〟を確認してみますと、そぅそぅ、10/19(日)開催の〝水呑学区民運動会〟の成績の掲載が(^-^)
 ふ~ん、やっぱり中村自治会は「2位」でしたか…当日は、最終種目が終わりますと同時に退散しましたけど、その際に、掲示された成績表を確認しますと、まだ最終種目の点数が未記入状態。
 最終種目の成績で、ザッと計算しますと、僅差で〝南新田〟に逆転されたように記憶しています。うん、うん、やっぱり、少しの差で〝中村・2位〟に終わりましたようであります。
 その他、11/1(土)~11/2(日)開催「2025年〝水呑学区あれあい文化祭〟」の記事掲載もありますけど、これまた変わった事も無し。概して平和な我が町のようであります。
 先日、GGのメンバーのお一人が、こんな事を…
 「毎朝、起床し、洗顔し、朝食を済ませて朝のGG。正午になれば昼食で、夕方5時にはキチッと夕食。何もしていない時にはテレビを前に。この繰り返しの日々が、もぅ何年も続いているなぁ~」と。
 こんな日々の状況が、別に嫌でもないとの事。
 考えてみますと、GONsanも、こんな日々の繰り返しにありますのかも…お迎えが来ますのを、静かに平穏に待っています状況…と言えない事も(^-^)
 まぁ、こんな現状でありましても、GONsanも別段イヤでもないのですけどネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)

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 境内に入ります際、最初に潜りましたのは、山門ではありませんで〝仁王門〟でしたネ。仁王門を潜りますと、すぐに五重塔を拝観です。

 ◆妙宣寺五重塔(みょうせんじごじゅうのとう)

 --- https://www.city.sado.niigata.jp/site/bunkazai/4926.html ---

 妙宣寺は、日蓮聖人に帰依した佐渡人最初の檀那・日得上人が、弘安2年(1279)以前に開いた金井新保の道場「阿仏房」を前身とし、天正17年(1589)に現在地へ移った際に妙宣寺の寺号を起こしたといわれている。
 境内の五重塔は、相川の長坂茂三右衛門と金蔵の親子二代を棟梁とし、文政8年(1825)に建立されたものである。建築様式は和様の三間五重塔婆で、屋根は宝形造桟瓦葺(旧こけら葺)、天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルで、柱に杉材、上物に松材、組物に欅材が使用されている。新潟県内に現存する唯一の五重塔である。

 ◆妙宣寺

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0107/ ---

 -- 中世が香る日蓮上人ゆかりの名刹 --
 佐渡配流の日蓮に仕え、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿佛房日得上人)。1278年、妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝わります。かつては佐渡守護代竹田本間氏の居城で、今もどことなく城跡の雰囲気を残しています。境内には、県内唯一の五重塔はじめ、「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓などがあります。

 〝五重塔〟脇には、こんな〝雑太城跡〟の説明板が…

 ◆雑太城跡

 雑太郷地頭本間氏の戦国期の城跡である。築城の時期は十六世紀前半頃ころと考えられる。三郭から成り、現在も土塁や空堀の一部がみられる。天正十七(1589)年、越後上杉景勝の佐渡支配により、城は廃され、上杉氏代官直江兼続によって城地は妙宣寺に与えられ、現在に至っている。

 〝五重塔〟を過ぎまして存在しますのが〝山門〟ですネ。
 WEB上で〝妙宣寺〟を検索しますと、こんな興味深い記載もありました(^_^)v

 ◆新潟唯一の五重塔がそびえる「佐渡の妙宣寺」

 --- https://gozzo-line.com/sado/9314/ ---

 ・妙宣寺
  関 道雄(せき どうゆう)さんの自己紹介

 佐渡出身、現在82歳です。中学卒業後は東京・堀之内妙法寺で修行を積み、一時は電気技師としても働いていました。後に立正大学で学び、佐渡へ戻ったのは昭和47年(1972年)のことです。佐渡では円静寺(えんじょうじ)の第27世住職を務め、昭和48年から60年までは妙宣寺執事として山門建立などに携わりました。平成18年(2006年)に妙宣寺第47世貫首(かんじゅ)に就任して今に至ります。

 ・PROLOGUE

 佐渡の西側に位置し、真野湾に面した真野地区。真野にはかつて佐渡国の国府が置かれ、佐渡最古の寺院を継承したとされる佐渡国分寺、1221年(承久3年)の承久の乱で敗北し、佐渡で22年を過ごした順徳上皇を祀る真野御陵(まのごりょう)があることでも知られる地域です。
 真野地区は両津港から車で30分ほど。ゆるやかな坂道を上って行くと、前回のごっつぉLIFEでご紹介した「ラ パゴッド」と、そのお向かいには、木々に囲まれた荘厳な五重塔が姿を現します。
 今回ご紹介するのは、この五重塔を有する「妙宣寺(みょうせんじ)」。
 妙宣寺は、日蓮宗の古刹として800年近い歴史を刻んできた、佐渡の歴史を語る上で欠かせない寺院の一つ。今も国内外から多くの参拝者や観光客が訪れています。
 境内には、正中の変で佐渡に流された公卿・日野資朝(ひのすけとも)の墓所があり、本堂には法華経の本尊を祀っています。また、日野資朝自筆の細字法華経や日蓮聖人の書状など、国指定重要文化財の貴重な文化財も所蔵されています。

 妙宣寺の歴史は、日蓮聖人の佐渡配流に遡ります。
 日蓮宗の開祖である日蓮聖人は、当時の飢饉や疫病といった災いは、正しい仏法に従っていないために起こったものという「立正安国論」を説きました。その出来事が鎌倉幕府の怒りを買い、その後も幕府を批判したとして、日蓮聖人は佐渡へ流罪となりました。
 日蓮聖人は苦境に立ちながらも、佐渡の地で「観心本尊抄」などの重要な著作を著し、法華経を布教。その中で、日蓮聖人が出会ったのが阿佛房日得上人(あぶつぼうにっとくしょうにん)です。
 妙宣寺は、熱心な法華経信者となった阿佛房日得上人が、妻の千日尼(せんにちあま)と共に開いた道場「阿仏坊」が前身であるとされ、天正17年(1589年)に現在の場所に移った際に、妙宣寺の寺号を起こしたと言われています。

 現在地は、かつて佐渡守護代 竹田本間氏の居城「雑太城」があった場所。参道を歩くと、かつての城郭を思わせる石垣の跡が今も残っています。境内で最も目を引くのは、やはり新潟唯一の五重塔!
 高さ約24メートルのこの塔は、文政8年(1825年)に、相川の宮大工・長坂茂三右衛門によって建立されました。
 心柱が杉の一本造りになっているのが特徴で、各層の高欄や浅唐戸は資金難のため未完成のままですが、その荘厳な姿は江戸時代の建築技術の高さを今に伝えています。
 この歴史ある寺院を、平成18年から守り続けているのが、ご住職である関道雄さん。
 「今日はね、普段法要で皆さんにお話しすることを、語らせてもらいましょうか」と穏やかに語る関さんから、人生における哲学、お寺の役割、心の在り方などなど、普段なかなか聞けない貴重なお話を、たっぷりと伺ってきました!

 ・INTERVIEW

 -- 修行僧から電気技師、そして住職に --
 「人生には思いがけない道筋があるものです」と、ゆったりとした口調で語り出す関さん。
 ここに来るまでにどういった道を歩んで来られたのか、まずは関さんのこれまでの人生について語ってくださいました。
 関さんは、真野にある円静寺の13代目住職の子として誕生。
 お寺で生まれた子どもの宿命でもあったそうですが、中学2年生の時、日蓮宗の本山でもある東京の「堀之内妙法寺」への修行を命じられました。「田舎っぺの私は、東京という街をきょろきょろと見回すばかり。別世界に来たような気分でした」と、関さんは当時を振り返ります。

 堀之内妙法寺は、全国から若い修行僧が集まる寺院として知られる名刹。
 ここでの修行は、毎日のようにお経をあげることに加えて、トイレの掃除も修行の一環でした。
 トイレに続いて廊下掃除、庭掃除と、基本的な作業の繰り返し…。
 「やり方が悪いとすぐにやり直し。とにかく丁寧に、しっかりと物事に取り組むことの大切さを教わりました」
 特に廊下の掃除は、風で積もる土やほこりを丹念に拭き取る必要があり、とにかく大変だったそうです。
 つらい修行の日々。若き日の関さんの興味は、やがて別の方向に向いていきました。
 「もともと好きだった化学や電気への興味が抑えきれなくてね(笑)」という関さん、なんと堀之内妙法寺を一旦離れて、町の電気店に飛び込んだそう!
 す、すごい行動力です!!
 そこでテレビ修理の技術を学び、技術者試験の第1回生として資格を取得。
 各家庭を訪問して修理を行う中で、関さんは人生の思いがけない真実に出会うことになります。
 「修理の仕事で、勝手口からお邪魔するでしょう。そうするとね、その家の素顔が見えてくるんです」
 玄関という“表の顔”ではなく、日常の営みが垣間見える勝手口からの訪問は、その家庭の“本質”を映し出しているように、関さんは感じたといいます。
 「立派な門構えの家でも、実は夫婦関係が冷めていたり、逆に、質素な家でも温かな家族の絆が感じられたり。そういう機微が、おのずと勝手口から見える光景と伝わってきたんですね」
 人々の暮らしに触れるうちに、関さんの心の中には、新たな思いが芽生えてきました。
 「お坊さんという立場なら、もっと深く人々の心に寄り添える。
 『こうしたら夫婦仲が良くなりますよ』『ああしたらダメですよ』と、遠慮なく伝えられるのではないか、そう考えるようになりました」

 その思いを胸に、関さんは立正大学で仏教を学び直します。
 そして、学びを終えた昭和47年の春、生まれ育った佐渡の地に戻ってきました。
 「佐渡には都会にはない、本質的な豊かさがある。気候も風土もいい。大気の汚染もない。欲にとらわれず、のんびりと暮らす方が人生は充実するものでしょう」
 電気技師から住職へ。
 一見、回り道に見える人生の軌跡は、人々の心に寄り添う住職としての関さんの深い洞察力を育んだのかもしれません。
 日頃の行いは“表情”に出る!?
 お寺のご住職から聞く話といえば、法話や説法があります。法話とは、僧侶など仏教に携わっている方が、仏教の教えに基づいた話を、一般の人向けに分かりやすく説いて語ること。葬儀のお通夜や法事などで、お坊さんがお経を読んだ後に話してくださるお話というと、分かりやすいでしょうか?
 普段、お寺に足を運ぶことがほとんどない私にとって、関さんが語る言葉の一つひとつが心に沁み入るものがあり、終始「ははぁ…」「なるほど…」とただただ頷くばかり(笑)。
 たくさんのお話を聞いた中で、ハッとさせられたことがありました。
 それは「今の自分の顔は、生まれてから今までの行いの表れ」ということ。鏡に映る自分の表情から、今の幸せも不幸せも読み取れるのだと、関さんは話します。

 「見ず知らずの人でも、『あの人は人相が悪いな』『叩けばほこりが出そうだな』と思う人がいるでしょう。その人相は、生まれつきのものではなく、その人の心がけや行いによって形作られるのです。自分自身が醜くもなり、尊くもなる。それは自分の心がけ次第なんです」
 関さんは、この考えの根底にあるのが、「潜在意識」という概念だと教えてくれました。
 「例えば、鍵をどこに置いたかを忘れてしまった時のことを考えてみてください。
 必死に思い出そうとしても出てこない。でも、ふとした瞬間に『あ、あそこだ!』とひらめくことがありませんか。
 それが潜在意識の働きです。自分では意識していなくても、潜在意識は確かに働いている。その潜在意識が、知らず知らずのうちに、私たちの人相を作っているんです。
 大切なのは、世のため人のために尽くすという心がけ。自分のためだけでなく、世のため人のために生きる。そういう心がけで生きていれば、自然と仏の表情になってくるんです」
 なるほど…長年、積み重ねてきたものって“表情”に出るのですね(いや、もうすでに出ているということですよね!?)
 これまでの自分の行いを振り返りたくなるような、背筋がピンと伸びるお話でした。

 ・EPILOGUE

 -- 人々の心の拠り所であるために --
 関さんが妙宣寺の住職となって19年。その中で関さんは、お寺は地域交流やコミュニケーションの場や、文化の拠点といった役割も併せ持つものであり、法事やお葬式だけがお寺の役割ではないと考えてきました。
 そのため、近年の妙宣寺では、これまでにはなかった能や音楽イベントなども開催。地域や人の声に耳を傾けながら、必要とされる場面で手を差し伸べてきました。
 「やりたいと言ってくだされば、私たちは『はい、どうぞ』と。お寺はいろんな方々にとって、開かれた場所でなければなりませんから。
 お寺って、何をしに行けばいいのかわからないという声をよく耳にします。でも、それでいいんです。何も考えずに、白紙で来るのが一番良いんです」

 そう語る関さんの言葉には、お寺を特別な場所ではなく、誰もが気軽に訪れることのできる心の拠り所にしたいという願いが込められています。
 「心に迷いがあったり、何か考えがまとまらなくて、うつうつとしている時こそ来てほしいものです。宗派なんて関係なく、本来は一つであるべきですから。
 お釈迦様だって、最初から難しいことは説いたりはせず、人々の理解に合わせて、少しずつ教えを説いていったのでしょう。自分の不幸を先祖のせいにしたり、運が悪いと嘆いたりする人がいる。でも、それは違う。繰り返しになりますが、自分自身の普段の心がけや行いが、自分を尊くもし、醜くもするのです」

 関さんの教えは、現代を生きる私たちへの温かな叱咤激励のよう。
 新しい一年の始まりにふさわしい、心の在り方を考えるきっかけをもらえた気がしました。
 妙宣寺を訪れて参拝をしたあとは、ぜひ境内を散策してみてください。
 歴史的建造物の荘厳さや庭園の美しさなど、非日常に浸れる時間と空間を体感できるはずです。

 …と、こんな記載でありました(^-^)//"

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〝ジェンダー川柳〟…昨日、受賞作品の発表がありましたようですネ(^.-)☆

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 先月、中国新聞sanのこんな記事に眼を通しておりました。

 ◆広島県のジェンダー川柳、30句1次通過 もやもや「共感」の投票受け付け

 --- 2025/11/05(最終更新:2025/11/05) 中国新聞デジタル ---

 広島県は、性別の役割を巡る家庭や職場でのもやもやした違和感を五・七・五で表現する「ジェンダー川柳」で、1次審査を通過した30句を発表した。このうち県民が決める「共感賞」1句を一般投票で受け付けている。30日まで。
 9月2日から10月13日まで募り、過去最多の4,244句が寄せられた。男性からの募集が38%を占め、前年度から15ポイント増えた。「二次会で すすむビールと 配置決め」「小児科で 質問くるのは 妻にだけ」「『休めんよ』いやいや、私も 休めんよ?」などの句が2次審査に進んだ。
 共感賞は県内に在住か通勤・通学している人が特設サイトから投票できる。抽選で投票者10人に500円分のデジタルギフトが当たる。
 2次審査では県立広島大の上水流久彦教授たち4人が最優秀賞など4句を選ぶ。共感賞と特別協賛企業による企業賞6句を含め、12月の授賞式で発表する。(新谷枝里子)

 …と、こんな記事でしたけど、昨日の夕方、テレビに眼を向けておりましたら、この受賞作品が発表されておりましたネ。
 〝最優秀賞〟は、『「やっといた。」その報告は いりません!よっぴー』で、〝県民共感度№1賞〟は『「休めんよ」いやいや私も 休めんよ?えりー』の作品でありました(^.-)☆
 その他にも、〝優秀賞〟〝審査員賞〟〝各企業からの表彰〟等の受賞作品が発表されておりました。
 11月に発表されました一時通過の30句の作品に眼を通しておりますと、いずれも大変面白いし「うん、うん…」と頷いてしまいます(^-^)
 これらの作品の中から、〝最優秀賞〟等を選ぶのですから、審査員の皆様も大変ではありますネ。
 それにしましても、この時期恒例の〝ジェンダー川柳〟受賞作の発表…毎回楽しいですし、どの句も仲々面白いですネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(39)

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 改修中の倉庫がありましたけど、これが〝大間煉瓦倉庫〟ですネ。

 ・煉瓦倉庫
 大間港の南東部に立地する煉瓦倉庫は、煉瓦造2階建、切妻造妻入桟瓦葺の建物です。外壁は煉瓦化粧積。イギリス積で構成され、要所に自然石を用いてアクセントとしています。
 内部は1、2階共に1室で、2階は裏(北)側3/5を床とし、表(南)側は階段、踊場を設けた吹抜です。明治時代後期から大正時代までには建築されたと考えられています。

 倉庫の前には、こんな〝大間煉瓦倉庫〟の説明板もありました(^.-)☆

 ◆大間煉瓦倉庫
 大間煉瓦倉庫は、鉱石や鉱山で使用する資材を収用する目的で、明治時代後期から大正時代に建築されたと考えられています。
 外壁の練瓦は縦と横を交互に積み重ねる練瓦積みで組まれた練瓦造2階建て、切妻造妻入桟瓦葺きの建物になります。
 老朽化が進む中、令和6年の能登半島地震時に一部破壊したことにより修繕作業を行っています。

 …との事であります。
 〝大間港跡〟とお別れしますと、帰路は、前日同様に〝市営栄町住宅〟横の護岸をノンビリと〝ホテル万長〟へと向かいます。
 相川総合体育館・相川地区公民館裏を通過し、佐渡市役所相川支所裏まで戻って来ますと、ここには、両腕が地中から覗きましたこんなモニュメントが(^-^)
 このモニュメントは、〝ライリー・テリー〟作の「WAKARIMASEN」と言う作品のようであります(^.-)☆
 WEB上で〝モニュメント/ライリー・テリー作「WAKARIMASEN」〟を検索してみますと、こんな記載が出て来ました(^.-)☆

 ◆さどの島銀河芸術祭 -- @sado_art --

 ・場所:相川支所駐車場(佐渡市相川塩屋町26)、さどの島銀河芸術祭2021に制作された作品。音を鳴らして作品を体感してください。
 ・詳細:https://sado-art.com/artists/wakarimasen

 ◆DOMMUNE Presents 「LANDSCAPE MUZAK」PROJECT SADO#1

 --- https://on-the-trip.net/indices/12156?locale=ja ---

 作者はカルフォルニア生まれ。彼にとってアメリカのゴールドラッシュと佐渡の金山が重なり、相川で作品を制作することになりました。しかし、実際に佐渡を訪れた作者にとって、その背景は知れば知るほどわからないことばかり。彼が最初に覚えた日本語も「わかりません」という言葉でした。
 そこで、作者は自身の手をモチーフにしたオブジェを制作。その指からチャイムがぶら下がり、それを叩くと「Wakarimasen」のメロディーが響きます。この作品はまるで手から「わかりません」を奏でているようにも感じられます。
 現在、この作品が設置されている場所に違和感を覚えたあなたは鋭いです。実は、作品が完成した当初は「佐渡奉行所」の駐車場の脇にありました。そこからは、まるでローマのコロシアムのような金鉱の跡地を見下ろすことができます。その場所に作品があったことを想像すると、それは金山に捧げるレクイエムのように感じられたかもしれません。
 しかし、現在は別の場所に移動することになり、作品は本来の場所から切り離されました。そのため、メロディーは金山に届かなくなったようにも見えます。この逆説的な状況は、アートが本来の場所と強く結びついていたことをあらためて感じさせます。
 その金鉱で、作者がライブを行ったこともありました。それも夜から明け方にかけて。暗闇の中、静かな音からはじまり、明け方の光が差し込むにつれて生命が目覚めるように音楽は展開していきました。建物には音が反響し、音楽が自然の一部となり、時間の感覚が失われる中、最後の一音が鳴り響いたといいます。

 …と、こんな経緯のありますモニュメントでありました。
 このモニュメントの指からぶら下がっていますのはチャイムで、叩けばメロディが響きますとは…知っていましたら叩いたのですけど…う~ん、これまた残念(^-^;
 相川公演裏を通過し、既に閉館となっています〝健康増進センター「ワイドブルーあいかわ」〟裏に戻って来ました。かっては、旧相川町の海岸に面して建つ日帰り温泉施設で、さまざまな浴槽と温水プールなど施設も充実。海岸にある施設なので、広々とした浴室の窓からは日本海を望むことができ、結構、賑わっていましたのでしょうけど、2020年10月、閉業。新型コロナ禍が訪れ、緊急事態宣言に伴って、2020年4月から長期に休館してきたが、そのまま廃業となった。
 建物裏の護岸側に、遊具がポツンと二つばかり残されていますけど、これが一層、寂しさを感じさせましたネ。
 〝ホテル万長〟に戻って来ましての朝食後、佐渡滞在最終日の3日目は、〝妙宣寺〟参詣からスタートです。

 ◆妙宣寺について

 --- https://temple.nichiren.or.jp/4031006-myousenji/ ---

 -- ごあいさつ --

 当山は阿佛房日得上人千日尼御前夫妻の旧蹟霊場である。
 日得上人、俗称遠藤左衛門尉為盛は、承久三年(一二二一)順徳上皇佐渡御遷幸に供奉せし北面の武士にて、その妻は上皇御還幸を祈願して真野の入江に水垢離を取ること一千日に及び、上皇はその誠を喜び千日女の名を与えたと伝えられている。
 仁治三年(一二四二)上皇崩御の後、佐渡の地に留まり陵墓に仕えて三十余年の間称名念佛を怠ることなく、遂には阿佛房と称するようになった。
 文永八年秋、日蓮大聖人には幕府の御勘気を蒙むり佐渡御配流となり、十一月一日塚原の地に調居の身となられた。
 「北海の島にはなたれしかば、かの国の道俗は相州の男女よりも仇をなしき・野中にすてられて雪にはだえをまじえ、草をつみて命をさふえたりき…」(当山所蔵単衣御書)
 念佛の強信者阿佛房は宗門の怨敵と思い大聖人を責めんとしたが却って教化帰伏し、当国第一の法華信者となり、妻千日と共に身命を省みず深夜密に食糧を運び供養を怠らず、諸宗僧俗の迫害から聖人を守る大外護者となった。
 「しかるに尼御前並に入道殿はかの国にある時は人目をおそれて夜中に食をおくり或る時は国の責をもは蛍からず身にも代わらんとせし人々なり、さればつらかりし国なれども剃りたる髪もうしろへひかれ進む足もかえりぞかし」(単衣御書)と身延の山より御手紙を送り、また「日蓮佐渡の国へ流されしかばかの国の守護等は国主の御計りに随いて日蓮を仇む万民はその命に従う…地頭念佛者等日蓮が庵室に昼夜立ち添いて通う人もあるをまどわさんとせしめに、阿佛房に櫃をおわせ夜中に度度御わたりありしこといつの世にかわすらむ、唯慈母の佐渡の国に生れ代わりてあるか。」(当山所蔵千日尼御返事)
とも記して阿佛房夫妻の徳を称えておられます。
 文永十一年三月十三日、法門開運の時いたり宗祖大聖人には御赦免鎌倉より身延へ御入山。
 阿佛房夫妻は常に大聖人を慕い申してはいても、八十の齢を超しては海山千里はままならず、阿佛房は男の身なればとて二度、三度まで身延の山を登詣し御給仕を尽くし、三度目の登詣は弘安元年七月、九十の高齢をも省みず一刀三礼お写し申し上げた宗祖のお姿を肩に負い身延の山に登られたので、大聖人には御親しく開眼をなされ、阿佛房の願いを入れてお弟子となし日得上人の名を与え、妻には千日尼御前の名を賜わった。

 ◆妙宣寺(佐渡市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 妙宣寺(みょうせんじ)は、新潟県佐渡市阿仏坊にある日蓮宗の寺院。日蓮の弟子阿仏房日得が自宅を寺として開基した日蓮宗佐渡三本山のひとつ。山号は蓮華王山。本尊は釈迦如来。

 ・歴史
 言い伝えによれば、1221年(承久3年)の開創と伝えられる。
 1326年(嘉暦元年)、竹田に移転。
 1589年(天正17年)、現在地(雑太城跡)に移転。
 寛文年間に身延、池上、中山の輪番管理となる。
 1878年(明治11年)、輪番管理から独立する。現住は47世関日道貫首(佐渡市円静寺より晋山)。通師法縁。

 ・文化財
 -- 重要文化財(国指定) --
 五重塔 -- 新潟県内に現存する唯一の五重塔で]、江戸時代に相川の宮大工茂三右ェ門親子が二代に渡り建立したといわれ、日光東照宮の五重塔を模したとされる。文政10年(1827年)の建塔で、頂上の相輪に鋳工大坂住長谷川久左衛門元文5年(1740年)とあることから、およそ90年かけて建立されたことがわかる。また各層の高欄や浅唐戸がなく資金難のため未完成である。
 日蓮聖人筆書状 3巻
 細字法華経(一部)1巻 -- 日野資朝筆、元徳二年(1330年)奥書

 ・その他
 本堂:1863年(文久3年)、祖師堂:1880年(明治13年)、仁王門:1677年(延宝5年)、庫裡:1862年(文久2年)、祖師像:1274年(文永11年)

 山門を潜り、まずは〝五重塔〟を拝観となりました(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(08)

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 GONsan達を乗せましたマイクロバスは、ヤッて来ました道を戻り、今年の3月末に開通しました〝鞆未来トンネル〟を抜け、我が町〝水呑〟へと戻ります。
 水呑から能登原・阿伏兎方面に出掛けますには、この〝鞆未来トンネル〟の完成で大変便利になりました。
 当初、鞆港への架橋を望まれました、鞆に暮らしておられます方々の想いは叶いませんで、〝鞆未来トンネル〟建設に変更となりましたけど、さて、どちらが良かったのでしょうねぇ~
 まぁ、それはともかく、水呑へと戻ってきました。
 結局、この日は、朝方の降雨で忘年ゴルフ大会の開催は不能でしたけど、忘年会として楽しいひとときは過ごせましたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(38)

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 WEB上で〝千畳敷・佐渡〟で検索しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆千畳敷(せんじょうじき)

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0774/ ---

 ・弁天崎沖合に広がる下相川の景勝地
 相川町市街地の北端、下相川の海岸にある岩礁。平坦な広い形状から千畳敷と呼ばれ、古くから名勝地として知られています。堤防に向かって海の上を橋がかかっており、迫りくる日本海の波や岩礁の様子を眺められます。波が穏やかな日には遊歩道を散策する人の姿も見られ、近隣の人々の憩いの場でもあります。

 ◆佐渡市の千畳敷レビュー!透明な海と磯遊びが最高だった

 --- 2025/06/28 https://www.anbata-rakuiku.fun/torendo/senzyouziki-rebyu/ ---

 この記事は、プロモーションを含んでいます。
 佐渡市で自然を満喫したいなら、ぜひ立ち寄ってほしいのが、相川地区にある「千畳敷(せんじょうじき)」。透明度の高い海とゴツゴツとした岩場が特徴で、磯遊びや海の生き物探しが楽しめるスポットです。
 今回は、2025年6月27日に訪れたときの体験をもとに、実際の写真と魅力をお届けします。
 この記事では、水の透明度や設備の清潔さ、アクセス情報、近くで買えるお弁当情報まで詳しく紹介します!

 ・佐渡市の千畳敷はアクセス抜群!!子連れでも行きやすい
 千畳敷は、アクセスが良くバスでも車でも行きやすい場所です。最寄りのバス停が目の前にあり、公共交通機関でのアクセスも良好です。
 車で行く場合は、少し見落としやすい標識に注意が必要ですが、10台ほど駐車可能なスペースがあります。

 ・千畳敷は潮の満ち引きで景色が変わる
 千畳敷は、潮の満ち引きで景色が変わる何度も行きたくなる観光地です。
 私が訪れた時は潮が満ちていたため、反対側の岩場へは行けませんでしたが、引き潮の時間なら渡れることもあります。
 海の水はとにかく透明!足元をのぞくと小さな魚や海の生き物が見えるほどです。

 ・海の生き物が豊富!子どもも夢中になる磯遊び
 この日は、運よく「アメフラシ」を発見!他にも、カニ・ヤドカリ・エビ・元気に動く貝など、生き物がたくさん見られました。
 子どもと一緒に海の生き物を探して過ごすのにぴったり。ただし、一部深くなっている場所もあるので、お子さんと行く場合は目を離さないよう注意しましょう。

 ・滑りにくい靴や脱げないサンダルがおすすめ
 岩場が中心の地形なので、サンダルで行く場合はかかとが固定できるタイプを。
 普通のビーチサンダルだと、滑ったり脱げたりして危険です。また、場所によってはゴミが目立つこともあるので、マナーを守って利用したいですね。

 …と、こんな〝千畳敷〟ですけど、せっかく近くまで行きましたのに、残念でした(^-^;
 それでは、〝大間港跡〟をもぅ少しブラブラしながら、この辺で帰路につこうと思います。建物の壁面やスグ脇には、こんな案内板が(^-^)//"

 ◆国指定史跡 佐渡金銀山遺跡「旧佐渡鉱山 大間港」

 大間港は、佐渡鉱山の鉱石や資材の搬出入を目的に、明治時代に造られた人工の港である。明治20年(1887)に始まった工事は、強い季節風や波浪のため困難を極めたが、愛知県などで護岸工事を手がけた、「たたき工法」の創始者・服部長七指導のもと明治25年に(1892)に完成した。
 「たたき工法」とは、消石灰と土砂を混ぜた種土に水を入れて練った「たたき」と石積みとを組み合わせる技術で、コンクリートが普及するまで用いられた。
 その後の大間港は、大正から昭和期にかけ、クレーン用の台座やローダー橋などが設置されるなど、設備の充実が図られた。また、昭和15年(1940)には鉱山に電力を供給する目的で火力発電所が建てられ、その燃料となる石炭の積み入れも行われた。
 現在、当時の建物や設備の多くは撤去されてしまったが、「たたき工法」による護岸やクレーン台座などが残っており、築港当時の姿を伝えている。

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年末ジャンボ宝くじを求めて売場に出かけましたら、ラッキーにも…(^.-)☆

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 本日の正午前、年末ジャンボ宝くじを求めてハローズ新涯店の宝くじ売り場に出かけましたGONsanです。
 年末ジャンボ購入代金精算のためサイフの中をゴソゴソしておりますと、ハロウィンジャンボ・ジャンボミニ・ロト6・ロト7…等の抽選日経過分が数枚ばかり(^-^)
 どぅせハズレ券だろう…と、一応、確認して貰いますと、危ない危ない(^-^;
 4等・3,000円に当たっておりました。
 そぅ言えば、いつでしたか、この売場を訪れました時にも似たような事が…チェック済みだと思っていましたサマージャンボが、同様に4等に当選でありました。
 ふ~ん、GONsanの場合は、抽選日到来と同時に即チェックしますよりも、当分放っておきまして、チェック済み・未済のいずれか分からなくなりました頃にチェックしますと、当選確率が向上しますのかも(^.-)☆
 そろそろ、GONsanにも運が向いて来ましたのかも(^-^)
 もぅ、10数年、4等とも無縁で現在に至っていますから、この辺で『1等』をゲット出来そうな気配にも(^_^)v
 年末ジャンボの抽選日は、大晦日ですから、初詣の際にタップリと神頼みした上で、2月に入りましてから当選番号チェックを行いますのがイィのかも…
 いゃぁ、宝くじと言うものは、当落のいずれにも拘わらず、夢があってイィですねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(07)

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 楽しく過ごして来ましたけど、時間を見ますと早や14:00少し前。
 11:25からスタートしました忘年会も、2時間半も経ますと、飲み物、食べ物、カラオケもほぼ出尽くしましたようですネ。丁度イィ頃合いで、お開きの時間が到来です(^.-)☆
 歳を重ねて来ましても、まだまだ元気一杯の皆さんですから、この調子で年の瀬を乗り越えまして、輝かしいお顔で新しい年を迎えたいものであります(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(37)

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 まず眼に入りましたのが、ベンチのようにも見えます三つの石造の台座。これは、何なんでしょうネ。ベンチにしては高さがありますから、短足のGONsanにはとても座れませんけど(^-^;
 〝トラス橋〟を横目に海岸方向に進んで行きますと、クレーン台座が2基。そして、海岸沿いにも1基が存在です。
 海面に3脚連なりますのがローダー橋脚です。

 ◆現存する人造石護岸 大間港(佐渡市相川地区)

 --- https://jsce-niigata.com/introduction/article/038/art038.html ---

 ・鉱石の積み出しなどに使われた「大間港」
 明治25年(1892年)、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港で、鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使われました。現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。

 ・大間港の概要
 大間港は、相川の市街地を流れる濁川河口と水金川河口の中間付近に位置する埋立による人工港湾で、新製鉱所敷地造成時の切崖土砂を運搬して埋立に用いたとされており、生産品の搬出や生産に必要な物資、特に溶鉱炉の燃料等に用いる石炭の搬入用として築港されました。

 ・煉瓦倉庫
 大間港の南東部に立地する煉瓦倉庫は、煉瓦造2階建、切妻造妻入桟瓦葺の建物です。外壁は煉瓦化粧積。イギリス積で構成され、要所に自然石を用いてアクセントとしています。
 内部は1、2階共に1室で、2階は裏(北)側3/5を床とし、表(南)側は階段、踊場を設けた吹抜です。明治時代後期から大正時代までには建築されたと考えられています。

 ・トラス橋
 船渠中央部分には南東―北西間に鉄骨造のトラス橋が架け渡されています。トラス橋はホッパー施設で、橋梁上に鉱車等を乗り付けて、トラス橋の下に停泊させた艀に鉱山を落下させて積載したとされています。

 ・ローダー橋脚
 ローダー橋脚は、大間港で搬入・搬出される貨物(石炭・鉱石)を陸揚・船積・運搬するための橋(軌道)を支える構造物で、昭和13年頃の建設とされています。ローダー橋は火力発電所に必要な石炭運搬の効率化を図るため、一連で計画された可能性があります。現存するローダー橋脚は、南西(海)側の2基を円錐台形の柱による構造物とし、北東(陸)側の1基を矩形の柱による構造物としています。

 ・クレーン台座
 大間港には貨物の荷揚げに用いたクレーンの台座が船渠の北側に2基、南西部に1基現存します。北側の2基は円錐台形の構造物で、下部は石積、上部は鉄筋コンクリート造です。2基は約24mの間隔を置いて配されています。
 北東部の台座は船渠壁面と一体化した構造で、一部は地表面、北西部の台座は停泊場上に独立して立地しています。南西部の台座は鉄筋コンクリート造です。

 大間港の護岸形状は、波の影響を受けやすい西面護岸や防波堤は勾配が緩く、波の影響を受け難い北面・南面護岸や船渠内護岸は勾配が急で直壁に近い形状となっています。また、北面~西面護岸に残存する護岸形状を見る限り、波の影響を受けやすい護岸は海水が埋立地へ侵入するのを防ぐため、上部を擁壁状に立ち上げた複断面形状とし、更にそれを超えた海水は、副堤で防ぐ構造になっていると考えられます。
 大間港の築港は明治23年から明治24年にかけて人造石工法の開発者である服部長七を招聘して同港の護岸工事を進め、明治25年に完成しました。築港以後、部分的な補修・改修は行われましたが、現状の護岸・副堤等は、築港当初の埋立範囲とほぼ整合するもので、埋立地の範囲や船渠の基本形状等に大きな変更はなく、築港当初の骨格を良好に保っています。

 …と、こんな〝大間港跡〟であります。
 早朝のウォーキングで〝大間港跡〟にヤッて来ました時には、このもう少し先に「千畳敷」が存在します事は知りませんでしたGONsan。
 後で、WEB上で〝大間港跡〟に関しまして調べています時に〝千畳敷〟の存在を知りましたけど、時既に遅し(^-^;
 もっと早く知っていましたら、〝千畳敷〟まで足を延ばしていたのですけど、う~ん、残念(^-^)//"

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本日午前中の芦田川河川敷ウォーキング時の一コマです(^.-)☆

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 今朝のGGから戻って来ますと、スグに芦田川河川敷へウォーキング行きのGONsanでした。
 一応、晴天ですけど、空には雲も多く晴れたり曇ったりと言った空模様。川上から川下方向への風がありますから、多少の冷たさが…ですが、帰路では追い風となりますから気にはならないものと思います。
 護岸では、珍しく釣り人のお姿が…何が連れますのか分かりませんけど、6人ばかりおられましたネ(^.-)☆
 帰路では、この方達をパチリです。
 この6人の釣り人の中で、一番川下に位置される方。往路では、剪定ばさみを手に護岸際の草木を切除しておられました。復路で眼を向けますと、人が一人通れます程度の幅で草木は切除済み(^-^)
 そして、護岸にイスもセット。環境も整いまして、今から釣りがスタートと言ったところでありました(^_^)v
 うん、うん、これでしたら風も多少防げますし、落ち着いて釣りに専念出来ますかも(^-^)
 芦田川の右岸・左岸に限りませんで、一年を通じましてこぅした釣り人をよく見掛けます。が、何が釣れますのでしょうねぇ~釣れました瞬間を眼にした事はありませんから(^-^)
 とは言いましても、寒い時期にでもこぅしてヤッて来られますのですから、何か分かりませんけど釣れますのでしょうねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(06)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(36)

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 皆さん、ライトアップされました〝北沢浮遊選鉱場〟を暫く楽しまれますと、一人、二人と、送迎バスにと戻られますので、GONsanも(^-^)
 バスでは、別段、人数確認をされます訳でも無く、全員揃ったと思われます頃合いを見て、ホテル万長へと向かいます。
 ホテル万長近くまでバスが戻って来まして、ドラッグストア〝ウエルシア佐渡相川店〟の看板が眼に入りました所で途中下車のGONsanです。明日は佐渡滞在最終日で、また「両津港⇒新潟港」を〝ジェットフォイル〟に搭乗ですから船酔い防止策を取りませんと(^-^)
 GONsanが下車しますと、他にも4~5名の方が同様に(^-^)
 途中下車しますと、勿論、ここからホテルまではテクテクと歩きです(^-^)/
 〝ウエルシア佐渡相川店〟の店内に入りますと、今まで乗り物酔い用の医薬品を求めた事がありませんから、何が良く効きますのかサッパリ(^-^;
 仕方なく、レジの店員sanにお尋ねです。
 そして、手にしましたのが、この「アネロン〝ニスキャップ〟」なんであります(^_^)v
 説明書きには、『酔ってからでも効く』ですから、これはイイですねぇ\(^o^)/
 これで、明日の準備は万全です(^_^)v
 GONsanと一緒に下車しました他の方々は、何を求めておられますのか店内で物色中でありました。
 で、独りでノンビリとホテルにと戻って来ますと、ロビーでは、前夜同様に〝佐渡おけさ〟の公演の真っ最中。こんな状況の中、ロビーを横切ります勇気なんぞ微塵もありませんGONsanですから、ロビーの片隅で終わりますまで拝見です。
 ふん、ふん、この〝佐渡おけさ〟の公演メンバーは、毎日、替わりますようですネ。メンバー全員が昨夜とは異なっておりました(^.-)☆
 佐渡滞在最終日の翌朝も、起床は、A.M.5:00起きのGONsanです。5:30前頃にはウォーキング開始で〝大間港跡〟へと向かいます。
 未だ薄暗い中、右折すれば〝北沢浮遊選鉱場〟に向かいますT字交差点へとヤッて来まして〝大間港跡〟も目前です。
 この交差点近くで眼が止まりましたのが、こんな「大間町」の説明板であります。この説明板には、こんな記載が…

 ◆大間町
 大間は大きな澗、湊を意味する。廻船の入江で栄え、米問屋が軒を並べ、大間番所が置かれていた。番所付きの問屋八軒の筆頭橘屋は、良寛の母おのぶの生家である。明治中期には最新の工法で大間港が整備され、鉱山用港湾の町として発展した。佐渡鉱山の鉱石は、この港から搬出された。

 せっかく撮りました画像がピンボケで文字が不鮮明で読みにくいのでありますけど、多分、この様な記載だったと思います。
 ふん、ふん、曹洞宗の僧侶〝良寛〟sanは、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺で12年間修行しておられますから、岡山の方かと思いましたら、ふ~ん、越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)のご出身でありましたか(^.-)☆
 ※ 円通寺の良寛sanに関しましては、GONsanのホームページにも綴っていますので、下記URLでご覧頂けましたら幸いです。
   円通寺 ⇒ http://gon.mbsrv.net/2020entsuji01.html
 そして、お母上は、佐渡のお生まれでしたのですねぇ~
 ここには、「中元歌 -- 良寛 --」の詩碑も…何と記載してありますのか、よく分かりませんので、WEB上で検索してみますと、こんな〝良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌〟の詳細な記述がありましたネ(^_^)v

 ◆良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌

 --- 良寛乃母の生家橘屋跡碑 ---

 碑 面
 -- 中元歌 --

 母去悠悠父亦去  悽愴哀惋何頻頻
 唯餘伯叔雙姨母  伯號妙悟叔妙真
 妙真去年五月逝  去歳中元妙悟存
 冉冉復至中元節  妙悟又作九原人
 去歳去京為涕泣  今歳又移江湖濱
 居移節換倍相思  萍跡暫留南北身
 采蘋采蘋澗之滸  滴涙遠望紀水墳
 拂院修營蘭盆會  蕭蕭唄韻映朱幡
 時亦凉飆颯爾至  洗掃昏昏下合塵
 雨過蕉影横斜陽  依稀又見来格神
 神享供已衆帰院  更結恬談無為因
 勧君莫永淪胥去  早艤川舟渡要律

 -- 良寛 --

 《建立趣意(碑陰)》

 --- 中元歌碑建立の趣意 ---
 良寛自筆の24句の長詩で 中元は盂蘭盆のこと 母がなくなり父もまた世を去った あとには母方の妹の妙真と妙悟が残ったが 妙真は去年5月に逝き 妙悟もことしの盂蘭盆を迎えてみるとあの世の人になっている 居を移し時がたつにつれて肉親のことがしのばれてならない 自分は南へ北へと浮草のような生活だったが 故郷に落ち着いた 思えば苦界に沈む父(以南 桂川に入水)よ 舟をととのえて安らかな仏の彼岸へ お渡り下さい の意
 国上山の五合庵に落ち着いた40歳代のころ 父母を追悼した悲傷の詩で 佐渡の母には2人の妹がいたことがわかる
 母おのぶの没後220年を迎え 第19回全国良寬会総会と良寛サミットが 当年5月相川で開催された ここに母誕生の地に一碑を建立し 母や佐渡を限りなく慕う良寛のせつない心情を 後世に伝えることとした
 -- 2002年 橘月建立 全国良寬会・佐渡良寛会 --

 場 所:新潟県佐渡市相川大間町53 良寛の母の生家橘屋跡
 筆 者:良寛
 建 碑:2002年橘月(陰暦) 佐渡ではじめて「全国良寛会総会」が開かれるのを記念し 良寛の母おのぶ生家跡に「良寛詩碑」を建立 総会の翌朝(5月26日)に除幕式を挙行
 建碑者:全国良寛会・佐渡良寛会
 参 考:「定本良寛全集」1-569 「相川郷土博物館」

 それでは、この説明板の後ろ側方向が〝大間港跡〟ですから、向かってみます。
 そぅしましたら、眼の前に、いきなり『私有地につき関係者以外〝立入禁止〟』ですから、〝んっ!?〟のGONsan。
 『立入禁止』と言われましても、せっかく訪れましたのですから、引き返します訳には行きません。それに〝観光客〟のGONsanですから「関係者以外」には該当しませんでしょうから(^-^)/
 とにかく、立ち入らせて頂き拝見開始です(^-^)//"

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〝2025 今年の漢字〟…「米」かと思いましたら「熊」でしたか(^_^)v

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 本日、京都・清水寺で発表の〝今年の漢字〟…多分「米」だろうと思っていましたら、ふ~ん、『熊』でありましたか(^.-)☆
 そぅですネ、話題性としましては〝熊〟と対比しますと〝米〟は既に過去になりましたかも(^-^)
 まぁ、どっちでも構わないのですけどネ(^_^)v
 WEB上から「今年の漢字」関連の記事を拾ってみますと、

 ◆【速報】2025年今年の漢字は…「熊」京都・清水寺で発表 全国各地でクマによる被害・目撃情報相次ぐ 和歌山・白浜のパンダ(熊猫)も 2位は「米」3位は「高」

 --- 2025/12/12(金)14:05配信 最終更新:12/12(金)14:30 ABCニュース ---

 今年1年の世相を表す「今年の漢字」が12日午後、京都市の清水寺で発表され、「熊」に決まりました。
 「今年の漢字」ははがきやインターネットなどで応募が集められ、2025年は「熊」が1位となったということです。
 2025年、全国各地でクマによる被害・目撃情報が相次いでいて、近畿でもけが人が出ており、注意が呼び掛けられています。

 (以下 日本漢字能力検定協会HPより)
 意味:くま。クマ科の哺乳類の総称。「熊掌」「熊胆」「熊羆(ユウヒ)」
 応募数:23,346票(総票:189,122票)
 「相次ぐ「熊」の出没と拡大する被害。「熊」猫(パンダ)も話題に」
 2025年は、初めて「熊」が第1位となりました。
 全国各地で「熊」の被害が相次ぎ、市街地にまで「熊」が出没するなど、生活や経済活動にも深刻な影響を及ぼしました。
 「熊」の出没や被害を受けて、人と自然との共存について考えるきっかけになりました。

 2位:「米」(23,166票)
 3位:「高」(18,300票)
 4位:「脈」( 6,418票)
 5位:「万」( 5,656票)

 【過去の「今年の漢字」】
 2024年--金、2023年--税、2022年--戦、2021年--金、2020年--密、2019年--令、2018年--災、2017年--北、2016年--金、2015年--安

 ◆世相を表す「今年の漢字」は「熊」…京都・清水寺で発表

 --- 読売新聞/2025年12月12日19時24分 ---

 2025年の世相を一字で表す「今年の漢字」に「熊」が選ばれ、世界遺産・清水寺(京都市東山区)で12日、森清範(せいはん)貫主(かんす)が揮毫きごうした。クマによる死傷者が相次いだことや、中国語で「大熊猫」と表記するジャイアントパンダが中国に返還されたことが理由に挙がった。
 公益財団法人「日本漢字能力検定協会」(同)が1995年から毎年公募し、今年で31回目。応募総数18万9,122票の中で「熊」が2万3,346票(12.34%)で最多だった。180票差の2位は米価やトランプ米大統領の「米」、3位は高市首相の誕生や、物価や株価の高騰を踏まえた「高」だった。

 …と、こんな記事掲載がありました。
 ふん、ふん、1位〝熊〟と2位〝米〟の当票差は『180票』と実に僅差でしたようですネ。こんなに票差がありませんのも珍しいのでは(^-^)
 それにしましても、清水寺の森清範貫主…ササッとバランスの良いイィ字を書かれますねぇ~でも、何にも知らずにこの書を眼にしますと、GONsanには〝熊〟とは読めないのでしょうねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(05)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(35)

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 尖閣湾の観光を終え〝尖閣湾揚島遊園売店(土産物店)〟まで戻って来まして時刻を確認しますと、P.M.4:15頃でしたか…
 本日の行程は〝尖閣湾観光〟でオシマイですから、暫し土産物店内をブラブラと…でも、別段求めたいモノもありませんから、ほどなくバス車内へと(^-^)
 P.M.5:00には〝ホテル万長〟到着で、夕食は6:00からですから、入浴等で暫しユックリ過ごせそうであります。
 館内イベントで、昨晩は20:10から1階ロビーで〝佐渡おけさ公演〟でしたけど、今晩は夕食を終えますと〝国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」〟ライトアップに出かけます事に。
 で、早速、受付に、1便19:30出発の予約電話を入れますと「時間が来ますと、参加者全員が揃っておられなくても、バスは出発します…」と仲々手厳しいお言葉が(^-^)
 …と言う訳で、まずは入浴を済ませます事に。
 入浴を終えますと、夕食後に出かけます〝国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」〟をスマホで検索し事前学習となりました。

 ◆北沢浮遊選鉱場

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)は、かつて新潟県相川町(現・佐渡市)にあった佐渡金山(相川金銀山)の選鉱所。2012年(平成24年)に国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」に指定され、2015年(平成27年)には重要文化的景観「佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観」の構成要素にも選定された。

 <歴史>

 ・歴史
 相川町の北沢地区では、1937年(昭和12年)の日中戦争開始に伴う国策の増産体制の一環として、同年から1940年(昭和15年)にかけて大規模な選鉱施設が整備され、当時としては最新の技術である浮遊選鉱を行う選鉱場のほか、シックナー(濃縮器)が建設された。月間5万トンの原鉱を処理する大選鉱場として操業され、1940年(昭和15年)には佐渡鉱山史上最高の産出量を実現した。

 ・廃止とその後
 しかし1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴って施設は廃止された。その後は跡地の一部にプールやゴルフ練習場が建設されたこともあった。
 現在では浮遊選鉱場は階段状のコンクリート躯体のみが残され、シックナーは50mのものが1基残っている。また、明治期から整備された旧北沢青化・浮選鉱所や旧北沢火力発電所の遺構も隣接して残っている。

 ・利活用
 遺構は「佐渡島のラピュタ」と呼ばれ、観光スポットとなっている。2010年(平成22年)には広場が整備され、グッドデザイン賞を受賞した。
 2018年(平成30年)からは期間限定で夜間のライトアップが行われるようになった。2022年(令和4年)7月には、選鉱場前にあった佐渡市保有の倉庫をリノベーションして交流拠点「KITAZAWA KICHI」(キタキチ)がオープン。2階にはカフェ「北沢Terrace」が設置され、選鉱場前の広場にはテラス席も設けられた。
 2010年(平成22年)11月に佐渡金山が世界遺産の正式候補となると、2022年(令和4年)にユネスコに対し正式に推薦された。国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」としては江戸時代の範囲のみを対象としているが、重要文化的景観の「相川鉱山町」としては北沢浮遊選鉱場がある北沢地区も含まれている。世界遺産の推薦書では北沢地区を含む範囲が推薦されたが、2023年(令和5年)に行われたユネスコ諮問機関による現地視察の結果、2024年(令和6年)6月には「相川鉱山町の中で明治時代以降の影響が強い北沢地区は除外すべき」と指摘を受けた。佐渡市・新潟県・日本国政府は登録実現のために北沢地区を候補から除外し、同年7月の第46回世界遺産委員会で「佐渡島の金山」の登録が決定した。
 なお、北沢という地名は、相川の南を流れる間切川が南沢と呼ばれたことに対して、浮遊選鉱場内を流れる濁川が通称として北沢と呼ばれたことに由来し、正式な町名ではない。濁川は選鉱作業で使った廃水処理に利用された。

 …と、こんな〝北沢浮遊選鉱場〟で、2018年(平成30年)から期間限定で夜間のライトアップが実施され、観光スポットの一つとなっていますようであります。
 夕食を終え、定刻10分前に1階ロビーに下りて行きますと、20名ばかりの方がお集まりでありました。
 で、その方達の後に付いてバスに乗り込み座っておりますと、このバスは、特定団体sanがチャーターのバスとかで、全員急いで下車となりました(^-^;
 未だ定刻前ですから、おかしいなぁ~と思っていたのですけど、GONsan達の乗車バスは、この後に出ますバスでありました(^.-)☆
 こんなハプニングもありましたけど、バスは定刻にスタートで、15分程度で〝北沢浮遊選鉱場〟にと到着です。
 挿入の画像が〝北沢浮遊選鉱場〟のライトアップの様子です。
 別にガイドsanの案内があります訳でもなく、ただ現地にバスで連れて行って貰うのみで、後は各自勝手に散策しながら拝観です(^-^)/
 いゃいゃ、事前にWEB上で〝北沢浮遊選鉱場〟を学習しておいて幸いでした。予備知識も無く、こんなライトアップを眼にしましても何の事やらサッパリですから(^_^)v

 ◆佐渡島のラピュタ -- 北沢浮遊選鉱場跡 --

 --- 新潟県佐渡市 ---
 --- https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/fushinjo/11476/ ---

 新潟の海岸線は街灯が少なく、夜の運転中にバックミラーを覗くと真っ黒になります。今回、新潟に移住してから初めて訪れた佐渡島の海岸線も真っ暗でした。レンタカーを運転している私も助手席の友人もずっとしゃべり続けていたのは、少し怖かったのでしょう。目的地に到着すると突然、ライトアップされた廃墟が現れました。その幻想的な雰囲気に気圧された私たちは、しばらく黙り込んでいました。
 その廃墟は、かつて佐渡鉱山から採れた鉱石の処理場として建てられた「北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)」の遺構です。遺された階段状のコンクリートに植物が生い茂るその姿から、映画『天空の城ラピュタ』の世界観を彷彿させると人気の観光スポットになっています。
浮遊選鉱とは、鉱山で採掘された岩の中から金や銀などを取り出す方法のひとつです。細かく砕いた鉱物を界面活性剤などの浮遊剤と一緒に水槽に入れてかき回し、泡とともに浮き上がった金銀粒を回収します。もともとは銅の選鉱工程で利用されていた方法ですが、金銀の回収に応用したのは佐渡鉱山が世界で初めてでした。
明治初期、鉱山の近代化をはかる政府は、佐渡鉱山に西洋人技術者を派遣しています。彼らが離島した後は、日本人技術者たちが引き継ぎました。昭和初期に建てられたこの選鉱場は、彼らが発展させた鉱山技術の結晶といえるでしょう。背景には日中戦争による金銀銅の増産運動がありました。そんな時代背景もまた、映画を思い起こさせるのかもしれません。

 …と、ネット上には、こんな記載もありました。
 挿入画像の最後の2枚は、北沢浮遊選鉱場跡、夜のシックナーです。浮遊選鉱によって不純物を取り除いた鉱石は、シックナーと呼ばれる沈殿濃縮装置でろ過した後、香川県の直島製鉄所へ運ばれましたとの事であります(^-^)//"

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日常生活を通じて眼にしたこと、感じたこと、出掛けた先の景観…等を、備忘録代わりに絵日記として綴っております(^-^)/"
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プロフィール

 ・名前 GONsan
 ・年齢 大人
 ・性別 男子
 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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