GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2025年12月

10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)

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 境内に入ります際、最初に潜りましたのは、山門ではありませんで〝仁王門〟でしたネ。仁王門を潜りますと、すぐに五重塔を拝観です。

 ◆妙宣寺五重塔(みょうせんじごじゅうのとう)

 --- https://www.city.sado.niigata.jp/site/bunkazai/4926.html ---

 妙宣寺は、日蓮聖人に帰依した佐渡人最初の檀那・日得上人が、弘安2年(1279)以前に開いた金井新保の道場「阿仏房」を前身とし、天正17年(1589)に現在地へ移った際に妙宣寺の寺号を起こしたといわれている。
 境内の五重塔は、相川の長坂茂三右衛門と金蔵の親子二代を棟梁とし、文政8年(1825)に建立されたものである。建築様式は和様の三間五重塔婆で、屋根は宝形造桟瓦葺(旧こけら葺)、天辺に江戸風の相輪を備え、全高約24メートル、初層の各辺3.6メートルで、柱に杉材、上物に松材、組物に欅材が使用されている。新潟県内に現存する唯一の五重塔である。

 ◆妙宣寺

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0107/ ---

 -- 中世が香る日蓮上人ゆかりの名刹 --
 佐渡配流の日蓮に仕え、熱心な法華経信者となった遠藤為盛(阿佛房日得上人)。1278年、妻の千日尼と共に自宅を寺として開いたのが始まりと伝わります。かつては佐渡守護代竹田本間氏の居城で、今もどことなく城跡の雰囲気を残しています。境内には、県内唯一の五重塔はじめ、「正中の変」で佐渡配流となった日野資朝の墓などがあります。

 〝五重塔〟脇には、こんな〝雑太城跡〟の説明板が…

 ◆雑太城跡

 雑太郷地頭本間氏の戦国期の城跡である。築城の時期は十六世紀前半頃ころと考えられる。三郭から成り、現在も土塁や空堀の一部がみられる。天正十七(1589)年、越後上杉景勝の佐渡支配により、城は廃され、上杉氏代官直江兼続によって城地は妙宣寺に与えられ、現在に至っている。

 〝五重塔〟を過ぎまして存在しますのが〝山門〟ですネ。
 WEB上で〝妙宣寺〟を検索しますと、こんな興味深い記載もありました(^_^)v

 ◆新潟唯一の五重塔がそびえる「佐渡の妙宣寺」

 --- https://gozzo-line.com/sado/9314/ ---

 ・妙宣寺
  関 道雄(せき どうゆう)さんの自己紹介

 佐渡出身、現在82歳です。中学卒業後は東京・堀之内妙法寺で修行を積み、一時は電気技師としても働いていました。後に立正大学で学び、佐渡へ戻ったのは昭和47年(1972年)のことです。佐渡では円静寺(えんじょうじ)の第27世住職を務め、昭和48年から60年までは妙宣寺執事として山門建立などに携わりました。平成18年(2006年)に妙宣寺第47世貫首(かんじゅ)に就任して今に至ります。

 ・PROLOGUE

 佐渡の西側に位置し、真野湾に面した真野地区。真野にはかつて佐渡国の国府が置かれ、佐渡最古の寺院を継承したとされる佐渡国分寺、1221年(承久3年)の承久の乱で敗北し、佐渡で22年を過ごした順徳上皇を祀る真野御陵(まのごりょう)があることでも知られる地域です。
 真野地区は両津港から車で30分ほど。ゆるやかな坂道を上って行くと、前回のごっつぉLIFEでご紹介した「ラ パゴッド」と、そのお向かいには、木々に囲まれた荘厳な五重塔が姿を現します。
 今回ご紹介するのは、この五重塔を有する「妙宣寺(みょうせんじ)」。
 妙宣寺は、日蓮宗の古刹として800年近い歴史を刻んできた、佐渡の歴史を語る上で欠かせない寺院の一つ。今も国内外から多くの参拝者や観光客が訪れています。
 境内には、正中の変で佐渡に流された公卿・日野資朝(ひのすけとも)の墓所があり、本堂には法華経の本尊を祀っています。また、日野資朝自筆の細字法華経や日蓮聖人の書状など、国指定重要文化財の貴重な文化財も所蔵されています。

 妙宣寺の歴史は、日蓮聖人の佐渡配流に遡ります。
 日蓮宗の開祖である日蓮聖人は、当時の飢饉や疫病といった災いは、正しい仏法に従っていないために起こったものという「立正安国論」を説きました。その出来事が鎌倉幕府の怒りを買い、その後も幕府を批判したとして、日蓮聖人は佐渡へ流罪となりました。
 日蓮聖人は苦境に立ちながらも、佐渡の地で「観心本尊抄」などの重要な著作を著し、法華経を布教。その中で、日蓮聖人が出会ったのが阿佛房日得上人(あぶつぼうにっとくしょうにん)です。
 妙宣寺は、熱心な法華経信者となった阿佛房日得上人が、妻の千日尼(せんにちあま)と共に開いた道場「阿仏坊」が前身であるとされ、天正17年(1589年)に現在の場所に移った際に、妙宣寺の寺号を起こしたと言われています。

 現在地は、かつて佐渡守護代 竹田本間氏の居城「雑太城」があった場所。参道を歩くと、かつての城郭を思わせる石垣の跡が今も残っています。境内で最も目を引くのは、やはり新潟唯一の五重塔!
 高さ約24メートルのこの塔は、文政8年(1825年)に、相川の宮大工・長坂茂三右衛門によって建立されました。
 心柱が杉の一本造りになっているのが特徴で、各層の高欄や浅唐戸は資金難のため未完成のままですが、その荘厳な姿は江戸時代の建築技術の高さを今に伝えています。
 この歴史ある寺院を、平成18年から守り続けているのが、ご住職である関道雄さん。
 「今日はね、普段法要で皆さんにお話しすることを、語らせてもらいましょうか」と穏やかに語る関さんから、人生における哲学、お寺の役割、心の在り方などなど、普段なかなか聞けない貴重なお話を、たっぷりと伺ってきました!

 ・INTERVIEW

 -- 修行僧から電気技師、そして住職に --
 「人生には思いがけない道筋があるものです」と、ゆったりとした口調で語り出す関さん。
 ここに来るまでにどういった道を歩んで来られたのか、まずは関さんのこれまでの人生について語ってくださいました。
 関さんは、真野にある円静寺の13代目住職の子として誕生。
 お寺で生まれた子どもの宿命でもあったそうですが、中学2年生の時、日蓮宗の本山でもある東京の「堀之内妙法寺」への修行を命じられました。「田舎っぺの私は、東京という街をきょろきょろと見回すばかり。別世界に来たような気分でした」と、関さんは当時を振り返ります。

 堀之内妙法寺は、全国から若い修行僧が集まる寺院として知られる名刹。
 ここでの修行は、毎日のようにお経をあげることに加えて、トイレの掃除も修行の一環でした。
 トイレに続いて廊下掃除、庭掃除と、基本的な作業の繰り返し…。
 「やり方が悪いとすぐにやり直し。とにかく丁寧に、しっかりと物事に取り組むことの大切さを教わりました」
 特に廊下の掃除は、風で積もる土やほこりを丹念に拭き取る必要があり、とにかく大変だったそうです。
 つらい修行の日々。若き日の関さんの興味は、やがて別の方向に向いていきました。
 「もともと好きだった化学や電気への興味が抑えきれなくてね(笑)」という関さん、なんと堀之内妙法寺を一旦離れて、町の電気店に飛び込んだそう!
 す、すごい行動力です!!
 そこでテレビ修理の技術を学び、技術者試験の第1回生として資格を取得。
 各家庭を訪問して修理を行う中で、関さんは人生の思いがけない真実に出会うことになります。
 「修理の仕事で、勝手口からお邪魔するでしょう。そうするとね、その家の素顔が見えてくるんです」
 玄関という“表の顔”ではなく、日常の営みが垣間見える勝手口からの訪問は、その家庭の“本質”を映し出しているように、関さんは感じたといいます。
 「立派な門構えの家でも、実は夫婦関係が冷めていたり、逆に、質素な家でも温かな家族の絆が感じられたり。そういう機微が、おのずと勝手口から見える光景と伝わってきたんですね」
 人々の暮らしに触れるうちに、関さんの心の中には、新たな思いが芽生えてきました。
 「お坊さんという立場なら、もっと深く人々の心に寄り添える。
 『こうしたら夫婦仲が良くなりますよ』『ああしたらダメですよ』と、遠慮なく伝えられるのではないか、そう考えるようになりました」

 その思いを胸に、関さんは立正大学で仏教を学び直します。
 そして、学びを終えた昭和47年の春、生まれ育った佐渡の地に戻ってきました。
 「佐渡には都会にはない、本質的な豊かさがある。気候も風土もいい。大気の汚染もない。欲にとらわれず、のんびりと暮らす方が人生は充実するものでしょう」
 電気技師から住職へ。
 一見、回り道に見える人生の軌跡は、人々の心に寄り添う住職としての関さんの深い洞察力を育んだのかもしれません。
 日頃の行いは“表情”に出る!?
 お寺のご住職から聞く話といえば、法話や説法があります。法話とは、僧侶など仏教に携わっている方が、仏教の教えに基づいた話を、一般の人向けに分かりやすく説いて語ること。葬儀のお通夜や法事などで、お坊さんがお経を読んだ後に話してくださるお話というと、分かりやすいでしょうか?
 普段、お寺に足を運ぶことがほとんどない私にとって、関さんが語る言葉の一つひとつが心に沁み入るものがあり、終始「ははぁ…」「なるほど…」とただただ頷くばかり(笑)。
 たくさんのお話を聞いた中で、ハッとさせられたことがありました。
 それは「今の自分の顔は、生まれてから今までの行いの表れ」ということ。鏡に映る自分の表情から、今の幸せも不幸せも読み取れるのだと、関さんは話します。

 「見ず知らずの人でも、『あの人は人相が悪いな』『叩けばほこりが出そうだな』と思う人がいるでしょう。その人相は、生まれつきのものではなく、その人の心がけや行いによって形作られるのです。自分自身が醜くもなり、尊くもなる。それは自分の心がけ次第なんです」
 関さんは、この考えの根底にあるのが、「潜在意識」という概念だと教えてくれました。
 「例えば、鍵をどこに置いたかを忘れてしまった時のことを考えてみてください。
 必死に思い出そうとしても出てこない。でも、ふとした瞬間に『あ、あそこだ!』とひらめくことがありませんか。
 それが潜在意識の働きです。自分では意識していなくても、潜在意識は確かに働いている。その潜在意識が、知らず知らずのうちに、私たちの人相を作っているんです。
 大切なのは、世のため人のために尽くすという心がけ。自分のためだけでなく、世のため人のために生きる。そういう心がけで生きていれば、自然と仏の表情になってくるんです」
 なるほど…長年、積み重ねてきたものって“表情”に出るのですね(いや、もうすでに出ているということですよね!?)
 これまでの自分の行いを振り返りたくなるような、背筋がピンと伸びるお話でした。

 ・EPILOGUE

 -- 人々の心の拠り所であるために --
 関さんが妙宣寺の住職となって19年。その中で関さんは、お寺は地域交流やコミュニケーションの場や、文化の拠点といった役割も併せ持つものであり、法事やお葬式だけがお寺の役割ではないと考えてきました。
 そのため、近年の妙宣寺では、これまでにはなかった能や音楽イベントなども開催。地域や人の声に耳を傾けながら、必要とされる場面で手を差し伸べてきました。
 「やりたいと言ってくだされば、私たちは『はい、どうぞ』と。お寺はいろんな方々にとって、開かれた場所でなければなりませんから。
 お寺って、何をしに行けばいいのかわからないという声をよく耳にします。でも、それでいいんです。何も考えずに、白紙で来るのが一番良いんです」

 そう語る関さんの言葉には、お寺を特別な場所ではなく、誰もが気軽に訪れることのできる心の拠り所にしたいという願いが込められています。
 「心に迷いがあったり、何か考えがまとまらなくて、うつうつとしている時こそ来てほしいものです。宗派なんて関係なく、本来は一つであるべきですから。
 お釈迦様だって、最初から難しいことは説いたりはせず、人々の理解に合わせて、少しずつ教えを説いていったのでしょう。自分の不幸を先祖のせいにしたり、運が悪いと嘆いたりする人がいる。でも、それは違う。繰り返しになりますが、自分自身の普段の心がけや行いが、自分を尊くもし、醜くもするのです」

 関さんの教えは、現代を生きる私たちへの温かな叱咤激励のよう。
 新しい一年の始まりにふさわしい、心の在り方を考えるきっかけをもらえた気がしました。
 妙宣寺を訪れて参拝をしたあとは、ぜひ境内を散策してみてください。
 歴史的建造物の荘厳さや庭園の美しさなど、非日常に浸れる時間と空間を体感できるはずです。

 …と、こんな記載でありました(^-^)//"

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〝ジェンダー川柳〟…昨日、受賞作品の発表がありましたようですネ(^.-)☆

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 先月、中国新聞sanのこんな記事に眼を通しておりました。

 ◆広島県のジェンダー川柳、30句1次通過 もやもや「共感」の投票受け付け

 --- 2025/11/05(最終更新:2025/11/05) 中国新聞デジタル ---

 広島県は、性別の役割を巡る家庭や職場でのもやもやした違和感を五・七・五で表現する「ジェンダー川柳」で、1次審査を通過した30句を発表した。このうち県民が決める「共感賞」1句を一般投票で受け付けている。30日まで。
 9月2日から10月13日まで募り、過去最多の4,244句が寄せられた。男性からの募集が38%を占め、前年度から15ポイント増えた。「二次会で すすむビールと 配置決め」「小児科で 質問くるのは 妻にだけ」「『休めんよ』いやいや、私も 休めんよ?」などの句が2次審査に進んだ。
 共感賞は県内に在住か通勤・通学している人が特設サイトから投票できる。抽選で投票者10人に500円分のデジタルギフトが当たる。
 2次審査では県立広島大の上水流久彦教授たち4人が最優秀賞など4句を選ぶ。共感賞と特別協賛企業による企業賞6句を含め、12月の授賞式で発表する。(新谷枝里子)

 …と、こんな記事でしたけど、昨日の夕方、テレビに眼を向けておりましたら、この受賞作品が発表されておりましたネ。
 〝最優秀賞〟は、『「やっといた。」その報告は いりません!よっぴー』で、〝県民共感度№1賞〟は『「休めんよ」いやいや私も 休めんよ?えりー』の作品でありました(^.-)☆
 その他にも、〝優秀賞〟〝審査員賞〟〝各企業からの表彰〟等の受賞作品が発表されておりました。
 11月に発表されました一時通過の30句の作品に眼を通しておりますと、いずれも大変面白いし「うん、うん…」と頷いてしまいます(^-^)
 これらの作品の中から、〝最優秀賞〟等を選ぶのですから、審査員の皆様も大変ではありますネ。
 それにしましても、この時期恒例の〝ジェンダー川柳〟受賞作の発表…毎回楽しいですし、どの句も仲々面白いですネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(39)

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 改修中の倉庫がありましたけど、これが〝大間煉瓦倉庫〟ですネ。

 ・煉瓦倉庫
 大間港の南東部に立地する煉瓦倉庫は、煉瓦造2階建、切妻造妻入桟瓦葺の建物です。外壁は煉瓦化粧積。イギリス積で構成され、要所に自然石を用いてアクセントとしています。
 内部は1、2階共に1室で、2階は裏(北)側3/5を床とし、表(南)側は階段、踊場を設けた吹抜です。明治時代後期から大正時代までには建築されたと考えられています。

 倉庫の前には、こんな〝大間煉瓦倉庫〟の説明板もありました(^.-)☆

 ◆大間煉瓦倉庫
 大間煉瓦倉庫は、鉱石や鉱山で使用する資材を収用する目的で、明治時代後期から大正時代に建築されたと考えられています。
 外壁の練瓦は縦と横を交互に積み重ねる練瓦積みで組まれた練瓦造2階建て、切妻造妻入桟瓦葺きの建物になります。
 老朽化が進む中、令和6年の能登半島地震時に一部破壊したことにより修繕作業を行っています。

 …との事であります。
 〝大間港跡〟とお別れしますと、帰路は、前日同様に〝市営栄町住宅〟横の護岸をノンビリと〝ホテル万長〟へと向かいます。
 相川総合体育館・相川地区公民館裏を通過し、佐渡市役所相川支所裏まで戻って来ますと、ここには、両腕が地中から覗きましたこんなモニュメントが(^-^)
 このモニュメントは、〝ライリー・テリー〟作の「WAKARIMASEN」と言う作品のようであります(^.-)☆
 WEB上で〝モニュメント/ライリー・テリー作「WAKARIMASEN」〟を検索してみますと、こんな記載が出て来ました(^.-)☆

 ◆さどの島銀河芸術祭 -- @sado_art --

 ・場所:相川支所駐車場(佐渡市相川塩屋町26)、さどの島銀河芸術祭2021に制作された作品。音を鳴らして作品を体感してください。
 ・詳細:https://sado-art.com/artists/wakarimasen

 ◆DOMMUNE Presents 「LANDSCAPE MUZAK」PROJECT SADO#1

 --- https://on-the-trip.net/indices/12156?locale=ja ---

 作者はカルフォルニア生まれ。彼にとってアメリカのゴールドラッシュと佐渡の金山が重なり、相川で作品を制作することになりました。しかし、実際に佐渡を訪れた作者にとって、その背景は知れば知るほどわからないことばかり。彼が最初に覚えた日本語も「わかりません」という言葉でした。
 そこで、作者は自身の手をモチーフにしたオブジェを制作。その指からチャイムがぶら下がり、それを叩くと「Wakarimasen」のメロディーが響きます。この作品はまるで手から「わかりません」を奏でているようにも感じられます。
 現在、この作品が設置されている場所に違和感を覚えたあなたは鋭いです。実は、作品が完成した当初は「佐渡奉行所」の駐車場の脇にありました。そこからは、まるでローマのコロシアムのような金鉱の跡地を見下ろすことができます。その場所に作品があったことを想像すると、それは金山に捧げるレクイエムのように感じられたかもしれません。
 しかし、現在は別の場所に移動することになり、作品は本来の場所から切り離されました。そのため、メロディーは金山に届かなくなったようにも見えます。この逆説的な状況は、アートが本来の場所と強く結びついていたことをあらためて感じさせます。
 その金鉱で、作者がライブを行ったこともありました。それも夜から明け方にかけて。暗闇の中、静かな音からはじまり、明け方の光が差し込むにつれて生命が目覚めるように音楽は展開していきました。建物には音が反響し、音楽が自然の一部となり、時間の感覚が失われる中、最後の一音が鳴り響いたといいます。

 …と、こんな経緯のありますモニュメントでありました。
 このモニュメントの指からぶら下がっていますのはチャイムで、叩けばメロディが響きますとは…知っていましたら叩いたのですけど…う~ん、これまた残念(^-^;
 相川公演裏を通過し、既に閉館となっています〝健康増進センター「ワイドブルーあいかわ」〟裏に戻って来ました。かっては、旧相川町の海岸に面して建つ日帰り温泉施設で、さまざまな浴槽と温水プールなど施設も充実。海岸にある施設なので、広々とした浴室の窓からは日本海を望むことができ、結構、賑わっていましたのでしょうけど、2020年10月、閉業。新型コロナ禍が訪れ、緊急事態宣言に伴って、2020年4月から長期に休館してきたが、そのまま廃業となった。
 建物裏の護岸側に、遊具がポツンと二つばかり残されていますけど、これが一層、寂しさを感じさせましたネ。
 〝ホテル万長〟に戻って来ましての朝食後、佐渡滞在最終日の3日目は、〝妙宣寺〟参詣からスタートです。

 ◆妙宣寺について

 --- https://temple.nichiren.or.jp/4031006-myousenji/ ---

 -- ごあいさつ --

 当山は阿佛房日得上人千日尼御前夫妻の旧蹟霊場である。
 日得上人、俗称遠藤左衛門尉為盛は、承久三年(一二二一)順徳上皇佐渡御遷幸に供奉せし北面の武士にて、その妻は上皇御還幸を祈願して真野の入江に水垢離を取ること一千日に及び、上皇はその誠を喜び千日女の名を与えたと伝えられている。
 仁治三年(一二四二)上皇崩御の後、佐渡の地に留まり陵墓に仕えて三十余年の間称名念佛を怠ることなく、遂には阿佛房と称するようになった。
 文永八年秋、日蓮大聖人には幕府の御勘気を蒙むり佐渡御配流となり、十一月一日塚原の地に調居の身となられた。
 「北海の島にはなたれしかば、かの国の道俗は相州の男女よりも仇をなしき・野中にすてられて雪にはだえをまじえ、草をつみて命をさふえたりき…」(当山所蔵単衣御書)
 念佛の強信者阿佛房は宗門の怨敵と思い大聖人を責めんとしたが却って教化帰伏し、当国第一の法華信者となり、妻千日と共に身命を省みず深夜密に食糧を運び供養を怠らず、諸宗僧俗の迫害から聖人を守る大外護者となった。
 「しかるに尼御前並に入道殿はかの国にある時は人目をおそれて夜中に食をおくり或る時は国の責をもは蛍からず身にも代わらんとせし人々なり、さればつらかりし国なれども剃りたる髪もうしろへひかれ進む足もかえりぞかし」(単衣御書)と身延の山より御手紙を送り、また「日蓮佐渡の国へ流されしかばかの国の守護等は国主の御計りに随いて日蓮を仇む万民はその命に従う…地頭念佛者等日蓮が庵室に昼夜立ち添いて通う人もあるをまどわさんとせしめに、阿佛房に櫃をおわせ夜中に度度御わたりありしこといつの世にかわすらむ、唯慈母の佐渡の国に生れ代わりてあるか。」(当山所蔵千日尼御返事)
とも記して阿佛房夫妻の徳を称えておられます。
 文永十一年三月十三日、法門開運の時いたり宗祖大聖人には御赦免鎌倉より身延へ御入山。
 阿佛房夫妻は常に大聖人を慕い申してはいても、八十の齢を超しては海山千里はままならず、阿佛房は男の身なればとて二度、三度まで身延の山を登詣し御給仕を尽くし、三度目の登詣は弘安元年七月、九十の高齢をも省みず一刀三礼お写し申し上げた宗祖のお姿を肩に負い身延の山に登られたので、大聖人には御親しく開眼をなされ、阿佛房の願いを入れてお弟子となし日得上人の名を与え、妻には千日尼御前の名を賜わった。

 ◆妙宣寺(佐渡市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 妙宣寺(みょうせんじ)は、新潟県佐渡市阿仏坊にある日蓮宗の寺院。日蓮の弟子阿仏房日得が自宅を寺として開基した日蓮宗佐渡三本山のひとつ。山号は蓮華王山。本尊は釈迦如来。

 ・歴史
 言い伝えによれば、1221年(承久3年)の開創と伝えられる。
 1326年(嘉暦元年)、竹田に移転。
 1589年(天正17年)、現在地(雑太城跡)に移転。
 寛文年間に身延、池上、中山の輪番管理となる。
 1878年(明治11年)、輪番管理から独立する。現住は47世関日道貫首(佐渡市円静寺より晋山)。通師法縁。

 ・文化財
 -- 重要文化財(国指定) --
 五重塔 -- 新潟県内に現存する唯一の五重塔で]、江戸時代に相川の宮大工茂三右ェ門親子が二代に渡り建立したといわれ、日光東照宮の五重塔を模したとされる。文政10年(1827年)の建塔で、頂上の相輪に鋳工大坂住長谷川久左衛門元文5年(1740年)とあることから、およそ90年かけて建立されたことがわかる。また各層の高欄や浅唐戸がなく資金難のため未完成である。
 日蓮聖人筆書状 3巻
 細字法華経(一部)1巻 -- 日野資朝筆、元徳二年(1330年)奥書

 ・その他
 本堂:1863年(文久3年)、祖師堂:1880年(明治13年)、仁王門:1677年(延宝5年)、庫裡:1862年(文久2年)、祖師像:1274年(文永11年)

 山門を潜り、まずは〝五重塔〟を拝観となりました(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(08)

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 GONsan達を乗せましたマイクロバスは、ヤッて来ました道を戻り、今年の3月末に開通しました〝鞆未来トンネル〟を抜け、我が町〝水呑〟へと戻ります。
 水呑から能登原・阿伏兎方面に出掛けますには、この〝鞆未来トンネル〟の完成で大変便利になりました。
 当初、鞆港への架橋を望まれました、鞆に暮らしておられます方々の想いは叶いませんで、〝鞆未来トンネル〟建設に変更となりましたけど、さて、どちらが良かったのでしょうねぇ~
 まぁ、それはともかく、水呑へと戻ってきました。
 結局、この日は、朝方の降雨で忘年ゴルフ大会の開催は不能でしたけど、忘年会として楽しいひとときは過ごせましたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(38)

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 WEB上で〝千畳敷・佐渡〟で検索しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆千畳敷(せんじょうじき)

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0774/ ---

 ・弁天崎沖合に広がる下相川の景勝地
 相川町市街地の北端、下相川の海岸にある岩礁。平坦な広い形状から千畳敷と呼ばれ、古くから名勝地として知られています。堤防に向かって海の上を橋がかかっており、迫りくる日本海の波や岩礁の様子を眺められます。波が穏やかな日には遊歩道を散策する人の姿も見られ、近隣の人々の憩いの場でもあります。

 ◆佐渡市の千畳敷レビュー!透明な海と磯遊びが最高だった

 --- 2025/06/28 https://www.anbata-rakuiku.fun/torendo/senzyouziki-rebyu/ ---

 この記事は、プロモーションを含んでいます。
 佐渡市で自然を満喫したいなら、ぜひ立ち寄ってほしいのが、相川地区にある「千畳敷(せんじょうじき)」。透明度の高い海とゴツゴツとした岩場が特徴で、磯遊びや海の生き物探しが楽しめるスポットです。
 今回は、2025年6月27日に訪れたときの体験をもとに、実際の写真と魅力をお届けします。
 この記事では、水の透明度や設備の清潔さ、アクセス情報、近くで買えるお弁当情報まで詳しく紹介します!

 ・佐渡市の千畳敷はアクセス抜群!!子連れでも行きやすい
 千畳敷は、アクセスが良くバスでも車でも行きやすい場所です。最寄りのバス停が目の前にあり、公共交通機関でのアクセスも良好です。
 車で行く場合は、少し見落としやすい標識に注意が必要ですが、10台ほど駐車可能なスペースがあります。

 ・千畳敷は潮の満ち引きで景色が変わる
 千畳敷は、潮の満ち引きで景色が変わる何度も行きたくなる観光地です。
 私が訪れた時は潮が満ちていたため、反対側の岩場へは行けませんでしたが、引き潮の時間なら渡れることもあります。
 海の水はとにかく透明!足元をのぞくと小さな魚や海の生き物が見えるほどです。

 ・海の生き物が豊富!子どもも夢中になる磯遊び
 この日は、運よく「アメフラシ」を発見!他にも、カニ・ヤドカリ・エビ・元気に動く貝など、生き物がたくさん見られました。
 子どもと一緒に海の生き物を探して過ごすのにぴったり。ただし、一部深くなっている場所もあるので、お子さんと行く場合は目を離さないよう注意しましょう。

 ・滑りにくい靴や脱げないサンダルがおすすめ
 岩場が中心の地形なので、サンダルで行く場合はかかとが固定できるタイプを。
 普通のビーチサンダルだと、滑ったり脱げたりして危険です。また、場所によってはゴミが目立つこともあるので、マナーを守って利用したいですね。

 …と、こんな〝千畳敷〟ですけど、せっかく近くまで行きましたのに、残念でした(^-^;
 それでは、〝大間港跡〟をもぅ少しブラブラしながら、この辺で帰路につこうと思います。建物の壁面やスグ脇には、こんな案内板が(^-^)//"

 ◆国指定史跡 佐渡金銀山遺跡「旧佐渡鉱山 大間港」

 大間港は、佐渡鉱山の鉱石や資材の搬出入を目的に、明治時代に造られた人工の港である。明治20年(1887)に始まった工事は、強い季節風や波浪のため困難を極めたが、愛知県などで護岸工事を手がけた、「たたき工法」の創始者・服部長七指導のもと明治25年に(1892)に完成した。
 「たたき工法」とは、消石灰と土砂を混ぜた種土に水を入れて練った「たたき」と石積みとを組み合わせる技術で、コンクリートが普及するまで用いられた。
 その後の大間港は、大正から昭和期にかけ、クレーン用の台座やローダー橋などが設置されるなど、設備の充実が図られた。また、昭和15年(1940)には鉱山に電力を供給する目的で火力発電所が建てられ、その燃料となる石炭の積み入れも行われた。
 現在、当時の建物や設備の多くは撤去されてしまったが、「たたき工法」による護岸やクレーン台座などが残っており、築港当時の姿を伝えている。

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年末ジャンボ宝くじを求めて売場に出かけましたら、ラッキーにも…(^.-)☆

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 本日の正午前、年末ジャンボ宝くじを求めてハローズ新涯店の宝くじ売り場に出かけましたGONsanです。
 年末ジャンボ購入代金精算のためサイフの中をゴソゴソしておりますと、ハロウィンジャンボ・ジャンボミニ・ロト6・ロト7…等の抽選日経過分が数枚ばかり(^-^)
 どぅせハズレ券だろう…と、一応、確認して貰いますと、危ない危ない(^-^;
 4等・3,000円に当たっておりました。
 そぅ言えば、いつでしたか、この売場を訪れました時にも似たような事が…チェック済みだと思っていましたサマージャンボが、同様に4等に当選でありました。
 ふ~ん、GONsanの場合は、抽選日到来と同時に即チェックしますよりも、当分放っておきまして、チェック済み・未済のいずれか分からなくなりました頃にチェックしますと、当選確率が向上しますのかも(^.-)☆
 そろそろ、GONsanにも運が向いて来ましたのかも(^-^)
 もぅ、10数年、4等とも無縁で現在に至っていますから、この辺で『1等』をゲット出来そうな気配にも(^_^)v
 年末ジャンボの抽選日は、大晦日ですから、初詣の際にタップリと神頼みした上で、2月に入りましてから当選番号チェックを行いますのがイィのかも…
 いゃぁ、宝くじと言うものは、当落のいずれにも拘わらず、夢があってイィですねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(07)

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 楽しく過ごして来ましたけど、時間を見ますと早や14:00少し前。
 11:25からスタートしました忘年会も、2時間半も経ますと、飲み物、食べ物、カラオケもほぼ出尽くしましたようですネ。丁度イィ頃合いで、お開きの時間が到来です(^.-)☆
 歳を重ねて来ましても、まだまだ元気一杯の皆さんですから、この調子で年の瀬を乗り越えまして、輝かしいお顔で新しい年を迎えたいものであります(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(37)

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 まず眼に入りましたのが、ベンチのようにも見えます三つの石造の台座。これは、何なんでしょうネ。ベンチにしては高さがありますから、短足のGONsanにはとても座れませんけど(^-^;
 〝トラス橋〟を横目に海岸方向に進んで行きますと、クレーン台座が2基。そして、海岸沿いにも1基が存在です。
 海面に3脚連なりますのがローダー橋脚です。

 ◆現存する人造石護岸 大間港(佐渡市相川地区)

 --- https://jsce-niigata.com/introduction/article/038/art038.html ---

 ・鉱石の積み出しなどに使われた「大間港」
 明治25年(1892年)、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港で、鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使われました。現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。

 ・大間港の概要
 大間港は、相川の市街地を流れる濁川河口と水金川河口の中間付近に位置する埋立による人工港湾で、新製鉱所敷地造成時の切崖土砂を運搬して埋立に用いたとされており、生産品の搬出や生産に必要な物資、特に溶鉱炉の燃料等に用いる石炭の搬入用として築港されました。

 ・煉瓦倉庫
 大間港の南東部に立地する煉瓦倉庫は、煉瓦造2階建、切妻造妻入桟瓦葺の建物です。外壁は煉瓦化粧積。イギリス積で構成され、要所に自然石を用いてアクセントとしています。
 内部は1、2階共に1室で、2階は裏(北)側3/5を床とし、表(南)側は階段、踊場を設けた吹抜です。明治時代後期から大正時代までには建築されたと考えられています。

 ・トラス橋
 船渠中央部分には南東―北西間に鉄骨造のトラス橋が架け渡されています。トラス橋はホッパー施設で、橋梁上に鉱車等を乗り付けて、トラス橋の下に停泊させた艀に鉱山を落下させて積載したとされています。

 ・ローダー橋脚
 ローダー橋脚は、大間港で搬入・搬出される貨物(石炭・鉱石)を陸揚・船積・運搬するための橋(軌道)を支える構造物で、昭和13年頃の建設とされています。ローダー橋は火力発電所に必要な石炭運搬の効率化を図るため、一連で計画された可能性があります。現存するローダー橋脚は、南西(海)側の2基を円錐台形の柱による構造物とし、北東(陸)側の1基を矩形の柱による構造物としています。

 ・クレーン台座
 大間港には貨物の荷揚げに用いたクレーンの台座が船渠の北側に2基、南西部に1基現存します。北側の2基は円錐台形の構造物で、下部は石積、上部は鉄筋コンクリート造です。2基は約24mの間隔を置いて配されています。
 北東部の台座は船渠壁面と一体化した構造で、一部は地表面、北西部の台座は停泊場上に独立して立地しています。南西部の台座は鉄筋コンクリート造です。

 大間港の護岸形状は、波の影響を受けやすい西面護岸や防波堤は勾配が緩く、波の影響を受け難い北面・南面護岸や船渠内護岸は勾配が急で直壁に近い形状となっています。また、北面~西面護岸に残存する護岸形状を見る限り、波の影響を受けやすい護岸は海水が埋立地へ侵入するのを防ぐため、上部を擁壁状に立ち上げた複断面形状とし、更にそれを超えた海水は、副堤で防ぐ構造になっていると考えられます。
 大間港の築港は明治23年から明治24年にかけて人造石工法の開発者である服部長七を招聘して同港の護岸工事を進め、明治25年に完成しました。築港以後、部分的な補修・改修は行われましたが、現状の護岸・副堤等は、築港当初の埋立範囲とほぼ整合するもので、埋立地の範囲や船渠の基本形状等に大きな変更はなく、築港当初の骨格を良好に保っています。

 …と、こんな〝大間港跡〟であります。
 早朝のウォーキングで〝大間港跡〟にヤッて来ました時には、このもう少し先に「千畳敷」が存在します事は知りませんでしたGONsan。
 後で、WEB上で〝大間港跡〟に関しまして調べています時に〝千畳敷〟の存在を知りましたけど、時既に遅し(^-^;
 もっと早く知っていましたら、〝千畳敷〟まで足を延ばしていたのですけど、う~ん、残念(^-^)//"

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本日午前中の芦田川河川敷ウォーキング時の一コマです(^.-)☆

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 今朝のGGから戻って来ますと、スグに芦田川河川敷へウォーキング行きのGONsanでした。
 一応、晴天ですけど、空には雲も多く晴れたり曇ったりと言った空模様。川上から川下方向への風がありますから、多少の冷たさが…ですが、帰路では追い風となりますから気にはならないものと思います。
 護岸では、珍しく釣り人のお姿が…何が連れますのか分かりませんけど、6人ばかりおられましたネ(^.-)☆
 帰路では、この方達をパチリです。
 この6人の釣り人の中で、一番川下に位置される方。往路では、剪定ばさみを手に護岸際の草木を切除しておられました。復路で眼を向けますと、人が一人通れます程度の幅で草木は切除済み(^-^)
 そして、護岸にイスもセット。環境も整いまして、今から釣りがスタートと言ったところでありました(^_^)v
 うん、うん、これでしたら風も多少防げますし、落ち着いて釣りに専念出来ますかも(^-^)
 芦田川の右岸・左岸に限りませんで、一年を通じましてこぅした釣り人をよく見掛けます。が、何が釣れますのでしょうねぇ~釣れました瞬間を眼にした事はありませんから(^-^)
 とは言いましても、寒い時期にでもこぅしてヤッて来られますのですから、何か分かりませんけど釣れますのでしょうねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(06)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(36)

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 皆さん、ライトアップされました〝北沢浮遊選鉱場〟を暫く楽しまれますと、一人、二人と、送迎バスにと戻られますので、GONsanも(^-^)
 バスでは、別段、人数確認をされます訳でも無く、全員揃ったと思われます頃合いを見て、ホテル万長へと向かいます。
 ホテル万長近くまでバスが戻って来まして、ドラッグストア〝ウエルシア佐渡相川店〟の看板が眼に入りました所で途中下車のGONsanです。明日は佐渡滞在最終日で、また「両津港⇒新潟港」を〝ジェットフォイル〟に搭乗ですから船酔い防止策を取りませんと(^-^)
 GONsanが下車しますと、他にも4~5名の方が同様に(^-^)
 途中下車しますと、勿論、ここからホテルまではテクテクと歩きです(^-^)/
 〝ウエルシア佐渡相川店〟の店内に入りますと、今まで乗り物酔い用の医薬品を求めた事がありませんから、何が良く効きますのかサッパリ(^-^;
 仕方なく、レジの店員sanにお尋ねです。
 そして、手にしましたのが、この「アネロン〝ニスキャップ〟」なんであります(^_^)v
 説明書きには、『酔ってからでも効く』ですから、これはイイですねぇ\(^o^)/
 これで、明日の準備は万全です(^_^)v
 GONsanと一緒に下車しました他の方々は、何を求めておられますのか店内で物色中でありました。
 で、独りでノンビリとホテルにと戻って来ますと、ロビーでは、前夜同様に〝佐渡おけさ〟の公演の真っ最中。こんな状況の中、ロビーを横切ります勇気なんぞ微塵もありませんGONsanですから、ロビーの片隅で終わりますまで拝見です。
 ふん、ふん、この〝佐渡おけさ〟の公演メンバーは、毎日、替わりますようですネ。メンバー全員が昨夜とは異なっておりました(^.-)☆
 佐渡滞在最終日の翌朝も、起床は、A.M.5:00起きのGONsanです。5:30前頃にはウォーキング開始で〝大間港跡〟へと向かいます。
 未だ薄暗い中、右折すれば〝北沢浮遊選鉱場〟に向かいますT字交差点へとヤッて来まして〝大間港跡〟も目前です。
 この交差点近くで眼が止まりましたのが、こんな「大間町」の説明板であります。この説明板には、こんな記載が…

 ◆大間町
 大間は大きな澗、湊を意味する。廻船の入江で栄え、米問屋が軒を並べ、大間番所が置かれていた。番所付きの問屋八軒の筆頭橘屋は、良寛の母おのぶの生家である。明治中期には最新の工法で大間港が整備され、鉱山用港湾の町として発展した。佐渡鉱山の鉱石は、この港から搬出された。

 せっかく撮りました画像がピンボケで文字が不鮮明で読みにくいのでありますけど、多分、この様な記載だったと思います。
 ふん、ふん、曹洞宗の僧侶〝良寛〟sanは、備中玉島(現・岡山県倉敷市)の円通寺で12年間修行しておられますから、岡山の方かと思いましたら、ふ~ん、越後国出雲崎(現・新潟県三島郡出雲崎町)のご出身でありましたか(^.-)☆
 ※ 円通寺の良寛sanに関しましては、GONsanのホームページにも綴っていますので、下記URLでご覧頂けましたら幸いです。
   円通寺 ⇒ http://gon.mbsrv.net/2020entsuji01.html
 そして、お母上は、佐渡のお生まれでしたのですねぇ~
 ここには、「中元歌 -- 良寛 --」の詩碑も…何と記載してありますのか、よく分かりませんので、WEB上で検索してみますと、こんな〝良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌〟の詳細な記述がありましたネ(^_^)v

 ◆良寛詩碑「母去悠悠父亦去」中元歌

 --- 良寛乃母の生家橘屋跡碑 ---

 碑 面
 -- 中元歌 --

 母去悠悠父亦去  悽愴哀惋何頻頻
 唯餘伯叔雙姨母  伯號妙悟叔妙真
 妙真去年五月逝  去歳中元妙悟存
 冉冉復至中元節  妙悟又作九原人
 去歳去京為涕泣  今歳又移江湖濱
 居移節換倍相思  萍跡暫留南北身
 采蘋采蘋澗之滸  滴涙遠望紀水墳
 拂院修營蘭盆會  蕭蕭唄韻映朱幡
 時亦凉飆颯爾至  洗掃昏昏下合塵
 雨過蕉影横斜陽  依稀又見来格神
 神享供已衆帰院  更結恬談無為因
 勧君莫永淪胥去  早艤川舟渡要律

 -- 良寛 --

 《建立趣意(碑陰)》

 --- 中元歌碑建立の趣意 ---
 良寛自筆の24句の長詩で 中元は盂蘭盆のこと 母がなくなり父もまた世を去った あとには母方の妹の妙真と妙悟が残ったが 妙真は去年5月に逝き 妙悟もことしの盂蘭盆を迎えてみるとあの世の人になっている 居を移し時がたつにつれて肉親のことがしのばれてならない 自分は南へ北へと浮草のような生活だったが 故郷に落ち着いた 思えば苦界に沈む父(以南 桂川に入水)よ 舟をととのえて安らかな仏の彼岸へ お渡り下さい の意
 国上山の五合庵に落ち着いた40歳代のころ 父母を追悼した悲傷の詩で 佐渡の母には2人の妹がいたことがわかる
 母おのぶの没後220年を迎え 第19回全国良寬会総会と良寛サミットが 当年5月相川で開催された ここに母誕生の地に一碑を建立し 母や佐渡を限りなく慕う良寛のせつない心情を 後世に伝えることとした
 -- 2002年 橘月建立 全国良寬会・佐渡良寛会 --

 場 所:新潟県佐渡市相川大間町53 良寛の母の生家橘屋跡
 筆 者:良寛
 建 碑:2002年橘月(陰暦) 佐渡ではじめて「全国良寛会総会」が開かれるのを記念し 良寛の母おのぶ生家跡に「良寛詩碑」を建立 総会の翌朝(5月26日)に除幕式を挙行
 建碑者:全国良寛会・佐渡良寛会
 参 考:「定本良寛全集」1-569 「相川郷土博物館」

 それでは、この説明板の後ろ側方向が〝大間港跡〟ですから、向かってみます。
 そぅしましたら、眼の前に、いきなり『私有地につき関係者以外〝立入禁止〟』ですから、〝んっ!?〟のGONsan。
 『立入禁止』と言われましても、せっかく訪れましたのですから、引き返します訳には行きません。それに〝観光客〟のGONsanですから「関係者以外」には該当しませんでしょうから(^-^)/
 とにかく、立ち入らせて頂き拝見開始です(^-^)//"

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〝2025 今年の漢字〟…「米」かと思いましたら「熊」でしたか(^_^)v

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 本日、京都・清水寺で発表の〝今年の漢字〟…多分「米」だろうと思っていましたら、ふ~ん、『熊』でありましたか(^.-)☆
 そぅですネ、話題性としましては〝熊〟と対比しますと〝米〟は既に過去になりましたかも(^-^)
 まぁ、どっちでも構わないのですけどネ(^_^)v
 WEB上から「今年の漢字」関連の記事を拾ってみますと、

 ◆【速報】2025年今年の漢字は…「熊」京都・清水寺で発表 全国各地でクマによる被害・目撃情報相次ぐ 和歌山・白浜のパンダ(熊猫)も 2位は「米」3位は「高」

 --- 2025/12/12(金)14:05配信 最終更新:12/12(金)14:30 ABCニュース ---

 今年1年の世相を表す「今年の漢字」が12日午後、京都市の清水寺で発表され、「熊」に決まりました。
 「今年の漢字」ははがきやインターネットなどで応募が集められ、2025年は「熊」が1位となったということです。
 2025年、全国各地でクマによる被害・目撃情報が相次いでいて、近畿でもけが人が出ており、注意が呼び掛けられています。

 (以下 日本漢字能力検定協会HPより)
 意味:くま。クマ科の哺乳類の総称。「熊掌」「熊胆」「熊羆(ユウヒ)」
 応募数:23,346票(総票:189,122票)
 「相次ぐ「熊」の出没と拡大する被害。「熊」猫(パンダ)も話題に」
 2025年は、初めて「熊」が第1位となりました。
 全国各地で「熊」の被害が相次ぎ、市街地にまで「熊」が出没するなど、生活や経済活動にも深刻な影響を及ぼしました。
 「熊」の出没や被害を受けて、人と自然との共存について考えるきっかけになりました。

 2位:「米」(23,166票)
 3位:「高」(18,300票)
 4位:「脈」( 6,418票)
 5位:「万」( 5,656票)

 【過去の「今年の漢字」】
 2024年--金、2023年--税、2022年--戦、2021年--金、2020年--密、2019年--令、2018年--災、2017年--北、2016年--金、2015年--安

 ◆世相を表す「今年の漢字」は「熊」…京都・清水寺で発表

 --- 読売新聞/2025年12月12日19時24分 ---

 2025年の世相を一字で表す「今年の漢字」に「熊」が選ばれ、世界遺産・清水寺(京都市東山区)で12日、森清範(せいはん)貫主(かんす)が揮毫きごうした。クマによる死傷者が相次いだことや、中国語で「大熊猫」と表記するジャイアントパンダが中国に返還されたことが理由に挙がった。
 公益財団法人「日本漢字能力検定協会」(同)が1995年から毎年公募し、今年で31回目。応募総数18万9,122票の中で「熊」が2万3,346票(12.34%)で最多だった。180票差の2位は米価やトランプ米大統領の「米」、3位は高市首相の誕生や、物価や株価の高騰を踏まえた「高」だった。

 …と、こんな記事掲載がありました。
 ふん、ふん、1位〝熊〟と2位〝米〟の当票差は『180票』と実に僅差でしたようですネ。こんなに票差がありませんのも珍しいのでは(^-^)
 それにしましても、清水寺の森清範貫主…ササッとバランスの良いイィ字を書かれますねぇ~でも、何にも知らずにこの書を眼にしますと、GONsanには〝熊〟とは読めないのでしょうねぇ(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(05)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(35)

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 尖閣湾の観光を終え〝尖閣湾揚島遊園売店(土産物店)〟まで戻って来まして時刻を確認しますと、P.M.4:15頃でしたか…
 本日の行程は〝尖閣湾観光〟でオシマイですから、暫し土産物店内をブラブラと…でも、別段求めたいモノもありませんから、ほどなくバス車内へと(^-^)
 P.M.5:00には〝ホテル万長〟到着で、夕食は6:00からですから、入浴等で暫しユックリ過ごせそうであります。
 館内イベントで、昨晩は20:10から1階ロビーで〝佐渡おけさ公演〟でしたけど、今晩は夕食を終えますと〝国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」〟ライトアップに出かけます事に。
 で、早速、受付に、1便19:30出発の予約電話を入れますと「時間が来ますと、参加者全員が揃っておられなくても、バスは出発します…」と仲々手厳しいお言葉が(^-^)
 …と言う訳で、まずは入浴を済ませます事に。
 入浴を終えますと、夕食後に出かけます〝国史跡「北沢浮遊選鉱場跡」〟をスマホで検索し事前学習となりました。

 ◆北沢浮遊選鉱場

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)は、かつて新潟県相川町(現・佐渡市)にあった佐渡金山(相川金銀山)の選鉱所。2012年(平成24年)に国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」に指定され、2015年(平成27年)には重要文化的景観「佐渡相川の鉱山及び鉱山町の文化的景観」の構成要素にも選定された。

 <歴史>

 ・歴史
 相川町の北沢地区では、1937年(昭和12年)の日中戦争開始に伴う国策の増産体制の一環として、同年から1940年(昭和15年)にかけて大規模な選鉱施設が整備され、当時としては最新の技術である浮遊選鉱を行う選鉱場のほか、シックナー(濃縮器)が建設された。月間5万トンの原鉱を処理する大選鉱場として操業され、1940年(昭和15年)には佐渡鉱山史上最高の産出量を実現した。

 ・廃止とその後
 しかし1952年(昭和27年)の鉱山大縮小に伴って施設は廃止された。その後は跡地の一部にプールやゴルフ練習場が建設されたこともあった。
 現在では浮遊選鉱場は階段状のコンクリート躯体のみが残され、シックナーは50mのものが1基残っている。また、明治期から整備された旧北沢青化・浮選鉱所や旧北沢火力発電所の遺構も隣接して残っている。

 ・利活用
 遺構は「佐渡島のラピュタ」と呼ばれ、観光スポットとなっている。2010年(平成22年)には広場が整備され、グッドデザイン賞を受賞した。
 2018年(平成30年)からは期間限定で夜間のライトアップが行われるようになった。2022年(令和4年)7月には、選鉱場前にあった佐渡市保有の倉庫をリノベーションして交流拠点「KITAZAWA KICHI」(キタキチ)がオープン。2階にはカフェ「北沢Terrace」が設置され、選鉱場前の広場にはテラス席も設けられた。
 2010年(平成22年)11月に佐渡金山が世界遺産の正式候補となると、2022年(令和4年)にユネスコに対し正式に推薦された。国指定史跡「佐渡金銀山遺跡」としては江戸時代の範囲のみを対象としているが、重要文化的景観の「相川鉱山町」としては北沢浮遊選鉱場がある北沢地区も含まれている。世界遺産の推薦書では北沢地区を含む範囲が推薦されたが、2023年(令和5年)に行われたユネスコ諮問機関による現地視察の結果、2024年(令和6年)6月には「相川鉱山町の中で明治時代以降の影響が強い北沢地区は除外すべき」と指摘を受けた。佐渡市・新潟県・日本国政府は登録実現のために北沢地区を候補から除外し、同年7月の第46回世界遺産委員会で「佐渡島の金山」の登録が決定した。
 なお、北沢という地名は、相川の南を流れる間切川が南沢と呼ばれたことに対して、浮遊選鉱場内を流れる濁川が通称として北沢と呼ばれたことに由来し、正式な町名ではない。濁川は選鉱作業で使った廃水処理に利用された。

 …と、こんな〝北沢浮遊選鉱場〟で、2018年(平成30年)から期間限定で夜間のライトアップが実施され、観光スポットの一つとなっていますようであります。
 夕食を終え、定刻10分前に1階ロビーに下りて行きますと、20名ばかりの方がお集まりでありました。
 で、その方達の後に付いてバスに乗り込み座っておりますと、このバスは、特定団体sanがチャーターのバスとかで、全員急いで下車となりました(^-^;
 未だ定刻前ですから、おかしいなぁ~と思っていたのですけど、GONsan達の乗車バスは、この後に出ますバスでありました(^.-)☆
 こんなハプニングもありましたけど、バスは定刻にスタートで、15分程度で〝北沢浮遊選鉱場〟にと到着です。
 挿入の画像が〝北沢浮遊選鉱場〟のライトアップの様子です。
 別にガイドsanの案内があります訳でもなく、ただ現地にバスで連れて行って貰うのみで、後は各自勝手に散策しながら拝観です(^-^)/
 いゃいゃ、事前にWEB上で〝北沢浮遊選鉱場〟を学習しておいて幸いでした。予備知識も無く、こんなライトアップを眼にしましても何の事やらサッパリですから(^_^)v

 ◆佐渡島のラピュタ -- 北沢浮遊選鉱場跡 --

 --- 新潟県佐渡市 ---
 --- https://magazine.air-u.kyoto-art.ac.jp/fushinjo/11476/ ---

 新潟の海岸線は街灯が少なく、夜の運転中にバックミラーを覗くと真っ黒になります。今回、新潟に移住してから初めて訪れた佐渡島の海岸線も真っ暗でした。レンタカーを運転している私も助手席の友人もずっとしゃべり続けていたのは、少し怖かったのでしょう。目的地に到着すると突然、ライトアップされた廃墟が現れました。その幻想的な雰囲気に気圧された私たちは、しばらく黙り込んでいました。
 その廃墟は、かつて佐渡鉱山から採れた鉱石の処理場として建てられた「北沢浮遊選鉱場(きたざわふゆうせんこうば)」の遺構です。遺された階段状のコンクリートに植物が生い茂るその姿から、映画『天空の城ラピュタ』の世界観を彷彿させると人気の観光スポットになっています。
浮遊選鉱とは、鉱山で採掘された岩の中から金や銀などを取り出す方法のひとつです。細かく砕いた鉱物を界面活性剤などの浮遊剤と一緒に水槽に入れてかき回し、泡とともに浮き上がった金銀粒を回収します。もともとは銅の選鉱工程で利用されていた方法ですが、金銀の回収に応用したのは佐渡鉱山が世界で初めてでした。
明治初期、鉱山の近代化をはかる政府は、佐渡鉱山に西洋人技術者を派遣しています。彼らが離島した後は、日本人技術者たちが引き継ぎました。昭和初期に建てられたこの選鉱場は、彼らが発展させた鉱山技術の結晶といえるでしょう。背景には日中戦争による金銀銅の増産運動がありました。そんな時代背景もまた、映画を思い起こさせるのかもしれません。

 …と、ネット上には、こんな記載もありました。
 挿入画像の最後の2枚は、北沢浮遊選鉱場跡、夜のシックナーです。浮遊選鉱によって不純物を取り除いた鉱石は、シックナーと呼ばれる沈殿濃縮装置でろ過した後、香川県の直島製鉄所へ運ばれましたとの事であります(^-^)//"

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中村GG友の会〝11/25・忘年会〟&〝12/2・忘年GG大会〟(04)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(34)

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 海岸沿いの遊歩道からの尖閣湾の断崖の景観…充分楽しめましたけど、せっかく訪れましたのにグラスボートへの乗船、海上からの海岸美の眺望が叶いませんでしたのは、天候要因とは言え残念でした。

 ◆海中透視船(尖閣湾揚島観光)

 --- https://tabi-mag.jp/ng0408/ ---

 海中公園、そして日本の渚百選にも選定の佐渡を代表する景勝地、尖閣湾(せんかくわん)。海中透視船(グラスボート)が3月中旬頃~11月下旬頃まで運航し、海上から尖閣湾の名付け親・脇水鉄五郎がフィヨルドに例えた断崖を見物することができます。運航母体は尖閣湾揚島遊園と同じなので、入園口で乗船の申し込みが可能。
 15分間隔で運航し、所要は15分という手軽なショートクルーズ。
 カモメやウミネコが船に群がるように飛び、船底からは透明度の高い海を泳ぐ魚を観察できます。
 一部海中公園にも指定されており、離れ岩や岩礁も多く、水の透明度は抜群。
 湾内では海水魚が50種ほど観察可能です。

 …と、こんなグラスボートのようですけど、う~ん、残念(^-^)//"

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 適当にアルコールが廻って来ますと、GONsan達の年代ですから、手に取りたくなりますのがカラオケのマイク(^.-)☆
 どなたが最初に…と思っておりましたら、うん、うん、予想通り、一番手、二番手は、このお二人でありました(^_^)v
 ここからは、ひたすら飲食に集中する方、マイク片手に賑やかに過ごされる方、唄いたくないのに唄わなければならない方、聴きたくないのに聴かなければならない方…と、実に様々で1時間半余りの時間が経過です(^-^)
 因みに、GONsanは、聴きたくないのに聴かなければならない方であり、唄いたくないのに指名されれば一曲、二曲と唄いたがる方でもあります(^-^)/
 が、何よりも、こぅした場を画像に撮りまくりますのが大好きな派…と言いますのが合っていますかも(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(33)

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 尖閣湾の海岸美を充分楽しみましたので、また〝揚島遊仙橋〟を渡りまして、燈台下の渡り口にあります石段を下り〝あげしま洞窟〟から、本日は荒波で乗船不可ですけど、グラスボート乗り場の方に向かってみます事に(^.-)☆
 〝あげしま洞窟〟に入り階段を下って行きますけど、近年、整備されましたのでしょうネ、仲々キレイ。
 洞窟の出口手前辺りは平坦地でちょっとした空間ですから、ここで何かイベントでも行われますのでしょうネ…
 WEB上で〝あげしま洞窟〟を検索しますと、こんな記事掲載が…

 ◆佐渡「尖閣湾揚島遊園」が光の幻想空間に!洞窟内でプロジェクションマッピング始まる、雄大な自然が岩肌を彩る♪

 --- 2025/05/09 14:00 新潟日報 ---

 佐渡市北狄(きたえびす)の観光施設「尖閣湾揚島遊園」内の洞窟で3日から、プロジェクションマッピングが始まった。佐渡の自然をイメージした美しい映像がいっぱいに広がり、隆々とした岩肌を幻想的に彩っている。
 施設は約3キロの海岸線に沿って広がり、切り立つ断崖や、美しい海の景観を楽しめる観光スポット。海中の様子を見ることができるアトラクション「海中透視船」は目玉の一つで、島内外からの来場者から人気を集めている。
 プロジェクションマッピングは、「あげしま洞窟」の中にある海中透視船の乗り場へつながる約50メートルの通路に施された。乗船客を映像美で楽しませ、さらなる集客を狙いたいと初めて企画された。(以下 略)

 ところで、この〝あげしま洞窟〟は、昔から存在しますのでしょうか…ChatGPTに尋ねてみますと、ふん、ふん、昔から存在しますようであります。

 ◆揚島(あげしま)洞窟とは

 佐渡島・外海府(そとかいふ)海岸に位置する尖閣湾(せんかくわん)揚島観光の代表的景観スポットの一つで、海食作用によって形成された 海蝕洞(海食洞)です。
 
 -- 主な特徴 --
 日本海の荒波 によって削られてできた自然の洞窟
 上部に岩が屋根のように張り出し、内部は独特の静けさと神秘的な雰囲気
 観光船(遊覧船)から洞窟の入口付近まで接近して観覧できる
 海の透明度が高く、晴れた日には海底が美しく見えることで人気

 場所:佐渡島の北西部「外海府海岸」、尖閣湾揚島観光(揚島遊園)エリアの見どころの一つ、遊歩道や展望台からも近く、自然景観と合わせて楽しめる場所です。
 名前の由来:「揚島(あげしま)」は当地の地名で、洞窟そのものは“揚島にある海蝕洞”→ 揚島洞窟 と呼ばれています。

 あなた:佐渡の尖閣湾にあります〝あげしま洞窟〟は、昔から存在するのか?近年に作られたのでしたら、その歴史が分かれば嬉しいですが…

 短く結論:あげしま洞窟は「近年に人工で作られたもの」ではなく、海の波に削られてできた自然の海食洞(海蝕洞)で、地質的には長い時間をかけて形成されたものです。ただし、洞窟内部を見せるための遊歩道・照明や、近年導入されたプロジェクションマッピングなどの観光設備は最近の整備です。
 もう少し詳しく説明します。

 ・どうやってできたか(成因)
 あげしま洞窟は海面に面した岩が波の力で浸食されてできる「海食洞(海蝕洞)」に該当します。こうした洞窟は数千年~数万年といった長い時間スケールで波や潮の浸食作用により形成されます(尖閣湾・揚島峡湾を紹介する観光・解説ページでも海食による景観として扱われています)。
 ・人の手で最近「作られた」わけではない点
 観光情報・公式ページは揚島の景勝地として自然の断崖や洞窟を紹介しており、人工洞窟であるという記述は見当たりません。従って洞窟そのものは自然の産物です。
 ・近年の「人の関わり」(観光整備・演出)
 洞窟内部へ通じる遊歩道や照明、洞窟を利用したプロジェクションマッピングなどの演出は最近の観光施策です。例えば洞窟内プロジェクションマッピングは2025年5月に始まったという公式発表があります。洞窟を使った見せ方・施設整備は年々更新されています。
 ・正確な「何万年前にできた」かは?
 観光サイトや公式ページでは洞窟の厳密な地質年次(何万年前に形成されたか)までは示していません。もし正確な年代(地質学的な形成時期)を知りたい場合は、地質調査報告書や学術論文、あるいは新潟県・佐渡市の地質関連資料を確認する必要があります(公開資料を確認して調べることは可能です)。
 要約すると:洞窟自体は自然の海蝕洞で昔から存在するもの。観光のために通路や照明、映像演出などが近年整備されており、それが「新しく見える」理由です。

 …と、こんな〝あげしま洞窟〟でありました。
 洞窟を出ますと、何羽かのウミネコが…波が穏やかでありましたら、ここがグラスボート乗り場となりますのでしょうネ。
 整備されました海岸沿いの遊歩道をノンビリと進みながら、流紋岩を基盤とする標高20mの海岸段丘と海食崖を拝見です。
 >尖閣湾は冬の猛烈な季節風と荒波によって作られた海食崖ですが、もう一つ大きな要因があります。
 >それは尖閣湾の断崖がしま模様の目立つ流紋岩でできているためです。この岩石は、しま模様に沿
 >って剥がれやすい性質があります。尖閣湾の流紋岩はしま模様が縦方向に伸びているため、切り立
 >った風景となりました。
 …との事ですけど、自然の力を改めて感じてしまいます。永い年月を要しまして現在の姿にと形成されましたのでしょうけど、見た感じがよく似ていますのが福井県の〝東尋坊〟。
 ヒマですから、もぅ少し〝ChatGPT〟に質問です(^-^)

 《質問》東尋坊の柱状節理は火山から噴き出した溶岩が冷えていく際、収縮して固まることで形成される多角形をした柱状の割れ目。東尋坊は約1300万年前の溶岩を荒波が削り、複雑で美しい景観を生み出したようですけど、尖閣湾の断崖も同様に形成されたのでしょうか?

 《ChatGPT》
 いい質問 — 結論から言うと、尖閣湾(新潟県佐渡島)の断崖は、必ずしも柱状節理と同じメカニズムでできたとは限らず、むしろ「海食崖(波による浸食でできた断崖/海岸段丘)」的な地形である、という説明が地質情報では一般的です。
 -- 尖閣湾の地形の特徴 --
 尖閣湾は「30m級の尖塔状の断崖が連なる景観」が特徴とされます。
 一帯は「佐渡海府海岸」として国の名勝に指定されており、火成岩や凝灰岩、その他さまざまな地質構造が複雑に分布することで知られます。
 解説などでは「大昔の火山活動で海の底から持ち上がり、長い年月をかけた荒波の浸食作用で削られて現在の険しい海岸崖になった」と説明されています。
 -- なぜ「柱状節理」とはされない/されにくいのか --
 柱状節理は、火山などから流れ出した溶岩や火砕流などが「冷えて固まる過程で収縮 → 多角形の割れ目 → 柱状構造」を生じさせる現象。
 ところが、尖閣湾の崖について、ある案内紙(ジオパーク解説)によれば「岩石は黒っぽい安山岩ではなく、白っぽい流紋岩らしい」との記述があり、また「縞模様が縦方向に伸びていて、切り立った風景になった」と述べられており、この点から「柱状節理による典型的な蜂の巣状の割れ目」は確認されにくいとされています。
 つまり、尖閣湾の断崖は「大昔の火成岩+隆起+長年の海食」という過程を経た“海食崖/海岸段丘”である、というのが現在一般的な説明。
 -- だから「同様」と断定できない理由 --
 あなたが見立てたように、もし尖閣湾が「東尋坊と同じように柱状節理によって形作られた断崖なら」確かに似たメカニズム --- 溶岩の冷却収縮 → 柱状節理 → 侵食で断崖 --- という流れが成立します。
 しかし実際のところ:尖閣湾の解説では「溶岩流の跡」は言及されているものの、「柱状節理が露出している」「六角柱状」「蜂の巣状割れ目」といった記述は見当たらない。
 また「岩石が流紋岩らしい」「縞模様が縦方向」という記述もあるため、安山岩玄武岩に典型的な柱状節理ではない可能性が高い。
 つまり、見かけとして断崖や「切り立った岩壁」が似ていても、その成因(地質プロセス)は異なる可能性が高いのです。
 -- まとめ --
 はい、「断崖 → 海による浸食」という点では、あなたの想像するような“溶岩の冷却 → 柱状節理 → 浸食”と似た流れでできている可能性は 「火成岩 → 隆起 → 浸食」 という意味である。
 しかし、「柱状節理」と呼べるような「多角柱の規則的割れ目 → 柱列」としての構造が、尖閣湾の断崖を説明する資料には確認されておらず、「柱状節理による断崖」とはされていません。
 よって、「東尋坊とは形成の仕組みが異なる断崖」である — というのがおおよその学術的見解です。

 …と、こんな〝ChatGPT〟からの回答でした。ここまで詳しい回答を望みませんでしたけど、ふ~ん、大変勉強になりました(^-^)//"

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 ◆尖閣湾 揚島遊仙橋

 尖閣湾は、姫津から北狄(きたえびす)地区までの約4㎞の海岸で、流紋岩を基盤とする標高30mの海岸段丘と海食崖が続きます。五つの小弯(幽仙峡、立雲峡、金剛峡、膳棚峡、大岬峡)と、遊園地のある揚島がある地域の総称です。尖塔状の断崖が連なる景観をして訪れる人々を圧倒します。一帯は海中公園となっており、揚島遊園(有料)の展望台からは全景が一望でき、海中透視遊覧船(有料)からは、湾内巡りと海中の様子など、違った景色が楽しめます。昭和28年(1953)に、菊田一夫原作の映画『君の名は』のロケが当地で行われ、『尖閣湾』の名は一躍全国に知られることとなりました。
 橋名は、遊仙橋(ゆうせんきょう)ですが、「まちこ橋」とも呼ばれ、松竹映画「君の名は」のロケで吊り橋のシーンが有名になりました。今は頑丈なコンクリート製の橋に架け替えられています。橋を渡った島を揚島(あげしま)といい「あげしま展望台」となっています。5月下旬から6月中旬頃には岩ユリやハマナスの花が岩場に咲きます。

 ◆北欧のハルダンゲル峡湾に匹敵

 -- 佐渡屈指の景勝地「尖閣湾」--
 尖閣湾は姫津から北狄まで約3kmの海岸に広がる5つの小湾の総称です。天下の絶景と賞され世界一と呼ばれている北欧ノルウェーのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らず、正に東西両洋に対をなす海岸美として『尖閣湾』と命名されました。昭和46年には海中公園に指定、さらに平成8年には日本渚百選に選定されています。

 …と、ロケ当時は吊り橋でしたのでしょうけど、現在は頑丈なコンクリート製の立派な橋に架け替えです。こんな〝遊仙橋(まちこ橋)〟を渡りますと、この島が〝揚島(あげしま)〟で〝あげしま展望台〟が存在です。
 ここには、こんな案内板が…

 ◆「断崖の名勝、尖閣湾誕生秘話」

 名勝地「尖閣湾」は第1景から第5景の「5つの峡湾」のことをいいます。高さ約20m、長さ約4kmに及ぶ断崖絶壁です。(看板の左に見える景色)
 尖閣湾は冬の猛烈な季節風と荒波によって作られた海食崖ですが、もう一つ大きな要因があります。それは尖閣湾の断崖がしま模様の目立つ流紋岩でできているためです。この岩石は、しま模様に沿って剥がれやすい性質があります。尖閣湾の流紋岩はしま模様が縦方向に伸びているため、切り立った風景となりました。

 高さ約20m、長さ約4kmに及ぶ断崖ですけど、実に美しい、素晴らしい海岸美。
 暫く見つめておりましたネ(^-^)//"

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 11/25(火)は、前々から中村GG友の会の〝忘年GG大会〟が予定されておりましたけど、残念ながら当日の朝は、天気予報通り朝の内は降雨。
 で、〝忘年GG大会〟は一週間延期で、〝忘年会〟のみ実施となりました(^-^)
 この頃には既に降雨はありませんで、A.M.11:00に中村集会所に集合し、〝あぶと本館〟sanの送迎バスで、阿伏兎観音近くの〝あぶと本館〟へと向かいます。
 参加者は、総勢19名の皆様で、会長sanのご挨拶で、A.M.11:23に忘年会がスタートです(^.-)☆
 この忘年会の様子は、こぅして全てWEB上で公開です。この方達は、大半(19名の内16名)の皆様がGONsanより先輩でありますけど、GONsanに取りましては、気心知れた良き仲間なんであります。
 ですが、勿論、GONsanも同様ですけど、皆さん後期高齢者でありますから、年齢的に、後何年、ご一緒出来ますか(^-^)
 今までもそぅでしたけど、これからも、一人去り…二人去り…GONsanが先なのか…それとも後になりますのか…知る由もありませんけど、人生の一時期をご一緒させて頂き、この良き仲間を決して忘れたくない、そして、決して忘れて貰いたくない…こんな想いから、この日の様子をWEB上に綴っています。
 〝中村GG友の会〟の会員の中には、ご自分の写りました画像の公開を是とされない方もおられるのかも分かりませんけど、何もかも含んで〝悪しからず〟です(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(31)

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 〝まちこ橋(遊仙橋)〟に向かってノンビリと歩いておりますと、まず眼が止まりましたのが「先人を称える碑」と「先人を称えて」の説明碑。
 ふ~ん、元・農林水産大臣の近藤元次sanは佐渡のご出身でありましたか(^.-)☆

 ◆近藤 元次

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 近藤 元次(こんどう もとじ、1930年(昭和5年)6月20日 - 1994年(平成6年)2月16日)は、日本の政治家。位階は従三位勲一等、勲章は瑞宝章。
 農林水産大臣、衆議院議員(6期・自由民主党)を歴任した。息子は元自民党衆議院議員の近藤基彦。

 -- 来歴・人物 --
 新潟県佐渡郡相川町出身。新潟県立新潟工業高等学校を経て日本大学理工学部卒業。
 相川町議会議員、新潟県議会議員を経て、1979年の第35回衆議院議員総選挙に旧新潟1区からに立候補し初当選(当選同期に佐藤信二・保利耕輔・畑英次郎・麻生太郎・小里貞利・岸田文武・白川勝彦・丹羽雄哉・亀井静香・吹田愰・宮下創平・亀井善之・船田元など)。連続当選6回。
 自民党内では宏池会(大平正芳→鈴木善幸→宮澤喜一派)に所属。農水政務次官、党農林部会長などを歴任した農林族の大物で知られ、1990年に第2次海部内閣の農林水産大臣として初入閣。1991年 宮澤内閣が発足すると閣僚経験者では異例の内閣官房副長官に就任。PKO法案成立に尽力するなど政権の裏支えに徹した。なお、1993年1月の宮澤首相のASEAN諸国歴訪に同行していたが、渡航中に体調を崩して肋膜炎を発症しながらもカンボジアでのPKO活動の視察を行った。帰国後に治療を行い一時は公務に復帰し、同年の総選挙で6期目の当選を果たしたが、その後同年暮れに病を再発させ、6期目在職中の1994年2月16日に死去した。63歳没。同月18日、特旨を以て位記を追賜され、死没日付をもって従三位勲一等に叙され、瑞宝章を追贈された。追悼演説は、同年3月30日の衆議院本会議で、当選同期で近藤とともに農林族だった田名部匡省が行い「コンちゃん、充実の時だった」と故人を偲んだ。

 〝先人を称えて〟の説明碑には、文字が不鮮明な箇所もありましたけど、こんな記載が…

 ◆先人を称えて

 この地が、尖閣湾としてよに知られ始めし頃、時折り訪れし客を小舟にて案内せし若者居たり。
 若者の脳裏に、揚島に吊橋掛けたれば海の時化にも関わりなく一時に多くの人が天下の景勝、尖閣湾を島の上より一望すること可能なりと、揚島に架橋の夢芽生えたり。若者は同志ににその夢語らへど、時は日中戦争より第二次世界大戦へと向かひつつありし頃とて、夢のまた夢と消え失せにけり。
 時は経て昭和25年、東北電力北荻川発電所にて導水管工事が架線を張りて行はれたり。架線と吊橋、若き日の夢を想起せし北見佐吉氏は、千載一遇の好機到来、目前に有る架線技術で「揚島に吊橋」をと、村人に説きた。
 架線業者の寄宿先である佐藤忠蔵の、事業家的熱意ある働き掛けにて業者より資材、技術共に全面的支援の約束を得たり。
 暫くして同年十一月、佐渡尖閣湾施設協会として発足せり。時に社員五十余名なり。資金は予定に充たず、社員の現物出資は無論のこと、生活苦しき中労務出役の全てを資本に替えて遂に昭和二十六年六月、村へ待望の吊橋の落成祝賀会を挙行するに至れり。
 県道からは釣り人や野良仕事の人一人が通れるのみにありけるこの地を、かくばかりなる観光地に発展せしめる今日に至れるは、これ全て先人達の先見性有る英知と筆舌にて尽くせぬ労苦にならず。
 四十周年を迎えるに当たり草創期の役員名を裏面に刻してその業績を称へむ。
 -- 平成二年 有限会社尖閣湾揚島観光 --

 そして、〝尖閣湾〟と命名の由来が記されました説明板も(^.-)☆

 ◆尖閣湾

 -- 名称の由来 --
 昭和七年に文部省天然記念物調査委員の理学博士、脇水鉄五郎氏が、この地を踏査された際、天下の絶景と賞され、世界一と呼ばれている北欧ノルウェイのハルダンゲル峡湾の景観に勝るとも劣らず、正に東西両洋に対をなす海岸美として「尖閣湾」と命名されました。そして、
 昭和九年文部省より「名勝」にも指定されました。(脇水博士の経歴は裏面に)

 〝脇水鉄五郎〟sanは、こんな方でありました。

 ◆脇水 鉄五郎

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 脇水 鉄五郎(わきみず てつごろう、慶応3年11月9日(1867年12月4日) - 昭和17年(1942年)8月10日)は、明治から昭和前期の地質学者、土壌学者。東京帝国大学名誉教授。

 -- 経歴・人物 --
 美濃大垣(現:岐阜県大垣市)に生まれる。1893年(明治26年)東京帝国大学地質学科卒業。1896年(明治29年)同大学農科大学助教授を経て、1917年(大正6年)東京帝国大学教授となる。1911年から1915年頃に掛けてヨーロッパおよびアメリカに留学し、オーストリアで森林土壌学、イタリアで砂防学を研究。帰国すると地質学や森林土壌学講座を担当した。樺太および北海道にて気候的植生の土壌に対する影響を調査し、表層地質学の新天地を開拓した。東京帝国大学教授退官後は、史跡名勝、天然記念物の調査員として活躍し、『車窓からの自然界 東海道・山陽編』・『日本風景誌』・『耶馬渓彦山風景論』などの著書を残した。ほか、1907年(明治40年)より日本地質学会評議員、1939年(昭和14年)同会会長をつとめた。

 そぅそぅ、〝尖閣湾〟は、映画「君の名は」のロケ地でしたネ。「名作『君の名は』ロケ地」と記されました、こんな案内板もありましたネ(^_^)v

 ◆君の名は

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 『君の名は』(きみのなは)は、日本のNHKラジオ第1放送で1952年から1954年に放送されたラジオドラマ。小説化、映画化、テレビドラマ化、舞台化もされた。

 -- 概要 --
 脚本家・菊田一夫の代表作。1952年にラジオドラマで放送され、多大な人気を獲得した。ただし、最初の半年間は菊田が「人々の戦争体験を主題に」シリアスタッチで描いていたため、あまり人気はなかった。当初は、東京・佐渡・志摩半島に住む家族を並行する社会派ラジオドラマを目指していた。真知子と春樹との恋愛にドラマが集中し始め、初めて人気番組となった。「番組が始まる時間になると、銭湯の女湯から人が消える」といわれるほどであったという。このエピソードは松竹の宣伝による虚構だという説もあるが、『宣伝・ここに妙手あり』(田中純一郎、1958年)では、映画版の監督を手がけた大庭秀雄夫人の松竹の女優、森川まさみの発言がもとだとしており、『松竹の内幕』(横溝竜彦、1957年)では松竹の重役が考えたとしているなど、記述によって説がバラバラであり、これ自体が根も葉もない噂である可能性は否定できない。
 ラジオドラマの人気を受けて1952年から菊田による小説版が新聞連載ののち宝文館から出版され、菊田にとって初の出版におけるベストセラーとなった。1953年には松竹で映画化されると大ヒットを記録し、氏家真知子のストールの巻き方が「真知子巻き」と呼ばれて女性の間で流行した。
 映画『君の名は』(1953年)から数寄屋橋のシーン。向かって右が岸恵子、左が佐田啓二。
 これは、主演の岸惠子が北海道でロケの合間に現地の寒さをしのごうと、神奈川県横浜市中区の馬車道界隈の店で購入して持参していた私物のストールを肩から一周させ、耳や頭をくるんでいたことによるとされる。この姿はカメラが回っている時にも使われることになり、「真知子巻き」が誕生した。
 第一部の冒頭、佐渡に渡る船上でも真知子は「真知子巻き」に類したストールの巻き方をしている。
 真知子と春樹が再会しそうになる(半年ごとの数寄屋橋での待ち合わせなど)が、不都合が起きてなかなか会うことができない。この「会えそうで会えない」という事態が何度も繰り返された。これは後の恋愛ドラマでもよく見られる描写(演出)であり、本作はこのパターンの典型にして古典となっている。
 2020年の連続テレビ小説『エール』でも劇中劇として使われた。劇中では真知子役は恒松あゆみ、春樹役は三木眞一郎、アナウンサー(語り部)役は尾田木美衣が務めた。

 〝まちこ橋(遊仙橋)〟手前には、燈台が存在です。
 WEB上には、「初灯は昭和39年。荒々しい岩肌と白い灯台の対比が織りなす景観は、想像以上の美しさ。」…と、こんな記載がありましたけど、うん、うん、確かにそぅですネ。
 何となく、絵になります燈台でありました(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(30)

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 ◆佐和田海水浴場

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0402/ ---

 ・利便性の高さが人気!
 河原田商店街から歩いて2分ほどの海水浴場。真野湾にいだかれた波穏やかな遠浅の海岸。佐渡各地へのアクセスも便利な中央エリアに位置し、シーズンには多くの人々で賑わいます。徒歩圏内に飲食店や宿泊施設が多数あるので観光拠点にも最適。隣接する松林の中にはフリーサイト「窪田キャンプ場」もあります。

 ◆佐和田海岸

 --- https://n-story.jp/localculture/佐和田海岸/ ---

 佐和田海岸は、真野湾に面した約4kmの砂浜海岸で、その中の窪田~河原田の海岸が、砂の堆積が1mと少なくクロマツ美林でおおわれていることから「越の松原」といわれている。また、雪の高浜(現在の八幡砂丘)は、その名の通り、冬は雪の体積が最大8mになることがあり、また春から秋にかけても、チガヤの白い穂で雪のようにおおわれる海浜砂丘であることから「雪の高浜」という呼び名が付いた。また、佐和田海岸はウインドサーフィンやジェットスキーなどのマリンスポーツが盛んで、近隣の窪田キャンプ場と併せて、夏は多くの家族連れで賑わう。近年は、毎年9月、佐渡全島をコースにして行われる、佐渡国際トライアスロンのスタート地点となっている。

 …と、こんな〝佐和田海岸〟でのトイレ休憩を終えますと〝尖閣湾揚島遊園〟に向かいます。
 〝尖閣湾揚島遊園〟が近付いて来ましたので、車窓から海の様子を伺いますと、穏やかそうな波に見えましたけど、この程度の波でも〝グラスボート〟はダメなんでしょうねぇ~
 WEB上で検索しますと、こんな〝尖閣湾揚島遊園〟であります(^.-)☆

 ◆尖閣湾揚島遊園(せんかくわんあげしまゆうえん)

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0035/ ---

 -- 尖閣湾を一望する観光スポット --
 「尖閣湾」の第5景「揚島峡湾」に建つ観光施設。展望台から、ダイナミックな景観を一望できます。周辺は「全国渚百選」にも指定されている海中公園。「海中透視船」(有料)で、湾内巡りと海中の様子が楽しめます。2023年にリニューアルした「あげしま海のでじたる館」や、ゆったりくつろげる2階の休憩スペースや売店、軽食堂も併設しています。

 -- 佐渡景勝地尖閣湾の観光スポットに建つ灯台 --
 観光施設「尖閣湾揚島遊園」敷地内に建ち、遊歩道で容易にたどり着けます。初灯は昭和39年。荒々しい岩肌と白い灯台の対比が織りなす景観は、想像以上の美しさ。映画『君の名は』で知られ、灯台はロケ地「まちこ橋(遊仙橋)」の手前に位置します。橋は佐渡屈指の景勝地「尖閣湾」を一望する展望台へと続きます。

 -- 尖閣湾 --
 北欧のフィヨルドに匹敵、佐渡屈指の景勝地
 姫津から北狄まで約3㎞の海岸に広がる5つの小湾の総称。ノルウェーの「ハルダンゲル・フィヨルド」の峡尖美に似ていることから、尖閣湾と名付けられました。30m級の尖塔状の断崖が連なる景観が訪れる人々を圧倒します。一帯は海中公園となっており、揚島遊園の展望台からは全景が一望でき、遊覧船からは違った景色を楽しめます。

 ◆尖閣湾揚島遊園

 --- https://travel.navitime.com/ja/area/jp/spot/02301-1300157/ ---

 ・北欧のフィヨルドに匹敵?荒波がつくった自然の造形美、尖閣湾
 冬の日本海の強い風と荒波がつくり上げた雄大な景色は、高さ約20mの断崖絶壁が連なるジオパーク。遠景、近景どちらもダイナミック!海中にも広がる複雑で切り立った岩々を、海中透視船(グラスボート)で楽しもう!

 ・北欧ノルウェーのフィヨルドに匹敵するほどの美しさ
両津港から車で約1時間。尖閣湾は長さ約3㎞にわたる5つの小湾の総称で、揚島遊園は第5景「揚島峡湾(あげしまきょうわん」に当たる。園内の展望台からは30m級の尖塔状の断崖の連なりを見渡すことができる。また海中透視船では下から尖閣湾の第2景から第5景の大パノラマが見え、違った角度からそのダイナミックな景色を楽しむことができる。この尖閣湾という名は北欧ノルウェーのフィヨルドにも匹敵する美しい景観だということで、1932年(昭和7)、地質学者湧水鉄五郎(わきみずてつごろう)博士によって名づけられた。入り口から入り、食堂とお土産コーナーを見ながらチケットコーナーへ行こう。

 ・地球がつくる大地の公園、ジオパークを思う存分楽しもう!
 揚島遊園(あげしまゆうえん)に入園すると、潮の香りが風に乗って運ばれてくる。どこからともなく佐渡おけさなどの佐渡の民謡が聞こえてきて、のんびりとした気分にさせてくれる。歩きやすく整備された歩道を歩いていると、左手に湾を上から見られる場所があるので、見下ろしてみよう。特に夏は海の中の海藻がなくなり、透明度が増しかなりの深さまで透き通って見える。海面から15mの高さにある遊仙橋から景色を眺めると、崖と広く平らになった田んぼが目に入ってくる。この辺りは海成段丘といって、海底だったところが隆起により陸地になった階段状の地形。地球がつくり出したダイナミックな造形だ。

 ・壮大な大パノラマ、秘境感のある景色
 遊仙橋(ゆうせんきょう)を渡り揚島に到着。ここは一周ぐるりと歩けるようになっていて、岩の質感など間近に見ることができ、岩石好きでなくとも楽しい。この辺りの岩はマグマが冷えて固まってできた「流紋岩(りゅうもんがん)」といわれる縞模様が特徴だ。この縞模様に沿ってはがれやすい性質があるため、尖閣湾は波や風で浸食される以上に切り立った風景になった。展望台では景勝地尖閣湾の大パノラマを一望することができる。海中透視船と崖とを比べて見ると、いかに崖が高いかわかるだろう。5~6月であれば、黒っぽい岩のわずかな緑に、明るいオレンジのイワユリや黄色いトビシマカンゾウを見つけることができる。

 ・海の中の絶景を見られる海中透視船!
 展望台を後に遊仙橋を再び渡り、橋の脇にある階段を下りる。洞窟を越えると海中透視船の乗り場だ。ここまで来たのだから海中透視船への乗船をぜひおすすめする。入り口で乗船券を買い忘れても、乗り場で購入が可能。乗り場に着くと船内で売られているエサを狙うたくさんのウミネコが待ち構えている。ちなみにウミネコと普通のカモメの見分け方のポイントはクチバシと季節だ。どちらもクチバシは黄色いがウミネコはその先端にかけて黒くなり突端は赤い。普通のカモメは渡り鳥で飛来する季節は限られているので、ここで見られるのはほとんどウミネコである。20分ごとに出航する船に乗り込み、ウミネコとともに尖閣湾の遊覧に出よう!

 …と、色々記載がありまして予備知識も少し得ましたので、早速、遊歩道に沿って歩いてみたいと思います(^-^)//"

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今朝のGG、そして、GG後のウォーキング時の一コマです(^.-)☆

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 今朝は、昨朝よりも冷たく感じられましたけど、GGに出掛けます時には、晴れ渡った爽やかな青い空。

 ◆西日本は晴れて穏やかな陽気に
 -- ウェザーニュース --

 西日本も高気圧に覆われ、晴れる見込みです。九州から近畿地方にかけて、朝から夕方まで穏やかな天気が続きそうです。
 朝は昨日よりも冷え込む一方で、最高気温は昨日から少し高くなる所が多くなるとみられます。昼間は比較的過ごしやすい陽気になりそうです。

 こんな天気予報で、多少の冷たさも、穏やかな暖かい日差しの下ですから、GGには最適な天候でしたかも分かりません。今朝は、19名の皆様がお集まりでしたけど、皆さん、気持ち良さそうにプレーしておられましたネ(^_^)v
 掲示板には、先日・12/2(火)に実施の〝忘年GG大会〟の成績表の掲示が(^-^)
 当日、優勝者・入賞者・ホールインワン賞…等の表彰は済んでいますけど、何にも該当しません者の順位は、この成績表で改めて確認です。
 ふん、ふん、GONsanは、18人中15位でありましたか…こぅいぅ大会となりますと、やはり、常日頃の毎朝のGGで成績上位の方々が賞品を手にされますネ(^_^)v
 GGから我が家にと帰って来ますと、風も無く、穏やかな晴天に誘われて、河川敷へウォーキング行きのGONsanでした。
 芦田川右岸の河川敷から、対面の左岸の河川敷に眼を向けますと、ジョギング・ウォーキングしておられます方達のお姿がチラホラと…なのに、右岸では、ワンちゃん連れての散歩の方もおられません(^-^;
 小水呑橋~芦田川大橋間の河川敷の一部箇所は、当分〝河道掘削工事〟で通れませんから、この区間は土手(車道)か、土手下の市道を通らなければなりません。
 これが億劫・面倒で、暫く右岸の河川敷利用者は減少もやむを得ませんのかも…
 それはともかく、水呑大橋下に向かって河川敷を上流方向にウォーキング開始です。
 小水呑橋~水呑大橋間の中間近くにヤッて来まして前方に眼を向けますと、護岸近くの河川敷にヌートリアが一匹日向ぼっこ中(^-^)
 右手の護岸側に眼を向けますと、アオサギ君が何を見るでもなくボンヤリと佇んでいます。陽気な気持ち良さに居眠りでもしていますのかも…
 久し振りにヌートリアを画像に…と進んで行きますと、ヌートリアも意外と目がイィのか、それとも耳がイィのか…未だ随分先なのに、サッサと川面に逃げて行きましたネ(^-^;
 せっかく画像に納めようと思いましたのに…
 仕方ありませんから、護岸から随分離れました川面を頭だけ覗かせて泳いでいますヌートリアを、2枚ばかりパチリです(^.-)☆
 風もありません、まさに〝小春日和〟の本日の天気。芦田川の川面は波もありませんから、鏡なみの景観を醸します。
 この景観を乱さないよう、遠慮がちにヌートリアが進んで行きます様子が、一層、イィ景観となりましたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(29)

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 御井戸には、こんな説明板がありました。

 ◆日蓮聖人『観心本尊抄』硯水の御井戸

 この井戸は日蓮聖人の霊験により掘られたと伝えられ、井戸水を硯水に使い『観心本尊抄』(題目成仏と本尊を明らかにした教義上最も重要な書のひとつ)を書かれたと伝承されます。以降、この井戸水は眼病に効く霊験あらたかな水として地域に広く知られていました。
 仏の教えは衆生の煩悩を洗い清めることから、仏法を水に例えて「法水」と呼びます。右の石塔の御題目は「南無妙(法)蓮華経」と、「法」の文字が書かれていませんが、霊験あらたかなこの井戸水を「法水」として、あえて「法」の文字を書かずに、「妙法の法水」はこの井戸にあることを表すと伝えられています。

 ついでに、ChatGPTにも〝法華堂・御井戸庵〟の歴史を尋ねて見ますと、こんな回答が帰って来ました(^-^)

 ◆佐渡島の「法華堂・御井戸庵」には、どんな歴史が? -- <ChatGPT> --

 ◇御井戸庵 — 概要
 御井戸庵は日蓮ゆかりの地で、佐渡島(新潟県佐渡市)にある「法華堂(ほっけどう)」の一つとされる庵です。
 この地は、当時の信徒であった有力な檀越(檀越屋敷)だった〝中興入道〟の屋敷跡と伝えられています。
 明治期までは古い庵だったようですが、現存の建物は、1767年(明和年間)に〝道照日宣〟法師が開基して再建したものが起源。さらに時代を経て数回改築され、現在のお堂は1997年(平成9年)に建立されたものだと伝わっています。

 ◇なぜ御井戸庵が注目されるか — “霊跡”としての意義
 御井戸庵には「井戸」があり、この井戸から汲んだ水で墨を擦り、文永10年(1273年)4月、佐渡在島中の日蓮が著したとされる教義書〝観心本尊抄〟の執筆に用いた、という伝承があります。
 つまり、御井戸庵は単なる「古い屋敷跡」ではなく、日蓮宗の教義の根幹である書物成立の場として、宗教的・歴史的な重要な“霊跡”と位置づけられています。
 また、御井戸庵は当時の檀越の邸宅であり、その後も地元の信者たちによって庵として守られてきた歴史を持ちます。

 ◇背景となる時代 — 佐渡における日蓮の流罪と布教
 日蓮は鎌倉時代、幕府から弾圧を受け流罪となり、佐渡に送られました。佐渡では厳しい配所生活を送りながらも、教えを説き、多くの信徒を得ました。御井戸庵もその時期の檀越宅の一つとして機能したと考えられます。
 流罪の間、日蓮は書物(たとえば観心本尊抄など)を著すことで教義を整理・展開し、それが後の日蓮宗の基盤となりました。御井戸庵の井戸水がその原点に関わっている、という伝承は、信徒にとって非常に象徴的な意味を持ちます。

 ◇現在の御井戸庵 — 保存と参拝
 現在の御井戸庵は、1997年(平成9年)に再建されたもので、以前からの歴史的伝承を受け継いでいます。
 佐渡島では、「日蓮聖人ゆかりの地」として多数の霊跡があり、御井戸庵もその代表の一つとして紹介されています。参拝コースの一部に組み込まれており、観光と信仰の両方の意味で注目されています。

 ◇補足 — “中興入道”と地域とのつながり
 “中興入道”とは、当時の佐渡にいた有力な人物で、念仏信者ながら日蓮の思想に触れて帰依したとされます。彼の屋敷が御井戸庵の起源である、というのが一般的な伝承です。
 また、後世(明治期以降)にも、地元の人々や僧侶によって御井戸庵は保全され、信仰の場として使われ続けてきた---これが、現代まで建物と伝承が受け継がれている背景と考えられます。

 〝法華堂・御井戸庵〟に関しましては、WEB上に色んな方々が綴っておられますけど、こんな記載もありました(^.-)☆

 ◆御井戸庵(佐渡市中興)

 --- https://ameblo.jp/goreiseki1282/entry-12902609608.html ---

 宿泊していたホテルのほど近くに、「中興(なかおき)」という信号がありました。
 中興といえば、ご遺文にもある「中興入道」を連想しますよね!
 「丈六の卒塔婆を立て…」という「中興入道御消息」は、毎日のお勤めの際に読む、馴染みのあるご遺文です。
 ちなみに「入道」という敬称ですが、必ずしもイコール僧侶ではなく、在家信者でも「入道」のケースはあるようです。ただ位の高い方に「入道」の敬称が用いられる事が多いといいます。
 中興入道も地元の有力者だったのでしょう。
 中興交差点にも能楽堂がありますね。本当に佐渡は能が盛んです。能楽堂の向かいにひっそりと「御井戸庵」というご霊跡があります。
 小さいけどお堂が建っていますね。法華堂です。「中興」という地名からもわかるように、この付近に中興入道一族の屋敷があったと思われます。江戸時代に、道照日宣法師が開基となって庵を結んだようです。
 お堂の裏側に、中興入道の御廟がありました。時代を経て摩耗した小ぶりの宝塔が、中興入道ご夫妻の墓石だと思われます。
 中興入道のお父様は次郎入道信重といい、塚原問答の際に日蓮聖人の法話を聞いて感銘を受け帰依した、佐渡では阿仏房と並んで古参の信者です。子の中興入道も強い信仰を継ぎ、はるか遠い身延山まで日蓮聖人を訪ねて行き、ご供養を尽くしたそうです。
 そのせいでしょうか、先述の中興入道御消息だけでなく、奥様宛てのお手紙などもあるそうで、日蓮聖人とご縁がとても深かったと想像できます。
 ところで、このご霊跡は「御井戸庵」でしたよね。
 井戸にまつわる逸話でもあるのでしょうか?
 実際、お堂に護られた井戸があります。現役の井戸だそうです。一ノ谷の妙照寺が奉納した法塔がありますね。
 お寺の縁起によると、井戸は日蓮聖人の霊験により掘られたもので、井戸水(奥之清水)は眼病によく効いたといいます。
 また、この奥之清水を汲んで草庵に持ち帰り、墨を擦り、観心本尊抄を著したのだそうです。
 その後の教学信仰の根幹をなす渾身の著作を、敢えて一ノ谷から直線距離で2~3kmは離れている中興の井戸水・奥之清水で書いた、というわけですから、この井戸、そして水が持つ霊力の強さが窺えます。
 大荒行を5回も成満された佐渡内他寺のお上人とお話しした際、大荒行中、お曼荼羅を書く修行の時には、中興の奥之清水をわざわざ取り寄せ、墨に足したもので書く、という逸話を教えて下さいました。
 すごくないですか!?
 御井戸庵を訪問したのは朝の6時過ぎ、まだご近所にも人の姿がなく、とても静かに参拝することができました。
 よく清められているご霊跡で、いかに佐渡の宗門の方々が大切にしているかが窺えました。

 〝法華堂・御井戸庵〟の拝観を終えますと、次は〝ホテル万長〟方面に戻り「佐渡屈指の景勝地『尖閣湾』」を観光です。
 当初の予定では、「尖閣湾海中透視船グラスボート」に乗船でしたけど、昨日・今日の荒波では、とてもムリとガイドさん。う~ん、残念(^-^;
 とにかく、〝法華堂・御井戸庵〟とお別れし〝尖閣湾〟へとバスは向かいます。
 が、真野湾に面しますキレイな海浜公園で、暫しトイレ休憩となりました。このキレイな海浜公園は〝佐和田海岸〟でありました。夏には「佐和田海水浴場」として賑わいますようであります。
 周辺を少し散策してみましたら、〝モニュメント「日時計」〟がありました。
 因みに〝日時計〟の時間は、「3↑」に影が少し掛かり右側でしたから、午後3時過ぎと思われます。
 で、おもむろにスマホで時間を確認してみますと、〝15:13〟でしたから、日時計では、まぁこんなもんかも分かりませんネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(28)

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 〝たらい舟〟の乗船体験観光を終えますと、佐渡市中興方面へと戻りまして「中興入道草庵跡 御井戸庵」に向かいます。
 この周辺には観光バスの駐車場がありませんから、近くの〝金井能楽堂〟の敷地内に許可を貰って駐車です(^.-)☆
 この敷地には、「金井町名誉町民 掘治部愛子夫妻之像」が…ご夫妻の像の台座には説明文がありますけど、経年劣化で読み辛くWEB上で確認です。

 ◆堀 治部(ほり じぶ)

 --- https://tamabochi.web.fc2.com/PERSON/H/hori_ji.html ---

 1906.03.28(明治39)~1985.12.21(昭和60)
 昭和期の医師、随筆家、全財産を佐渡の金井町に遺贈

 新潟県佐渡郡新穂村出身。眼科医の本間芳太郎の二男として生まれる。1923.3(T12)県立佐渡中学校卒業。'31.3(S6)北海道帝国大学医学部卒業し医師免許を取得。
 同.9 新潟県佐渡郡上中興村の堀家の一人娘の愛子と結婚。治部は大学在学中(1928)に既に愛子の母の堀シン(同墓)と養子縁組を済ませていた。結婚前に養子縁組をしたのは、治部の祖母こうは堀家から新穂の本間萬吉に嫁した人で、その孫の治部は堀家にとって血縁関係であったからである。また治部が佐渡中学校へ通学する際、自宅の新穂からでは二里(8キロ)余りもあって遠いため、一里足らずの距離にあった中興の堀家から通学をさせてもらっていた。よって、治部と愛子は幼少の頃より兄妹のような関係で仲が良かった。このようないきさつがあり、堀家では一人娘の愛子を治部に嫁がせ、堀家を委ねることを決定したという背景がある。
 '36 堀家第9代家督を相続。同年、医学博士の学位を授与された。'37 支那事変に応召され、上海戦線に参加したが、翌年除隊。除隊後、東京淀橋区戸塚二丁目(東京都新宿区戸塚町)に耳鼻咽喉科医院を開業。医師の傍ら随筆を書き、'67 随筆『四つの旅』、'79 随筆『なにとなく』を出版。
 '80 医院兼住宅の建物が古くなったことから同じ場所に改築。建て替え期間は、静岡県伊豆高原に仮住まいを建てて、一時転居。転居の数か月後、妻の愛子は発熱と下血を繰り返すようになり、検査の結果、胆のうの病気と判明し手術を受けた。手術後、一時は小康を取り戻すが、八月になると再び悪化したため、東京の病院に転居することにした。
 '81.9 建設中だった鉄筋二階建ての新居が完成。一階をコンビニに賃貸し、二階を医院兼住宅として再び開業した。一進一退の病状を繰り返していた愛子は、その後の二度に渡る手術の効もなく、'82.8.9(S57)治部の手厚い看護もむなしく、不帰の客となった。治部は医師でありながら、死の直前まで苦しみ抜いた愛子を救えなかった痛恨の思いと、医療現場の課題を、随筆『影法師』としてまとめ、'83 愛子への鎮魂の書として刊行した。
 治部と愛子は子どもに恵まれず、養子も不縁であったため、かねてから旧家である堀家の跡目が自分たちの代で絶えるのは先祖に申し訳ない、せめて二人の財産を社会のために役立てたいと話し合っていた。そこで、'79(S54)にお互いを執行人とする公正証書を作成し、二人の没後は全財産を公共のために提供する考えを固めていた。その頃、中興の留守宅の管理を任されていた藤原重次郎が、たまたま上京した折に財産提供の話を聞いて、「せっかく寄付するのなら、実家のある金井町の発展に向けてほしい」と要望した。そのことを忘れずにいた治部は、愛子の葬儀を終え、気持ちの整理もついた、'82.10.2「愛子名義の財産の内、東京都の宅地と伊豆の山林を本人の遺贈として金井町で役立てていただきたいと思うので、意向を聞きたい」旨の手紙を藤原に送った。もちろん金井町は、その厚意をありがたく受け入れることとなり、治部はいくつかの希望使途を明記した上で、自分の死後全財産を金井町に遺贈するため万全の措置を講じた。愛子が亡くなった三年後、治部も逝去。享年79歳。
 寄贈された遺産より金井町はその功績に報いるため、'83.1.1 堀夫妻に「名誉町民」の称号を贈った。堀夫妻が名誉町民第1号となる。なお第2号は東京大学名誉教授の生物学者の浅島誠、第3号は日本画家の桑原義泰である。功績を賛えるとともに、夫婦の篤志を後世に伝えるため、中興の堀家跡に「金井町文化会館」を建設し、庭園に堀夫妻のブロンズ像を設置。本格的な能楽堂も併置し、演能をはじめ文化的行事に活用。'90(H2)東京都新宿区西早稲田に賃貸オフィスビルの鉄筋コンクリート地上八階・地下一階の「堀記念ビル」を建設。ビルにはコンビニ、商社、専門学校が入居、その貸賃収入はいったん積み立て、有効に使用すべき旨の町条例が制定された。そして、この多磨霊園に金井町が管理者として堀夫妻の墓碑を建てた。なお、金井町では、堀夫妻の遺徳を賛えるため、'91.3(H3)「金井町名誉町民 堀御夫妻」を刊行し、町内全戸に配布した。
 <金井を創った百人>
 <佐渡人名録「堀 治部・愛子 全財産を町に遺贈した医師夫妻」>

 ◆堀記念 金井能楽堂

 --- https://www.japan47go.travel/ja/detail/81527b95-7082-4191-9ce0-43678bfeff6d ---
 更新日:2025.06.24

 ・世阿弥ゆかりの地に建つ能楽堂
 世阿弥の配所として知られる金井地区の能楽堂。年間を通して、演能や様々な催しが開催されています。屋内の舞台は三方を観客席が囲む配置。6m四方の檜舞台、10m前後の橋掛かり、老松を描いた鏡板から成っています。旧金井町名誉町民・堀治部夫妻の旧宅跡に建ち、夫妻のふるさとへの多大な貢献を顕彰して銅像が建てられています。

 …と、こんな掘治部・愛子夫妻でありました(^.-)☆
 県道306号線沿いの〝法華堂・御井戸庵〟の表示板設置場所から狭い通路を〝法華堂・御井戸庵〟に進みます。

 ◆中興入道草庵跡 御井戸庵
 --- http://park8.wakwak.com/~nichiren/sadonichirensyuu/niibo/oidoan/top.htm ---

 ・お寺説明文
 【聖人硯水の霊蹟】
 中興入道が草庵を建て、大聖人を迎えたという。明治4年(1767)に道照日宣法師が本庵を建立し開基した。その後何回か改築しており、現在の堂は平成9年(1997)に建てたもので、妙照寺の付属建造物である。
 ここには日蓮聖人の霊験により掘られたとされる井戸があり、眼病に効くという。この水を使って「観心本尊鈔」を表したことは有名である。

 法華堂に到着しますと、建物脇に、こんな説明板もありました(^-^)/"

 ◆御井戸庵・御井戸

 日蓮上人ゆかりの中興入道案であり、法華堂という。道照日宣法師が、明和4(1767)に本庵を建立し開基した。其の後何回か改築しており、現在の建物は平成9年の始めに立てられたものである。
 ここには日蓮の霊験により掘られたとされる井戸があり、水は目の病に良く効いたという。
 この水を使って墨をすり、彼の三大経典の一つ、「観心本尊抄」を表したことは有名である。

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(09)

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 〝重顕寺〟への参道を下って来まして、〝いぼ神さん〟へ立ち寄りです。

 ◆いぼ神さん
 40センチ位の自然石を積み重ねたもので、線香の灰を疣(いぼ)に付けると、疣がなくなると云われている。今でも賽銭が上がっています。

 画像の通り自然石が設置され、昔はこの自然石の前に灰皿のようなモノが置かれ、線香でお参りしていましたとか。そして、灰皿の線香の灰を疣に付けますと、キレイに消えましたとか(^-^)
 今でもお賽銭が置かれていますとの事ですから、お参りされます方がおられるようであります。この近くには、〝ハタ川〟が存在です。

 ◆ハタ川
 七泉の一つ、川と云うが流れる川とは違い、水がわき出る所を川と呼ぶこともある。善住寺の下、疣(いぼ)神さんの近く。

 何度も眼にしていますから、〝ハタ川〟の現地確認はパスのGONsan。〝いぼ神さん〟に続いて、次は〝松室神社〟に向かいます。
 〝松室神社〟では、境内には上がらず石段下の鳥居から説明をされます本日のガイドsan。

 ◆松室神社
 元禄4年(1691)の創建、祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)。妙顕寺第22世日潤上人の書かれたお曼荼羅がご神体。
 松尾神社とも。

 ◆松室川
 七泉の一つ。松室神社の北にある。現在も生活用水として使用されている。

 松室神社の鳥居付近には、松室神社・松室川についてのこんな案内板が…

 ◆歩いてふれよう水呑の歴史や風土「ふるさと水呑」案内

 -- 松尾(松室)神社 土井郷・浜郷 --
 町内にある同名神社三社のうちの一社である当松尾神社は、別名松室神社とも呼ばれている。
 その謂われは地名から名付けられたものであり、元禄13年(1700)の検地帳には「西中村谷」の中に「松室」の地名が見える。創建は元禄4年(1691)8月で、文政11年(1828)に再建、他社と同じく明治8年(1875)に神斉となっている。神斉となるめまでは妙顕寺時代々の老師が之を管理していた。
 社殿は創建当時は梁行2間、桁行3間、境内46坪で、当時の妙顕寺住職22世日潤筆法華十界の本尊を納めて御神体としている。
 再建後は社殿梁行1間2尺、桁行1間、拝殿梁行2間、桁行3間、境内は60坪に拡張された。
 安政6年8月に常夜灯を献じ、大正4年5月に鳥居及び玉垣を新築している。
 昭和15年(1940)の水呑尋常高等小学校の調査によれば、祭神は大山作命、日潤上人ご本尊及び同上人真筆曼荼羅を納め、御神体は木札とされ、祭日は(旧)8月11日となっており、祭礼行事は氏子総代5人(5頭)が交代して家にて行い、1年毎に御輿の渡御があった。

 -- 松室川(水呑の七泉) --
 場所は水呑町土井1649(財務省)記録にあり、清涼豊富な水は下流の小学校にも簡易水道として引かれていた。
 形態は後方竹藪の窪地に約1.5坪の堀川で、上部の汲出し口を残し葛石で覆われている。
 ポンプ二基を据え付け利用者は頻繁で、全般によく整備されている。松室の地に因み松室川と名付けられ、元禄地検帳には「さこ田谷」に「松室川尻」との地名も見える。

 参考資料:『水呑町史』『沼隈郡水呑尋常高等小学校史跡調査書』『備後国沼隈郡水呑村御検地水帳』『郷土の史跡巡り・水呑七泉』
 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 令和5年(2023)2月吉日 設置

 〝松尾(松室)神社〟〝松室川〟の説明が終わりますと、今回の〝史跡巡り〟は凡てオシマイです。後は、水呑交流館に戻るのみ。
 参加者の皆様、お世話して頂きました〝水呑歴史民俗資料保存会〟の皆様、大変お疲れ様でした。また、来年も宜敷お願い致しますです(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(27)

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 〝真野観光センター〟前の進路を〝赤玉石庭園〟を横目に進んで行きますと、二つの石碑が存在です。
 この石碑前を左折しますと〝真野御陵(順徳天皇御火葬塚)〟に到着ですけど、この二つの石碑は何なんでしょうネ…
 左側の石碑には、よく分かりませんけど「東宮駮駕之靈」と刻まれていますような…(違うかも)
 そして、右側の石碑も、刻まれています文字が読みにくいのですけど、部分的に「吉田松陰」と「宮部鼎蔵(みやべ ていぞう)」の記載がありますから、吉田松陰と宮部鼎蔵が佐渡訪問時に詠んだ詩を刻んだ石碑のようなものなのかも…と、よく分かりませんから勝手に想像しますのみですけど(^-^)
 真野御陵参詣後には〝真野観光センター〟に立ち寄りですけど、特に求めたいモノもありませんし、トイレ休憩となりました(^.-)☆
 時間を確認しますと、もぅ正午近く。そろそろ昼食時間が到来ですけど、この辺りでは食事可能な施設も無さそうですネ…
 〝真野御陵〟とお別れし、日本海沿いを走行していましたバスは、途中から海岸沿いを離れ、北から南へ島を縦断で、到着しましたのが〝おみやげ市場「小木家」〟でありました。

 ◆おみやげ市場〝小木家〟

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0043/ ---

 佐渡が島、南の玄関口小木港直結のお土産、お食事処です。

 ・佐渡汽船ターミナル直結、佐渡観光の発着地
 「佐渡汽船小木港ターミナル」直結の佐渡名産を一堂に集めたショッピングセンタ-。海産物や銘酒、伝統工芸品、銘菓などがそろっています。喫茶&レストランでは、新鮮魚介を使った釜飯や定食など幅広いメニューを用意。名物は「いか釜めし」。佐渡市認証米“朱鷺と暮らす郷”を特製ダシで炊き込み、上にはイカ、エビ、ホタテなどの海の幸と竹の子、シイタケなどが彩りよく乗った逸品です。

 …と、こんな「おみやげ市場〝小木家〟」でありまして、昼食後には〝おみやげ市場〟を暫し散策後、向かいましたのが「たらい舟・力屋観光汽船」でありました。

 ◆たらい舟 力屋観光汽船

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0045/ ---

 気軽に体験!海上散歩「たらい舟」
 佐渡名物たらい舟と言えば「力屋観光汽船」。女性船頭さんが巧みに操る舟は、旅情を誘います。モーターボートも爽快感あり、佐渡版「青の洞窟」めぐりも人気を集めています。大駐車場、売店や軽食堂もありますのでお気軽にお楽しみいただけます。

 〝たらい舟〟ですか…今までテレビ等で観た事はありますけど、乗船は初めて(^.-)☆
 女性船頭さんのご指導を受け、漕いでみましたが、仲々思うようには進みません。「8の字を書くように漕ぐ…」との事でしたけど、一生懸命漕ぎ進むのですけど、GONsanの場合は、前に進まず、ドンドン後方へ(^-^;
 普通の「舟漕ぎ」になってしまいましたよ(^-^)
 まぁそれでも、楽しいひとときでありました(^_^)v
 この周辺の海岸沿いは、観光船で巡りますと大変美しい景観を楽しめますのでしょうけど、本日は、天候要因から観光船はお休みでしたのかも(^-^)//"

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(08)

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 〝重顕寺〟境内からは、暫し我が町を眺望です。ここからの芦田川大橋~河口堰方向の眺望もまたイィものであります(^.-)☆
 〝重顕寺〟の下には〝善住寺〟がありますけど、ここは立ち寄りませんでスルーでした。GONsanは皆さんの後方を歩いておりましたので、〝善住寺〟の説明がありましたのか否かは分かりません。ただ、史跡めぐりの資料には、〝善住寺〟sanの記載がありましたから…

 ◆善住寺
 永正9年(1512)に妙顕寺第11世重兼上人により創建される。

 …と、こんな〝善住寺〟sanですけど、とにかく立ち寄りもなくスルーでありました(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(26)

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 〝妙照寺〟を後にしますと、次は、〝真野御陵〟にと向かいます。

 ◆真野御陵
 新潟県佐渡市真野の国中平野を望む丘陵地にある順徳院(順徳上皇)の火葬地跡で、正式名称は「順徳天皇御火葬塚」。
 承久の乱が失敗に終わった結果、島流しとなった順徳上皇が還京叶わず崩御された際、荼毘に付されたその跡地に松と桜を植えて目印としたもの。墓所ではないが、御陵と同格扱いで宮内庁の管理となっている。塚から徒歩20分程の場所には順徳上皇を祀った真野宮がある。

 〝真野〟地区に向かいます時間帯・ルートは、信栄バスのガイドsanのご配慮で、〝トキ〟と遭遇出来ます可能性が高い行程を組んで頂けましたようであります(^_^)v

 ◆トキ

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 トキ(朱鷺、鴇、桃花鳥、紅鶴、鴾、学名:Nipponia nippon)は、ペリカン目トキ科トキ属に分類される鳥類。本種のみでトキ属を構成する。
 かつては世界でわずか数羽になるまで減少し絶滅の危機に瀕しており、日本では環境省レッドリストで「野生絶滅」の状態にあった。しかし日中両国の保護によって、2000年代以降は個体数が回復していった。2019年時点の個体数は、中国が2,600羽、日本が600羽、韓国が363羽。
 学名は Nipponia nippon(ニッポニア・ニッポン)で、日本の国鳥ではないものの、しばしば「日本を象徴する鳥」などと呼ばれることもある。新潟県の「県の鳥」、同県佐渡市と石川県輪島市の「市の鳥」である。

 ◆佐渡の野生トキ、放鳥14年で初の500羽超え…「本州での放鳥を目指す」

 --- 2022/10/14 10:17 讀賣新聞オンライン ---

 環境省佐渡自然保護官事務所は13日、新潟・佐渡島の野生下で生息するトキが推定569羽(8月末現在)となったと発表した。野生復帰に向けて同省が2008年から実施する放鳥事業の開始以来、初めて500羽を超えた。
 生息数のうち、放鳥は151羽、野生生まれは418羽で、野生生まれが全体の7割強を占めた。
 生息数は、昨年末時点で478羽だった。同事務所は、 猛禽もうきん 類に襲われたり、寒波で死んだりする個体が少なかったことなどが増加の要因とみている。
 また、同事務所は、野生下で生息するトキ184組(前年比37組増)が営巣し、うち60組(同26組増)から133羽(同57羽増)が巣立ったと推定されるとの今年の最終的な繁殖結果も明らかにした。
 稲刈りの田んぼのそばで餌取りするなど、トキは島内で身近な存在になりつつある。同省は、野生復帰に向けた行程表で、国内の成熟個体の生息数1,000羽以上を最終目標に設定している。26年以降に石川県と島根県の2地域でも本州初となる放鳥を行う予定だ。
 同事務所の沢栗浩明・首席自然保護官は「500羽は一つの節目ではあるが、本州での放鳥を目指し、この先も取り組みたい」と述べた。

 …と、こんな〝トキ〟の現状のようであります。
 真野に向かいます途中の田んぼには、数羽のトキが…そして、実にタイミング良く飛び立ってくれましたけど、〝トキ〟の羽根の裏側の美しいこと\(^o^)/
 〝トキ〟が羽根を閉じています時には、ほぼ白一色に感じますけど、飛行中の〝トキ〟の羽根の裏側…何とも言えません美しさ。羽根の裏側が、こんなにも美しいとは、全く知りませんGONsanなのでありました(^.-)☆
 ですが、哀しいかな、その美しい姿を画像に納めます事は叶いませんでしたネ(^-^;
 車窓から〝トキ〟を眺めながら、バスは国府川を通過です。その際に、ガイドさんが、曽我ひとみさんと母・曽我ミヨシさんの拉致事件について触れられましたネ。

 >1978年(昭和53年)8月12日、曽我ひとみさんと母・曽我ミヨシさんは、旧・真野町(現在の佐渡市)で「買い物から自宅へ帰る途中」に
 >北朝鮮の工作員に拉致されたとされています。被害発生現場は自宅近辺であるとされ、市や関係者の視察記録には国府川(こくふがわ)
 >河口付近の真野地区が拉致現場の一つとして言及されています。
 >なお、警察や自治体は正確な経緯・所在の解明を続けており、細かな地点については公開情報に限りがあります。

 …との事で、「拉致された場所は、この辺りです…」と話されました際に、車窓から外に眼を移しますと〝タバコ屋〟sanの看板が見えました。
 後で、Googleマップで確認してみましたけど、この辺りでしたのかも…
 拉致されましてから、既に47年で、日本に帰国されましてから、もぅ23年経ますのですねぇ~この永い期間に想いを馳せますと、何とも言えません感慨が…
 こんなモヤモヤ感に包まれていますと、バスは〝真野御陵(順徳上皇火葬塚)〟へと到着です。バスは、〝真野観光センター〟真ん前の駐車場に。

 ◆真野観光センター
 -- 史跡の里に建つ老舗みやげ店 --
 「真野御陵」に隣接。無名異焼、各種銘菓、地酒など佐渡の名産品を幅広く取り扱っています。また、佐渡で産出される「赤玉石」は、皇居や伊勢神宮にも設置されている銘石。その美しい輝きを配した赤玉石庭園で、展示・販売をしています。食事は団体のみですが、大佐渡山脈、真野湾を眺望する喫茶があります。

 ◆真野御陵(まのごりょう)
 -- 還京叶わず佐渡に散った順徳院の火葬塚 --
 正式には「順徳天皇御火葬塚」。順徳上皇は「承久の乱」で佐渡配流となり、在島22年の末1242年、46歳で崩御。翌日、火葬され、その跡に松と桜を植え目印としたのがこの火葬塚です。御遺骨は翌年帰京。父帝・後鳥羽上皇墓所のかたわらに安置されました。火葬塚は御陵と同格扱いで宮内庁の管理。近くに順徳上皇を祀った真野宮があります。

 〝真野観光センター〟には、後で立ち寄りますので、先に〝真野御陵〟へと向かいます。が、赤玉石が所狭しと並びました〝赤玉石庭園〟には、珍しさもありまして足が止まりましたネ(^-^)庭園には、こんな案内板が…

 ◆佐渡銘石 赤玉石
 赤玉石は、日本三大銘石の一つで、両津市赤玉部落より産する良質の鉄石英を赤玉石といい、古来より赤は炎を連想させることから魔除け石といわれ、島内の各家庭でも玄関や床の間の飾りとして愛用されています。

 WEB上で〝赤玉石〟を調べてみますと、こんな記載もありました。

 ◆佐渡赤玉石とは?特徴・価値を解説!

 --- https://nikkoudou-kottou.com/blog/jewelry/12195 ---

 ・佐渡赤玉石とは?
 佐渡赤玉石は、産地である新潟県佐渡市をはじめ各地で採取される石を指します。名前からして佐渡の特産品のように思われるかもしれませんが、実は北海道や静岡県、富山県などでも採取されています。
 しかし品質としては、佐渡市で採取されたものがいちばん良いとされています。
 そんな佐渡赤玉石は、鉱物学的には石英の一種です。石英は二酸化ケイ素の結晶で、本来なら無色透明に近い仕上がりになりますが(完全に無色透明のものは「水晶」と呼ばれます)、佐渡赤玉石はその成立過程で赤みを帯びた酸化鉄が入り込むことによって、赤い色に仕上がっています。
 独特の色合いがあるということで、鑑賞石の世界では古くから珍重されてきた歴史があります。特に表面を丁寧に磨くと独特の光沢が出てつやつやした質感になるということで、高い人気を誇ります。
 また、赤い色は古くから魔を払う効果があると考えられてきた歴史があることから、佐渡赤玉石はパワーストーンのひとつとしても人気があります。

 ・佐渡赤玉石の価値
 佐渡赤玉石は、磨き上げたときの光沢や鮮やかな赤、独特の風合いもあって鑑賞石・銘石として高い人気を誇っていますが、それと同時に高い価値を持つ石でもあります。
 もちろん多くの鑑賞石・銘石がそうであるように、大きさや形状、状態によって価値は大きく左右され、数千単位の値しかつかないこともあります。
 一方で、状態が良ければ数万単位の値がつくことも珍しくありません。
 たとえばテレビのお宝鑑定番組で2つの佐渡赤玉石が同時に出品されたとき、一方は数十万円、もう一方は数百万円という大きく違うプライスが発表されたことがあります。

 ◆佐渡赤玉石ってどんな石?

 --- https://www.ne.jp/asahi/isi/akadama/setumei.htm ---

 佐渡市(旧両津市)の赤玉地区より産出されるものだけを佐渡赤玉石といいます。鉄分と石英が高熱と高圧で結合した石で、非常に硬く(硬度は6.5~7.0)磨いたときに透明感のある光沢がでます。色彩の美しさは日本一と言われて日本三大名石のひとつとされます。
 〝赤玉〟という呼び方には、二つの説があります。一つは玉のように一つずつ出てくるからだと言う説と、もう一つは玉(ぎょく)のような輝きをもつ石だから赤玉石というと言う説がありますが、現在では後者の説が一般的です。
 天正18年に真野俊隆が佐渡産の赤石を豊臣秀吉に献上したことがあり、このときは〝朱真石〟と呼んだといわれます。
 古事記や日本書紀にも赤玉の歌があり、この歌が佐渡産の赤玉石に由来するという学説をとなえる人がいるが、定かではありませんが、弥生時代より加工され、勾玉や管玉として装飾品に使われ、江戸時代にはキセルの根付などにも使われました。適度な大きさのものは、磨いても自然のままでみても良いことから観賞石や水石として珍重され、また大きなものは、庭石として使われました。庭石としては石組みに使うものではなく、必ず一石を庭や玄関等の目立つ所に置き眺める飾り石です。また古くから朱(赤)は魔を払うと言われることから、佐渡赤玉石は縁起の良い石といわれ、佐渡では家の玄関や床の間に家の守り石として飾られてきました。しかし、近年では産出量はほとんど無くなってしまい、非常に貴重な石になっています。

 真野御陵(順徳天皇御火葬塚)が近付いて来ますと、こんな説明板もありました。

 ◆中部北陸自然歩道 順徳天皇御火葬塚

 承久の変(1221年)で佐渡へ御遷幸の順徳帝は、在島22年仁治3年(1241年)9月46歳で島の行在所で崩御された。この真野山で御火葬、御遺骨は翌寛元元年(1242年)4月従臣藤原康光によって都に帰られ、大原の父後鳥羽帝の墓所の傍らに埋葬された。
 この御火葬所の地は従来「真野御領」と称されてきたが、明治22年6月京都大原墓所が陵に定められると、ここは「御火葬塚」となるが御領と同じ取り扱いをされ宮内庁で管理。
 戦国内乱期に境内は大いに荒廃したが、江戸時代延宝6年(1678年)国分寺と末寺(御領別当)真輪寺の僧の修復願出により、時の佐渡奉行曽根五郎兵衛は幕府の許可を得、翌年には方五十間の環境域復旧した。外部の石垣は明治8年相川県参事鈴木重嶺の修復になる。
 -- 環境省・新潟県 --

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〝浜あおむし公園〟内の放置自転車…一週間経ましたので水呑交番へ…

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 我が家近くに存在しますこの公園、「浜あおむし公園」と言いますけど、一週間ばかり前から公園東側入口の〝防火水そう〟横に放置自転車が…
 初めて眼にしました時には、どなたかが置いておられるのだろぅ…程度に思っておりましたけど、以降はズッと同じ位置に…こんな状況では、盗難自転車が乗り捨てされ、この場所に放置状態なのかも分かりません。
 面白いのは、この自転車のカギがサドルの上に置いてありますところかも(^-^)
 カギは、所定の位置に差し込まれていればイィのに、わざわざサドルの上に…何でなのでしょうネ(^-^)
 まぁ、イィのですけど…
 とにかく、このまま知らん振りしていますのもイケませんから、昨日の午前中に水呑交番に出かけ、公園に放置自転車があります旨を届出となりました。
 交番から戻り、再度、この放置自転車に眼を向けておりましたら、早速、お巡りsanがご来訪で現場確認となりました。
 その様子を傍で見ておりましたら、たまたま浜自治会の方が通られまして、「この自転車は三週間前から放置されている…」との事で「交番への届出は済んでたのですか?」と尋ねますと、「いや、未だ。自治会長と相談して、1ヶ月ばかり、このままで様子を見よう…それから、警察への届出を考えようと言う事に…」とのお返事が(^-^;
 いゃいゃ、それはまた、浜自治会長sanも実にお粗末なご対応を…
 このまま放置しておりますと、放置されています盗難自転車が、また、盗難に遭います二次被害発生の可能性も。それに、公園内で遊んでいます児童の皆様が、放置自転車を使用してケガ等をします危険性も。
 もし、自転車の盗難届を提出済みの所有者であれば、一日も早く、手元に返して欲しい…との強い願望もあるでしょうし…
 …と、こぅした事情に想いを向けますと、〝1ヶ月の様子見〟も、どぅなのかと…
 8枚の挿入画像の内の、後の3枚は、お巡りsanが現場確認時に撮りましたものなんですけど、背景として写りました後方の公園内の電話ボックス内に、利用中の方がお一人おられますからビックリです(^.-)☆
 我が家から周囲500m圏内に、こぅした公園は4ヶ所存在しますけど、公園内に電話ボックスが存在しますのは、この「浜あおむし公園」のみなんです。とは言いましても、設置から現在まで、公衆電話ボックスを利用しておられます方のお姿を眼にした事はありません。
 ここに電話ボックスが設置されましてから、早や10年程度経ていますけど、今まで一度も利用者を眼にしてはおりません。が、この日は、多分70代後半くらいの女性がボックス内で会話中。
 今まで、この電話ボックスは、災害発生等の非常時で、電話が繋がりにくい状況時の対応として設置されていますものと思っておりました。が、平時に利用の方もおられますのですねぇ(^_^)v
 それにしましても、どんな会話を?…
 まさか、振込詐欺の実行犯との会話でも…
 チョッと気になりますから、公園内をチェックしているかのように電話ボックスに近付いて行きますと、たまたま眼が合いましたけど、和やかなお顔で談笑中。犯罪絡みの会話ではないのかも分かりません。が、どんな事情で公衆電話の利用を…
 公園内の公衆電話ボックスと言いますと、GONsanには、決して忘れられません想い出が…
 〝阪神・淡路大震災〟発生の、1995年(平成7年)1月17日は、当時、徳山市(現・周南市)に暮らしておりまして、地震発生の夕方、神戸市の鈴蘭台に暮らしています叔母に、何度電話しましても不通です。
 で、鈴蘭台も大きな被害を受けたのかも…と心配しておりましたら、テレビで〝公衆電話では、繋がり易い〟と知らされ、急いで住居近くの公園内の公衆電話ボックスへ。ここから電話しますと、難無く繋がり、叔母の状況を把握出来ました。
 激しく揺れたようですけど、鈴蘭台では建物被害も少なく、住民もみんな無事…と聴き、ホッとしました当時の様子が、こんな公衆電話ボックスを眼にしますと、未だに鮮明に蘇ってしまいます。家の固定電話では何度試みましても不通でしたけど、公衆電話では、一回で難無く通話。
 地震発生の午後、この日も日課のウォーキングで〝菊水山(459m)〟に登りましたようですけど、眼下の神戸市街地が悲惨な状態で、足が震えた…と言っておりました叔母の言葉が、未だに鮮明に脳裏に蘇ってしまいます。
 とにかく、この時の、公衆電話の有り難さは、未だに忘れる事が出来ません。
 こんな経緯もありますだけに、電話ボックス内の女性…どんな方と、どんな会話をしておられますのか、本当に気になります。何故、公衆電話ボックスを使用しておられますのか、その理由も(^-^)
 この放置自転車…もぅ何年も使用しておられますのでしょうけど、丁寧に、大切に使用しておられます様子は、GONsanでも伺えます。
 きっと、心当たりを捜しておられますのでしょうけど、早く、所有者の元に戻って行きますと宜しいですネ(^-^)//"

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月初ですから、朝のGGから戻りますと、墓地へ草取り行きのGONsanでした(^.-)☆

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 11/25(火)の朝は、あいにく降雨でしたから、〝忘年GG大会〟は一週間後に延期で、当日は〝あぶと本館〟で忘年会のみを実施となりました。
 それから、早や一週間経過で、明日は〝忘年GG大会〟の開催です。で、本日の朝のGGは、練習がてら参加者は多いのかと思いましたら、18名の皆様がお集まりでありました。明日の参加者から勘案しますと、まぁこんなもんですネ(^.-)☆
 それにしましても、本日は皆さん本気モード全開で、前半の8ホールで3名、後半の8ホールで3名の方達がホールインワンですから、ご立派、ご立派(^_^)v
 この好調が明日も続きますのでしょうから、内心、面白くもなんともありませんGONsanです。相変わらず、先輩の皆様は、よぼよぼ歩いておられましてもお上手ですから、苦笑してしまいますよ(^-^)/
 朝のGGから戻って来ますと、月初ですから妙性山墓地へ草取り行きのGONsanです。
 毎年、この時期には、墓地の一角に存在します柿の木に眼が止まってしまいます。
 今年もいっぱい実を付けておりました(^_^)v
 実に小さな、大変キレイな柿なんですけど、食べた事が有りませんから味の方は分かりません。幼少時に、祖母から「貧乏ガキだから、キレイだけど、種が多くて実は少ない。おまけに渋いから食べられない。つるし柿にすれば大変甘くて美味しいけど、小さいから手間が掛かって大変。要するに、食べられない…」と、教えられましたような(^-^)
 困った時の〝ChatGPT〟で、またまた質問してみました(^.-)☆

 ◆質問 -- 小粒の大変キレイな柿が数多く実を付けていますけど、この柿の名前は?そして、味は?

 ◇写真に写っている柿は、小粒で丸く、橙色が濃い晩秋の渋柿の特徴をもっています。形や大きさから、一般的には次のような品種が候補になります。
 ・考えられる柿の品種
 ①豆柿(まめがき) -- とても小さく、ビー玉~ピンポン玉ほどの大きさ。日本各地の古い集落や寺院の敷地・山間部によく植えられる。実が非常に多く付く。種が大きめで果肉は少なめ。強い渋みを持つ。
 ・写真のサイズ感・実の数の多さから最も近いのは豆柿です。
 ②四ツ溝(よつみぞ)などの小型渋柿 -- 小粒で実が多くなる渋柿の系統。干し柿用として使われる。豆柿よりはやや大きいが、やはり小型。もし実が「ピンポン玉より少し大きい程度」であれば、こうした小型渋柿の可能性もあります。
 ・味について -- 生のまま…ほぼ確実に渋いです。豆柿はとくに渋味が強烈で、生食はできません。アクが非常に強く、口の中がぎゅっと縮むような渋さになります。干し柿・焼酎渋抜き後…とても甘くて濃厚。干すと甘味が強く、ねっとりとした濃厚な味わいに。豆柿の干し柿は昔から「小粒だが甘さが強い」と評判です。
 ・まとめ -- 品種の有力候補:豆柿(まめがき)。味:生だと強い渋味。干すと甘くて濃厚。もし、実のサイズ(直径○cmくらい)をご存じでしたら、より正確に絞り込めますので、教えていただければさらに詳しくお答えできます。

 …と、こんな回答が帰って来ましたけど、やはり渋柿でありましたか。見た目は実に美味しそうなんですけどネ。
 まぁ、美味しければ、墓参り時に、一つ、二つ…と、もぎ取って食べますのでしょうけど、そんな光景を眼にした事がありませんから、皆さん、よくご存知なんでしょうネ(^-^)
 それにしましても、鑑賞では充分楽しめます『豆柿』であります(^_^)v
 さて、墓地の方ですけど、寒い時期ですから草はあまり生えてはおりませんけど、落ち葉の清掃が大変です。当分、墓参りの度に落ち葉清掃が続きそうですネ(^-^)//"

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(07)

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 水呑八幡神社からは、熊ヶ峰への登山道を六方学園方向に少し上がって行きますと、右手の山側に〝葛城神社〟が存在です。
 ここには、こんな説明板の設置が…

 ◆葛城神社

 熊ヶ峰と並ぶ葛城山の九合目あたりに安元元年(1175)頃から在りました。葛城神社の祭神は素戔鳴(すさのお)の子一言主神で本社は奈良県葛城一言神社である。官簿写しには、所在地を簑島砂原として、社殿梁行一間、桁行一間半、境内九坪、氏子二戸とあり、1867年ごろ佐々木一右衛門なる人、今の八幡神社の南山上岩亀に移し、明治四十四年(1911)夏再び葛城山九合目に神殿六間二間・参拝所三間半・控所六間二間を新築移転する。
 昭和30年(1955)に、現在地へ移されました。
 住職は年老いた為、故郷の矢掛妙泉寺に帰り、現在地には葛城大尊天として祀られている。(大尊天とは仏の神である)
 由来記によれば、安元元年(1175)小松内大臣重盛公、厳島神社参詣の途中、この山に登り当社と熊野神社を祀ったとも伝えられています。(水呑町史より)

 ◆山神(やまがみ)

 葛城山の登山道八幡神社より70米ぐらい登った右手七間奥に高さ二尺位の文字の無い石碑がある。土地の人は此れを山神と呼んでいます。
 この石碑の由来は元文元年(1736)3月25日の夜、太鼓勘兵衛という人夢に髪は禿にして、一足の鬼形来て何とて我を不祭ぞ、早く可祭勧請をば、重顕寺日明に頼めと呼で山奥へ走行。
 此の時日明上人白衣に紫の袈裟をかけて居給たまへると見て夢覚侍り傍面日明を導師として山田山に勧請す。
 其後山の役人小林如七と云者、公用の薪を切らせるが、既に此社の木も切らんとしける時、久太郎云う者、是は山神の神木にて候と申しければ、きらざりけるなり。(水呑町史より)

 ◆蘇命水(そめいすい)

 重盛公、熊ヶ峰山上に向かう途中、6・7合目のところで主従共に息も絶えるかと思われるほど疲労のところに白髪の翁が現れて、傍らにあった岩を取り除いたら、たちまち冷水が湧き出す。
 公、これを飲んだところ間もなく元気を回復したので、重盛公がこの水を蘇命水と名付けたと伝えられる。
 時に翁は何者であるかと、公が尋ねたところ、吾はこの峯の頂上に祭られる(かつらぎ大権現)の待者であると。(葛城山縁起より)

 -- 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民俗資料保存会 令和2年2月設置 --

 〝山神〟〝蘇命水〟には向かわずに、〝葛城神社〟からは〝重顕寺〟に向かいます。

 ◆重顕寺
 応長元年(1311)創建、真言宗。日像と法論の末、日蓮宗に改宗する。備後では最初の日蓮宗のお寺。

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(25)

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 ◆妙照寺火災発生時の一時情報
 ・妙照寺の所在地・参道・仁王門など、境内構成に関する説明(寺院公式や観光案内)。本堂・祖師堂・宝蔵・経蔵などの建物名が紹介されています。
 ・2021年12月6日の火災で「本堂・祖師堂・三十三番神堂・庫裏の4棟が全焼」したという報道。
 ・涅槃図は「土蔵(宝蔵・収蔵庫)に収蔵されていた」として、蔵は被災を免れた可能性が示唆されています。

 焼失を免れました「経蔵」脇の石段を上がった少し高い所から境内を見渡しますと、今は、再建中の本堂のみが中央に…
 2021年12月6日以前には、本堂の周りに祖師堂・三十三番神堂・庫裏・宝蔵・経蔵の建物が存在し、日蓮聖人が「観心本尊抄」を著し、「法華曼陀羅」によって教義を確立させた地として日蓮宗の霊跡であります「妙照寺」。
 永い歴史のあります古刹でも、火災が発生しますと何もかも失ってしまいます。再建中の本堂を見下ろしておりますと、改めて火災の怖さを痛感してしまいますネ。
 火災と言いますと、先月中旬(11/18)に発生しました大分県佐賀関の大規模火災。火元は空き家とも聴いていますけど、火災発生当日は、立っていられません程の強風が吹きまくっていましたとか…
 妙照寺の火災発生時も同様でしたのかも…
 境内での焚き火が目撃されていますけど、強風に煽られ一瞬のうちに燃え広がりました可能性が無い事も…
 当時の火災発生時の報道ニュースによりますと、あまりにも激しい燃えかたですから、この時期の空気の乾燥・強風等が容易に想像されてしまいます。
 思い思いに過ごしておられます皆さんを画像に納めながら、少々虚しさも抱いてしまいますGONsanでありました。
 あまり信心深いGONsanでもないのですけど、そぅは言いましても、やっぱり、焼失前に、訪れたい〝妙照寺〟でありました(^-^)//"

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(06)

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 鳥居に続きます石段を上がりますと、〝武宮神社〟にと到着です。ここには、〝三王社〟も祀られています。
 境内の鳥居・石灯籠の近くには、こんな警告案内板が!

 ◆警告!
 鳥居・灯籠が倒壊する恐れがあります。絶対に近寄らないで下さい。-- 武宮神社 --

 永年の風雨にさらされ経年劣化、老朽化が進み危険な状態とはイケませんネ。怖いですネ。
 とは言いましても、たった今、皆さんで石段を上がり鳥居を潜りましたけど、この警告案内を眼にしまして初めてドキッ(^-^;
 何の為の警告案内なのか、思わず苦笑が(^-^;

 〝史跡めぐり〟で貰った資料には、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆武宮神社
 創立不明、1500年ごろは水呑の氏神さんとして祀られていたと云われている。祭神は大己貴命(おおなむちのみこと)大国生命(おおくにぬしのみこと)別命(上の森)これに対し(下の森)は鍛冶屋にある。

 ◆三王社
 本社は滋賀県大津市坂本にある、比叡山の守護神である、日吉大社の別称である。祭神は大山昨神(おおやまくいのかみ)。三王とは山の神の意味。

 〝武宮神社〟とお別れしますと、〝水呑八幡神社〟に向かいます。

 ◆水呑八幡神社
 永禄13年(1570)に、瀬戸の福井八幡神社で論争の末、水呑の人が御神体を持ち帰り、洗谷の一本木と云う所に御神体を祀ったのが水呑八幡神社の最初である。慶安4年(1651)現在地に鎮座する。祭神は仲哀天皇、応神天皇、神功皇后。

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ジャンル(絵日記)
日常生活を通じて眼にしたこと、感じたこと、出掛けた先の景観…等を、備忘録代わりに絵日記として綴っております(^-^)/"
ギャラリー
  • 10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)
  • 10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)
  • 10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)
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  • 10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(40)
  • 〝ジェンダー川柳〟…昨日、受賞作品の発表がありましたようですネ(^.-)☆
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 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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