GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2025年11月

本日廻って来ました自治会回覧に「イノシシ出没」への注意喚起が(^-^)/

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 本日廻って来ました自治会回覧の中に「イノシシ出没」への注意喚起のご案内が…
 11/27(木)の朝、学童の皆様の通学時間帯でイノシシが出て来ましたようですネ。
 何でも、中村町内の〝井出川〟水路内を、体長約70cmの衰弱したイノシシ一頭が歩いていましたとか…で、福山市と猟友会の支援を貰い駆除されましたとか…
 そぅ言えば、11/28(金)の午前中に、〝すぐーる〟(スクールサポートスタッフ連絡)でも、こんなメッセージを着信しておりました。

 ◆すぐーる -- 11/28(金)10:36 --

 《イノシシにご注意ください。》
 昨日、児童の登校時間帯に、水呑小学校近くの用水路(井出川)にイノシシが出没しました。発見した児童が、地域の方にすぐに伝え、対応をしていただいたおかげで、怪我人はいませんでした。
 イノシシは市職員の方々や地域の方々により駆除されましたが、今後、校区内に別のイノシシが出没する可能性もあります。
 児童には、イノシシを見かけたら、
  ・近づかない。
  ・自分で追い払おうとするなど、刺激しない。
  ・大人を呼びに行く。 と指導しています。
 地域・保護者の方々におかれましても、添付の福山市農林水産課の注意喚起チラシを参考にしていただき、ご注意ください。
 なお、イノシシを見かけられた場合は、警察か福山市農林水産課(928-1033)に通報をしてください。

 -- 水呑小学校 --

 …と、こんな連絡でありました。
 我が町内でも頻繁にイノシシの出没が有りますのか否か、よく分かりませんけど、こぅして具体的にイノシシの目撃を知らされますのは、実に久し振り。
 井出川の川底を、おぼつかない足取りで、トボトボと川上方向に歩いていましたようですけど、食べ物に窮していましたのでしょうねぇ~駆除されましたとは、可哀想ですけど仕方ありません。
 何らの被害も出ませんでしたのは幸いでしたけど、今後も留意しておかなければなりませんネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(24)

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 鈴木日教貫首からご挨拶と、〝妙照寺〟の沿革・近況等のお話しがありましてから、〝曼荼羅奉掲塔〟の前で御開帳です。
 御開帳を終えますと、主要な建物は焼失ですけど、一応、境内を拝見です。

 ◆妙照寺
 日蓮聖人が庵を結んだ名刹。「開目抄」を記した塚原の三昧堂から一谷(いちのさわ)に移り、1274年に赦免されるまでの約2年半を過ごしました。「観心本尊抄」を著し、「法華曼陀羅」によって教義を確立させた地として日蓮宗の霊跡となっています。日蓮聖人自らが山号・寺号を授けた寺としても知られ、草庵跡地に祖師堂が建っています。

 …と、WEB上には、焼失前の〝妙照寺〟のこんな記載が…
 山門正面には、どっしりとした茅葺屋根の本堂が存在しましたのでしょうけど…もっと早くに〝妙照寺〟を訪れておりましたら参詣が叶いましたのに、本当に残念ではありますネ。

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(05)

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 〝史跡めぐり〟に参加されます方々が、ぱらぱらと交流館入口付近に集まって来られまして、09:55過ぎでしたか…「〝史跡めぐり〟に参加されます方は、集まって下さい…」と、ヤッと招集が掛かりまして、まずは交流館前で集合写真を撮られますようであります。
 お集まりの皆様を、サッと数えてみましたら、お世話されます〝水呑歴史民俗資料保存会〟の皆様も含めまして、総勢24名でありました。
 ふ~ん、例年より数名ばかり少ない参加者でありました(^.-)☆
 本日のお世話をされます〝歴史民俗資料保存会〟sanからご挨拶の後、いよいよ〝史跡めぐり〟が定時にスタートとなりました。
 まず、向かいますのが〝法界石〟〝井上利八邸跡〟であります。
 史跡めぐりの受付時、頂きました資料によりますと、

 ◆井上利八邸跡
 井上利八翁 慶応2年(1866)生~昭和10年(1935)没
 広島県会議員から衆議院議員になり大正13年(1924)から昭和6年(1931)頃まで、活躍した人。
 昭和11年(1936)に当時の5千円と邸宅を水呑村に寄附、現在は福山市教育委員会所有、この地に立正保育所を昭和23年(1948)に開所、平成13年白萩と合併し移転。隣保館は昭和16年(1941)に建設、公民館として使用。
 平成14年(2002)より福山市から水呑自治会連合会が借り上げ管理している。

 ◆法界石
 安政3年(1856)に安政の大旱魃(かんばつ)の降雨祈願の記念碑として建立。平成20年(2008)中村町内より現在地に町内連合会により移動する。

 …と、こんな〝井上利八邸跡〟〝法界石〟であります。
 現地の案内板には、こんな記載がありました。

 ◆井上利八邸跡

 --- 歩いてふれよう水呑の歴史と風土 ふるさと水呑 案内 ---

 ここは井上利八さんの邸宅跡です。井上利八さんは、1866年(慶応2年)に水呑村西郷に生まれ、1935年(昭和10年)享年70歳にて永眠されました。25歳より鉄道庁に勤務、当時盛んに国有化が進められた全国の鉄道の建設に尽力、その後、実業界に転身して南満州鉄道会社の工事に関与、そして1911年(明治44年)政界に進出して広島県議会議長、続いて衆議院議員を歴任、さらに鞆鉄道㈱の創立にかかわり、地元村民が働き手となった工事の推進役となり専務取締役としても活躍、生涯をとおして国と地方の鉄道の発展に貢献されました。
 同氏は永眠に際して邸宅と金子を水呑村に寄附されましたので、それを元手としてその邸宅跡に、隣保館(1941-1961年まで、現在の公民館ならびに小・中学校の体育館の役割)、旧立正保育所(1941-2001年まで)を建設して活用しました。その後、井上記念館と命名して町民の文化活動の場として使用し、水辺庭園に建つ胸像とともに同氏の遺徳を偲ぶことができます。

 参考文献「水呑町史」「水呑のあゆみ」『第50回帝国議会衆議院議録』他
 水呑学区まちづくり推進委員会 水呑歴史民族資料保存会
 -- 平成30年3月設置 --

 〝井上利八邸跡・法界石〟の次は、〝武宮神社〟に向かいます(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(23)

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 バスが妙照寺に到着で、社外に出ますと、眼の前に再建中の本堂が…
 このまま進みますと本堂への最短距離となりますけど、ちゃんと参道を通りまして山門へ向かいます。この山門は、焼失を免れましたのでしょうネ…
 山門入口脇には、〝涅槃図〟と〝洛中洛外図屏風〟の、こんな説明板が(^_^)v

 ◆涅槃(ねはん)図

 --- 佐渡市指定 有形文化財(絵画) 平成16年3月1日指定 ---

 涅槃図とは、釈迦の入滅時の様子を描いた絵図のことで、釈迦の遺徳を称える涅槃会の際には寺の本堂などに掲げられ、参拝が行われる。
 この絵図は、縦3.28m×横3.58mもの巨大なもので、図面は沙羅双樹の中央の宝台に北枕、西向きに横になる釈迦を囲む諸菩薩、悲泣する仏弟子・俗衆と動物たち、上空には急ぎ飛来する生母摩耶夫人たちの姿が描かれており、画法・色彩ともに優れている。
 画中には「雪舟八代長谷川等玉信雪筆」の墨書銘と落款があり、作者は絵師の長谷川等玉であることが確認できる。

 ◆洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)

 --- 佐渡市指定 有形文化財(絵図) 平成16年3月1日指定 ---

 洛中洛外図とは、京都の洛中(市内)と洛外(郊外)の建物や四季の風景、庶民の生活の様子などを描いた風俗絵である。
 この屏風は6曲1双、縦1.55m×横.60mで、右隻に洛中の北野神社及び経堂が中心に描かれ、内裏や二条城が省かれており、佐隻の洛外には鴨川以東の様子が描かれている。建物の様子から寛永元年(1624)頃の京都が描かれていると考えられており、このことから作品の制作年代も江戸時代前期と推定されている。
 この屏風は、所蔵する妙照寺に長谷川等玉作の涅槃図(市有形文化財)が伝わっていることや、長谷川本らしき画風から、長谷川派に関連した作品と考えられている。

 山門から境内に入りますと、57世・鈴木日教貫首(横浜市戸塚区蓮久寺より晋山)が迎えて下さいました。
 境内のほぼ中央部に「曼荼羅(御本尊)を安置した石造の奉掲塔・顕彰碑」が存在です。これは焼失を免れましたのでしょうネ…
 で、この「石造の奉掲塔・顕彰碑」は何と言えばイィのでしょうね。〝法華曼荼羅奉掲塔(ほっけまんだら ほうけいとう)〟〝曼荼羅奉安塔(まんだら ほうあんとう)〟〝顕彰碑(けんしょうひ)〟…と、お寺によって色々なのでしょうけど、〝曼荼羅奉掲塔〟とでも呼びましょうか(^-^)
 本堂は再建の真っ最中ですから、本日の御開帳は〝曼荼羅奉掲塔〟の前で執り行われますのでしょうね(^-^)//"

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(04)

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 向丘中・美術部の皆さんの作品に続いては、〝手芸〟〝木目込み〟〝押し絵〟の作品の展示ですけど、いずれも皆、手が込んで大変キレイな作品です(^_^)v
 で、〝木目込み〟〝押し絵〟の作品とはどんな作品で、どのように作りますのでしょうネ。
 WEB上で検索しますと、こんな記載がありました(^.-)☆

 ◆木目込み・押し絵の作品とは、どんな作品?

 木目込み(きめこみ)と押し絵(おしえ)は、いずれも日本の伝統的な布細工の技法で、主に人形や飾り物をつくるときに用いられるものです。どちらも布を使いますが、作り方が大きく異なります。

 ◇木目込み(木目込み人形・木目込み細工)
 ・どんな作品? -- 木や発泡スチロールなどの芯材に溝(みぞ)を彫り、そこに布の端を押し込んで貼り付ける技法で作る作品です。
 ・特徴 -- 表面につなぎ目が出ないため、非常に上品でなめらかな仕上がり。主に雛人形や羽子板人形などに使われる。着物の文様や形が、布をはめ込むことで立体的に表現される。
 ・見た目のイメージ -- 「布パズル」のように、布をパーツごとに溝へ押し込み、ぴったりとはめ込んだ立体作品。

 ◇押し絵(押し絵細工)
 ・どんな作品? -- 布を厚紙や綿でふくらませたパーツに貼り付けて、それらを貼り合わせて絵柄を作る技法です。
 ・特徴 -- 柔らかく、ふっくらとした立体感が出る。羽子板の飾りや、和風の額絵(梅・鶴・人物など)に多用される。絵画のように見えるが、近づくと布で構成された立体的な構造になっている。
 ・見た目のイメージ -- 「布でつくった半立体の絵」。背景にパーツを重ねて貼り、絵画的に仕上げる。

 ◇簡単にまとめると(技法・仕組み・特徴)
 ・木目込み -- 溝に布を押し込んではめ込む、表面が滑らかで立体的、伝統人形に多い。
 ・押し絵 -- 布を綿などでふくらませパーツを貼る、ふっくら半立体、羽子板や額絵に多い。
 「木目込み」と「押し絵」は似ているようで、作り方も見た目も違う日本の手工芸です。

 …と、こんな〝木目込み〟〝押し絵〟の作品のようであります。
 ところで、順番に展示作品を拝見して来まして、この後は〝写真〟の展示で終わりとなりますけど、小学6年生の皆さんの〝書道〟の展示は何処なんでしょうネ。
 今年は展示無しかも…とも思いましたけど、そんな事はないでしょうし…
 キョロキョロしておりましたら、うん、うん、今回は展示の部屋が別の場所に移動しておりましたか(^-^)
 皆さん、画数の多い「感謝」を綴っておりましたけど、画数が多いだけに仲々バランス良く書けませんようですネ。でも、どれも力強く書いておられます。
 この部屋には、〝水呑立正保育所〟〝水呑こども園〟を紹介します作品の展示もありました。
 ノンビリと鑑賞して来まして、時間を確認しますと、史跡めぐりスタート10分前となりましたので、まだ写真展の鑑賞が残っていますけど、この辺で切り上げて外に出なくては…
 外に出て来ますと、寂しいながらも〝芝生広場〟〝駐車場スペース〟に、それなりの賑わいが(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(22)

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 〝妙照寺〟の当時の火災に関しましては、こんな記事もありました。

 ◆日蓮ゆかりの寺出火、佐渡 4棟全焼、消防1人けが

 --- 2021/12/06 18:58 産経新聞 ---

 6日午前11時50分ごろ、新潟県佐渡市市野沢の妙照寺から出火、地元消防によると、本堂と、「祖師堂」と呼ばれる建物など、敷地内で計4棟が全焼した。消防団員1人が消火作業の際にけがをした。
 佐渡市観光サイトによると、妙照寺は日蓮が13世紀、佐渡島に流刑となり2年半過ごした場所に建てられた。消防と佐渡署が原因を調べている。

 当時は、佐渡島で放火による火災も発生していましたとか…
 当時のご住職は、火災焼失による責任を感じられ、自殺された旨も耳にしていましたので、〝ChatGPT〟に尋ねてみますと、

 ◆質問:佐渡島の〝妙照寺〟の火災原因は、何でしたのでしょう?

 ◇妙照寺(佐渡島)で起きた火災について報じられている出火原因は、「近くでたき火(焚火)が行われていた」という「失火」の可能性が高い、というものです。
 ・背景と経過
 火災は2021年12月6日、佐渡市市野沢の妙照寺で発生し、本堂や庫裏など複数棟が全焼しました。当時の報道で、出火元は「本堂」とされ、屋根から火が上がるのが確認されたとのこと。
 また、「境内でたき火をしていた」という目撃情報があったと報じられており、それが火災の原因とみられています。
 ・ただし“確定”ではない点
 出火原因の詳細について、公式に「たき火が原因である」と最終断定された、という公的報告は私の確認できた範囲では見当たりません。
 一部報道・ブログなどでは「放火の可能性」も言及されたようですが、警察や消防は“失火”とみており「事件性は低い」とされた、との情報もあります。
 つまり、現時点で最も有力な見方は「焚火(たき火)が原因の失火」ですが、「放火だった」と断定されたわけではなく、「調査中/不詳」の可能性も残されている…というのが実際のところです。

 ◆質問:当時のご住職は、責任を感じ自殺なさったと聴きましたけど、真偽の程は?

 ◇ChatGPT:私が確認した範囲では、妙照寺(佐渡市)の当時のご住職が、「火災の責任を感じて自殺した」という報道や、公的な記録は見つかっていません。
 ・公に裏付けられた情報:火災によって本堂などが焼失したことは複数の報道で確認されています。
 2022年11月には、新たな貫首(住職)が就任して寺の“復興再建”に向けた取り組みが始まった、という報告があります。
 ・自殺の噂について -- 根拠なし
 上記の報道(火災、再建、新貫首就任)において、ご住職の“死亡”あるいは“自殺”に関する言及はありません。
 また、寺や宗派の公式アナウンス、地域報道においても、そのような事実を示す記事は確認できませんでした。
 ネット上でそのような「聴いた/聞いた話」「噂」として語られている可能性はあるかもしれませんが、それはあくまで“噂・憶測”の域を出ないようです。
 ・結論として
 現在のところ、「ご住職が責任を感じて自殺した」という説には 信頼できる根拠はなく、史実・報道としては 「確認されていない」 と言うのが正確です。
 調べた結果を端的にまとめます -- 結論から言うと、「当時のご住職が責任を感じて自殺した」という裏付けのある報道や公的記録は見つかりませんでした。

 火災が発生しました当時には、境内で〝焚き火〟をしておられ、それが、瞬く間に燃え広がりましたのでしょうネ。
 火災発生時刻は、真っ昼間のA.M.11:50頃とか…本堂は茅葺き屋根ですから、不注意な焚き火でしたのかも…

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(03)

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 中学生の皆様の作品を観ておりますと、今年もまた孫の作品が…
 作品内容には、「絵画(イラスト) 木陰の望み」ですから、〝んっ!?〟のGONsan。描かれていますモノとタイトルがマッチしませんから、何とコメントしてイィものやら(^-^;
 ヘタに、好き勝手に綴りますと、当分、口をきいて貰えませんかも分かりませんから、これはノーコメントでスルーします事に(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(21)

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 佐渡金山の〝宗太夫坑コース〟〝道遊坑コース〟〝道遊の割戸〟の観光を終えますと、次は〝妙照寺〟に向かいます。
 〝妙照寺〟をWEB上で検索しますと、こんな記載がありました。

 ◆妙法華山 妙照寺

 --- https://temple.nichiren.or.jp/4031012-myoshoji/ ---

 日蓮聖人が庵を結んだ名刹。
 「開目抄」を記した塚原の三昧堂から一谷(いちのさわ)に移り、1274年に赦免されるまでの約2年半を過ごしました。
 「観心本尊抄」を著し、「法華曼陀羅」によって教義を確立させた地として日蓮宗の霊跡となっています。日蓮聖人自らが山号・寺号を授けた寺としても知られ、草庵跡地に祖師堂が建っています。

 ◆妙照寺(佐渡市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 妙照寺(みょうしょうじ)は、新潟県佐渡市市野沢にある日蓮宗の寺院。佐渡流罪の日蓮聖人が住んだ土地で、赦免までの2年間を過ごした場所に寺院を建立した。日蓮宗の本山(霊跡寺院)。山号は妙法華山。

 -- 歴史 --
 1272年(文永09年)4月 - 日蓮、塚原三昧堂から当地に移る。
 1273年(文永10年)4月 - 日蓮、当地で観心本尊抄を著す。
 1274年(文永11年)3月 - 日蓮、赦免により鎌倉に帰る。
 1275年(建治元年) - 当山2世日静、日蓮から寺号を授かる。
 昭和20年代に日蓮宗から離脱し単立寺院となる。
 1962年(昭和37年)4月 - 日蓮宗に復帰する。
 2021年(令和03年)12月6日 - 正午前、茅葺屋根の本堂を含めて四棟が全焼。
 現住は57世・鈴木日教貫首(横浜市戸塚区蓮久寺より晋山)。通師雑司ヶ谷法縁。

 ◆新潟北 佐渡市本山妙照寺に新貫首就任

 --- 2022年11月29日日蓮宗新聞社 ---

 新北230110【新潟北】令和4年11月29日付で、佐渡市霊跡本山一谷妙照寺の第57世貫首に鈴木日教(浄元)上人(横浜市蓮久寺住職・日蓮宗全国布教師連合会会長)が就任された。
 鈴木新貫首の下、令和3年12月6日の火災で焼失した同寺の復興再建を目指し全国宗門寺院に向け浄財を募る『妙照寺復興再建勧募趣意書』を送付。同貫首より復興に向けた挨拶が次の様に述べられた。
 「妙照寺は原因不明の火災により本堂、祖師堂、三十番神堂、客殿が焼失してしまいました。全国の皆様にはご心配、ご迷惑をおかけして誠に申し訳ございませんでした。この度、法縁、檀家総代のご推挙で、令和四年十一月二十九日、霊跡本山一谷妙照寺の住職に就任いたしました。ご存じの通り、一谷妙照寺は霊跡本山で、お題目信仰者の心の支えであります。宗祖の一谷のご生活は付き添う弟子の方、七、八人いられたそうで、食も足らずに、ご苦難のご生活を二年間過ごされた場所でございます。他宗の迫害も多い中、宗祖当身の大事『如来滅後五五百歳始観心本尊抄』述作、そして大曼荼羅本尊始顕の聖地であります。これからは、身命を賭して、復興に取り組み、一日も早く本堂・客殿等の建設が出来ますように邁進していきたいと思っております。全国の寺院、檀信徒にご支援ご協力賜りますよう何卒お願い申し上げます。浅学不徳の身ゆえ、行き届かない点があると思いますが、ご指導ご鞭撻賜りますようお願い申し上げます。」仮入山式は4月25日に開催予定。

 ※ 妙照寺の復興再建勧募金は、以下の郵便振替口座にて受け付けている。
   ゆうちょ銀行、口座名:妙照寺復興会、口座番号:00530-7-49411

 ◆日蓮聖人が2年半暮らした寺、ほぼ全焼…「瞬く間に燃え広がった」

 --- 2021/12/08 20:22 讀賣新聞オンライン ---

 6日午前11時45分頃、新潟県佐渡市市野沢の妙照寺から出火、消防車12台が出動して約8時間後に鎮火したが、本堂と住居部分など複数の建物をほぼ全焼した。消火作業で50歳代の男性消防団員が軽いけがをした。佐渡署が出火原因を調べている。
 市などによると、妙照寺は、鎌倉時代に佐渡島に流された日蓮聖人が2年半暮らした寺。本堂はかやぶき屋根で、江戸時代初期に再建されたとされる。
 市有形文化財の「涅槃ねはん図」と「洛中洛外図屏風(らくちゅうらくがいずびょうぶ)」を所有しているが、文化財が無事かどうかは確認できていないという。
 現場から北西に約350メートル離れた二宮(にくう)神社では11月22日、本殿と拝殿、社務所が全焼する火災が発生。その火災の前に、神社に火を放って回廊の高欄などを焼いたとして近くに住む男が非現住建造物等放火の疑いで逮捕されている。
 近所の70歳代男性は「瞬く間に燃え広がり、どうしようもなかった。歴史ある寺や神社を失うのはつらい」と話していた。

 …と、こんな記載で、日蓮聖人が庵を結んだ名刹であります。
 「開目抄」を記した塚原の三昧堂から一谷(いちのさわ)に移り、日蓮聖人は、1274年に赦免されるまでの約2年半を過ごしました…こんな、由緒ありますお寺なのですけど、2021年(令和03年)12月6日の正午前、茅葺屋根の本堂を含めて四棟が全焼ですから哀しいですネ。
 令和4年11月29日付で、佐渡市霊跡本山一谷妙照寺の第57世貫首に鈴木日教(浄元)上人(横浜市蓮久寺住職・日蓮宗全国布教師連合会会長)が就任され、現在、再建中でありました。
 こぅした事情もありまして、焼失前の〝妙照寺〟の画像をWEB上から集めてみますと、こんな立派な〝妙照寺〟でありました(^.-)☆

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(02)

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(20)

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 ◆佐渡小判と佐渡一分金 (佐字小判)(佐字一分金)

 佐渡に現存する唯一の鑑定書付き小判及び一分金で、享保年間(西暦1716年~1724年間)に製造されたものと言われています。小判は保存状態が極めて良い極美品で黄金色が鮮やかに残っています。小判裏面の右上端に佐渡を示す丸に「佐」の文字刻印が打刻され、小判師刻印は丸に「又」の文字、吹屋刻印は丸に「神」の文字が打刻されています。
 これらの打刻を座人印といい、筋神、利神、髙神、又神の4種に限られています。この内「又神」は稀少な組合せです。
 品位:金861/銀139 量目:小判 17.78g 一分金 4.43g

 〝展示資料館〟内を一通り拝見し外に向かいますと、売店に出て来ましたネ。
 売店前には〝宗太夫坑〟の、こんな説明板が…

 ◆国指定史跡 「宗太夫坑」

 宗太夫坑は、坑口の高さが約3メートル、幅2メートル、坑道の断面が大きい江戸初期に開坑された大型坑道である。
 鉱石の運搬機能と採掘技術が発達した1690年代(元禄時代初頭)頃の主力間歩(まぶ/坑道)の一つであった。
 部分的に残る「将棋の駒形」の小坑道、採鉱用の小さい狸穴、天井に抜ける空気坑、「釜の口」と呼ばれる坑口とその飾りなども江戸期の旧坑の諸条件を完備していて、大形の斜坑はゆるやかな傾斜で海面下まで延びている。
 脈幅・走行延長とも、この鉱山の最高最大とされる青盤脈の西端に当たる「割間歩(われまぶ)」坑の一坑区として開発された。
 平成6年(1994年)5月24日、国の史跡に指定された。

 ところで、本年4月から〝宗太夫坑コース〟と〝道遊坑コース〟とが、1枚のチケットで回れる共通チケットになりましたようですから、皆さんに付いて、次は「道遊坑コース」へ向かいます(^-^)/

 ◆【2025年】佐渡金山がチケット1枚で2つのコースを回れるようになってお得感が倍増!!

 --- 2025年4月6日 https://www.anbata-rakuiku.fun/torendo/sadokinzan-koudou-2ko-su/ ---

 ・日本最大の金山が見せる壮大な歴史ロマン
 佐渡金銀山400年の歴史を伝える史跡。宗太夫坑では、人形を使って当時の採掘作業を忠実に再現。道遊坑には、明治期以降の近代化産業遺産群が残ります。さらに「東洋一の選鉱場」「日本初の西洋式竪坑」などの産業遺産も周辺に良質な状態で保存されており、壮大なスケールに驚かされます。

 ・2025年4月から佐渡金山の宗太夫坑コースと道遊坑コースが、1枚のチケットで回れる共通チケットになりました!
 今までは、コースごとにチケットを買わなければいけませんでした。
 これだと、販売する人も大変ですし、観光する人もどっちを観ればよいのかよくわからないんですよね。
 実際私も、初めて佐渡金山を観光しに行ったときに「どっちがいいの?」と悩みました。
 説明書きはあるけど、読むのが大変だから、1枚で済ませられるのはかなりありがたいです。と言うことで、早速佐渡金山2つのコースを堪能していきます。

 …と、WEB上には、こんな記載もありましたネ(^.-)☆

 ◆道遊坑道コース(佐渡金山)

 --- 更新日:2025.06.23 https://www.japan47go.travel/ja/detail/a171ca4b-e209-4de6-84e3-f20c0ab6647b ---

 【道遊坑】
 明治32年、佐渡鉱山の主要鉱脈「道遊脈(どうゆうみゃく)」の開発を目的に開削された主要運搬坑道で、平成元年の操業停止まで使われました。
 鉱山の各主要坑道とつながっており、鉱石を積んだトロッコは道遊坑の西側にある高任坑(たかとうこう)から破砕場へ運ばれ、破砕場で鉱石を降ろした空のトロッコがこの道遊坑を経て坑内へと戻ってくるというサイクルで運搬を行っていました。

 【機械工場】
 鉱山の安定した操業には、機械類の修理等を外部に委託せずに自前で行えることが肝心でした。そのため佐渡鉱山には工作課という部署が設けられていました。ここにある工作機械類は、昭和27年の佐渡鉱山大縮小の折、北沢地区の機械工場より移設されたもので、現在でも使える機械が数多く残されています。また、機械工場の内外には、坑内で使った機械類も展示しております。

 【高任公園】
 明治期鉱業界の第一人者で、初代佐渡鉱山局長として近代化を指揮した大島高任(おおしまたかとう)の功績をたたえ、付近は「高任地区」と呼ばれています。
 高任公園からは、「道遊の割戸(どうゆうのわれと)」の雄大な全景や、江戸時代初期に佐渡金山の発見とともに栄えた最初の鉱山町跡「上相川(かみあいかわ)」、さらに相川湾の向こうには名勝「春日崎(かすがざき)」が一望できます。また、大島高任を祀った「高任神社」、「道遊の割戸」直下の大規模な採掘跡が望める展望台などが徒歩約7分の距離にございます。

 ◆佐渡金山遺跡

 --- 更新日:2025.06.23 https://www.japan47go.travel/ja/detail/d54412be-54cd-4994-ac9a-68f48668ed8c ---

 佐渡金山は、近世における日本最大の金銀山です。
 開山は1601年とされ、江戸時代に最盛期を迎え、その後明治~平成元年(1989年)の操業停止まで盛衰を繰り返しながら400年近く続いた歴史があります。
 山の中央をV字に立ち割った壮大な景観、「道遊の割戸」は佐渡金山のシンボルで、壁面にも多くの坑道跡を見ることができます。
 宗太夫坑江戸金山絵巻コースでは、「佐渡金山絵巻」に描かれている手掘りの採掘作業が蝋人形で忠実に再現されており、資料館も見ることができます。
 道遊坑明治官営鉱山コースでは、当時の姿のまま残されている坑道や、トロッコ、機械工場などを通じて鉱山の近代化の様子を知ることができます。
 「道遊の割戸」を間近に見るポイントや直下の採掘跡など金山のシンボルを堪能できるのもこのコースの魅力です。
 ガイド付 世界遺産ツアーでは、「北沢浮遊選鉱場」、「大立堅坑」といった産業遺構や、金銀山にかかわる様々な史跡や人々のくらした文化のあとが残る町中をガイドの案内で巡ることができます。
 より深く金山について知りたい方は、ヘルメット、懐中電灯を身に着け、坑道を探検する上級者向け「ガイド付 山師ツアー」に挑戦してみては?
 佐渡金山にある坑道・採掘跡、産業遺構は国の重要文化財、史跡、近代化産業遺産に指定され、世界遺産候補にもなっています。

 【国指定記念物(史跡)】
 ・名称:佐渡金銀山遺跡、道遊の割戸、宗太夫間歩、鐘楼、御料局佐渡支庁跡
 ・指定年月日:平成6年5月24日

 ◆割間歩と父の割戸(国史跡)

 正面の崖下は割間歩と呼ばれ、1601年佐渡金山開山の一つで、山師 渡辺弥次右衛門が発見したと伝えられています。
 当時の有力山師 味方但馬が開発を進め、江戸初期の主力鉱山でした。しかし、最下流に位置することから、大雨の度に坑道が水没し、水との闘いであったとの記録が残されています。
 水替人夫として江戸・大阪などから連れて来られた無宿人の宿舎跡が道路脇に残っています。
 正面の崖の山頂部には、父の割戸と呼ばれる露天掘り採掘跡があります。(写真)

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〝2025水呑学区ふれあい文化祭〟は、11/2(日)の「史跡めぐり」に参加でした(01)

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 11/2(土)~11/2(日)の2日間で開催の「2025水呑学区ふれあい文化祭」は、11/2(日)の〝史跡めぐり〟に参加のGONsanでありました(^.-)☆
 朝のGGが終わりますと、その足で水呑交流館に向かいます。
 時間を確認しますと、未だA.M.9:25で、スタート時間の10:00には暫く時間がありますから、先に受付のみ済ませまして、史跡めぐりの資料を頂き、まずは交流館内の作品展示コーナーを拝見します事に(^.-)☆
 順番に拝見ですけど、最初に〝エクセル福山〟の皆様の作品から、続いて〝サンスクエア沼南〟〝なの花作業所〟〝創樹会〟の皆様の作品ですけど、どれも皆、力作揃い。毎年そぅなんですけど、自分が出来ませんだけに感心しながらの拝見です(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(19)

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 ◆鋳貨は後藤役所で

 延金(のしきん)の純度鑑定後は、銅気目利(どうけめきき)といい、焼き檜木で延金の表面をこすり、現れる炎の色で銅分の有無を調べる。合格した延金は、小判所戻され小判一枚の重さに荒切される。
 荒切小判は、後藤役所にまわされ打ち延ばし、大きさ、形、厚みを整えてほぼ小判の形になったら、先が線状にとがった槌でゴザ目をつける。表と裏には極印が打たれ、佐渡製造の小判にはマル佐の極印が打たれた。
 仕上がった小判は、銀を混ぜてあるので白っぽくなる。これを鮮やかな黄金色にするには、色付け薬にひたして色付け釜で焼く。さらに炭の粉を付けて水洗いし、塩で磨いてまた水で洗う。
 完成した小判は、後藤役所で最終的に目方を計り、合格したものは符印し御金蔵に納める。
 後藤役所は、江戸幕府直轄の金貨鋳造発行所で、勘定奉行の支配下にあった。役人は後藤家が代々世襲し、請負形式で金貨の鋳造・鑑定・引替・買取・監察を行った。初期には江戸、駿河、佐渡、京都にあったが、江戸後期には凡て江戸にまとめられた。
 元和8年(1622)に始められた佐渡での小判鋳造は、江戸前期に一時廃止になったが、元禄15年(1702)に再開され、その後鋳造と中止を繰返したが、文政2年(1819)完全に鋳造中止となり、以後は焼金で上納された。

 ◆道遊の割戸
 鉱脈の露頭を掘り下げた跡を割戸という。近世初期の採掘による。

 ◆お知らせ
 金塊取出し体験は中止致します。
 体験を楽しみにお越し頂いたお客様におかれましては大変申し訳ございません。
 ・重量12.5kgの本物の金塊(24K,99.99%)
 ・時価2億5千万以上(金価格20,000円/gで計算)
 ※ 金塊はケースの中で触って、その重さを実感下さい。

 ◆佐渡産の「金塊」
 佐渡鉱山では鉱石の中に金がどの程度入っているかを調べる分析を行っていました。
 昭和40年頃までは「乾式分析」を行っていたので、金粒が少しずつ残りました。その粒をまとめた金塊で、純金ではありません。おそらく金品位98%前後の金塊だと思われます。
 佐渡金山の鉱石には銀が10倍くらい含まれていたので、この様に銀塊の方が多く作られました。銀塊には銅成分も混入されている場合があるので、ピンク色の銀塊も含まれています。
 今回一枚の重さ220グラム。

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今朝は、さすがに、多人数でのGGとなりました(^.-)☆

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 明日は、我が〝中村GG友の会〟の「忘年グラウンドゴルフ大会」ですから、今朝は、さすがに、多人数でのGGとなりまして、19名の皆様がお集まりでありました(^_^)v
 それでも、体調面等で6名の方の参加が無くフルメンバーではありませんけど、20名近くの皆様が集まられますと仲々賑やかで、活気がありましてイィですネ(^.-)☆
 明日は、この〝中村三新田公園〟で競技後、A.M.11:00に中村集会所に再集合し、マイクロバスで〝あぶと本館〟へと移動。
 〝あぶと本館〟で個人戦・団体戦の各種表彰、そして〝忘年会〟に移ります。
 が、気になりますのが明日の空模様。
 夕方の天気予報によりますと、明日は、A.M.6:00頃に降雨で、以降の午前中は〝曇り〟の予報ですから、朝方の降雨も大した事はないのかも分かりません。まぁ、降雨となりましたら競技は後日に廻し、忘年会のみ実施となりますから(^-^)
 それにしましても、今朝のGGでは、ホールインワンが結構出ていましたネ。
 確率から言いますと、本日ホールインワンを連発しますと明日はどぅなんでしょうネ(^-^)
 今日の好感触が明日も持続し、またまた連発…と言う事もあるでしょうし、何とも(^-^)
 それはさて置きまして、お世話されます役員の方達も大変ですから、出来る事ならば、明日は、競技も忘年会もどちらも執り行えますと宜しいですネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(18)

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 興味深く拝見しながら坑道を進んでおりますと、そろそろ〝宗太夫坑コース〟の見学も終わりへと近付いて来まして、坑内から外へ(^-^)
 〝宗太夫坑〟の出口には、「横引場(坑内の検問所)」の説明板が…

 ◆横引場(坑内の検問所)
 穿子(ほりこ)が坑内から運び出した叺(かます)に入った鉱石や捨石の数量を検査して、不正防止と賃金支払いの目安とした。
 叺はむしろで作った運搬用の袋のことで、一荷は五貫目(19kg)。

 そして、説明板前の橋を渡って行きますと〝佐渡金山展示資料館〟に入って行く事となりました(^.-)☆

 ◆佐渡金山展示資料館

 ・施設案内:江戸時代の佐渡金山を忠実に再現した模型を見たり、純金延べ棒の重さを体感しよう!

 <第1展示室>

 「佐渡金山絵巻」に描かれた江戸時代の佐渡金山の仕事の様子を忠実に再現。金鉱石を採掘、製錬し、佐渡小判を作るまでの工程を、絵巻に基づいて、縮尺1/10の500体の人形や模型で分かりやすく説明しています。
 
 ・模型で見る佐渡小判を作るまでの工程
 ①鉱石を選別する工程②選別された鉱石を牛で運ぶ工程③鉱石を細かく砕く工程④鉱石を石臼ですり潰す工程⑤鉱石を水で流して選別する工程(ねこ流し)⑥金鉱石を溶かす工程⑦金銀と塩を一緒に焼いて塩化銀を作る工程⑧金を圧延して延べ板にする工程⑨小判を作る工程⑩小判に刻印する工程

 <第2展示室>
 
 ・希少な佐渡小判と一分金、絵巻物の展示のほか、排水坑道の体験模型や本物の金塊に触れる体験ができます。
 ①各種大判・小判の展示②江戸時代に佐渡で作られた希少な佐渡小判と一分金③小判の製造工程の解説④時価約1億5千万以上の純金延べ棒。金の重さを体感しよう!

 …と、こんな〝展示資料館〟でありまして、ジックリと拝見しますと仲々楽しめますネ(^-^)//"

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本割、優勝決定戦のいずれも勝利で〝安青錦〟の逆転初優勝!!やりましたネ\(^o^)/

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 〝大の里が左肩鎖関節脱臼の診断を受け、無念の休場を発表〟は、昨日の夕方近く、大相撲中継観戦でテレビを前にしまして初めて知りましたけど、う~ん、そぅでしたか…
 この段階で、優勝の可能性は〝豊昇龍〟の方が高いかも…と思っておりましたが、いゃいゃ、本割、優勝決定戦のいずれも勝利で〝安青錦〟の逆転初優勝!!やりましたネ\(^o^)/
 WEB上には、早速、こんな速報記事が…

 ◆安青錦が逆転で初賜杯!豊昇龍を優勝決定戦で撃破、ウクライナ出身力士で初、大関に前進【大相撲九州場所】

 --- 2025/11/23(日)17:40配信 TBS NEWS DIG Powered by JNN ---

 ◇大相撲九州場所 千秋楽(23日、福岡国際センター)

 新関脇の安青錦(21、安治川)が優勝決定戦で横綱・豊昇龍(26、立浪)を送り投げで下し、初優勝を果たした。ウクライナ出身力士としては初の賜杯を手にした。成績は12勝3敗。
 23年9月場所の初土俵から14場所での初優勝は、年6場所制になって、24年春場所で優勝した尊富士の10場所に次ぐ史上2番目の早さ(付出は除く)。
 14日目を終えて11勝3敗で豊昇龍、大の里(25、二所ノ関)の両横綱、安青錦の3人が並んでいたが、千秋楽当日に大の里が左肩鎖関節脱臼の診断を受け、無念の休場を発表。
 結びの一番で豊昇龍と大の里が対戦する予定だったが豊昇龍の不戦勝。この日、千秋楽はこれより三役の前に、大の里の休場が場内にアナウンスされ、豊昇龍が花道から土俵に上がり、勝ち名のりを受けた。
 安青錦は本割で大関・琴櫻(28、佐渡ヶ嶽)を相手に低く当たって右の下手を取り内無双で勝利。これで豊昇龍と安青錦が12勝3敗で並び、優勝決定戦が行われた。安青錦は前日に豊昇龍を押し出しで下して優勝争いに残り、その勢いのまま決定戦でも過去3度勝利している豊昇龍を立ち合いから激しく当たり、後ろに回りこむような態勢から送り投げで撃破。新関脇の場所で悲願の初優勝を果たした。
 安青錦は3月の新入幕から4場所連続の11勝。今場所は12勝で初Vを達成し、来場所の大関昇進の可能性が高まってきた。また、今場所の三賞は安青錦が殊勲賞と技能賞(3度目)のW受賞。敢闘賞が一山本(32、放駒)と霧島(29、音羽山)。義ノ富士(24、伊勢ヶ濱)が2度目の技能賞を手にした。

 -- 最終更新:11/23(日)18:29 TBS NEWS DIG Powered by JNN --

 ◆優勝決定戦で敗北した直後に豊昇龍が深々と…花道を去る際に貫いた“横綱としてのプライド”「泣いてまう」「立派だ…」反響続々

 --- 2025/11/23 19:00 LOGLY ---

 <大相撲十一月場所>◇千秋楽◇23日◇福岡・福岡国際センター

 横綱・豊昇龍(立浪)が関脇・安青錦(安治川)に優勝決定戦で敗れ、横綱としての初優勝を逃した。敗れた瞬間、豊昇龍は肩を落としてがっくりとしていたが、花道を去る際には“横綱としてのプライド”を貫く紳士な姿を見せた。この姿にファンからは「泣いてまう」「立派だ…」など反響が続々寄せられた。
 安青錦は本割で大関・琴櫻(佐渡ヶ嶽)を破り、この日から休場の横綱・大の里(二所ノ関)に不戦勝となった豊昇龍と12勝3敗で並び、優勝決定戦が行われた。
 豊昇龍はこれまで安青錦に0勝3敗と苦手とする相手だ。十四日目は、勝てば単独首位という状況で安青錦に敗れている。横綱の威厳を示すという意味でも優勝決定戦は負けられない戦いだった。

 …と、こんな昨日・千秋楽でありました。
 これで、安青錦の来場所大関昇進は確実視のようですから、改めて〝安青錦〟は、どんな人なんだろう?…と確認してみますと、

 ◆安青錦新大

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 安青錦 新大(あおにしき あらた、2004年3月23日 - )は、ウクライナ・ヴィーンヌィツャ出身、安治川部屋所属の現役大相撲力士。本名は、ダニーロ・ヤブグシシン(ウクライナ語: Данило Явгусішин)。最高位は東関脇(2025年11月場所)。血液型はB型。

 ・来歴

 -- 入門前 --
 7歳から相撲を始め、2019年の世界ジュニア相撲選手権大会では3位となった。このジュニア選手権で角界とのパイプが出来たが、昔から相撲の動画を閲覧しておりいつかは大相撲の土俵に立ちたいと夢見ていた。相撲の動画の中でも2002年9月場所の朝青龍と貴乃花の一番の動画に感銘を受けた。相撲と並行して8歳から17歳の時はレスリングも経験し、17歳の時にはウクライナの国内大会で110kg級で優勝している。ウクライナの国立大学にも合格していたが、2022年2月にロシアのウクライナ侵攻が始まったため、戦火を逃れて相撲を続けられる環境を求めて同年4月に来日。2019年の世界ジュニア選手権で知り合った関西大学相撲部主将の自宅に居候して関西大学や報徳学園中学校・高等学校の相撲部の練習に参加したが、報徳学園の相撲部監督がヤブグシシンのことを大相撲の8代安治川(元関脇・安美錦)に紹介したことで、2022年12月に安治川部屋の研修生となった。

 -- 人 物 --
 「安青錦新大」の安と錦は師匠安治川の現役時代の四股名「安美錦」から、「青」はウクライナの国旗や自身の目の色、「新大」は日本で一緒に生活した当時関西大学相撲部主将山中新大から取られた。
 目標とする力士は若隆景。2024年6月に若隆景が安治川部屋へ出稽古に訪れた際には直接指導を受け、刺激を受けていた。
 新十両昇進の際に、プロ入り前に稽古に参加した縁のある関西大学から化粧廻しを贈呈された。
 協会公式プロフィールによると、好きな歌手は河島英五(曲は時代おくれが好きとのこと)、趣味はサウナ、好物は肉(特に牛タン)、好きなテレビ番組は『ジャンクSPORTS』、好きな漫画は『はじめの一歩』。
 2025年5月場所前の時点で来日丸3年以上となるが、『日刊ゲンダイDIGITAL』のインタビューの際に記者から「来日3年でここまで上手な力士も珍しい」と絶賛されるほど日本語が堪能である。ただし、本人によると日本語学校には一応通っていたが、それよりも日常会話をメインにして日本語を習得したという。
 2025年のインタビューによると、家族は両親と異母兄1人。同時点で両親はドイツのクリーニング会社で収入を得ており、仕送りは特にしていないと語っている。

 …と、こんな〝安青錦関〟であります。
 人物的にも、大相撲に取り組みます姿勢にも好感が持てます〝安青錦関〟。今後の目標としましても、力強く『上を目指します』との事ですから、近い将来、横綱を名乗ります日も近そうですネ。
 今後も、ひたむきな姿勢で、大相撲を盛り上げて頂けましたら嬉しいですネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(17)

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 坑道を進んで行きますと、〝説明板〟もありますので、当時の様子を興味深く拝見です。
 採掘作業に従事しておられます方達の姿が、実にリアルに再現されておりますから、この方達のお顔と眼が合いますと、何か話し掛けられそうでドキッとしてしまいます。それほどまでに、実に精巧な造りでありました(^.-)☆

 ◆金穿大工(かなほりだいく)の生活
 佐渡金山では、鑽(たがね)と鎚(鎚)で鉱石を掘る坑夫のことを金穿大工と呼ぶ。
 金穿大工は、坑内の労働者の中では、技術者として賃金もよく、優遇されていた。採掘は4時間ごとの交替制で、金銀山絵巻には坑内で食事や休息する姿も見られる。しかし、労働環境は悪く、一般に短命の者が多かった。

 ・江戸の流行
 金穿大工の髪型に本多風(ほんだふう)という江戸の流行の髪型が見られる。島外の人々の出入りも多く、鉱山町の風俗にも大きな影響を与えた。

 ◆水替人足(みずかえにんそく)と無宿人(むしゅくにん)
 江戸時代の中頃から地中の鉱石を求めて坑道がますます深くなると、水揚機の使用がままならず、手繰り水替による人海戦術見直された。
 水替人足の労働時間は、隔日交替の一昼夜勤務ときつかったが、賃金はよかった。しかし常に人員不足で、安永7年(1778)より、江戸・大阪・長崎などの無宿人を受け入れるようになった。

 ・無宿人
 親に勘当されたり放浪していて、宗門人別帳(戸籍)から除外された者で、無罪の者。後に有罪者も混ざるようになる。
 幕末までの100年間に、1,874人が佐渡に送られてきた。

 ・無宿人の賃金など
 1日当たり:飯米1升2合、味噌・醤油・野菜など、塩代・小遣いなど
 そ の 他:年間仕事着、簑・笠代、蒲団代支給

 ◆探鉱坑道
 鉱脈のことを立合という。金鉱脈を探して水平に、あるいは上に下に掘り進んでいく。
 鉱脈に当たらない場合は、脈の方向を推定して、直交する向きに開削していく。小規模なものを切山といい、高さも幅も、かろうじて人が出入りできる程度のものであった。

 ・良質の鉱石(銀黒)
 黒い縞模様の中に金の微粒子が含まれている。

 ◆採掘作業
 金穿大工は、鑽を上田箸(うえだばし)ではさみ、鎚で打つ。上田箸は、短くなった鑽をつかむことができ、しかも手元の安全を守るのにも役立った。
 鑽は2日で1本消費する。くなった鑽は、坑外の鍛冶小屋に運ばれ再生される。
 掘った鉱石は、大工頭が品質を確認し、区分けして運び出される。

 ・上田箸
 鑽をはさむやっとこ。信州上田から来た山師、上田久二が考案した道具。

 ◆間切改(けんぎりあらた)め
 間切りとは、長さ・幅・高さを決め、見積もりを立て掘った大規模な探鉱坑道のことで、奉行所が請負業者に発注する。掘られた間切は、発注通りか、またどれだけ進んだかを検査する。この検査を間切改めという。
 間切改めは諸役人、山師、振矩師(ふりがねし)で行う。紙のこよりを固くよって作った「てへん」というかぶものをしているのが、役職をもつ者。

 番所役:各間部(採掘坑)の管理役、山師:鉱山経営者、振矩師(ふりがねし):測量師、目付役:役人の監視、山方役:金鉱山を支配する山奉行、間切請:坑道掘りを請け負うもの

 ◆捨石も選られ精錬所へ
 江戸時代の中頃には鉱石が減少し、一旦捨てた柄山(鉱石を含まぬ捨石)も回収し、粉成し製錬されるようになった。これらは捨石や拾い石を専門に製錬する外吹買石(そとぶきかいいし)という製錬業者のところに運ばれていった。
 上部の狸穴とは、細い鉱脈をたどりながら大きな鉱脈をさがす坑道で、腹ばいで移動しなければならなかった。

 ・労働者の装束
 重労働者は褌姿や諸肌脱ぎであったが、一般には、細く裂いた木綿布を横糸に縛り込んだ裂織という着物に荒縄帯、頭には布のかぶりものをしていた。

 ・荒縄の帯
 落盤事故などの時、救助されるまで藁をかみ、命をつなぐためのものであった。

 ◆間歩(採掘坑)開きの祝い
 背後の壁面の縞模様が立合(鉱脈)。金銀を多量に含む黒い縞がくっきりと浮かぶ富鉱帯を大発見した。
 前途を祝し、今まさに、間歩(採掘坑)開きの祝いが始まったところである。
 採掘を請け負った山師と金児が見守るなか、棚の上では、佐渡金山に伝わる独特の祭礼「やわらぎ」が演じられている。

 ・やわらぎ
 硬い岩盤が少しでも和らぐようにと祈る神事で、山の神の心を和らげるとの意味もある。
 〝歌詞〟♪岩の出先に 三階松植えて 鶴が黄金の 巣を掛ける

 そぅそぅ、WEB上で〝佐渡金山のリアル過ぎる人形〟を検索してみましたら、こんな記載がありましたけど、有料記事で一部のみしか読めませんでしたネ(^-^;

 ◆佐渡金山にリアル過ぎる人形 65体のモデルはあの人

 --- 2021年2月21日8時00分 朝日新聞 ---

 地底の金鉱石を手作業で掘る金穿(かなほり)大工、わき出る水をくみ出す水替人足…。江戸時代の採掘の様子を再現した佐渡金山の観光坑道。そこで働く65体の人形たちの表情が妙に生々しい。彼らの顔のモデルとなったのは、金山と関わりのある実在する人びとだった。
 1月末、佐渡金山の宗太夫(そうだゆう)坑。気温10度の坑道では天井の岩盤を支える坑木の交換作業が行われていた。国の史跡に指定されているため、作業は「山留普請(やまどめふしん)」と呼ばれた江戸時代と同じ工法が採られ、すべて人力だ。
 延長約280メートルの坑道では、11カ所で江戸時代の採掘風景が再現されている。狭い木製の足場で鉱脈に向かってたがねを打ち込む者、鉱脈の位置を測量術を使って調べる者、採掘の安全を祈願する者。等身大で当時の服装のまま働く彼らはすべて人形だ。暗い地中で無理な姿勢のまま石粉にまみれた当時の重労働がしのばれる。
 観光客らが近づくと、センサーが感知し、人形が動き、しゃべり出す。休憩所で休む者はつぶやく。「早く外へ出て酒が飲みてぇ」

 -- マネキンの外国人顔、不評で --
 佐渡金山の管理運営会社「ゴールデン佐渡」によると、人形が設置されたのは1970年という。だが、当初は既製品のマネキン人形を置いたところ、不評だったため、頭の部分を作り直した。改修時期は特定できない。

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クイーンズ駅伝でエディオン悲願の初優勝!!おめでとぉ~\(^o^)/

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 昼食を終えました本日の午後、ノンビリ過ごそうか…と、テレビを前にしますと、丁度、全日本実業団対抗女子駅伝の中継中。
 既に2区に入っておりましたけど、トップチームはどこなんだろう…と暫く見つめておりますと、なんとトップは〝エディオン〟ですからタマりません。そのままズッと見入ってしまいましたネ(^.-)☆
 各選手とも快走で、エディオンは1~3区で首位をキープ。4区で2位に後退となりましたけど、5区・細田あいが終盤に猛追。残り400mを切って再び首位の座に返り咲く再逆転。
 そして、アンカー平岡選手がリードを保ったまま逃げ切り、エディオン初優勝!!
 こんな展開で、久し振りに楽しい気持ちで駅伝中継の視聴が叶いましたGONsanなのであります(^.-)☆
 WEB上には、早速、こんな速報記事が…

 ◆【クイーンズ駅伝】5区細田あいが41秒差を逆転 エディオンが涙の初優勝「みんなで厳しい局面も耐えてきた」

 --- 2025/11/23(日)15:15配信 東スポWEB ---

 エースが逆転劇を見せた――。全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝=6区間42・195キロ)が23日、宮城・松島町文化観光交流館前~弘進ゴムアスリートパーク仙台間で行われ、エディオンが2時間13分50秒(速報値)で悲願の初優勝を果たした。
 5区(10・0キロ)に起用された細田あいが存在感を示した。前回大会覇者のJP日本郵政グループと41秒差の2位でタスキを受けるも、中盤過ぎからペースアップ。みるみると差を詰め、最終盤で首位に浮上した。この日のエディオンは1~3区で首位を走ったものの、4区で2位に後退。それでも、5区の細田が32分12秒で区間賞を獲得し、嫌な流れを振り払った。
 最終6区(6・795キロ)は平岡美帆がリードを保ち、仲間たちが待つゴールへ飛び込んだ。2位のJP日本郵政グループとはわずか7秒差。優勝が決まると、自然と涙があふれた。主将で3区(10・6キロ)3位の矢田みくには「世界選手権の後は駅伝と切り替えて、チームみんなで厳しい局面も耐えてきた。スタッフさんも監督も選手も含めてありがとうの気持ち」と感謝を口にした。
 前回大会は5位。今大会は3位以内を目標に掲げていた中で、初めて頂点に立った。沢栁厚志監督は「恩返しができてうれしい」。接戦を制して杜の都で満開の花を咲かせた。

 -- 最終更新:11/23(日)15:25 東スポWEB --

 それと、こんな願望を込めました記事掲載も(^-^)

 ◆【クイーンズ駅伝】「優勝セールやるかな??」家電量販店のエディオンが日本一!!

 --- 2025/11/23(日)14:49配信 日刊スポーツ ---

 <全日本実業団対抗女子駅伝(クイーンズ駅伝)>◇23日◇宮城・松島町文化観光交流館前~弘進ゴムアスリートパーク仙台(6区間42・195キロ)

 悲願の日本一となったエディオンに「優勝セール」を期待する声が上がっている。
 最終6区の平岡美帆(25)がゴールテープを切って優勝した。1989年創部の陸上部を持つ同社は家電量販店を全国に展開している。5区細田あい(29)の逆転劇でつかんだ初栄冠にはX(旧ツイッター)では「エディオンさん 女子駅伝初優勝おめでとうございます!優勝セールやるかな??」「エディオン、クイーンズ駅伝初優勝でビックリ!!セールがあるならパソコン買い換えるかな。」などの声が上がった。
 同社ホームページによると、22日~28日で「歳末SALE BLACK FRIDAY」のセール中。

 -- 最終更新:11/23(日)14:59 日刊スポーツ --

 …と、こんな記事ですけど、そぅですネ、〝優勝セール〟でもされますと、GONsanも求めたいモノがありますから、期待したいですけど、さて、どぅなんでしょうねぇ(^-^)//"

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本日・日曜日は、〝水呑学区総合防災訓練〟の実施でしたけど…

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 本日・日曜日は、〝水呑学区総合防災訓練〟の実施でした。
 随分前に、自治会回覧で本日の〝水呑学区総合防災訓練〟の実施は知らされておりまして、本日・A.M.9:00に福山市からの「緊急南海トラフ地震速報メール(訓練用)」を受信。
 避難のため出かけます準備をしていますと、続いて、また福山市からの「津波速報メール(訓練用)」と「避難指示メール(訓練用)」を、A.M.9:05に受信です。
 で、避難行動開始で、嫁さんは朝から出かけていますので、GONsanのみが、ノンビリと指定避難場所であります「水呑小学校グランド」向かいます。周辺を見廻しながらの歩行ですけど、どなたのお姿も見掛ける事無く水呑小学校正門にと到着。
 正門近くの路上に水呑分団の消防車が一台停車していましたけど、正門は閉じたまま(^-^;
 仕方なく、自力で正門門扉を開けましてグランド内へ(^-^)
 そぅしましたら、消防団員の若者から「一番乗りです(^-^)/」と声が掛かりましたけど、門扉を開けて入ったのですから、言われなくてもGONsanが一番乗り。それにしましても、消防団は来ていますのですから、門扉くらい開けておけばイィのに…と不満顔のGONsanでした。
 こんなやり取り後、暫くしまして、一人…二人…と中村町民の方達がご来訪。そして、中村自治会長sanも…
 GONsanを含め12名ばかりの皆様がヤッて来られた段階で、自治会長sanが安否確認と言うか出席者(参加者)確認です。
 このチェックが終わりますと、後は特に何にも無い様子。
 そぅしていますと、浜自治会の方々3名がご来訪。そして、GONsanに「何か報告するようですか?」と問われますので、「多分、正門を入った左側辺りで、各自治会ごとに参加人数確認し、適宜解散のようですよ…」と、GONsanは当初の回覧文書通りの内容を(^-^)
 う~ん、我が中村自治会も同様ですけど、今回の〝総合防災訓練〟では、消火栓・消火ホース等を使用しての具体的な訓練はありませんで、ただ単に『避難行動』のみの訓練でしたようですネ。
 それにしましても、今回の〝総合防災訓練〟では、自治会長sanよりの何らの挨拶・指示もありませんし、参加者は実に手持ち無沙汰。
 以降の来訪者(避難者)もありませんし、当初の回覧文書(参加人数確認後に解散)通り、GONsanはこの辺で退散です。
 何となく、やる気が感じられませんお粗末な、今回の〝水呑学区総合防災訓練〟でありましたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(16)

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 バスから降りまして、いよいよ〝史跡・佐渡金山〟を観光ですけど、〝史跡 佐渡金山「共通券」〟で〝宗太夫坑〟〝道遊坑〟のいずれにも入れますようですネ。
 以前は、それぞれ入場料を課せられていたようですけど、〝史跡・佐渡金山〟が世界遺産に登録後は、いずれかの料金で両方とも入れますとか(^_^)v
 〝道遊の割戸〟は後から拝見します事にし、皆さんに付いて、まず〝宗太夫坑〟へと入場です。

 ◆宗太夫坑
 国史跡「宗太夫坑」は江戸時代の初期に開削された手掘り坑道です。佐渡金山最大の鉱脈「青盤脈」の西端に当り、坑道は大型で、江戸時代の採掘の特徴である「将棋の駒形」の坑道、斜坑、小型の探索坑道、空気を入れる為の煙穴などが数多く残されています。

 ◆佐渡金山 Sado Gold Mine
 相川金銀山は、徳川家の直轄地となった慶長6(1601)年以降、本格的に開発された。平成元(1989)年3月末採掘が中止されるまで約400年間掘り続けられ、鉱山としての寿命が長かったことでは世界でも珍しい鉱山である。
 江戸時代には徳川幕府の財政を支えたとも言われ、17世紀当時の金、銀の生産額は南米のポトシ鉱山(ボリビア)などと並んで世界でも屈指と言われた。

 ◆釜の口 Kama-no-kuchi
 間歩(まぶ/坑道)の入口のことで、柱を4本立てて構築したので四ツ留(よつどめ)とも言われた。

 ◆佐渡金山

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 佐渡金山(さどきんざん)、または佐渡金銀山(さどきんぎんざん)は、新潟県の佐渡島にある金鉱山・銀鉱山の総称である。なかでも相川金銀山(あいかわきんぎんざん)の規模が特に大きく、単に「佐渡金山」という場合、相川のものを指す場合もある。このほか「佐渡鉱山」または「相川鉱山」の名称も用いられる。「佐渡島の金山」という名称で世界遺産に登録されている。

 ・概要

 佐渡島には下表に示す4つの主要な金銀山を含む、多くの鉱山の存在が確認されている。なかでも相川は規模が大きく、国の史跡や重要文化財に指定、または重要文化的景観に選定されている遺跡や景観が多く残っていることもあり、現在では佐渡における観光の拠点ともなっている。

 -- 佐渡島内の主な金銀山 --
 西三川砂金山(にしみかわ) 採掘開始時期--平安時代以前 閉山年--1872年(明治 5年)
 鶴子銀山(つるし)       採掘開始時期--戦国時代   閉山年--1946年(昭和21年)
 新穂銀山(にいぼ)       採掘開始時期--戦国時代以前 閉山年--不詳
 相川金銀山(あいかわ)   採掘開始時期--江戸時代初期 閉山年--1989年(平成元年)

 佐渡島内鉱石は、主に銀黒(ぎんぐろ)と呼ばれる石英中に輝銀鉱および自然金の微粒子が脈状に存在するものであった。

 ・歴史

 -- 前史 --
 『今昔物語集』の巻26・第15話に「能登の国の鉄を掘る者、佐渡の国に行きて金を掘る語」という段があり、伝聞の収録という形ながら佐渡で金が採れることに言及されている。今昔物語集の成立年代と推定される11世紀後半には、少なくとも砂金等の形で佐渡で金が産出することは知られていたようである。
 天正17年(1589年)に上杉景勝により本間氏が滅ぼされ、佐渡は上杉領となる。
 相川金銀山は16世紀末に開発が始まったと考えられており、戦国時代には相川の金脈は未発見であった。そのため戦国大名の上杉謙信が関わった記録はない(鶴子銀山は既に採掘されていた)。新田次郎は小説『武田信玄』において佐渡金山が上杉謙信の財源であったと描写し、「記録が無いのは秘密にしたからである」としているが、そもそも戦国時代の佐渡は本間氏の領国であって上杉氏は領有していなかった。

 -- 江戸時代 --
 慶長6年(1601年)、徳川家康の所領となる。同年、北山(ほくさん)で金脈が発見されて以来、江戸時代を通して江戸幕府の重要な財源となった。江戸時代における最盛期は17世紀前半、江戸時代初期の元和から寛永年間にかけてであり、金が1年間に400kg以上算出されたと推定され、銀は1年間に1万貫(37.5トン)幕府に納められたとの記録がある。当時としては世界最大級の金山であり、産銀についても日本有数で、慶長金銀の材料を供給する重要な鉱山であった。なかでも相川鉱山は、江戸幕府が直轄地として経営し、大量の金銀を産出した佐渡鉱山の中心であった。産出し製錬された筋金(すじきん/すじがね)および灰吹銀は幕府に上納され、これを金座および銀座が預かり貨幣に鋳造した。また特に銀は生糸などの輸入代価として中国などに大量に輸出され、佐渡産出の灰吹銀はセダ銀とも呼ばれた。
 しかし江戸中期以降、佐渡鉱山は衰退していった。元禄3年(1690年)には佐渡奉行を兼任していた荻原重秀が計15万両の資金を鉱山に投入する積極策を取って復興を図り、その結果一時的に増産に転じたが、結局その後は衰微の一途を辿り、以降江戸時代中に往年の繁栄が戻ることはなかった。
 江戸時代後期の明和7年(1770年)頃からは、江戸や大坂などの無宿人(浮浪者)が強制連行されてきて過酷な労働を強いられたが、これは見せしめの意味合いが強かったと言われる。無宿人は主に水替人足の補充に充てられたが、これは海抜下に坑道を伸ばしたため、大量の湧き水で開発がままならなくなっていたためである。
 水替人足の労働は極めて過酷で、「佐渡の金山この世の地獄、登る梯子はみな剣」と謳われた。江戸の無宿者は、この佐渡御用を何より恐れたといわれる。水替人足を収容する小屋は銀山間の山奥の谷間にあり、外界との交通は遮断され、逃走を防いでいた。小屋場では差配人や小屋頭などが監督を行い、その残忍さは牢獄以上で、期限はなく死ぬまで重労働が課せられた。

 -- 明治以降 --
 明治初期から官営(当初は工部省の所管。農商務省、大蔵省を経て1889年から宮内省御料局の所管)となるが、江戸時代中期以降の産出量の衰退に対応するため、明治政府は1869年(明治2年)に西洋人技術者を鉱山に送り、火薬採掘や削岩機、揚水機といった西洋の近代的技術の導入を開始した。これにより産出量が再び増加に転じはじめた。1877年(明治10年)には洋式技術による選鉱場と、日本の金属鉱山で史上初となる洋式竪坑や大立竪坑が完成した。
 1885年(明治18年)、政府は金本位制に基づく近代貨幣制度へ移行するため、佐渡鉱山のさらなる増産を目指すようになり、高任立坑の開削、ドイツの新技術の導入による北沢浮遊選鉱場の建設、大間港の整備などを続々と行っていった。また1890年(明治23年)には鉱山技術の国産化を進める目的で鉱山学校が開校し、日本の鉱業教育に重要な画期となった。
 1896年(明治29年)、皇室財産だった佐渡鉱山は兵庫県の生野鉱山などと三菱合資会社(1918年に三菱鉱業株式会社に改名、現三菱マテリアル)に払下げとなった。三菱は、動力の電化など佐渡鉱山の機械化を推し進めた。その結果、明治後期には鉱山の産金量は年間400kgを超え、江戸時代における最盛期だった17世紀前半並みの産出量に戻っている。その後も産出量は増えていき、特に1931年(昭和6年)の柳条湖事件後に中国大陸での戦火が拡大したことで、大量の軍需品輸入の代金決済手段として金の需要が増加したことで佐渡鉱山でも金増産体制が強化され、1940年(昭和15年)には佐渡金銀山の歴史上最高となる年間約1,500kgの金と約25トンの銀を生産している。
 鉱山労働者の管理は、当初は三菱鉱業から労働者の雇い入れや管理を任されている部屋頭による「部屋制度」(納屋制度)で運営されていた。この制度は佐渡鉱山の労働力供給に大きな力を発揮していたが、部屋頭による中間搾取も多かったため、労働者の権利意識の高まりの中で1899年(明治32年)以来労働争議がしばしば発生するようになり、特に1922年(大正11年)5月には650名の鉱山労働者が参加する大規模な労働争議が発生した。そのため三菱鉱業は1926年(大正15年)1月に労働係を新設して労務管理を強め、部屋制から直営制度へと経営方針を転換し、労働者の不満を緩和する処置をとった。また1904年(明治37年)には23床の入院施設を持つ病院(鉱山病院)を設置し(1934年の改築で病床数32床に増加した)、鉱山関係者の軽費診断所として利用された。
 第二次世界大戦中には代金決算手段としての金の価値は薄れ、むしろ戦争に重要な資源である銅、鉄、亜鉛、石炭の増産・確保が重視されるようになり、佐渡鉱山でも銅の採掘が増える一方、金の採掘は減少した。また戦時中には朝鮮人労働者が大量に動員された。戦時中も佐渡鉱山は大きな成果を上げ続け、1943年8月には椎名悦三郎商工省次官が鉱山労働者の激励のため佐渡を訪問している。同年10月には商工、厚生両大臣から表彰も受けた。これを祝い、佐渡鉱業所は全従業員及び地元相川町民に対する感謝慰安で同月30日夜に協和会館で万才に浪曲の演芸会を開催している。
 戦後の1952年(昭和27年)、三菱は佐渡鉱山の大規模な縮小を決定した。1976年(昭和51年)には佐渡鉱山部門が佐渡鉱山株式会社として独立し、細々と採掘が続けられていたが、最終的に1989年(平成元年)に休山となった。1989年の休山までに佐渡鉱山が算出した金は78トン、銀は2,300トンに及ぶ。
 現在は、三菱マテリアルの100%子会社である株式会社ゴールデン佐渡が運営しており、体験型観光施設「史跡 佐渡金山」として一般公開されている。2024年(令和6年)7月インドで開催された第46回世界遺産委員会において、佐渡金山は「佐渡島の金山」として世界文化遺産に登録されることが決定した。

 …と、こんな歴史の有ります〝佐渡金山〟のようです(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(15)

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 相川公園内の中央部には、何か分かりませんけど、モニュメントと言うか記念碑が…
 石碑は、柱状の石碑(オベリスクに近い形)で、周囲に小さな石柱(柵状の石)が配置されており、記念碑的なモニュメントとして整備されたもののように見えます。
 文字が刻まれておりましたけど、画像に撮りますのは失念です(^-^; 確か〝恩賜金記念碑〟と刻まれていましたような…
 ChatGPTに尋ねてみましたら、こんな回答が…

 ◇根拠・解説
 ・相川公園に記念碑があるという記録がある
 「…相川公園内にある『恩賜金記念碑』」という記述が、相川地区の資料に見られます。
 ・恩賜金記念碑とは
 恩賜金とは、日本で天皇・皇室から下賜される寄付金などを指す言葉。
 この記念碑は、かつて鉱山が国や皇室と関係を持っていたことなど、歴史的な意味を持って建立されたものと思われます。
 相川は佐渡金銀山の中心地域であり、鉱山町としての文化的景観が重要視されている場所です。
 ・形状が一致している
 あなたが撮影した碑は柱状の石碑で、周囲に小さな石柱(または柵状の石)が配置されており、記念碑的なモニュメントとして整備されたものに見えます。
 恩賜金記念碑は相川公園のランドマークのひとつとして紹介されており、公園にモニュメントがあるという情報と合致します。

 …との事で、よく分かりませんけど『この記念碑は、かつて鉱山が国や皇室と関係を持っていたことなど、歴史的な意味を持って建立されたものと思われます』ようです(^.-)☆
 この記念碑の後方の水色っぽい建物は、左側が〝関東信越国税局 佐渡税務署〟で、右側が〝相川測候所〟であります。
 そして、相川公園に隣接の〝ワイドブルーあいかわ〟と表示されました建物ですけど、通過しながら眼を向けますと、もぅ久しく利用しておられません状況で、荒れ放題。以前は、何に利用されていましたのでしょうネ。WEB上で〝ワイドブルーあいかわ〟を検索しますと、こんな記載が…

 ◆ワイドブルーあいかわ

 旧相川町の海岸に面して建つ日帰り温泉施設。さまざまな浴槽と温水プールなど施設も充実している。海岸にある施設なので、広々とした浴室の窓からは日本海を望むことができる。
 開放的で明るい大浴場にはバブルバス・打たせ湯・サウナ・ミストサウナのある「おけさの湯」とジャグジー・ジェットバス(寝湯)・サウナのある「こがねの湯」があり週替わりで男女が交替する。
 無色透明のお湯がじんわりと体の芯まで温めてくれる。
 特に夕刻には、海を望む一面のガラス窓が真っ赤に染まるのは感動的。
 館内は広く、畳敷きや椅子席の休憩スペースが用意されており、ゆったりと過ごせる。
 ・2017年(平成29)、経営悪化から、当初閉鎖の予定であったが、市民から継続の要望が強く、5月31日付で市内の製造業「南秋北陸生コン」に譲渡された。
 ・2018年(平成30)、7月に浴室の天井が落ちたことで天井裏を点検したところ想像以上に傷んでいたことから休館。
 ・2019年10月13日(日)から相川温泉「佐渡の宝・ワイドブルー」として営業を再開する。
 2020年10月、閉業。新型コロナ禍が訪れ、緊急事態宣言に伴って、2020年4月から長期に休館してきたが、そのまま廃業となった。

 …と、こんな「ワイドブルーあいかわ」でありました。
 そぅそぅ、佐渡島には、大手コンビニとしましては〝ローソン〟のみのようですネ。
 ユッタリと歩いておりましたけど、気が付けばいつの間にか〝ホテル万長〟の建物が面前に(^-^)
 ホテル前の信号を渡ろうとしましたら、お一人、ジョギングしておられます方が…今朝の早朝ウォーキングで出会いました方は、この方で4人目。いずれも、地元の方達でしたネ。
 ホテルに戻って来ますと、暫くユックリしまして、そして朝食。メニューも量も豊富で、昨夜に続いて満腹状態。日頃イィ物を食べていませんから、つぃつぃ食べ過ぎになってしまいます(^.-)☆
 佐渡島2日目は、まず〝佐渡金山坑道〟を観光ですけど、出発まで少し時間が有りましたので、フロント前のロビーでノンビリと。
 ロビーを見廻しておりまして眼に入りましたのが、〝EVトライク レンタル〟です。レンタルの三輪バイクですネ。後部席には二人座れそうな…と、言う事は3人乗りですネ(^_^)v
 料金は、1日6,600円、2時間3,300円、超過1時間毎1,100円のようであります。利用者がありますのか否か分かりませんけど、利用しますと楽しそうではありますネ(^-^)
 ガラス越しに外の様子を伺いますと、護岸に、玉泉寺ご住職が凜々しく腕組みしたお姿で…何を見つめ、何に想いを…
 そぅしていますと、出発時間が到来です。
 バスに乗り込み、まずは〝佐渡金山〟へ。程なく到着で、車窓から〝道遊の割戸〟が(^-^)//"

 ◆道遊の割戸
 -- 壮大な採掘跡を残す佐渡金山のシンボル --
 佐渡金銀山の中でも開発初期の採掘地とされる江戸時代の露天掘り跡。巨大な金脈を掘り進むうちに山がV字に割れたような姿になっています。山頂部の割れ目は、幅約30m、深さ約74mにも達します。道遊脈と呼ばれる脈幅約10mの優良鉱脈を有しており、明治以降も割戸の下部で大規模な開発が行われました。

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大相撲九州場所…昨日の11日目、大の里連敗で二敗目を喫しましたネ(^-^;

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 大相撲九州場所、昨日の11日目、横綱・大の里の連敗は無いものと思いましたら、予期しません2連敗(^-^;
 大の里には気の毒ですけど、これで、大の里、横綱豊昇龍、新関脇安青錦が2敗でトップに並び、優勝争いは混戦模様となって来ましたねぇ~観戦者にとりましては、仲々面白い展開となってきました。
 ですが、千秋楽まで未だ4日を残しています。大の里の連覇か、豊昇龍の横綱初優勝か、それとも安青錦が横綱二人を制しますか…残り4日間の土俵から目が離せなくなって来ましたネ(^-^)
 ところで、中国新聞sanの〝九州場所星取表〟に眼を向けておりまして、初めて気付きましたけど、〝横大は「横綱大関」。大関は東西で必要なため、横綱が兼ねる。〟との注釈に「んっ!?」のGONsan。
 ふ~ん、東西いずれかの大関が空席の場合には、「横綱」は「横綱大関」と表示されますのですか…いゃいゃ、今まで全く知りませんで、〝星取表〟に『横大』と記載されますとは全く気付きませんでしたネ(^-^;
 永年、ノホホンと生きて来ましたから、この歳になりまして、また一つ、新しい知識を得ましたのが、チト、哀しい気持ちにもなってしまいましたネ(^-^)//"

 ◆【九州場所】大の里がまさかの連敗 九重審判長が指摘「硬かった。所作が何かおかしかった」

 --- 2025年11月19日18:35 東スポWEB ---

 大相撲九州場所11日目(19日、福岡国際センター)、横綱大の里(25=二所ノ関)が小結隆の勝(31=常盤山)の引き落としに屈して痛恨の連敗を喫した。隆の勝の右ノド輪に突き起こされると、相手の引きについていけずに土俵に崩れ落ちた。
 大の里の連敗は、横綱昇進後初めて。取組後は「下半身が伸びてしまった。左を使っていたつもりだったが、攻めていけなかった」と振り返り「明日からまた集中していきます。残り4日間、しっかりやっていくことが大切」と気持ちを切り替えた。
 九重審判長(元大関千代大海)は「硬かったね。(仕切りから)所作が〝連敗したくない〟というか、何かおかしかった。心と体が一致しなかった。昨日のぶん(金星配給)を取り返そうとして空回りをすることはよくある。この2敗で『自分らしさを取り戻していかないとな』という反省点はあるのでは」と指摘した。
 それでも、横綱豊昇龍(立浪)、新関脇安青錦(安治川)と並んで首位は維持。ここから立て直せるか。

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(14)

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 〝ホテル万長〟への帰路は、明るくなって来ましたので護岸を通って帰ります事に(^.-)☆
 朝も06:00を過ぎてきますと、地元の方なんでしょうネ…ウォーキングしておられます方もチラホラと(^-^)
 帰路では、〝相川総合体育館〟〝相川地区公民館〟〝相川バスステーション〟…等の建物を、裏側と言うか海岸側から眺めながら、ノンビリと〝佐渡市役所相川支所〟まで戻って来ますと、帰路で「昔の護岸跡(相川・羽田の浜)」に立ち寄ります事を思い出しました。危ない、危ない(^-^;
 危うく忘れて素通りしてしまいますところでありました。〝相川支所〟の裏側・護岸から駐車場を抜け表側に(^-^)
 護岸跡の遺跡には、こんな説明がありました。

 ◆羽田浜通り
 上羽田町、下羽田町(今の相川羽田町)の海側を羽田浜通りといい、現在の警察署の位置に、佐渡奉行所の交易機関である廣恵倉御役所があった。かってはここに羽田港があり、毎年唐津焼を積んだ唐津船が入港し瀬戸物町(唐津町ともいう)で商いした。
 当時、国内有数の消費地であった証である。

 ◆羽田の浜跡

 佐渡の相川・羽田の浜で
  女波男波が打ち寄せる
   かすむ相川夕日にそめて
    波の綾織る春日崎

 是より石積みを中心にした湾内に、おけさに歌われている羽田の浜があった。美しい波打ち際に幾艘もの小船が並び、また春日崎に沈む夕日は湾一面を赤く染めた。
 昭和54年(1979年)から平成8年(1996年)にわたり、総工費11億円をかけて、沖合い100m、延長1,150mの公有地造成事業により、新しく126千㎡の陸地が生まれた。
 この石積みは、海岸を守る護岸として季節風から町並みを守っていた、陸と海との境界の証として、今に残されている。
 
 …との事で、昔は、ここが護岸でしたようであります。
 相川公園内の花壇には、こんな説明板も…

 ◆「木が結ぶ地域の環」
 この区域にある木は、相川合同庁舎内の職員有志百七十八人からの募金によって、植樹されたものです。
 平成14年4月からの組織改革にともない、これまでの出先機関「新潟県相川合同庁舎各事務所」が地域機関「佐渡地域振興局」として生まれ変わる契機に、実行された記念植樹です。
 これまでの行政機関の業績を振り返るとともに、さらに「島民起点」で佐渡の地域振興のために、地域に根を張った行政を推進しようとする想いを込めたものであり、この樹々が地域の皆さんから広く永く愛され、すくすくと育っていくとともに、地域と行政とのネットワーク形式の一助となれば幸いです。
 -- 平成14年3月26日 新潟県相川合同庁舎 記念行事実行グループ --

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(13)

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 ホテル1階ロビーでの「佐渡おけさ公演」が終わりますと、本日の行動は凡てオシマイで、自室に戻り暫くノンビリと過ごしましたけど、多分、P.M.09:30過ぎ頃でしたか…就寝となりました。
 タイマーセットで、翌朝はA.M.05:00に起床です。
 窓際から外の様子を伺いますと、まだ真っ暗で、周辺の様子はよく分かりません。ただ、波の音で、岸壁に押し寄せています様子が伺えます。
 洗顔等を済ませ、出かけます準備が整いますと、それでは今から、朝のウォーキングにと出発です。が、何処をどぅ進んだらイィものか(^-^)とりあえず、ホテル前の岸壁から日本海の様子を確認です。
 まだ真っ暗ですから、街灯の灯りではよく分かりませんけど、波の音で、荒々しい日本海の波の強さがイメージとして浮かんで来ますようであります。
 暗いですから、岸壁を歩きますにはチト怖さが(^-^;
 で、一つ中側の車道沿いの歩道を北方向に進んで行きます事に(^-^)/
 車の走行もありませんし、勿論、人も歩いておられません歩道を、ノンビリと北上が続きます。そぅしましたら、〝ウエルシア佐渡相川店〟の看板が何とか読めますけど、店舗に点灯はありません。多分、営業時間は〝09:00-22:00〟でしたような(^-^)
 この看板を横目に通り過ぎますと、隣接に、初めて灯りの点灯した建物が…注視しますと、ふ~ん、建物には〝Police〟の記載が…〝佐渡警察署相川交番〟でありました(^.-)☆
 依然として未だ暗い中を、佐渡市消防本部相川消防署、佐渡市役所相川支所、相川バスステーション、相川地区公民館、相川総合体育館…等の建物を左手に見ながら進みます。そぅそぅ、そぅ言えば、先ほど通過しました相川消防署の前辺りに、「相川・羽田の浜」と記載の塀の一部が保存されました遺跡らしきモノがありましたけど、う~ん、ひょっとしたら、今こぅしてGONsanが歩いています歩道が〝昔の護岸跡〟なのかも…暗闇でよく分かりませんから、帰路で再度確認してみましょうか(^.-)☆
 時間を見ますと、A.M.06:00少し前。
 もぅ少しで明るくなりそうですから、この辺りで護岸に向かってみます事に。
 佐渡漁業協同組合稲鯨支所相川出張所辺りから、左手の3棟の〝市営栄町住宅〟脇を左廻りに護岸に出まして、日本海を眺望です。依然として強い波が押し寄せています。
 護岸の右方向には、何やら遺跡らしき構造物が存在しますけど、何なのかよく分かりません。もぅ少しで夜も明け、明るくなりそうですから、暫しここで待機です。
 その間に、遺跡らしき構築物方向を画像に納めてみますと、こんな感じで肉眼より鮮明に撮れましたネ(^_^)v
 スマホで、この場所を検索してみますと、ふん、ふん、〝大間港跡〟の遺跡でありました。

 ◆大間港(おおまこう)
 --- https://www.pref.niigata.lg.jp/sec/sado_seibi/omoshiro1-oomakou.html ---

 大間港は佐渡鉱山の鉱石や石炭などの資材の搬出入を目的として明治時代中期に築港され、佐渡金銀山の発展を支えました。コンクリート工法の普及以前に用いられていた「たたき工法」を使ったカラフル護岸や、にょっきり生えた橋脚や台座跡等の構造物が残存しています。
 日本の近代化を支えた佐渡金銀山、その発展に寄与した大間港の日本海の荒海の中で耐え抜く姿は、当時の建築技術の高さを裏付けているので、そちらにもご注目ください。

 ◆鉱石の積み出しなどに使われた「大間港」
 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0461/ ---

 明治25年(1892年)、コンクリート工法以前の石灰等を用いた「たたき工法」により完成した港で、鉱石の搬出や石炭などの鉱山の資材搬入に使われました。現在も石積護岸やトラス橋、ローダー橋脚、クレーン台座が残されています。

 …と、こんな〝大間港跡〟遺跡のようです。本日は、ここで引き返しますけど、明日の早朝ウォーキングでは、近くまで自由に入れますようですから、〝大間港跡〟遺跡の敷地内に出かけてみます事に(^-^)//"

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ふ~ん、こんなケースは、ホールインワンとならないのですねぇ(^-^;

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 先日開催の〝第41回伊藤園レディスゴルフトーナメント〟で、珍しいシーンが(^-^)
 ふん、ふん、こぅいぅケースは、ホールインワンとはなりませんようですネ(^-^;
 大会初日の12番ホールで菅沼菜々のティーショットは、ピンに当たりホールインワンのように見えまして、顔客から沸き起こる拍手。誰の目にも〝ホールインワン〟と思えましたけど、ズームアップされましたボールをよくよく見ますと、ボールは〝カップの縁にめりこんでいる状態〟との事でありました。
 で、競技委員の判定では「ホールインワン」とはならず、菅沼選手は、カップそばにボールを置き直し、タップイン。ホールインワン賞(50万円)は夢に終わり、実に不運で、お気の毒な菅沼選手でありました(^-^)

 ◆菅沼菜々、“幻のホールインワン”に涙…プレー動画にファンも同情「なんで」「この判定は酷い」

 --- 第41回伊藤園レディスゴルフトーナメント 午後2:52 ·2025年11月14日 ---

 日本女子プロゴルフ協会(JLPGA)は11月14日、公式Xを更新。伊藤園レディスに出場したプロゴルファーの菅沼菜々(25)の動画を公開し、ネットで大きな話題を呼んでいる。
 「まぼろしのホールインワン」と題して投稿された動画は、菅沼が12番でティーショットを放った際の様子をおさめたもの。ボールは、ピンにあたりつつホールインワンしたかに見え、観客から拍手が沸き起こった。
 しかし、ボールをよく見てみると、カップの縁にめりこんでいる状態。競技委員の指示により、菅沼は改めてカップそばにボールを置き直し、タップインした。この判定には、思わず放送席からも「え~」と困惑の声が漏れていた。
 この投稿には、菅沼も自身のXで、動画を引用しつつ「えー なんでダメなん えー えー」と涙を流す絵文字を9つ添えて、心境を吐露した。
 また、Xユーザーからは、「動画をよくよく見るとカップとピンに挟まったのではなくて、カップの縁にめり込んでたのか…」「めり込む前にピンに当たってるんだからカップインで良い」「この判定は酷いな」「え~っ、解せない(泣)」「なんでホールインワンじゃないのか」といった同情のコメントが寄せられている。

 ◆「マジ、最悪」菅沼菜々が“幻のホールインワン”ボールがカップ際にめり込んで…

 --- 2025/11/14 16:31 GDOゴルフニュース ---

 ◇国内女子◇伊藤園レディス 初日(14日)◇グレートアイランドC(千葉)◇6,769yd(パー72)◇晴れ(観衆3002人)

 7番アイアンのショットは、手ごたえ完璧だった。実測161ydの12番パー3。菅沼菜々はギャラリーの「入った!」に反応し、ティイングエリアで両手を広げた。グリーンにキャリーせず “ダンク”で入ったと思った。
 「(瞬間が)見えなかったんですけど、距離計測器で見たら(ボールがカップから)ちょっと出てる。“ピンとカップに挟まってるんじゃないか”と」。そんなことをキャディ、同組選手と話しながらグリーンに上がってみると、少し状況が違った。上からカップをのぞき込むと、ボールはカップ際のグリーン面にめり込み、約4分の1がカップ内、残りがグリーン面にかかっていた。
 競技委員を呼ぶと「カップ内にめり込んだものではなく、グリーン面に落ちて止まった」と判断され、カップインが認められなかった。要は“ベタピン”とみなされて、マークして傷んだグリーン面を修復後にリプレースしてタップイン。バーディとなった。
 2023年「日本女子オープン」でペ・ソンウ(韓国)が同じような“幻のエース”を記録した。菅沼は同じと思ったようだが、厳密に言えば微妙に違う。ペ・ソンウのケースは「ボールがダイレクトにカップ内に着弾」し、ボールがカップ内に完全に入っていなかったため、ホールインワンと認められなかった。
 菅沼はもちろん「マジ最悪。やばくないですか?」とあまりの出来事にがっくり。競技委員の判断にではなく、起こってしまった現象が残念で仕方ない。しかも、同ホールには大会期間中の達成者全員にホールインワン賞がかけられていた。「50万円ですよ」とこぼし、ボールの約4分の1はカップ内に食い込んでいたことで「15万円、ほしいです」と嘆く。
 ちなみに13番(パー5)、14番も大チャンスが入らずのパー。225yd(実測196yd)とツアー史上最長パー3の17番は池ポチャのダブルボギーを喫して、1アンダー「71」の58位発進になった。「12番で流れが悪くなっちゃったんですよ」と話していた。(千葉県長南町/加藤裕一)

 …と、WEB上には、こんな記事掲載がありましたけど、当のご本人には実にお気の毒。
 とは言いましても、以前にも、〝2023年「日本女子オープン」でペ・ソンウ(韓国)が同じような“幻のエース”を記録した〟との事ですから、まぁ、仕方ありませんネ(^-^)//"

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力強い相撲をとります横綱・大の里ですけど、反面、モロい一面も(^-^;

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 本日・火曜日は、朝から冷たい風が流れておりまして、朝のGGも寒さを感じながらのプレーとなりました。
 GGから戻って来ますと、畑で雑務に追われておりましたけど、動いていますと寒さも感じませんが、ジッとしていますと、やはり冷たさが(^-^;
 …と言う訳で、午後は室内でノンビリ過ごしておりまして、気が付けばテレビの前で居眠りでした。
 相撲中継の歓声で眼が醒めますと、う~ん、既に夕方近くでありました。
 暫く大相撲中継に眼を向けておりますと、横綱・大の里が登場です。対戦相手は〝義ノ富士〟。力強い相撲をとります横綱・大の里ですから、大の里の圧勝で連勝維持かと思いましたら、反面、モロい一面も持ち合わせます大の里。
 仕切り線から少し下がった位置で構えた大の里は義ノ富士に左を差され、中に入られ、ここで、たまらず引いてしまいました。そして、右手で相手の首を押さえようとしたものの、押し出されてしまいましたネ(^-^;
 取組後には、高田川審判長(元関脇安芸乃島)の、こんな談話が…
 〝高田川審判長(元関脇安芸乃島)は「義ノ富士の当たりが良かった。(大の里は)いつもはじいて右を入れるけど、入らなかった。中に入れるところがないから、ついつい、また外からはたきにいっちゃった。大の里は引いたら体が浮いちゃう。一番悪いところが今日は出た」と指摘した。〟
 との事で、ふん、ふん、大の里は引いたら体が浮くようですから、時たまモロく感じられますのかも…

 ◆横綱大の里が痛恨初黒星 初日からの連勝が9でストップ 館内騒然、義ノ富士が鋭い立ち合いから初金星!安青錦が1敗守り首位に並ぶ

 --- 2025/11/18(火)17:54配信 デイリースポーツ ---

 「大相撲九州場所・10日目」(18日、福岡国際センター)
 横綱大の里は義ノ富士に押し出され、今場所初黒星。初日からの連勝は9でストップした。
 義ノ富士の鋭い立ち合いに受け身となり、一気に土俵外へと追いやられた。館内はどよめきに包まれた。義ノ富士は初金星。
 関脇安青錦は玉鷲を寄り切って、1敗を死守し、ついに首位に並んだ。
 横綱豊昇龍は欧勝馬を下手投げで下し、2敗を守り、勝ち越しを決めた。2敗だった前頭十四枚目の時疾風は千代翔馬に敗れ、3敗に後退した。
 大関琴桜は王鵬を押し出して3連勝。5勝5敗とし、星を五分に戻した。

 【9勝1敗】大の里、安青錦
 【8勝2敗】豊昇龍

 -- 最終更新:11/18(火)18:25 デイリースポーツ --

 まだ千秋楽まで先が長いですけど、優勝争いは〝大の里〟〝安青錦〟〝豊昇龍〟の3人となりますのかも…
 1敗を堅持の〝安青錦〟の動向も気になります。〝安青錦〟関の相撲への取り組み姿勢、そして、人柄に好感が持てますから、このまま1敗を維持して初優勝が叶いますと宜しいですネ。
 さて、どぅなりますか…楽しみです(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(12)

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 〝ホテル万長〟sanの館内イベントとしましては、ホテル1階ロビーで「佐渡おけさ公演」と、無料送迎バスによる「北沢浮遊選鉱場のライトアップ見物」が有りますようです。
 で、夕食を終えましたこの日の夜は、まず、〝佐渡おけさ公演〟を鑑賞し、明日の夜に〝北沢浮遊選鉱場のライトアップ見物〟を楽しみます事に(^.-)☆
 夕食の方は、丁度、20:00頃にお開きでしたから、そのまま1階ロビーに向かいますと、既に多くの方々がお集まりでありました。

 ◆佐渡おけさ観賞会
 当館のロビーで、地元団体「立浪会」による佐渡おけさの披露会を開催しています。(4月~11月、不定期開催)
 佐渡おけさだけでなく、相川甚句、相川音頭も披露。
 ご夕食後のお散歩がてらにぜひご観賞ください。
 * 開催について、詳しくは当館までお問い合わせください。

 ◆立浪会の紹介
 --- https://sadotatsunamikai.wixsite.com/site/ ---
 立浪会は大正13年(1924年)6月10日に「相川音頭」と「佐渡おけさ」の継承と普及を目的に結成され、令和6年(2024年)に創立100周年を迎えました。
  結成以来日本国内はもとより、アジアやヨーロッパにまで公演に出かけ佐渡の観光振興に貢献してまいりました。
 平成26年(2014年)には上皇陛下の傘寿のお祝いに皇居にご招待され、皇室ご一家の御前で「佐渡おけさ」をご披露させていただきました。

 〝立浪会〟sanのホームページを拝見してみますと、こんな記載がありました。

 >一度見ると忘れがたい唄と踊り。
 >相川音頭は、民謡に興味がない人もその格好よさに驚かされます。佐渡には多くの民謡がありますが、
 >その品格ある唄と踊りには特別なものがあります。
 >佐渡おけさ、両津甚句と並び、佐渡三大民謡の1つとして知られる相川音頭。相川金山で生まれ、後に
 >佐渡奉行の前で披露された「御前(ごぜん)踊り」として知られたこの民謡には、実は40編もの歌詞があるといいます…

 長い歴史の中で現在へと継承されて来ました〝佐渡おけさ〟〝相川音頭〟、上品さを備えた〝唄〟と〝踊り〟。〝立浪会〟の皆様の体型もイィですから、一層、特別なモノとして「格好良さ」が感じられましたネ(^-^)//"

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安芸高田市でもキャンプ場近くの県道で、クマが目撃されましたか…

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 岩手県・秋田県・山形県…等の東北地方でクマ被害が続出のようですけど、広島県の安芸高田市でもキャンプ場近くの県道で、クマが目撃されましたようですネ。
 NHK広島のニュースで、こんなクマ目撃の報道が…

 ◆クマ目撃でキャンプ場 当面閉鎖 広島 安芸高田

 --- 2025年11月16日午後6時53分 NHKニュース広島 ---

 16日、安芸高田市のキャンプ場近くの県道で、クマを目撃したとの通報が警察にありました。
 キャンプ場にいた人たちにけがはありませんでしたが、今後もクマが出没する可能性があるとして、夕方からキャンプ場は閉鎖されました。
 警察によりますと、16日午前1時ごろ、安芸高田市八千代町にある「土師ダムファミリーキャンプ場」の前を通る県道を走っていた車の運転手から、「クマ1頭を目撃した」との通報が16日朝になって警察にありました。
 キャンプ場を管理している会社の担当者によりますと、当時はおよそ15組の客が宿泊していたということですが、警察からの連絡を受けて現地で確認したところ、けがなどはなかったということです。
 ただ、今後もクマが出没する可能性があるとしてキャンプ場は、夕方から閉鎖されました。
 再開の時期は未定だということです。
 このキャンプ場の付近ではことし6月にもクマが目撃され、その際は1週間閉鎖されました。
 16日昼ごろのキャンプ場では、昨晩からの宿泊客が帰り支度をしている様子がみられました。
 広島市から訪れた50代の男性は「近くでクマが目撃されたのは怖い。もう少しゆっくりしようと思っていたが早めに帰ることにした」と話していました。また、管理会社の担当者は、新たな客がキャンプ場に入らないよう駐車場の入り口にコーン標識を設置したり、日帰りで訪れた客に早めに帰宅するよう呼びかけたりするなど対応に追われていました。
 管理会社の担当者は、「紅葉が見ごろを迎えていて利用客が増える時期なので閉鎖するのは残念だが、来シーズンにも来ていただきたい」と話していました。

 多くのクマが人里近くに出没していますのは、食べ物(どんぐり)の凶作に起因のようですネ。
 WEB上には、こんな記事もありました。

 ◆人を怖がらないクマ 異変はなぜ起きたのか…専門家に聞きました。

 --- 2025/11/16 防災ニッポン ---

 クマによる被害が相次いでいる2025年。何がこれまでと違うのか。2025年9月に日本クマネットワーク代表で東京農工大教授の小池伸介さんへのインタビューを掲載しましたが、その後、クマの被害が急増したことを受け、改めてお話をうかがいました。

 警戒心が低下、市街地を落ち着いて歩くクマが増加

 -- クマの被害による死者が過去最多になっています。いったいクマに何が起きているのでしょうか? --
 本来であれば、クマは警戒心が非常に強い動物で、市街地に出てしまうとパニックになって隠れようとするものなのですが、2025年に市街地に出没しているクマは非常に落ち着いているのが特徴だと思います。クマは警戒心が強いのですが、一方で非常に好奇心が旺盛で探索能力が非常に優れています。
 これまでは人への警戒心が行動を制限していたのですが、警戒心が低下して、別に人間は怖くないから出てみようかというような行動に移ったのではないか、といった指摘もあります。
 いずれにしても、今までの常識が通用しないような状況で、何が起きているのか、もう少し分析しないとわからないというのが正直なところです。

 -- 秋になってなぜ被害が急拡大しているのでしょうか? --
 今、多数のクマが人里に出没している直接の原因は、どんぐりの凶作です。まだいくつかの県で発表してないのでわからないのですが、おそらく2023年に秋田県で起きたような複数種のどんぐりの凶作が起きて、クマの行動が変容した。特に岩手県と秋田県です。ただ、盛岡市の街中とか、市街地に出てくるクマが非常に多く、その様子が落ち着いているところが、今までにはなかった気がします。
 海外では、人間が住む場所の周辺には親子のクマが多いという報告もあります。親子のクマにとっての天敵はオスのクマです。そして、オスの方が警戒心が強いので人前にあまり出てこない。それで親子のクマたちは、オスが寄りつかないように、あえて人の近くで子育てをするという構造です。そこで育ったクマは母親からどんぐりがないときは集落に行って柿を食べればいいんだよと教わったりするかもしれない。それが何代も何代も続くと、人間への警戒心が低下したクマが徐々に増えていくことは十分に考えられます。これが日本でも起きていて、今年のどんぐりの凶作で表面化したのかもしれません。今後、検証していく必要がありますが、可能性としてはあると考えています。

 >16日午後3時25分頃、秋田県鹿角市花輪で、「田んぼに人が倒れている」と住民から110番があった。
 >鹿角署の発表によると、高齢女性があおむけに倒れ、頭と右手には動物によるとみられる傷が複数あ
 >った。その場で死亡が確認された。同署はクマに襲われた可能性があるとみて、身元や死因を調べて
 >いる。-- 讀賣新聞 --
 …と、WEB上には、クマに襲われたと思われます女性の死亡事故も発生しておりますし、何とも痛ましい事故が続いております。
 この時期には、紅葉を求めて山歩きに出かけたい気持ちに駆られますけど、近隣の、例え里山でありましても、躊躇の気持ちもまた生じますねぇ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(11)

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 バスの待ちます駐車場へと戻って来ますと、すっかり夕方でありました。時間はと見ますと、P.M.05:00を少し廻っておりました。行程表によりますと、本日の行程は、〝根本寺〟での御開帳を終えますと、後は、今夜の宿であります「ホテル万長」に向かうのみ。

 ◆ホテル万長 HOTEL MANCHO

 --- https://www.hotel-mancho.jp/ ---

 -- 明日へ想いを馳せる --
 佐渡島の歴史と文化を伝える宿 ホテル万長。
 佐渡金銀山の鉱山町として栄えた相川の海辺に、ホテル万長は佇みます。
 相川地区は古くからある祭りをはじめ、能楽 民謡 無名異焼など芸術文化にも富んだ町です。歴史的建造物も多く残る相川の町を、ゆっくりとお散歩しながら文化にふれていただくのもおすすめ。
 館内においては随所に飾られた工芸品や絵画をはじめ、佐渡にゆかりのある美術品の数々をご覧いただけます。
 日本海に面し里山にも恵まれた当館の魅力の一つは、旬の食材を使ったお料理。佐渡は金銀山の繁栄とともに、様々な食文化も生まれた島です。
 皆さまに大自然に育まれた四季の味覚と、佐渡ならではの食文化をご堪能いただけるよう、真心を込めたお料理でおもてなしいたします。
 移りゆく佐渡の美景とともに、ゆっくりと流れる時間をお楽しみください。

 〝ホテル万長〟sanのホームページを覗いてみますと、こんな記載がありました(^.-)☆
 ホテルに到着しますと、まずは入浴。
 新潟港~佐渡島・両津港間の〝ジェットフォイル〟では、大変な目に遭いまして、以降も何となく体調はすぐれませんでしたけど、入浴で旅の疲れも癒やされまして、ヤッとスッキリしました状態に(^_^)v
 とは言いましても、今回の〝佐渡島三ヶ寺参詣旅行〟にご夫婦で参加されましたご主人の方は、よほど船酔いがひどかったのでしょうか…夕食にはお姿が無く、部屋で休んでおられますとか…実にお気の毒ではありました。
 GONsanの方は、入浴でスッキリし空腹感も襲って来まして食欲は旺盛。
 結構、夕食の量は多かったのですけど、出て来ますモノは凡て完食。常日頃、イィ物を食べてはいませんから、何もかも美味しく戴き大満足でありました\(^o^)/

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(10)

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 夕闇迫ります中を、皆さんの歩調に合わせノンビリと進んでおりますと、境内の片隅に落下した栗の実が…落下の衝撃で殻が弾けましたのでしょうか…中の実が散乱しておりましたけど、佐渡島には熊はいないのでしょうネ。片付けられていませんと言う事は(^-^)
 佐渡に流されました日蓮聖人が、約2年半の佐渡滞在の内最初の6ヶ月をこの地で過ごされ、塚原・三昧堂を開いたのが根本寺の始まりのようですけど、当時の塚原は、死人の捨て場とされていたそうであります。
 当時の〝塚原・三昧堂〟が、正確には何処にありましたのか分かりませんようですけど、いずれにしましても、この近辺に存在したものと思います。
 畳2枚ほどの狭いお堂で、冬の寒さにも耐え生活しておられました当時の日蓮聖人に想いを馳せますと、改めて感慨深い気持ちに浸ってしまいます(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(09)

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 GONsanがセッセと〝日蓮聖人銅像〟〝水子地蔵〟〝妙見堂〟〝太鼓堂〟を画像に納めておりますと、皆さん本堂前にお集まりで、今から集合写真を撮られようとしておられますので、急いでGONsanも仲間入り(^.-)☆

 ・日蓮聖人銅像
 この銅像は、両津 源助屋、土屋辰治、雪絵だ夫婦の御意思に依り、当山参詣者の皆様に老若男女を問わず、少しでも合掌の気持ちを持って参詣なさって頂きたいという願いを込め、昭和57年に宗祖七百遠忌に建立された銅像です。

 ・水子地蔵
 五十世日浄上人の代、遠近の参拝者の方々の供養の為に建立しました。

 ・妙見堂
 当山の鬼門の方角に当堂を祀っています。

 ・太鼓堂
 明治十二年改築の太鼓堂。越前の某講中より大太鼓の寄附を受ける。水牛の皮を用い、佐渡島内最大の太鼓と言い伝えられます。

 集合写真を撮り終えますと、本堂に上がり御開帳です。
 本堂、祖師堂と、お寺の内部は〝撮影禁止〟でしたから残念(^-^; 御開帳を終え、内部を拝観し、境内へ出て来ますと、周辺にはもぅ夕闇が迫っておりました。時間を確認しますと、P.M.05:00が目前でありました。
 〝根本寺〟sanの参道は、〝入口〟と〝出口〟は別なのですけど、何故か皆さん、ヤッて来ました参道(入口)をそのまま駐車場へと戻られます。GONsanは、〝太鼓堂〟脇を抜けるルートで〝出口〟に向かってみたかったのですけど、独りだけ出口コースに進みます訳にも行きませんで、皆さんに合わせましたけど、う~ん、残念(^-^;
 とは言いましても、別段何かあります訳でも無さそうで、〝池〟と〝犬塚〟があります程度。〝犬塚〟の存在には何で?…との多生の関心は生じましたが(^-^)//"

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11/12(水)の〝参院予算委員会質疑〟の中継以降、SNS上が大変賑やかでした(^.-)☆

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 テレビで国会中継がありますと、大概、テレビ画面にはあまり眼を向けませんけど音声を聴きながら過ごしていますGONsanで、11/12(水)の〝参院予算委員会質疑〟もまた、そぅでありました。

 ◆12日の参院予算委員会・論戦のポイント

 --- 2025年11月12日23:20 日本経済新聞 ---

 参院予算委員会の論戦のポイントは次の通り。

 【防衛力強化】
 榛葉賀津也氏(国民)鉄道も防衛に関連した重要なインフラと位置付けるべきだ。
 小泉進次郎防衛相 日本の防衛力整備や領土、領海、領空を守るためにいかなる構えが必要か。鉄道の活用を含め、あらゆる選択肢を検討したい。
 榛葉氏 非戦闘目的の「5類型」に該当する防衛装備品のみの輸出を認めてきた現行ルールを見直す意義は何か。
 防衛相 日本が売らなければ平和は保たれるといった議論は現実とかけ離れている。日本の置かれている安全保障環境を良くしていく観点から、5類型撤廃の必要性を丁寧に説明したい。

 【官房副長官起用】
 蓮舫氏(立民)なぜ佐藤啓官房副長官を起用したのか。
 高市早苗首相 官房長官を補佐する立場として、ふさわしい能力を有している。有権者から送り出された代表だ。しっかり働いてもらいたい。
 蓮舫氏 人事をいったん白紙にしないか。
 首相 一度、任命したものを白紙にするつもりはない。

 【企業・団体献金】
 蓮舫氏 なぜ規制しないのか。
 首相 政治活動の自由に関わる問題だ。慎重に検討する必要がある。

 【クマ対策】
 田名部匡代氏(立民)自治体の予算や人員が既に限界だ。
 首相 国民の安全安心を脅かす深刻な事態だ。補正予算も活用し、必要な施策を順次実行に移す。近く「クマ被害対策施策パッケージ」を改定し、自治体が必要とする経費への支援を拡充する。

 【太陽光パネル】
 杉尾秀哉氏(立民)政府は先の通常国会で、使用済み太陽光パネルのリサイクルを義務化する法案の提出を見送った。
 首相 実効性のある制度案を取りまとめ、次期通常国会への法案提出を目指したい。

 【原子力潜水艦】
 羽田次郎氏(立民)原子力潜水艦導入の選択肢を排除しない考え方か。
 防衛相 原子力についてタブー視せず議論する必要があると申し上げている。幅広く課題と可能性、メリット、デメリットを含め議論するのは当然のことではないか。

 【パレスチナ問題】
 羽田氏 国際社会ではパレスチナを国家承認する動きが進んでいる。
 首相 最も重要なのはパレスチナが持続可能な形で存在し、イスラエルと共存することだ。最も効果的かつ実効的なタイミングを総合的に検討する。いつ承認するかの段階に入ってきている。

 【円安】
 阿達雅志氏(自民)中小企業や家計は相当厳しい状況だ。
 片山さつき財務相 経済への影響はプラス面とマイナス面があるが、マイナス面が目立ってきたことは否定しない。

 【基礎的財政収支】
 山本順三氏(自民)基礎的財政収支(プライマリーバランス、PB)の黒字化目標の扱いをどうするのか。
 首相 単年度ごとにPB黒字化目標の達成状況を見ていく方針から、数年単位でバランスを確認する方向への見直しを検討している。来年の経済財政運営の指針「骨太方針」に向けてより明確化していきたい。

 【基礎研究】
 本田顕子氏(自民)基礎研究支援を継続的に行ってもらいたい。
 松本洋平文部科学相 長期で安定的に行う環境をしっかりつくり上げることが極めて重要だ。〔共同〕

 論戦のポイントは、上記記事の通りですけど、SNSが賑わいましたのは、午後からの最終質問者・榛葉賀津也(しんばかつや)国民民主党幹事長の質疑応答でありました(^.-)☆
 WEB上には、こんな記事掲載が…

 ◆立憲民主党と『月とスッポン』…国民民主党、榛葉賀津也・幹事長がSNS”無双”したワケ 「これぞ国会討論」「違いが大きすぎ」

 --- 2025/11/12 中日新聞 ---

 高市早苗新政権になって、国会中継に国民の関心が高く集まっているようだ。衆院予算委では立憲民主党による質疑で、ネットが大荒れする事態に。一方、参院予算委では、逆に株を上げた党と議員もいるようだ。
 注目を集めたのは、国民民主党の幹事長を務める榛葉賀津也参院議員だ。12日の予算委では、まず、高市首相と片山さつき財務相について、「最恐コンビとネット上でいわれている」と話し、国会の場に笑いを誘った。さらに、その真意は「国民のために仕事をする…それを邪魔する皆さんからすると、最も恐れられているってこと」だと追加説明。
 最も注目された場面は、榛葉議員が「走行距離課税」について質疑したときだ。まず、自動車関係諸税について切り出し、自動車にかかる税金の多さを問題提起。さらに「まさか走行距離課税ってのがあるんですが、やりませんよね?」と片山財務相に追及した。
 片山財務相は「車は走るためにありますから。走行距離に課税すると、あんまりだという声は本当にうかがっております」と受け、「走行距離課税については、政府として具体的に検討はしておりません」と明言した。
 その後も榛葉議員は、輸送を担うドライバーの所得が少ないことなど物流業界における問題についても質疑するなどした。
 X(旧ツイッター)やスレッズでは「ユーモラスがあって面白い質疑でした 流石」「榛葉さんthreadsで無双してますよ」「これぞ国会の討論」「野党は榛葉賀津也ひとりでよくないか?」「鋭くツッコミ入れてるが、揚げ足取りなんかではなく国民の言葉を代弁してる」「今日のMVP」など、質疑姿勢を支持する肯定的な声が相次ぐ結果に。
 また、一方で立憲民主党の議員は、衆院予算委で「シカ発言」に関してしつこく撤回を求めるなど、質疑の質を疑問視する声がネット上で相次ぐ状態となっているため、「立憲はこれを見て勉強して」「どっちも民主党と名乗ってるのに雲泥の差」「月とスッポン」「質問時間が無駄な立憲との違いが大きすぎる」と2党を比較する声も散見された。

 ◆「国会中継が面白い」国民榛葉氏vs高市首相らの論戦にネット称賛相次ぐ 「こういう空気感いいわ」

 --- 2025/11/13(木)17:14配信 J-CASTニュース ---

 2025年11月12日に行われた参院予算委員会で、国民民主党・榛葉賀津也幹事長が質問に立ち、自民党・高市早苗首相らと論戦を交わした。この一連の質疑応答がSNS上で注目を集め、「国会中継が面白い」「かくあるべき」などの声が上がっている。

 -- 「こういう国会を望んでる」などの声が相次いだ --

 榛葉氏は12日、所得税の最低課税基準である「年収の壁」の引き上げや、自動車関連税の見直し、トラックドライバーの待遇改善、拉致問題解決に向けたアメリカとの連携など幅広いテーマで質疑を展開。とくに「年収の壁」の引き上げについて、高市氏から前向きな答弁を引き出すなどの場面もみられた。
 こうした中、SNS上では、榛葉氏と高市氏のやり取りなどが注目を集め、「国会中継が面白い」「こういう空気感いいわ」「国会はかくあるべき」「こういう国会を望んでる」「こういうやりとり好き」などの声が相次いでいる。
 まず榛葉氏が質疑に立つと、高市氏と片山さつき財務相に対し、「いま高市・片山コンビは『さいきょう』コンビだと言われている。『さいきょう』の『きょう』は、最も強いだけではなく、最も恐れられている『最恐』。この評価をどう思いますか」と質問。すると、場内からは笑いが起こった。
 これに対し高市氏は、「残念です。恐ろしい方の字だったんですね。ある世論調査で、支持しない理由で『人柄が信頼できない』が1位になっていた。『私ってそんなに性格悪いんかな~』と、夫に言っていた。強い方の最強コンビで頑張ります」と述べ、こちらの返答にも笑いが起こっていた。
 また自動車関連税に関する場面では、榛葉氏が片山氏に対し、走行距離課税について質問した。榛葉氏は、「走行距離課税というのがあるが、(静岡県の)水窪の皆さんから『これやらないよね』と言われているので、やりませんよね」。
 これに対し片山氏は、「車は走るためにあるから、走行距離に課税するのはあんまりだという声は本当に伺っております。ご指摘のいわゆる走行距離課税について、政府として具体的に検討していない」と回答。すると、会場からは拍手が上がった。
 これを受け、榛葉氏は「ありがとうございます。今日寝れそうです」と返答。こちらも会場から笑いが起こっていた。
 片山氏は、衆院議員時代は静岡7区(浜松市など)選出。参院静岡選挙区選出の榛葉氏とは「静岡つながり」だ。
 そのほか、榛葉氏が物流問題に関する質問をするにあたり、ネットショッピングの利用について高市氏に聞く場面もあった。これに対し高市氏は、知らぬ間に夫の元衆院議員・山本拓氏がテレビ通販で商品を購入していることを明かしていた。

 そのほか、榛葉幹事長の、こんな記事掲載もありました。

 ◆国民民主・榛葉幹事長、高市首相ら質疑相手は「“木鼻答弁”が全くない」命名「支持率高いからといって浮かれていない内閣」

 --- 2025年11月14日15時48分 スポーツ報知 ---

 国民民主党の榛葉賀津也幹事長は14日、国会内で会見を開き、高市早苗総理ら参院予算委で質疑した相手についてベタ褒めした。
 今国会での高市総理への向き合い方について問われた榛葉氏は「高市総理のみならず、片山さつき財務大臣、小泉進次郎防衛大臣、金子恭之国交大臣、木原稔官房長官…木で鼻をくくった答弁、この業界では“木鼻答弁”とよく言いますが、木鼻答弁が全くないね」と絶賛。「しっかり自分の言葉で答えてくださっているのが、歴代内閣と違う」と述べ「そうせざるを得ない、どんなに高い支持率でも衆参過半数ない現状をよく分かってらっしゃる。『支持率高いからといって浮かれていない内閣』ですね」と評価した。
 榛葉氏は12日の参院予算委で、高市首相と片山さつき財務相について「最恐コンビとネット上でいわれていますが…」などと話しかけ、テレビなどで国会中継を見ている視聴者向けに場を和やかにしてから質疑を開始していた。

 …と、こんな記事。
 国民民主・榛葉幹事長は、以前から大変紳士で好感の持てます議員先生で、GONsanも好きな議員先生のお一人でありました。
 なのに、今回、何でまた急に騒がれて(^-^)
 多分、初の女性総理誕生で、以降に初めて迎えます国会答弁(衆参予算委員会)と言う事もありまして、衆参予算委員会の国会中継視聴者が多かったのでしょうネ…
 で、たまたま質問者が国民民主党の榛葉賀津也幹事長。ご本人としましては、いつも通りの紳士的な質疑でありましたのでしょうけど、日頃、国会中継に馴染みがありません視聴者には、榛葉幹事長の質疑が、大変好感を抱き受け入れられた…と、こんな状況でしたのかも分かりません。
 か、どぅか、分かりませんけど、時たま笑いを挟み、小泉大臣には先輩議員として上から目線の発言も挟み、視聴者にとりましては心地良い質疑ではありましたネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(08)

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 〝三昧堂〟を通り過ぎますと〝二王門〟を潜り、永い歴史を感じさせます参道を進みますと、次は〝二天門〟を潜ります。
 そして、引き続き参道を真っ直ぐ進みますと、正面に〝祖師堂〟です。〝祖師堂〟の手前を右に進みますと、〝本堂〟に到着となりました。

 ◆根本寺
 日蓮宗の霊跡に数えられる名刹。
 日蓮聖人が他宗の僧と問答を戦わせ、「開目抄」を著した場が境内の「三昧堂」と伝わっており、「観心本尊抄」などを著した佐和田地区にある妙照寺と並び日蓮宗の霊跡となっています。江戸時代には、金山の山師たちがその財力で建立・寄進した「祖師堂」や「本堂」など、約1万7千坪の境内に、堂宇29棟が建ち並びます。

 ◆二天門
 宝暦元年、第二十七世日遙上人によりの創建。慶應年間第三十九世日宣上人瓦葺に改め、七福神を略して四福神を安置しています。

 ◆二王門
 第十三世日衍上人の造営する所なり。棟札には寛永三年と訪せらる。明治二十一年に瓦葺に改む。仏法の守護神とされる一対の金剛力士で寺門の左右に安置され、除厄の役をなす。

 ◆祖師堂
 文永十一年宗祖鎌倉へ帰られてより、およそ二百年間はささやかな房舎ありて僅に霊跡の名を伝えるものなるべし。
 天文二十一年 大泉坊日成上人の創業により初めて、斯堂の建立を見たり。その後、七十年を経て、日衍上人檀越味方氏の外護を得て、現今の布金壇上に再建す。それ以来、百数十年を経て、現今の祖師堂即是なり。

 ◆本堂
 十二間九間総檜造の本堂です。
 寛文十二年、当山二十世日行上人の代に創建されました。棟札には明治三十八年日静上人瓦葺に、とあります。

 ◆鐘堂
 元和七年、日衍上人・味方氏の資助を得て、梵鐘を鋳造せる。

 ◆佐渡・根本寺 日蓮上人にゆかりある霊跡【佐渡観光】

 --- https://traveltoku.com/sado-kon/ ---

 佐渡ヶ島の根本寺(こんぽんじ)は、新潟県佐渡市新穂大野1837にある日蓮宗の本山・霊蹟寺院となります。
 鎌倉時代の1271年に佐渡島に流された日蓮が塚原・三味堂を開いたのが始まりとされます。
 当時、この塚原は、死人の捨て場とされていたそうですが、日蓮は約2年半佐渡に滞在したうち最初の6ヶ月間をここで過ごしたようです。三味堂は畳2枚ほどの狭いあばら家で、冬には深い雪にも覆われましたが、遠藤為盛(阿仏房)の夫妻から食料などの世話を受けました。
 特に、佐渡に集まった他宗の僧侶ら数百人と日蓮が問答を戦わせて、日蓮宗の根本教典「開目抄」を著したのが、この「三昧堂」と伝わっています。
 時を経て戦国時代に、その三味堂があった付近に京都妙覚寺の日典上人が1587年に、この根本寺を開基しました。
 江戸時代に入ると、1607年に佐渡金山の山師・備前遊白らが「祖師堂」を建立するなど、多くの山師の寄進にて「本堂」などが建てられました。
 境内はなんと約1万7千坪にも及び、堂宇29棟が建ち並んでいます。

 大人300円、小人150円と有料拝観できる寺院です。
 駐車場に止めまして、受付で声を掛けたのですが、応答がありませんでした。閉鎖されていたわけではなく中には入れる状態でして、あとで、お支払いすることにして拝観させて頂こうとも考えました。
 しかし、未払いでウロウロするのは色々と誤解を招く恐れもありますので、入口から入ったところだけ拝見させて頂きまして、退散致しました。はるばるやってきたのですが、とても残念ですが、縁が無かったようです。
 拝観時間は、4月から10月が、8:00~16:30。
 冬期の11月から3月は8:00~15:30で、年中無休です。

 本堂前に到着しましたところで、全員で集合写真をパチリです(^-^)//"

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ふ~ん、下水道管老朽による道路陥没事故…昨年、県内で122件発生でしたか(^-^;

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 未だ記憶に新しいのですけど、埼玉県八潮市の県道交差点で今年、1月28日に起き、運転手1人が乗ったトラックが転落した道路陥没事故。影響は埼玉県東部の住民120万人の生活にも及び、「災害級の被害」との指摘もありましたが、下水道管の老朽化は全国で進み、同様の事故は日本のどこでも起きる可能性が(^-^;
 この、八潮市の道路陥没事故を受け、全国的に特別調査が行われ、広島県内でも対策が進められていますようであります。
 つぃ先日…と、言いましても2日ばかり前ですけど、NHKのこんなニュースに眼が止まりましたGONsanです。

 ◆広島 県内の市町道で下水道管原因の道路陥没が昨年度122件

 --- 2025年11月12日午後0時30分 NHKニュース ---

 全国で下水道管の老朽化が課題となる中、広島県内の市や町が管理する道路では、昨年度、下水道管の破損などが原因とみられる陥没が、6の市町であわせて122件確認されていたことがわかりました。
 大半は小規模な陥没だということです。
 NHKが県内23の市と町に取材した結果、昨年度、市や町が管理する道路で発生した下水道管の破損やひび割れなどが原因とみられる陥没は、6の市町であわせて122件確認されました。
 自治体ごとでは、▽広島市が最も多く79件、▽次いで福山市で24件、▽廿日市市で9件▽呉市で6件、▽大竹市で3件、▽熊野町で1件となっています。
 下水道管の種類で見ると、▼住宅地と下水処理場をつなぐ「本管」付近で16件、▼「本管」と住宅をつなぐ「取付管」付近で98件などとなっていて、大半は幅や深さが1メートル以下の小規模な陥没だということです。
 陥没の多くは、比較的早い時期に下水道管が整備された都市部で起きていて、管の老朽化が原因の1つとみられます。
 下水道管をめぐっては、ことし1月に埼玉県八潮市で起きた大規模な道路の陥没を受けて特別調査が行われ、県内でも対策が進められています。

 …と、こんなニュースですけど、ふん、ふん、NHKsanの調査によりますと、県内23の市と町への取材結果、昨年度、市や町が管理する道路で発生した下水道管の破損やひび割れなどが原因とみられる陥没は、6の市町であわせて122件確認されましたとの事。
 その内、広島市が最も多く79件、次いで福山市24件、廿日市市9件、呉市6件…と続きますようであります。
 下水道管の耐用年数が何年なのか知りませんし、当初の整備時の下水道管の材質と現在施行の材質との差異の有無も分かりませんけど、いずれにしましても、今から次から次に、下水道管の老朽に伴います陥没が発生して来ます可能性は高そうですネ。
 埼玉県八潮市の道路陥没事故で、トラックが転落し、亡くなられました運転手さんには、誠にお気の毒な事故でありましたが、今回の全国的に行われました特別調査で判明しました破損・ひび割れ等の不備箇所への対応・対策は、キチッとヤッて頂き、引き続き今後も計画的な調査継続で、大事故に至りませんよう対応抱けたら嬉しいですねぇ~
 それにしましても、昨年の福山市内の24件の陥没場所は、何処でしたのでしょうネ(^-^)//"

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10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(07)

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 〝佐渡日蓮聖人大銅像〟の拝観を終えますと、観光バスに乗り込みまして、次は「塚原山 根本寺」に向かいます。
 バスの車窓から、今一度、〝佐渡日蓮聖人大銅像〟に眼を向けながらスマホで検索しておりますと、こんな記事もありました。

 ◆佐渡に日蓮聖人の大銅像完成

 --- 日蓮宗新聞 2003年6月10日号 ---

 日蓮聖人が遺されたお題目の教えを、銅像を通して広く社会に伝えたい―。青年僧の呼びかけに賛同した全国の有志僧侶と檀信徒の発願が実を結び、日蓮聖人ご霊跡の地・佐渡に聖人の大銅像が完成し、その開眼落慶法要が5月13日、全国から僧侶檀信徒や大銅像周辺地域の住民など約2千人が参列し盛大に営まれた。大銅像が太陽の光を浴びて金色に輝く会場では、全国から集まった檀信徒が合掌する中、西身延青年会が先頭にたって新緑豊かな田園風景の中を進み、万灯を奉納。全日青の僧侶、導師の浅井圓道師(長崎県長照寺住職)、式衆が後に続き、御本尊、御神体、御経が大銅像内部に納められた。
 午前10時、法要が厳修され、僧侶と檀信徒の読経が響き渡った。法要中、佐野代表を導師に修法が営まれ、全日青の会員が檀信徒を囲んで修法を行った。
 銅像完成に至るまでの経緯や数々の苦難を声をつまらせながら敬白文を言上する佐野代表を前に、目頭を抑える檀信徒の姿も数多く見られた。続いて参列者全員で唱題し、お題目が会場全体にこだました。
 その後、浅井師、本山根本寺の竹中錬浄貫首、川口徳一両津市長、菅野啓淳身延山久遠寺布教部長が祝辞。竹中貫首は挨拶の中で「大銅像は日蓮宗だけのものではありません。生きとし生けるもの全ての方が、大聖人の銅像を目にした時、人間らしい心を養って、人を敬う心をもって頂きたい。これからは根本寺が責任を持って護持いたします」と話した。続いて土地を寄進した土屋辰治さん、斉藤一夫さんはじめ地権者、両津市長、建設関係者など16人に佐野代表から感謝状が手渡され、最後に、若松宏泉師(北海道妙心寺住職)が竹中貫首に委託状を授与した。
 法要終了後、豊田慈證師(愛知県法華寺住職)が大銅像の前で高座説教を行った。また、地元の民謡や、佐渡おけさ、新野大野鬼太鼓などの清興が行われた。
 清興の最後に、佐野代表が挨拶に立ち、万歳三唱を行って終了した。

 -- 大きな銅像にびっくり --
 落慶式会場には檀信徒以外にも多くの人が足を運んだ。
 地元両津高校の生徒約80人も体育の課外授業の一環として訪れた。銅像建立地は生徒の通学路にもあたり、工事中から関心を集めていた。「このお像はだれ?」といった疑問を生徒たちは学校や家庭などで話題にしていたという。
 引率の体育教諭の和田紀明さんは「銅像が完成した時も生徒と一緒に来ました。記念の式典に参加することによって、島外とのつながりを感じ、同時に郷土の歴史を知ってもらえれば」と話した。女子生徒の1人は「こんなに大きなお像が出来てびっくり!これから私たちを守ってくれそうでとてもうれしい」と銅像を見上げていた。
 また近所に住む他宗の女性は「作り始めた頃から見ているが、すごく立派。うらやましいというのが素直な気持ちです」と話した。
 土地を寄進した土屋さんは「今後この銅像が信仰の拠点となって、全国から信者がきて下されば」と銅像の完成を喜んだ。

 -- 金色に輝く大銅像 --
 日蓮聖人の大銅像は像高13メートル、台座13メートル(総高26メートル)。台座には浅井圓道師が書いた「開目」の字が刻まれ、お釈迦さまの生まれたインドの方角を向いて立つ。
 銅像は両津市加茂歌代地区にあり、周りには田園風景が広がる。晴れの日には金色に輝き、両津港へ入港する船からもはっきり見ることが出来る。

 -- 建立きっかけは全日青の佐渡結集 --
 「法華経布教のため、お祖師さまのために、是非役立てて頂きたい」と、土地を寄進したひとりの檀徒の思いに答え、佐渡に日蓮聖人の大銅像が建立された。
 きっかけは平成10年、全国日蓮宗青年会(佐野前延委員長=当時)が佐渡結集を行い、唱題行脚してお題目を響き渡らせた時のこと。それに感銘を受けた本山根本寺檀徒の土屋辰治さんが、全日青に土地を寄進した。
 その後、全日青執行部は協議を重ね、佐渡は日蓮聖人ゆかりの島であることを象徴するために日蓮聖人の大銅像建立を発起した。しかし、翌年の結集で青年会員に銅像建立を提案したが賛否両論があり、全日青としての取り組みは断念した。
 大銅像の建立が心残りのまま、平成12年に全日青委員長を退いた佐野師は、一僧侶としてあらためて佐渡に日蓮聖人の大銅像を建立することを発願し、佐渡銅像建立委員会を結成した。土地を無駄にしたくない、何もできないと言われがちな自分たち青年僧にも何か“できる”ことをしたい、との思いもあった。その心が通じ、有志の僧侶342人から賛同を得た。
 建立委員会では、寄進された土地周辺の確保に乗り出した。新たに地権者の斎藤一夫さん(両津市妙法寺檀徒)からの寄進も加わり、最終的な建立予定地は約3千㎡になった。
 さらに全国にも勧募を拡大し、銅像建立に賛同した全国の檀信徒や寺院から、たくさんの浄財が寄せられた。
 完成を迎えるまでには様々な困難があったが、全国の檀信徒からの励ましの手紙などに助けられた、と佐野代表は言う。大銅像には、支えてくれた檀信徒の熱い思いと、完成までお導き下さった日蓮聖人に感謝し、先師上人や先輩を敬う青年僧の気持ちが込められている。
 さらに佐野代表は「今の人々は、“しないことをおそれないで、することをおそれる”、行動を起こさなくては何も変わらない。この銅像建立が、動機になって行動を起こしてくれれば」と語っていた。

 …と、日蓮聖人の大銅像完成を迎えるまでには、関係者の皆様の大変なご苦労がお有りだったようですネ。
 さて、佐渡島滞在の3日間お世話になりますのは、〝新潟信栄バス〟sanであります。画像に写っていますのが、信栄バス(SHIN-EI BUS)の貸切バスであります。
 スマホで検索しましたら、「信栄バスは新潟県佐渡市に本拠地を置く貸切バス会社です。主にロケバス手配や観光旅行の企画・実施などを行っています。行き先は顧客の要望に応じて自由に設定できます。」と、こんな会社説明がありましたネ(^.-)☆
 ここから根本寺間は、距離にしまして13km程度ですから、20分程度で到着となりました。
 根本寺入り口前には、バス数台が駐車可能な大きな駐車場が(^-^)現在は、どぅか分かりませんけど、年間を通じ多くの参詣客がヤッて来られますのでしょうねぇ~

 ◆根本寺について

 --- ごあいさつ https://temple.nichiren.or.jp/4031001-konponji/ ---

 当山は山号を塚原山といい、昔、佐渡の国仲地区一円の死人の捨て場所として、古墳累々たる塚原なりと云い伝えられています。
 全国の日蓮宗十大聖跡の一に列せられています。
 今を遡る七百有余年前、日蓮聖人御年五十歳佐渡法難の砌、文永八年(1271)十一月一日より、翌九年四月半に至る迄、秘かに阿仏房夫妻の御供養を受け、辺り一帯は屍陀林にして鬼火明滅し、身の丈ほどに積る雪中の三昧堂に請居された聖跡であり、日蓮聖人は此処に総ゆる難難を克服し、正月十六日には越後、越中、出羽、奥州、信濃の諸国より集まった他宗の法師等数百人と問答し「利剣を以て瓜を切り、大風の草を座かすが如し」と御述懐遊ばされし程の大勝利を占められた。
 又二月半には六十一年の御生涯中の形見とも言われ、また、一大事とも言うべき『開目紗』上下二巻を御著作なされ、本佛輝尊の予言になる「末法の大導師本化上行菩薩とはこの日蓮なり」と、御自身の本地を開顕されたのも塚原三昧堂であります。

 我れ日本の柱とならん
  我れ日本の眼目とならん
    我れ日本の大船とならん

 この「開目紗」に認められた三大誓願であり、当山の別名を「開通顕本の霊場」とも言われています。
 当山の境内地は約二万七千坪で、本堂、祖師堂、三昧堂、千仏堂、妙見堂、七面堂、二王門、二天門、太鼓堂、鐘堂、宝蔵、経蔵、戒壇塚、庫裡、等凡そ二十九棟が鯵蒼とした杉や松に囲まれ、佐渡が島の中で聖人請居を偲ぶ聖蹟として多勢の参拝をいただいています。

 ◆根本寺(佐渡市)

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 根本寺(こんぽんじ)は、新潟県佐渡市新穂大野にある日蓮宗の本山(霊蹟寺院)。山号は塚原山。

  -- 沿革 --
 文永 8年(1271年) - 寺伝によれば日蓮が三昧堂を開創。
 永禄年間に日成が三昧堂を正教寺とする。
 天正15年(1587年) - 京都妙覚寺日典が根本寺を開基し、京都妙覚寺の末寺となる。
 元和元年(1615年) - 日衍、独立本山となす。
 寛文11年(1671年) - 身延、池上、中山の三ヶ寺輪番所になる。
 現住は51世竹中智英貫首(佐渡市妙満寺より晋山)。潮師法縁。

 -- 主な伽藍 --
 本 堂:寛文12年(1672年)建立
 祖師堂:宝暦11年(1761年)建立
 庫 裡:延宝 7年(1679年)建立

 -- 旧末寺 --
 日蓮宗は1941年(昭和16年)に本末を解体したため、現在では、旧本山、旧末寺と呼びならわしている。

 ◆根本寺 由緒 山号 塚原山

 --- http://www.sado-konponji.com/map.htm ---

 当山は山号を塚原山とし、全国日蓮宗十大霊跡に列す。
 昔佐渡国仲村一円の死人の捨て場であったと伝う(大凡七百年前)
 日蓮聖人、御歳五十歳、最後の法難が佐渡であり、文永八年(127年)
 十一月一日より翌九年四月半ばに到る迄、住まわれたる聖跡にして、同九年二月には聖人生涯中の一大事と申すべき開目鈔を御著書なされた霊跡である。

 …と、こんな〝塚原山 根本寺〟でありますけど、早速、入口から入りまして拝観です(^.-)☆
 入口から進みますと、間もなく〝三昧堂〟が…そして〝三昧堂〟の左手奥方向に〝戒壇塚〟が存在です。

 〝三昧堂〟
 五間四間のお堂。
 天保年間徳川第十一代将軍家斎の侍女にして、紀州御守殿の萓堂阿美代の方がおり、将軍還暦を祝し併せて除厄の為、祖像一躯を彫刻して、当山に安置の祈願あり、天保四年尊像着佐され、時に妙感尼なるもの三昧堂を建立して、尊像を安置しています。

 〝戒壇塚〟
 当地は文永八年十一月一日より宗祖謫居の地であり、壇上の塔は味方氏の建設にして、その石材は摂津よりの花崗岩なりと伝えられます。
 当山は祖師堂移転の後、土を築きて戒壇塚又は経塚と称しています。
 文永九年佛誕日の夜半、最蓮房日淨上人此の地に於て、親しく本門大戒を受戒されたるを以てなりと伝えられます。

GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)

10/20(月)-10/22(水)〝佐渡島三ヶ寺「根本寺・妙照寺・妙宣寺」〟参詣旅行(06)

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 初めて乗船しました〝ジェットフォイル〟の乗り心地、あいにくの3メートルの高波で大変でしたけど、とにかく、一応、無事に、佐渡島に上陸です。
 両津港佐渡汽船ターミナルから貸切バスに乗り込みますと、ガイドsanの明るい、なめらかなお話しで、船酔い状態も多少緩和されて行きましたような(^_^)v
 今から向かいます佐渡島最初の訪問地は、両津港佐渡汽船ターミナルから北西方向に存在し、距離にしまして2.6km程度の「佐渡日蓮聖人大銅像」であります。

 ◆佐渡日蓮聖人大銅像(さどにちれんしょうにんだいどうぞう)

 --- https://www.visitsado.com/spot/detail0061/ ---

 世界一大きい日蓮像
 「日蓮宗開宗750年慶讃事業」として、全国3,000人を超える僧侶・信徒の協力で建てられた銅像です。両津湾を背に、釈迦の生まれたインドの方角に向かって建つ姿は、高さ約13m、台座を含むと26m。ゆかりの地・佐渡にふさわしい威厳に満ちた姿でそびえ立ちます。

 ◆日蓮宗立教開宗七五〇年慶讃事業 -- 「佐渡ヶ島 日蓮聖人大銅像建立」にあたって --

 --- https://www.ne.jp/asahi/nichiren/nishiminobu/sado.html ---

 この事業は、全国の日蓮宗宗徒の思いを集結し、霊跡佐渡の地に日蓮聖人の大銅像を、立教開宗記念として建立することを決意致したことから始まりました。
 去る平成十年十月二十七日、二十八日、全国日蓮宗青年会委員長として「佐渡伝道」の名の下に佐渡島内にて会員と共に唱題行脚を展開しました。その後、なんと新潟県佐渡郡の本宗信徒より土地寄進の申し出があったのです。
 土地の広さは約二八〇平方メートルで、両津港に面する山の中腹(新潟県両津市加茂歌代字百成)に所在。現在の道路(大形バス通行可)から土地までは三〇メートル前後で両津港からは車で約十分の所にあります。
 寄進者としては「法華経の布教そして日蓮聖人のためにこの土地を活用して頂きたい」ということでした。
 日蓮聖人は文永八年(一二七一)九月十二日の龍口法難によって佐渡の地に配流となられました。そして二年余りに及ぶ佐渡での過酷な生活の中で、今日の日蓮宗の御本尊となっている大曼荼羅の始顕をはじめ開目抄や本尊抄といった多くの著述をなされました。即ち、佐渡の地は立教開宗以来培われた日蓮聖人の大いなる思いが溢れだした聖地であり、その魂魄が留まっているのです。是非ともこの地に日蓮聖人を象徴するものを建立したいという思いが日に日に強くなって参りまして、この佐渡銅像建立委員会を平成十二年七月十二日に立ち上げた次第です。
 その後、周辺地を寄付される方も現れ、隣地の地権者も賛同され、また全国の日蓮宗寺院のご住職や僧籍を持つ方々の暖かいご支援を賜り(信徒含め約二千名)ここに世界一大きな日蓮聖人銅像がお姿を顕現しました。
 さて、いよいよ落慶の日が近づいて参りました。多くのご参拝をお待ち申し上げ、さらなる建立の趣旨へのご理解をお願い致します。

 -- 参考:日蓮聖人ご霊跡の地・佐渡に聖人の大銅像が完成し、その開眼落慶法要が2003年5月13日、全国から僧侶檀信徒や大銅像周辺地域の住民など約2千人が参列し盛大に営まれました。--

 …と、WEB上で「佐渡日蓮聖人大銅像」を検索しますと、こんな記載がありました。

 ◆日蓮

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 日蓮(にちれん、承久4年(1222年)2月16日 - 弘安5年(1282年)10月13日)は、鎌倉時代の仏教の僧。鎌倉仏教のひとつである日蓮宗(法華宗)の宗祖。

 ・概要

 文応元年(1260年)7月16日に「立正安国論」を鎌倉幕府に提出して国主諫暁を行う。立正安国論において数多くの経典を引用し、法然らに帰依した日本から日本を守護する天照大神、八幡大菩薩等の諸天善神が去り、代わりに悪鬼が入り、自界叛逆難(内乱)と他国侵逼難(他国からの侵略)により日本は滅亡すると予言した。天照大神、八幡大菩薩等は正法によってその威光勢力を増すとし、正法を建てるよう進言した。立正安国論の内容は、国内外の状況を鑑み、経典を根拠としたものと考えられる。日蓮の時代はモンゴル帝国が各方面に侵攻し、モンゴル・南宋戦争、モンゴルの高麗侵攻など日本の隣国を繰り返し侵略し、前年の正元元年(1259年)には高麗が降伏していた時期であり、日蓮も南宋出身の蘭渓道隆等の渡来僧と交流もあり、民間でも貿易船等の交流もあった。国内の内乱も多く発生していた。国内の宗教対立を扇動し武装を強化する過激な日蓮は、元寇に対処するために貴族、武士、僧、神社、庶民の一致団結を掲げる幕府に危険視された。
 『難を忍び慈悲のすぐれたる事は をそれをも(恐れをも) いだきぬべし』(開目抄)『日蓮が慈悲広大ならば(中略)万年の外未来までもながるべし』(報恩抄)等、その教えは理屈よりも情を重んじる傾向が強い。他宗を激しく批判・否定し「建長寺も極楽寺も寿福寺も鎌倉の寺は焼き祓い、建長寺の蘭渓道隆も、極楽寺の良観房忍性も、首を刎ねて由比ヶ浜にさらせ」等の過激な発言を行い、良観(当時、数々の慈善事業を行い「持戒第一の聖人」「生き仏」として尊崇され、幕府からの信頼も厚かった人物)により幕府に訴えられ、御成敗式目第12条「悪口(あっこう)の咎」の最高刑となる佐渡流罪となった。その直前に幕府は御成敗式目により自ら下した判決に反して、日蓮を龍の口で斬首しようとしたが、奇瑞が起きた為かなわなかった。文永八年九月、刑場に同行した四条金吾に宛てた書簡には「光物とあらわれて竜の口の頸をたすけ」とその際の様子を振り返っている。(但し、御成敗式目に反してまで鎌倉幕府が日蓮を斬首をしようとしたエピソード、及び光り物により斬首を免れたとするエビソードについては、創作とする説があり、注意が必要である。)
 文永8年(1271年)に佐渡へ流罪となった後、文永11年(1274年)に佐渡流罪を赦免され鎌倉に戻った折、幕府から寺社の寄進等帰依の申し出があった。
 だが、それは元寇に対処するため他宗と肩を並べて敵国調伏の祈祷をしてほしいというものだった為、日蓮は「他宗への帰依を止めることが自身の教えである」とそれを一蹴し、山梨県の身延山に移った。
 文永11年(1274年)・弘安4年(1281年)の元寇により他国侵逼難の予言を的中させるが、日本側が勝利し真言亡国の予言が外れ、弘安5年(1282年)10月13日に胃腸系の病により入滅。滅後の延文3年(1358年)、日蓮宗の僧である大覚が雨乞い祈祷によって雨を降らした功績により、後光厳天皇から日蓮大菩薩の位を授けられた。(日蓮正宗富士大石寺では、日蓮を釈迦よりも根源的な本仏と位置付けており、日蓮宗とは全く異なる立場をとっている)大正11年(1922年)には日蓮主義者の本多日生らの嘆願により、大正天皇から立正大師の諡号を追贈された。(以下 略)

 …と、こんな日蓮聖人であります。
 バスで近くまでヤッて来ますと、大きな銅像ですから、スグに眼に入りましたネ(^-^)//"

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