

















本遠寺でのお参りを終えますと、次に向かいますのが〝日蓮宗宝聚山 鏡圓坊〟であります。
今まで総本山〝久遠寺〟に向かいます時には、時たま、国道52号線(身延バイパス)を走行し久遠寺総門へと向かっておりまして、その際に〝鏡圓坊〟山門前を横目に通過しながら、「機会があれば、いつの日か訪れてみよう」とのこんな想いがありました。それだけに、今回ヤッと訪れます機会到来で少々嬉しさも(^-^)/
〝鏡圓坊〟山門前に到着しましたけど、はてさて駐車場は?
山門前に到着し周辺をキョロキョロしておりますと、山門右側に車2台分が駐車可能なスペースが(^_^)v
駐車場ではないのでしょうけど、短時間の駐車ですから、〝まぁイィか〟と駐めます事に。
山門脇(左側)には〝身延町指定史跡「南部氏館址」〟の説明板が…
◆【町指定史跡】南部氏館址
--- https://www.town.minobu.lg.jp/bunka/rekishi/2023-1205-1116-32.html ---
指定日:昭和44年9月12日
所在地:梅平
所有者:鏡円坊
時 代:鎌倉~室町
備 考:『町史跡 南部氏館跡』
-- 概説 --
南部六郎実長は、南部牧の北半分波木井飯野の領主として居館を波木井郷梅平に築いた。館址は梅平の集落より一段高い山裾に位置し、標高約258mで40m四方の比較的広い平坦地となっている。鏡円坊は実長の次男の屋敷をそのまま寺院に改めたものと伝えられている。昭和58年(1983)には「おかまど跡」と呼ばれるところで発掘調査が実施され、堀立柱建物跡や12世紀末頃の土器が出土した。尾根上の狭いテラスに屋敷があったとも考えにくく、発掘調査の成果からも屋敷跡を実証するには至っていない。また、実長公以下八世の南部氏は概ね200年間この館址を本拠としたとも北方の波木井集落背後の山を屋敷跡としたという伝承がある。
◆南部氏館跡(身延町)
--- https://www2u.biglobe.ne.jp/~ture/nanbuumedairakai.htm ---
所在:山梨県南巨摩郡身延町梅平
交通:JR身延線身延駅よりバス鏡円坊下車
歴史:南部氏は甲斐源氏の一族である加賀美遠光の子光行がこの地の所領を得て南部を名乗ったことに始まる。
文治五年(1189)、光行父子は源頼朝に従い奥州藤原氏征伐に参加、戦功を立て奥州に所領を与えられが、これを機に光行は奥州に下向、甲斐南部氏は子実長が継ぐことになる。
実長はこの梅平に館を構え、治政に当たったという。その後実長は日蓮聖人に深く帰依、文永十一年(1274)所領を寄進して日蓮を招き外護に努めた。
一言:南部氏館跡は身延山久遠寺の南の台地上にあったとされ、現在は鏡円坊となっている。鏡円坊は実長の次男がそれまでの館から寺に改めたとされる。
ただ残念ながら遺構は確認出来ず、鏡円坊の前の説明板、更に下った所に立っている石碑がその地が館跡ということを示すばかりである。
…との事で、南部氏館跡が〝鏡円坊〟となっていますようであります。
とにかく、念願叶い〝鏡円坊〟にお参りです。ここでもまた本堂でのお参りを終えますと、行衣に御朱印をお願いです。お上人、大変丁寧でご親切な方で、行衣を雑にたたんでおりましたのに、キレイにたたみ直して戻して下さいました。
嫁さんとGONsanは、ただただ恐縮するばかり。
お茶を戴きながら〝鏡円坊〟の歴史も少しお話し頂きました。
以前から訪れようと思っておりましただけに、参詣が叶い、その上、お上人のご丁寧・ご親切なご対応で、いゃいゃ大感激のGONsanなのでありました(^-^)//"
◆鏡円坊
--- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---
鏡円坊(きょうえんぼう)は、山梨県南巨摩郡身延町梅平にある日蓮宗の寺院。身延山久遠寺の山内支院の一つ。通師法縁。天然記念物鏡円坊のサクラで知られる。宗門史跡。
歴史 -- 波木井実長の邸に日台(波木井長氏の子で幼名は春乙丸)が創建した。
◆鏡円坊(きょうえんぼう)
--- http://minobu.info/kyuuminobuchou/kyouenbou.html ---
鏡円坊は身延山内支院の一つで、本院第五世日台上人が開かれたもの。
日台上人は波木井長氏公の第二子で幼名を春乙丸と名付けられていました。そして晩年、波木井実長公の御舘邸を改めて寺として鏡円坊と名付け、実長公を初祖とし、御自身は第二代目であると称されました。
すなわち日蓮大聖人に身延山全山を寄進された実長公が、御生活になり大聖人がおたづねした邸が鏡円坊となったのです。
◆宝聚山 鏡圓坊
--- https://kyouenbou.com/ ---
日蓮聖人が晩年身延山に入山されるに当たり、身延山全山を御寄進された甲斐源氏の一派南部実長公の館をお寺としたのが鏡円坊です。
日蓮聖人身延山在中の折は厚く支援され最後、東京池上に於いて亡くなる時は自分のお骨は墓は必ず身延山に建立する様にと遺言される程日蓮聖人に尽くされた大檀家です。歴史的にも重要な拠点として日蓮宗より宗門史跡に指定されております。
◆鏡圓坊 縁起
--- https://kyouenbou.com/aboutus/ ---
鏡円坊(きょうえんぼう)は、山梨県南巨摩郡身延町梅平にある日蓮宗の寺院。身延山久遠寺の山内支院の一つ。通師法縁。天然記念物鏡円坊のサクラで知られる。宗門史跡。波木井実長の邸に日台(波木井長氏の子で幼名は春乙丸)が創建した。
日蓮聖人が晩年身延山に入山されるに当たり、身延山全山を御寄進された甲斐源氏の一派南部実長公の館をお寺としたのが鏡円坊です。
日蓮聖人身延山在中の折は厚く支援され最後、東京池上に於いて亡くなる時は自分のお骨は墓は必ず身延山に建立する様にと遺言される程日蓮聖人に尽くされた大檀家です。歴史的にも重要な拠点として日蓮宗より宗門史跡に指定されております。
寺宝としては身延山で一番最古の日蓮聖人像
南北朝期にまで遡るもので身延町文化財に指定されております。本堂の裏の桜の木は樹齢500年以上といわれる枝垂れ桜、一説には身延山久遠寺内の枝垂れ桜の親木になったとも言われております。
又、日蓮聖人南部公館(現鏡円坊)に下向の時、たまたま京都より来ていた有名な画伯に日蓮聖人自画像を描かせようとした時、余りの威光に直視出来ず水面に写った姿を描写したと言う水鏡の祖師のいわれとなった井戸など他にも江戸時代にまで下がりますが各種寺宝があります。
◇国道52号線バイパス沿い、日蓮宗・鏡円坊に初参拝
-- 鏡円坊の口コミ --
口コミを投稿:2023年8月22日
富士川右岸で、身延町の町を迂回するようにバイパスができてかなりたつが、当該寺は、車でバイパスを走行中、いつも通り過ごしてしまい気になっていました。今回、初めて参拝する。日蓮宗の直系の坊ということで縁起はわかりません。久遠寺の境内にも、日蓮宗の寺が沢山あり、この寺は、久遠寺の境内から離れているので、少し意外に思われた。車を置くのに駐車場はなく、短時間の参拝でした。(スマホで写真を撮ったが、パソコンに移動が、不具合で、次回写真を撮りたいです)。桜の季節がイイみたいですので、再度、訪問したい。
訪問時期:2023年7月
- WEB上には、こんな口コミもありましたけど、ふん、ふん、皆さん、鏡円坊の山門前を通りますと、似たような想いが生じますようですネ(^.-)☆ -
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)