GONsanの“気まぐれ独り言”


GONsanがこよなく愛します芦田川には、こんなおばけフナが生息しております(^.-)☆

2023年11月

GGから戻りますと、墓掃除で妙性山墓地行きのGONsanでした(^.-)☆

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 GGから戻って来ますと、月に一度の墓掃除で妙性山墓地行きのGONsanでした(^.-)☆
 出掛けてみますと、この時期ですから、草取りよりも、散乱した落ち葉の墓地掃除。山際の墓地ですから結構な落ち葉。
 これらを片付けキレイにしましても、翌日訪れますと、また元通りで落ち葉が散乱なんでしょうけどネ(^-^;
 幸いに草は生えてはおりませんから、落ち葉の清掃で、一応キレイにはなりました。来月訪れますと、もっと落ち葉が多いのでしょうけど…
 墓前で手を合わせましてからは、いつものように我が町を眺望です。
 芦田川の川面に眼を向けますと、6艇のボートが練習中。そして、テニスコート方向に眼を移しますと、んっ!?…多目的広場が車でほぼ満杯。陸上競技場の駐車場もまた同様です。
 ふ~ん、何の大会が開催されていますのでしょうねぇ~
 テニスコートは、拡張工事で、現在使用不可なんでしょうから市民球場はと見ますと、ここは使用されておりません。と、言う事は、やはり陸上競技場で何か分かりませんけど開催されていますようですネ。
 駐車された車の状況から、何か大きな大会が開催されていますのかも…
 JFE後方の山にカメラを向けますと、天文台がクッキリと。ズームを効かせて天文台を狙いましたけど、ブレましたようですねぇ~
 竣工間もない〝福山南病院〟もパチリです。
 そぅそぅ、福山南病院と言いますと、明日・日曜日が〝移転開院前見学会〟でありました。見学可能時間は、14:00~16:00の2時間です。
 写真撮影が可能か否か分かりませんけど、いつの日か〝福山南病院〟に運び込まれます日が有るかも分かりませんので、明日は見学させて頂こうと思います(^-^)//"

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この交差点での交通事故…今まで、あまり発生しなかったのですけど…

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 今朝の朝食後、一服しようとしましたら、う~ん、残念。そぅでした、タバコの在庫がゼロでした(^-^;
 で、GGに出掛けます際にファミマで求めよう…とは思いましたけど、いゃぁ、それまで持ちそうにありません。ササッと買って来ます事に(^-^)
 ファミマでタバコを求め、裏通りを走行し我が家にと向かっておりますと、前方に黒っぽい車が出て来まして、GONsanと同じ方向に走行です。そして、この車は十字路を直進でGONsanは左折。
 十字路に入る際に、この黒っぽい車はスピードは出しておられませんけど、左右の確認を怠り直進です。と、同時に左から白い車が直進で進入。白い車もまた左右の確認が不充分でしたのでしょうねぇ~
 ほとんど同時の交差点進入で、哀しいかな衝突・接触となりました(^-^;
 幸いに双方ともスピードが出てはおりませんでしたから、激しい衝突音はありませんでしたネ。
 暫く睨み合っておられたのかも…暫くして、双方の車が、それぞれバック。GONsanは、バックに備えて適当な間隔を空けておりましたが、黒っぽい車はドンドン下がって来ますから、慌てて GONsanはまたバック(^-^;
 いゃぁ、危うくGONsanの車も接触するところでありました。少し慌てておられましたのでしょうねぇ~
 交差点内が空きましたので、GONsanは十字路に進入し左折。我が家方向へ。
 通りすがりに双方のドライバーsanに眼を向けますと、GONsanよりもお若いのでしょうけど、いずれも高齢ドライバーsanとお見受け致します。
 この十字路は信号がありませんから、皆さん、大概、スピードダウンで、充分左右を確認の上で走行されますから、今まで、皆無ではありませんけど、交通事故の発生は、あまり有りませんでしたような…
 我が家に帰って来ますと、早速、一服タイムです。
 一服後には、GG行きで、再度、この十字路を走行です。
 まだ警察は来てはいませんで、衝突の車2台は、ファミマ側の道端に止まり、ドライバーsan同士が会話中。どんな会話をしておられますのでしょうネ…双方ともスピードは出ていませんでしたから、身体面には何らの支障も無かったものと思います。
 GONsanの判定では、どちらも悪い…と、言ったところでしょうか。
 GONsanも気を付けなくちゃぁ。タバコを求めてファミマに向かいます際に、前方の信号が赤の時には、一つ前のこの十字路を急いで右折しますので、今後も充分留意しなくちゃぁ!
 当事者でありませんでも、面前での車輌の衝突・接触事故は、イヤなものではありますネ。気を付けたいと思います(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(13)

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 拝殿・本殿の周りをグルッと廻って境内に戻って来ますと、境内端の建物の軒下に鬼瓦が二体置かれております。
 ガイドさんのお話しでは、老朽化の拝殿を建て替えした際に、拝殿の底地からこの鬼瓦が出て来ましたとの事。で、廃棄する訳には行きませんから、ここに保存している…との事でしたような(^-^)
 WEB上で、〝亀山八幡神社〟についてもっと検索してみますと、こんな記載も…

 ◆亀山神社

 --- http://sagishima.info/guidemap/guidemap-14/ ---

 1124年に丸山朝臣源歳国(まるやま あそん みねもとのとしくに)が、京都石清水八幡宮の御分霊を勧請(かんじょう)されたとの説があります。
 社紋は石清水八幡宮と同じ「左三つ巴」の紋が使われています。広い石段と両サイドの34基の燈籠は、非常に立派です。
 向田地区は明治時代(1868年~1912年・神仏分離)以降、神道が多く、神社が信仰の中心であったことが伺えます。

 ◆Vol4 弓を射ることで邪を払い、1年の無事と豊年を祈願する 亀山八幡神社『御弓神事』

 --- 三原市公式note 2022年1月1日 00:00 https://mihara-city.note.jp/n/n7bcb51af481c ---

 開催時期 例年2月11日(祝)
 特徴 恵方と逆の方角に設置した的に弓を射ることで邪を払い、1年の無事と豊年を祈願する行事

 須波港から瀬戸田行きのフェリーに揺られて20分。佐木島の南西部にある向田港に着くと、すぐに広島県文化財にも指定されている磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)が見えます。
 それを右手に見ながら、道路のお地蔵さんを辿っていくと、向田地区の亀山八幡神社(かめやまはちまんじんじゃ)があります。
 亀山八幡神社は弘安(こうあん)10年(1287年)に京都の石清水八幡宮(いわしみずはちまんぐう)より御分霊(ごぶんれい)を勧請(かんじょう)して祀ったのが始まり。毎年2月11日の祝日に開催される御弓神事(おゆみしんじ)は三原市の無形民俗文化財にも指定されています。

 ・芸予諸島に見られる厄払いの神事
 弓を使った祈祷は、広島県、香川県、愛媛県の沿岸部の神社に多く見られる神事で、佐木島にある亀山八幡神社もその一つ。御弓神事では、1メートル四方の大的と、その横に直径40センチの小的を用意します。
 的の位置は毎年異なり、その年の恵方と逆の方角に的を設置して、これを射ることで邪を祓い、豊年と一年の無事を祈るのだとか。
 「矢を射ることは、その年の厄払いの意味合いがあるので、的は絶対にはずせません。練習もしますし、その日は相当なプレッシャーですよ。」
 そう話すのは亀山八幡神社の宮司になって15年の山田 修さん。以前は糸碕神社で20年務められていたそうです。宮司の山田さんが射るのは小的で、その後、大的に総代、世話役、頭屋の順に射ち、一般参拝者も矢を射ることが出来ます。

 ・神社の竹で作った手作りの矢
 弓で射る矢とは別に、その年一年のお守りに、神社にある竹林の竹を使った矢も配られます。この矢は毎年交代制で神社の祭事のお世話をする頭屋(とうや)が一本一本手作りしています。祈祷(きとう)された矢は参拝者が持ち帰り、一年間家で飾られたあと、節分祭で神社に返して焼納し、また御弓神事で新しいものをもらいます。

 ・地域に根ざした神社
 実は向田地区は神道の家が多く、地域の冠婚葬祭も亀山八幡神社が担っているのだとか。それは、向田の庄屋だった西原庄蔵氏が、維新後の神仏分離の流れの中、率先して村内に神道を広め、神社を改築したことも理由の一つ。
 西原庄蔵(にしはらしょぞう)は、1832年に佐木島の西にある割石島(わりいしじま)との間の干拓に着工し、1834年には扇浜塩田(おうぎはまえんでん)を完成させるなど、多くの偉業をなした人物で、その功績に対し神社境内に西原庄蔵翁頌徳碑(にしはらしょうぞうおうしょうとくひ)が建てられており、毎年10月に「頌徳祭(しょうとくさい)」が行われています。そんな歴史のある亀山八幡神社は地域に根ざした神社として愛されています。

 ◆西原庄蔵翁顕徳碑

 --- https://ameblo.jp/hidsrod/entry-12476130493.html ---

 天保元年(1830)当時の庄屋であった西原庄蔵氏が6年の歳月と私財を投じ、流れの速い割石島との海峡を埋め立てるという難工事を行い、扇浜塩田を造成しました。

 …と、〝亀山八幡神社〟に関しては色んな記載がありますけど、「西原庄藏翁頌徳碑」に関しましては〝んっ!?〟のGONsanです。
 既に、先に、
 『◆西原庄藏翁頌徳碑--西原庄藏翁頌徳碑は、日本の教育者である西原庄藏翁を讃えるために建てられた頌徳碑です。この頌徳碑は、広島県広島市南区にある広島大学の本部キャンパス内にあります。』と綴りましたけど、う~ん、〝日本の教育者である西原庄藏翁〟とは、同姓同名の別人でしたようですネ(^-^;
 WEB上で検索しましたら、〝西原庄藏翁頌徳碑〟で〝日本の教育者である西原庄藏翁〟が出て来たものですから(^-^;

 それでは、〝亀山八幡神社〟とお別れですけど、石段を下り鳥居へと下っておりますと、鳥居の前方方向に青々とした瀬戸内が…そぅそぅ、こんな記載もありました。

 ◆島の記憶 30 -- 佐木島・亀山八幡神社 --

 --- https://blog.shimaproject.jp/?p=9233 ---

 創建1129年の亀山八幡神社。約半世紀前までは、ここから塩田が見えたと聞く。
 水田、塩田、芋、タバコ、除虫菊に柑橘畑。生活の糧と共に変化しただろう眺望に感慨を覚えた。

 …との事で、50年ばかり前までは、この鳥居から少し上辺りから塩田が眺望出来ましたようであります(^.-)☆
 それでは、また、ウォーキングがスタートです。亀山八幡神社からは、峠を越え佐木島東部の海側へと向かいます。峠の上り口辺りには墓地が存在で、立派なお墓が…
 〝岩田家先祖之墓〟と刻まれていますけど、とにかく立派。島の名士の一族の方々のお墓なんでしょうねぇ~
 峠を上りきりますと、前方が開けて青々とした瀬戸内が(^_^)v
 対面に見えます海の向こうは、三原市木原町辺りかも(^-^)//"

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一昨日、またイノシシが出没で、今度は箕沖町の工場内に(^-^;

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 一昨日・11/8(水)には、またイノシシが出没で、今度は箕沖町の工場内に(^-^;
 この様子は、翌日の中国新聞、当日のテレビ各社のニュースでも報道されておりましたけど、これで、ここ2~3ヶ月で3件目となりますねぇ~
 WEB上には、

 ◆「非常に恐怖をおぼえた」血だらけのイノシシが工場内で逃げ回り警察官らが捕獲 別の工場では作業員にかみつき 広島・福山

 --- 2023/11/08(水) 16:46配信 RCC中国放送 ---

 広島県福山市によりますと、8日午前8時50分ごろ、福山市箕沖町の工場敷地内に血だらけのイノシシが侵入。敷地内を走り回り、県外から機械のメンテナンスに来ていた50代の男性作業員の足にかみついたということです。
 男性作業員は病院に搬送されましたが、軽傷だということです。
 イノシシは、別の工場の敷地内で発見され、警察官や福山市の職員が取り押さえ、処分したということです。
 捕獲された猪は、体長約1メートル20センチ、体重約70キロの成獣のメスということです。
 福山市では、1日にも住宅街で別のイノシシが出て、男性がけがをする被害がありました。このイノシシも警察官らが確保し処分しています。

 ◆工場にイノシシが…「大きく感じた」男性けが 福山市で今年3件目 8日

 --- 2023/11/08(水) 広島HOME NEWS ---

 広島県福山市で工場に進入したイノシシが作業していた男性を突然襲いました。男性は搬送されましたが軽傷だということです。
 高い場所の男性をまさに襲おうとしているのでしょうか…警察や福山市の職員に囲まれたイノシシ。
 目撃した人は「本当大きく感じましたね」と話します。
 福山市によると8日、午前9時ごろ福山市箕沖町にある工場の敷地内で、作業をしていた男性がイノシシに左足をかまれ救急搬送されました。
 別の工場の敷地内で捕獲されたイノシシは体長1m20cmのメスの成獣で、けがをした状態で目撃されていることから、何らかの原因でけがをして工場に迷い込んだ可能性があるということです。
 福山市では今年に入って3件目と例年にないペースでのイノシシの被害に市は「イノシシを目撃しても攻撃をせず安全を確保してほしい」と呼びかけています。

 …と、こんな記事で伝えておりました。
 当日、夕方近くには、福山市より、

 ◆イノシシの出没に注意しましょう

 イノシシの市街地への出没が相次いでいます。
 イノシシに出会ってしまったら、

 ・近づかず、静かにその場から立ち去ってください。
 大声を出したり、背中を向けて走って逃げると、イノシシが危険を感じたりパニックになり突進してくることがあります。
 無理な追い払いをしないでください。イノシシが興奮して向かってくることがあります。 特に秋~春(11月~翌年5月頃)の繁殖・出産の季節、けがをしている場合は攻撃的になるため注意してください。

 ・向かってきたら、イノシシの進路をふさがないよう注意してください。
 市街地など逃げ道がない時は、イノシシが人に向かってくることがあります。

 ・危険を感じたら、できるだけ高いところ、上に逃げましょう。
 ブロック塀の上、車の中などに逃げることも有効です。身の危険を感じ、緊急の場合は警察へ110通報してください。

 ・早朝、夜間に外出するときは
 早朝や夜間は、思わぬところでイノシシに出会うことがあります。どうしても外に出かける必要があるときは、ライトやラジオなどを携帯し、イノシシに人間がいることを知らせるようにしましょう。
 また、なるべく一人で出歩くことは控えましょう。

 ・なぜ市街地や家のそばに?イノシシが現れる2つの理由
 ①イノシシが食べる餌がある。
 イノシシが人家近くに出没する最大の理由は、餌があるからです。イノシシにとっては、田畑の農作物だけではなく、捨てられたり、放置された野菜なども魅力的な餌です。
 最近では、庭の家庭菜園や花壇の植物の球根や根、ドッグフードなども餌になっているようです。
 ②イノシシが安心できる場所がある。
 イノシシが出没する地域には、イノシシが隠れて安心できるような場所があることが多いと言われています。特に、雑草が伸び放題の耕作放棄地や、草むらはイノシシにとって絶好の隠れ場所です。

 ・餌やりはダメ!絶対!
 野生動物は餌を与えられると、簡単に餌を手に入れることと人間の食べ物の味を覚えます。すると、野生の餌ではなく、人間の食べ物を求めるようになります。
 餌が手に入ることを覚えたイノシシは、そこに居つくようになります。
 ウリボウ(イノシシの幼獣)であっても、餌やりをしてしまうと、長年にわたり居つくことで人の生活を脅かす存在になるので要注意です。

 ・私たちとイノシシ
 イノシシの被害を避けるためには、人とイノシシの“住み分け”が不可欠です。そのためには、里山に人の手を入れることにより、イノシシが生息しにくい環境をつくる必要があります。
 イノシシに対して正しい知識を持つことが、その第一歩です。

 ・地域でイノシシ対策に取り組むときは
 イノシシ対策は個々で行っても効果は見込めません。イノシシを出没させない環境づくりのためには、地域ぐるみで取り組む必要があります。
 補助金が活用できる取り組みもありますので、ご確認ください。

 …と、こんな注意喚起のご連絡も。
 いゃいゃ、この3ヶ月で既に3件目のイノシシ事件となりますけど、困りましたネ。
 紅葉を求めて、そろそろカメラ片手に近隣の山歩きを楽しみたいところですけど、こんな状況では独りでの山歩きは危険かも…
 ところで、イノシシの市街地への出没の要因は、〝食べ物不足〟が主因?…それとも、イノシシの生息数が増加?…さて、どぅなんでしょうねぇ~福山市としましては、イノシシの生息数調査なんぞは、とても出来ないでしょうから…
 はて、さて、この時期の山歩きは、どぅしたものやら…
 GONsanなんぞは、別段、これと言った趣味もありませんし、お金も無いし、独りでの近隣の低山・里山歩き程度が数少ない趣味だと言いますのに…
 う~ん、どぅしたもんでしょうねぇ(^-^)//"

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つぃ先ほどの一瞬の揺れ…大した事無くても地震にはドキッとします(^-^;

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 こぅしてパソコンを前に座っておりましたから分かりましたけど、つぃ先ほどの…とは言いましても、A.M.11:00前でしたけど、『ビシッ!!』と、一瞬の揺れと言うか〝きしみ〟。
 ドキッとしまして、即時、地震情報を確認してみますと、土佐湾を震源地としたマグニチュード〝4.3〟、最大震度〝3〟、深さ〝30km〟でありました。広島県・岡山県の瀬戸内沿いは、どこも「震度1」のようでチョッと安心。
 たまたま室内でイスに座っておりましたから気付きましたけど、屋外におりましたら全く分かりませんでしたのでしょうネ。
 最近は、大した地震でありませんでも、揺れ・キシミを感じますとドキッとしてしまいます(^-^)
 もぅ、残り少ないGONsanの人生ではありますけど、「いずれ大きな地震が来るのだろうなぁ~」と想いながら日々過ごしますのも、イヤなものではありますネ(^-^)//"

 ◆地震情報 11月10日 10時54分

 発生時刻:2023年11月10日 10時54分ごろ
 震源地:土佐湾
 最大震度:3
 マグニチュード:4.3
 深さ:30km
 緯度/経度:北緯33.5度/東経133.7度
 情報:この地震による津波の心配はありません。

 震度3
 高知県--室戸市
 震度2   
 兵庫県--南あわじ市、広島県--尾道市、徳島県--阿南市 吉野川市 美馬市 徳島三好市 石井町 神山町 那賀町、香川県--高松市 観音寺市 三豊市 綾川町、愛媛県--今治市 西条市 上島町、高知県--安芸市 南国市 高知香南市 香美市 東洋町 奈半利町 田野町 安田町 芸西村 大川村
 震度1
 兵庫県--洲本市 赤穂市 淡ね路市 上郡町
 和歌山県--御坊市 日高川町
 島根県--川本町
 岡山県--岡山北区 岡山南区 倉敷市 玉野市 笠岡市 井原市 総社市 備前市 瀬戸内市 浅口市 和気町 早島町 里庄町 矢掛町 岡山美咲町
 広島県--呉市 竹原市 三原市 福山市 東広島市 安芸高田市 江田島市 府中町 大崎上島町 世羅町 神石高原町
 山口県--岩国市
 徳島県--徳島市 鳴門市 阿波市 勝浦町 上勝町 佐那河内村 牟岐町 美波町 海陽町 藍住町 板野町 つるぎ町 東みよし町
 香川県--丸亀市 坂出市 さぬき市 東かがわ市 土庄町 小豆島町 三木町 直島町 宇多津町 琴平町 多度津町 まんのう町
 愛媛県--松山市 宇和島市 四国中央市 東温市 久万高原町
 高知県--高知市 土佐市 北川村 本山町 大豊町 土佐町 いの町 日高村 四万十町

 …と、こんな地震でありました(^-^)/"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(12)

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 〝鷺浦コミュニティセンター〟を出ましてからノンビリとしたウォーキングでしたけど、13分で〝亀山八幡神社〟に到着です(^.-)☆
 〝さぎしまウォーキングガイド〟によりますと、

 ◆亀山八幡神社
 弘安10年(1287)須波の住人正五位上丸山相模守源歳国が京都石清水八幡宮より御分霊を勧請して祀られています。

 …と、こんな神社であります。
 石段を上がり鳥居をくぐりますと、右手に〝西原庄藏翁頌徳碑〟が…〝西原庄藏翁〟の説明はガイドさんからありましたのでしょうけど、GONsanは後尾を歩いておりまして聞こえなかったかも(^-^;
 で、WEB上で「西原庄藏翁頌徳碑」を検索してみますと、

 ◆西原庄藏翁頌徳碑
 西原庄藏翁頌徳碑は、日本の教育者である西原庄藏翁を讃えるために建てられた頌徳碑です。この頌徳碑は、広島県広島市南区にある広島大学の本部キャンパス内にあります。

 …との事で、この佐木島ご出身の偉人なのでしょうねぇ~
 周辺を見廻しますと、説明板が…「西原庄藏翁」の説明でなく「御弓神事」の説明板でありました。

 ◆三原市無形民俗文化財 御弓神事

 指定日:平成20年5月19日
 保存団体:鷺浦町向田野浦 向田区

 御弓神事は、例年2月11日(かっては1月11日)に、亀山八幡神社の初祈祷の中の行事として行われる。魔を払い、豊年と一年の無事を祈る行事である。神事に用いる大的・小的・矢などは、その年一年間の神事の主担当である頭屋(当屋)となる組が中心となって作り準備する。当日は、拝殿にて初祈祷が行われ、これが終わると境内にて、その年の恵方の逆の方向に設置された的に、宮司・総代・世話役・頭屋の順に弓を射る。弓祈祷は、芸予諸島を中心とした愛媛県・広島県・香川県の沿岸部の地域で盛んで、県内では、尾道市百島、福山市沼名前神社などで行われている。

 --- 三原市教育委員会 ---

 そして、また石段を上がりますと境内で拝殿が…
 それでは、まず、拝殿を右廻りで拝見してみますことに(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(11)

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 磨崖和霊石地蔵の周辺にも説明板が設けられておりますので、眼を通してみますと、新旧二つの説明板の記載内容が、微妙に異なりますので苦笑です(^-^)
 磨崖和霊石地蔵の〝寸法〟に、微妙な差異が(^-^;

 ◆広島県重要文化財 磨崖和霊石地蔵

 昭和50年4月8日指定
 所在 三原市鷺浦町向田港

 磨崖和霊石地蔵は、向田港の入江の入口にあり、満潮時には地蔵の肩あたりまで潮に濡れる。海中の花崗岩の巨岩は、幅4.7m、高さ2.7m、厚さ4.0mで、西の面に地蔵菩薩が刻まれている。
 像は高さ25cmの七弁蓮華座に座し、舟型光背の輪郭を約15cmの深さに彫りくぼめ、その中に結跏趺坐を肉厚に刻み出している。
 この像は、正安二年(1300)仏師念心の刻銘があり、一部に波浪による摩滅もみられるが、精密な刻跡をとどめている。
 坐高 95cm

 -- 三原市教育委員会 --

 ◆広島県重要文化財 磨崖和霊石地蔵

 指定 昭和50年4月8日
 所在 三原市鷺浦町向田野浦

 磨崖和霊石地蔵は、向田港の入江の入口にあり、満潮時には地蔵の肩あたりまで海に浸かる。花崗岩の巨岩は、幅4.9m、高さ2.5m、厚さ3.7mで、海に向かって西の面に地蔵が刻まれている。
 像は高25cmの七弁の蓮華座に座し、舟型光背の輪郭を約15cmの深さに彫りくぼめ、その中に、地蔵菩薩を肉厚に刻み出している。
 この像は、全体的に波浪による摩滅がみられるが、正安二年(1300)仏師念心の刻銘があり、当時の瀬戸内海地域の歴史を示す貴重な文化財である。

 -- 三原市教育委員会 --

 まぁ、GONsanには大勢に影響ありませんから、どっちでも構わないのではありますが(^-^)
 磨崖和霊石地蔵を充分拝見致しましたので、次は〝鷺浦コミュニティセンター〟でランチタイムとなりました(^.-)☆
 地元の皆様の力作であります郷土料理…大変美味しく戴けました(^_^)v
 昼食後は、鷺浦コミュニティセンターで暫し休息。そして、ウォーキング再開で〝塔の峰千本桜〟入口から〝亀山八幡神社〟へと向かいます。
 その途中、ミカン畑に眼を向けますと、いくつかのミカンが割れておりました。「今年は異常な暑さで、割れるミカンが多い…」とガイドさん。佐木島に限らず、今年は我が家でもそぅでした。
 週に一度は用水路からポンプで水やりをしておりましたけど、あまりの暑さで、我が家でもいくつかのミカンが割れておりました。今までこんな事はありませんでしたけど、それほどまでに今夏の暑さは異常でしたのでしょうねぇ~
 峠を越えて亀山八幡神社方向へ下っておりますと、民家の軒先に昔懐かしい〝ウルトラマン〟の石造が(^-^)
 もぅ随分昔に、瀬戸田に出掛けました際、数多くのウルトラマンの石造を眼にしました記憶が有りますけど、瀬戸田で求められましたのかも…
 既に24~5年ばかり昔の事となりますけど、嫁さんの弟家族が福井から広島にヤッて来ました時に瀬戸田を案内し、記念に残るお土産として、ウルトラマンの石造を求めておりましたから、ヤケに懐かしさが(^-^)//"

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今朝のGG…各組7名の3組でプレーでした(^.-)☆

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 寒さは苦になりません皆様ですから、今朝もGONsanを含め21名の参加者でありました(^_^)v
 朝はさすがにヒンヤリとはしますけど、1ホール…2ホール…と進んで行きますと、多少の暑さも。今日も日中は25℃近くは気温も上昇なのかも(^-^)
 所用・体調の加減で来ておられません方も3名ばかりいますけど、フルメンバーに近い21名の皆様が集まられますと、さすがに賑やか。
 皆さんお元気で何よりですよ(^.-)☆
 それにしましても、GONsanの組は、前半8ホールを終えますのが実に速かったようですネ。他の2組が、残り1ホールの段階で既に終了ですから。
 お陰でユッタリと喫煙タイムが取れました(^_^)v
 ところで、11月も早や2週目に入っておりますけど、今年もいよいよ残しますところ2ヶ月を切ってしまいました。歳を重ねて行きますと、日々過ぎ去って行きますのが実に速く感じられてしまいます。
 本年も、アッと言う間に過ぎ去ってしまいますのでしょうねぇ(^-^)//"

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浜自治会のゴミステーション…久々にルール違反のゴミ出しが(^-^)

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 昨日・月曜日は、GONsanの安全パトロールの当番日。いつものように、定刻5分前に安政橋東詰めで待機です。
 今日は、画像に納めるモノは無いかな?…と、周辺を見廻しておりますと、うん、うん、ありましたネ(^-^)
 浜自治会のゴミステーションに、久々にルール違反のゴミ出しが(^.-)☆
 収集出来ませんゴミには、こぅして、収集出来ない理由を記載した福山市の警告文書が…近付いて見てみますと、月曜日は可燃物の収集ですけど、これは「不燃物」ですねぇ~
 確か先月は、こぅしたルール違反のゴミ出しはありませんでしたけど、久々に張り紙が(^-^)
 つぃウッカリの収集日を勘違いのゴミ出しなのでしょうねぇ~これら一式を車で持ち込まれましたのでしょうけど、独り身の方なのかも…
 ゴミステーション前の市道には、紙片が散乱しておりますから、掃除当番の方は夕方来られますのかも…
 我が自治会のゴミ出しの状況が、どぅなのかは分かりませんけど、住民の皆様で気持ち良く使いたいゴミステーションですから、定められましたルールは、チャンと守りたいものであります(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(10)

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 ガイドさんの説明もありましたけど、WEB上にも色んな方が「磨崖和霊石地蔵」に関して綴っておられますので、それに眼を通し知識を深めてみたいと思います。

 ◆広島県の文化財 - 磨崖和霊石地蔵

 --- https://www.pref.hiroshima.lg.jp/site/bunkazai/bunkazai-data-202030480.html ---

 ・【解説】
 波打際の花崗岩に彫刻された磨崖式半肉彫の像で、頭部のうしろに円光背(えんこうはい)を浮き彫りにし、衣を通肩(つうけん)に、胸に瓔珞(ようらく)をかけ、蓮台上に結跏(けっか)している。右手に錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠をのせている。像の左右には花瓶を浮き彫りにし刻銘があるが、潮と風雨にさらされて銘文は判読しにくくなっている。他の石碑に移刻された銘文によると、「于時正安二庚子年九月日大願主散位平朝臣茂盛幹縁道俗都合七〇余人仏師念心」とあり、造立の縁故を知りうる。なお、正安2年は西暦1300年に当たる。
 ※ 瓔珞(ようらく)…珠玉をつづった首飾り

 ◆磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)

 --- 満潮になると首まで浸かるお地蔵さん https://www.sora-michi-minato.jp/spot/213 ---

 ・700年前に建造!?
 磨崖和霊石地蔵は、佐木島向田港フェリー到着場のすぐ横の海中に鎮座しています。波打際の独立した巨岩の中央の蓮華座の上に舟形の輪郭を彫り沈め、その中に地蔵坐像が彫られています。
 頭部のうしろに円光背を浮き彫りにし、右手に錫杖を持ち,左手に宝珠をのせています。 またこの像の左右には、花瓶を浮き彫りにし、その周辺に願文が刻んであり、正安2年(1300)仏師念心の刻銘があります。
 ・佐木島は石仏の宝庫
 佐木島は島の至る所に石仏が祀られています。道路わき、山中の道端など、石仏の表情を辿っていくだけでも楽しいひと時です。

 ◆磨崖和霊石地蔵

 --- Sagishimaさぎしま http://sagishima.info/guidemap/guidemap-09/ ---

 鎌倉時代(1300年)に平茂遠が願主となり、仏師念心により造立され、県の重要文化財に指定されています。
 通称「和霊石地蔵さん」と呼ばれています。高さ2.7m幅4.7mの花崗岩に浮き彫りにされた座像は、満潮になると肩まで沈み、干潮になると全身が現れる全国でも類を見ないお地蔵さんです。
 そこに刻まれた文字は「東西南北各1町(約110m)において殺生禁断の地とし、また、お地蔵さんの大神通力をもって、人々があらゆる悪い境遇に落ちないようにお守りください」という文言が刻まれています。磨崖和霊石地蔵尊は、現実界のみならず冥界(めいかい)においても永遠に大悲をもって救済してくださる尊いお地蔵様です。
 毎年、7月の終わりの土曜日の潮がひいた夕方から法要がおこなわれ、お地蔵さんへお参りをしています。夜店なども出て、夏の夜の楽しい行事となっています。機会がありましたら、是非、お出かけください。

 ◆磨崖和霊石地蔵

 --- https://tabi-mag.jp/hm0435/ ---

 広島県三原市鷺浦町、波打際の花崗岩に彫刻された広島県の重要文化財に指定される地蔵尊が、磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)。石碑に移刻された銘文から正安2年(1300年)に刻まれた地蔵尊だということがわかります。干潮時には波打ち際から、満潮時には向田港から見学可能。

 ・向田港近くの岩に刻まれた地蔵菩薩坐像

 刻まれる石は、高さ2.5m、幅4.9m、厚さ3.7mで、半肉彫りで刻まれる地蔵尊坐像は、像高88cmで、広島県立歴史博物館にレプリカが展示されています。
 干満差の激しい瀬戸内海のため、満潮時には首まで海水に浸かるので、見学には潮の満ち引きに注意が必要。
 頭部のうしろに円光背(えんこうはい)があり、胸に瓔珞(ようらく=魔除けの装身具)を掛け、蓮台上に結跏(けっか=座禅の正しい姿勢)しています。
 右手に密教法具の錫杖(しゃくじょう)、左手に宝珠(ほうじゅ=災難を除き、濁水を清くする、霊験を表す宝の珠)をのせています。
 「于時正安二庚子年九月日大願主散位平朝臣茂盛幹縁道俗都合七〇余人仏師念心」と刻まれ、正安2年(1300年)、平茂盛が願主となり、仏師・念心により造立されたことがわかっています。
 さらに東西南北各1町(110m四方)では殺生を禁じることなどが刻まれています。
 仏師・念心は、米山寺・小早川家墓地の石造宝篋印塔(国の重要文化財)の制作でも知られる鎌倉時代の名仏師です。
 今も「和霊石地蔵さん」と親しまれ、7月下旬の土曜、干潮時に法要が執り行なわれています。
 ちなみに、和霊地蔵と呼ばれるようになったのは近世のことで、伊予・宇和島(愛媛県)に承応2年(1653年)創建の和霊神社の信仰の影響を受けて、和霊石(割石)地蔵と呼ぶようになったため。
 もともとは、鎌倉時代、法然の唱える浄土教の台頭に対抗するために、南都六宗(三論・成実・倶舎・法相・華厳・律の六宗)が民衆救済の一環として地蔵信仰を積極的に取り入れ、西国に地蔵信仰が広がったことが背景にあります。

 ◆磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)

 --- ひろしま文化大百科 http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=724 ---

 三原市佐木島向田野浦の波打際にある高さ約2.7メートル、幅約4.7メートルの巨岩に半肉彫(はんにくぼ)りされた地蔵菩薩坐像(ぼさつざぞう)である。右手に錫杖を持ち、左手に宝珠(ほうしゅ)をのせる。
 満潮時には、像の肩のあたりまで海中に没する。
 左右の花瓶(けびょう)に刻まれていた銘文(めいぶん)は、風雨にさらされて判読できなくなっているが、他の石碑に移刻されたものから、主旨を要約すると、東西南北各1町を未来にわたり殺生禁断(せっしょうきんだん)とした。
 造立は釈尊円寂(しゃくそんえんじゃく)2251年にあたる正安(しょうあん)2年(1300)に、散位平朝臣茂盛(しげもり)が大願主となり幹縁道俗(かんえんどうぞく)70余人を集めて行った。仏師は念心(ねんしん)である。
 近世に伊予宇和島(愛媛県)の和霊(われい)神社の信仰の影響を受けて、当像を和霊石(割石)地蔵と呼ぶようになったとされる。
 瀬戸内海の岬の地蔵の中では最も古く、地蔵信仰の海への広がりがうかがわれる。芸備地方の在銘石造物の中でも古い部分に属する。また美術的にみても、彫法は密で秀麗な姿の像である。以後内海各所で造られる地蔵像の原型といっても過言ではないと思われる。

 ◆磨崖和霊石地蔵

 --- https://kanagawabunnkaken.web.fc2.com/index.files/nazo/nazo27.html ---
 --- 謎を秘めた仏たち 川尻祐治 ---

 磨崖仏は三原市鷺浦(さぎうら)町の佐木島(さぎしま)とよばれる周囲12kmの島の海岸部にあり、満ち潮ともなると、海中に沈んでしまうという特殊な環境下の石仏である。したがってその全容は干潮の時のみ拝見できる。
 この島には鷺港(須波-すなみ)と向田港(向田野浦-むこうたのうら)があるが、二つの港への船便は少なく、しかも港は島の北端と南端にあって、これを結ぶタクシーもないという。三原に行けば何とかなると、簡単に考えて来てしまったが、行賢像の所在確認に手間取ったことを思うと不安になった。善根寺の見学の帰り、三原のホテルに入る前、三原港のフェリー乗り場に立ち寄り、佐木島までの船便と和霊石地蔵の所在地、潮の満ち引きを確認した。
 切符売り場の女性に尋ねてわかったことは、明日の満潮は昼頃で、午前中は潮が引いているということ。佐木島の向田経由瀬戸田行きの一番船は、7時5分に出るということ。しかし幸せなことに、明日の日曜日は、島でトライアスロンの大会が開かれ、臨時便が多数出航するという。磨崖仏の所在はハッキリとしないが、これに乗船することにした。明日の朝食は抜き。

 翌日、港近くのホテルを6時半出発。港までは徒歩10分足らず、待合室の売店で弁当を買い朝食を済ませる。向田経由瀬戸田行きの船は定時に出発。そういえば、海に沈む仏は佐木島の隣り、因島にも巨岩に刻まれた「鼻の地蔵」とよばれる石仏がある。こちらは尾道から車でいける。高速艇の乗客は七、八人。フェリーよりはるかに早い。天気は今一すっきりとしない。
 三原港の桟橋が見えなくなったと思ったらもう向田港に到着。瀬戸内の波の穏やかな海、わずか15分足らずの乗船であった。驚いたことに、土地の人に聞いてもその所在が分からず、気をもんだ磨崖仏の刻まれた巨岩が、桟橋の直ぐ脇の砂浜に見えていた。案ずるより生むがやすしの諺を実感した。

 江戸時代、佐木島は安芸国豊田郡、広島藩領に属した。全島広島系花崗岩の島で、島名は神功(じんぐう)皇后が鷺の群れをみたことから起こったといわれている。和霊石地蔵のある向田野浦は、島の南部にあり、穏やかな入り江に面している。
 磨崖仏は割石地蔵磨崖仏ともよばれているが、近年は磨崖和霊石地蔵と書かれる。和霊石の意味は分からないが、石に大きな亀裂があることから、割れた石、割石の地蔵が変化したと思われる。
 海縁を走り島を一周する県道から砂浜に降りると、高さ約2.7m、幅約4.7m、奥行き約4mの花南岩の独立岩があって、海に向き、陸に背を向けて西面する地蔵菩薩の像が半肉彫とされている。波打ち際には乱石積みの石垣による、結界が設けられ、周囲が地蔵の清浄な浜であることを物語っている。
 像は高さ150cmの龕状に浅く彫り窪めた光背の中に、錫杖と宝珠を執り、高さ25cmの蓮華座に結跏趺坐している。像の前に各々二基の石造花立てと灯籠が置かれている。
 地蔵本体は95cm、膝張75cm、頭長27cm、面幅20cmあり、肩の辺りから、波の侵蝕により石質が変化し、下が黒ずんでいる。意思的な目、大きな耳、胸飾、衣文など細部に至るまで丁寧に刻み、作者が本格的な仏師であることを物語っている。像の左右には華瓶と蕾をつけた三茎の蓮華が、これも浅く彫りこんだ龕の中に、半肉彫りとされている。さらに像の右、華瓶の上を四角く浅く彫り窪め、「現在未来人天衆、吾今應懃付嘱汝、以大神通方便□、勿令堕落諸悪□」と四行にわたって発願の趣旨を陰刻している。

 さらにその脇に、大きく「釈圓寂二千二百五十一年、□時正安二年九月□日、大□主 □位平朝臣茂盛、幹縁道俗都合七十余人、佛師念心」(石仏 日本の美術 久野健 小学館)と陰刻している。
 しかしこれらは七百年もの間の風浪によって磨滅が進み、読むこと難しい。
 「…大□主□位平朝臣茂盛…佛師念心」の部分は、「大願主散位平朝臣茂平…佛心念心」(日本の石仏 山陰・山陽編 瀬戸内の石仏 岩道王宣)とも読まれており、正安二年(1300)に造像されたことが知られる。
 作者念心は、小早川茂平が創建した三原市米山寺、小早川家墓地の石造宝篋印塔(国重要文化財)の制作者としても知られ、この地方で活躍した石工の仏師と考えられる。江戸の頃になって活躍する尾道の石工との関わりはないと考えられる。

 発願者散位平朝臣茂盛は、沼田川東岸に古高山城を築き、三原地方に勢力を張った、沼田、竹原の両小早川氏の祖小早川茂平で、木像の発願者は茂平と考えるのが自然であろう。
 小早川氏は、頼朝の旗揚げの際に功労のあった、土肥実平の子遠平が、沼田荘の地頭職に任じられたことから、一族を挙げて当地に移り、小早川を名乗るようになった。沼田荘の地頭職は遠平から養子景平、そして景平の子茂平に受け継がれた。
 その茂平が海中に没する岩をなぜわざわざ選んで、地蔵菩薩の造像を発願したのか。あるいは念心が、潮が満引きし、制作日数にも相当の年月が必要と思われる最悪の制作環境の中で、これだけ大きな像の制作になぜ取組んだのか。当時の人々の宗教心を、深く掘下げなくては答えが出ないであろう。
 見学が終わった頃、桟橋にトライアスロンの選手を乗せた臨時便のフェリーが到着していた。これを逃すと次の便が何時来るのか分からない。午後のスケジュールが大幅に狂ってしまう。慌てて乗船すると、乗客は我々五人だけだった。

 …と、色んな方々が綴っておられまして、こんな〝磨崖和霊石地蔵〟であります(^-^)//"

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ふ~ん、紅葉は、上から下方向に進んで行きますのですネ(^.-)☆

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 降りそうで降らない本日午前中の福山市の天気。
 スッキリしません曇天で、ときおり晴れ間も覗きます。蒸し暑くて、少し動けば汗ばんでしまいます。
 天気予報を見てみますと、

 ◆6日の天気 - 異例の暑さと強雨・強風に注意 あすにかけて全国的に荒れた天気に(6日7時更新)

 --- 2023/11/06(月) 7:26配信 ウェザーマップ ---

 きょう6日(月)も11月としては異例の暑さが続きます。また、あすにかけて各地で雨と風が強まり、北日本を中心に荒れた天気になりそうです。

 ・6日(月)午後6時と7日(火)午前9時の雨・風の予想
 6日(月)は前線を伴った低気圧や湿った空気の影響で、西日本を中心に雨が降るでしょう。九州や中国地方は、昼頃から強い雨や落雷に注意が必要です。近畿、東海、北陸、北日本も午後ほど雨の範囲が広がりそうです。関東は午前中と夕方以降、所々で雨が降る程度で、沿岸部は日差しも出るでしょう。ただ、あす7日(火)朝は雨と風が強まり、沿岸部中心に交通機関の乱れに注意が必要です。
 予想最高気温は関東から九州で25℃以上の夏日になり、異例の暑さが続きます。北日本や北陸でも、きのうより気温が上がり、平年より5℃以上も高くなりそうです。11月とは思えない暑さが続いていますが、今度の週末は強い寒気が流れ込み、北海道の平地で雪の降る所がありそうです。札幌も週末、ようやく初雪の発表がありそうです。
 (気象予報士・内藤俊太郎)

 こんな天候下で、我が家周辺に眼を向けますと、これは〝杏〟の木なんでしょうネ…樹木の上部は紅葉ですけど、下部は未だ青々と…ふ~ん、紅葉は、上から下方向に進んで行きますのですネ(^.-)☆
 毎年見慣れた景観ですけど、改めて、紅葉の推移を再確認です(^-^)
 我が家近くの公園の樹木は、高くても低くても均等に紅葉が進んで行きますけど、このお宅の杏の木だけは、毎年、上部から下部にと紅葉が進んで行きますから、不思議と言えば不思議です。
 何故なんでしょうねぇ~
 眺めています者にとりましては、それがまた楽しめますのですけどネ(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(9)

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 また、ウォーキングが続きます。
 〝備後と安芸の国境〟からノンビリと歩いておりますと、左手に〝塔の峰千本桜入口〟の案内板が…WEB上で検索してみますと、サクラの時期には、こんな感じで大変綺麗な景観ですネ(^_^)v

 ◆塔の峰千本桜

 --- さぎしまウォーキングガイド ---

 小高い山の一面に、桜の木が1,000本以上植えられており、満開の時期には桜色のトンネルができあがります。地域の運動により植樹が続けられ、「全国育樹活動コンクール」で林野庁長官賞を授与されました。
 春には小高い山の一面に、千本を超える桜が咲き誇ります。以前はみかんの畑でした。「美しい自然のあるふるさとを守ろう」との地域の運動により、平成4年(1995年)から数年かけて植樹が続けられました。地域全員で取り組んだ活動に対して、「全国育樹活動コンクール」で林野庁長官賞を授与されました。その後、植え続けられて現在では1,200本以上になっています。
 毎年、4月初旬「向田さくら祭」が行われ、桜の木の下で海を眺めながら楽しいひとときを過ごします。最近では木も大きくなり、観光会社のツアーの花見客が訪れるようになっています。

 ◆塔の峰千本桜(とうのみねせんぼんざくら)

 --- 三原観光navi https://www.mihara-kankou.com/sightseeing/1035 ---

 塔の峰は、向田港から歩いていける小高い山。その山の一面に桜の木が植えられています。桜が満開の時期には、塔の峰を1周する道に桜色のトンネルができあがります。景色の美しい頂上にも簡単に歩いて登れ、桜と海の景色が一緒に楽しめる場所でのんびりと。この塔の峰千本桜は、地元を美しくしたいという地域の活動により、平成4年から植樹が続けられ、「全国育樹活動コンクール」で林野庁長官賞を授与されました。

 …と、こんな〝塔の峰千本桜〟のようであります(^_^)v
 そして、少し先の右手には、何やら建物が…入口壁面には「三菱重工労働組合・三原製作所支部 寄贈 平成26年3月31日 三菱重工労働組合 三原支部」の銘板が(^.-)☆
 ふ~ん、三菱重工労組から寄贈された建物で、今では「サギ・セミナー・センター」として利用されていますようであります。

 ◆サギ・セミナー・センター

 三原市サギ・セミナー・センターは、瀬戸内海の離島「佐木島」にある宿泊研修施設です。青少年教育を目的とした施設ですが、一般の方もご利用いただけます。
 佐木島観光やスポーツ合宿、各種研修にどうぞご利用ください。

 ◇サギ・セミナー・センターの利用について
 利用者のみなさんには、新型コロナウイルス感染症への対策として、次のことを守っていただきますようお願いします。

 【基本的注意事項】
 ・発熱や、軽度であっても咳・咽頭痛などの症状があるなど体調の悪い方は入館を控える。
 ・必ずマスクを着用する。
 ・入館時や利用中は、手指のアルコール消毒、こまめな手洗いをする。
 ・館の利用中は、人と人との間に十分な間隔(約2m)を確保する。
 ・会議室や宿泊室では、換気を心がける。
 ・ごみは、袋に入れて縛るなどして、各自で持ち帰る。
 ・食事の際は、会話を控え,短時間で済ませるよう心がける。
 ・食堂、浴室、ロビーなどの利用を、多人数にならないよう制限する場合がある。
 ・来館までの移動の際にも、できる限り密集・密接・密閉を避ける。

 〝サギ・セミナー・センター〟から少し先には、『向田港(フェリー乗り場)』の案内表示が…ヤッと向田港に到着です。
 向田港の左手には、〝鷺浦コミュニティセンター〟の建物が。向田港の駐車場には、「トライアスロン界の登竜門」の大きな表示が(^.-)☆

 ◆向田港

 --- http://sagishima.info/2021/05/ ---

 2021/05/01よりフェリー航路・高速艇時刻表が変わりました。
 ・2021年5月7日:お知らせ
 2021/5/1より、佐木島に着くフェリー航路が 須波港~向田港~沢港 に変更になりました。
 車での乗船時などフェリーご利用の際は、三原港ではなく須波港からになりますので、お間違いないようご注意ください。
 三原~鷺港の高速船は引き続き運行していますが、時刻表が一部変更になっています。

 ◆鷺浦コミュニティセンター

 ・センターの目的
  鷺浦コミュニティセンターは、佐木島、小佐木島の総合的な振興発展を図るために、
 1.いろいろな集会や会議
 2.グループ・サークルによる自己啓発・生涯教育などの学習や生産研修活動
 3.生活改善,保健・福祉活動などの暮らしの向上に役立つ催し など、様々な目的にそって、多くの皆さんが集い、気軽に使える市域総合施設です。

 ◆トライアスロンさぎしま大会

 周囲約12kmの佐木島を舞台に行なわれる歴史ある大会です。スイムは向田港湾内を、バイクとランは多少のアップダウンが心地よい島内外周道路を走ります。
 島の人たちのおもてなしの心が、ふるさとに帰ったときのように、あたたかく感じられる大会です。
 毎年8月下旬の日曜日に開催しています。島の多くの人々がボランティアで参加し、鉄人と共に島が燃える一日です。水泳1.5km、自転車42km(島4周)、マラソン10km(島一周)

 ふん、ふん、佐木島に車で来ます時には、須波港~向田港間のフェリーを利用しますようですネ。
 向田港桟橋横では、本日の〝佐木島一周ウォーク〟の目的の一つで有ります『磨崖和霊石地蔵』を見学です。〝磨崖和霊石地蔵〟近くの道路脇には「広島県重要文化地蔵」を説明した石碑が…

 ◆広島県重要文化地蔵

 昭和50年4月8日指定
 所在地 三原市鷺浦町向田港

 磨崖和霊石地蔵には、地蔵の肩あたりまで潮に濡れる海中の花崗岩の巨岩は、幅4.7m、高さ2.7m、厚さ4.0mで、西の面に地蔵菩薩が刻まれている。
 像は高さ25cmの七弁蓮華座に座し、舟型光背の輪郭を約15cmの深さに彫りくぼめ、その中に結跏趺坐を肉厚に刻み出している。
 この像は、正安二年(1300)仏師念心の刻銘があり、一部に波浪による摩滅もみられるが、精密な刻跡をとどめている。
 坐高 95cm

 -- 三原市教育委員会 --

 そして、「広島県重要文化地蔵」を説明した石碑に並んで、歌碑らしき碑も…
 『青柳へ 遠眼指しの 地蔵尊 匠』と刻まれておりますけど、ガイドさんの説明はありませんでしたネ…
 〝磨崖和霊石地蔵〟に関しては、WEB上に色んな記載がありますけど、その中から一つ抜粋です。

 ◆磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)

 --- http://www.hiroshima-bunka.jp/modules/newdb/detail.php?id=724 ---

 三原市佐木島向田野浦の波打際にある高さ約2.7メートル、幅約4.7メートルの巨岩に半肉彫(はんにくぼ)りされた地蔵菩薩坐像(ぼさつざぞう)である。右手に錫杖を持ち、左手に宝珠(ほうしゅ)をのせる。
 満潮時には、像の肩のあたりまで海中に没する。
 左右の花瓶(けびょう)に刻まれていた銘文(めいぶん)は、風雨にさらされて判読できなくなっているが、他の石碑に移刻されたものから、主旨を要約すると、東西南北各1町を未来にわたり殺生禁断(せっしょうきんだん)とした。
 造立は釈尊円寂(しゃくそんえんじゃく)2251年にあたる正安(しょうあん)2年(1300)に、散位平朝臣茂盛(しげもり)が大願主となり幹縁道俗(かんえんどうぞく)70余人を集めて行った。仏師は念心(ねんしん)である。
 近世に伊予宇和島(愛媛県)の和霊(われい)神社の信仰の影響を受けて、当像を和霊石(割石)地蔵と呼ぶようになったとされる。
 瀬戸内海の岬の地蔵の中では最も古く、地蔵信仰の海への広がりがうかがわれる。芸備地方の在銘石造物の中でも古い部分に属する。また美術的にみても、彫法は密で秀麗な姿の像である。以後内海各所で造られる地蔵像の原型といっても過言ではないと思われる。

 …と、こんな〝磨崖和霊石地蔵〟でありますが、早速、見物させて頂きます(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(8)

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 そぅしていますと、〝備後と安芸の国境〟までヤッて来ました。
 この国境について、ガイドさんから説明を受けていますと、先ほど通過して行きました御神輿が戻って来ましたネ(^.-)☆
 GONsan達が歩いておりまして追い越されました辺りに住居が一軒ありまして、そこまでが〝佐木地区〟なんでしょうけど、本来ならそこでUターンとなりますようです。が、道幅の関係でUターン出来ず、少し先まで走行しUターン(^-^)
 で、引き返して来ている…と、ガイドさんのお話しでした(^.-)☆
 国境には、こんな説明板が設置されてありました。

 ◆備後と安芸の国境の説明文

 旧きは
 ここは 備後と安芸の国境

 -- 二分されたさぎしま --
 延宝5年(1677)佐木島の北半分と小佐木島は三原城主、浅野氏分に、南半分の向田野浦村は広島本藩の所管となり、備後国と安芸国となった。須波村属佐木島と向田野浦村では、国境の争いが度々起きた。

 -- 山境の争い --
 延宝年間、須波・向田両村の山境の件につき喧嘩続出、数度の出入りに及び、十年に近い紛争となった。天和3年(1683)、佐木の住民が幸神社を500メートル佐木寄りの現在地に遷座したと伝えている。貞享元年(1684)の出入りは熾烈を極め両村の在方役人は悉く御役御免となった。
 このことの解決のために郡代より三名が調停役に命じられ和議が図られ貞享2年(1685)、向田・佐木の山境の紛争が決着した。

 -- 海藻の争い --
 文政12年(1829)、海藻の争いがあった。海上の境界は陸上の村境の延長線上と設定されているが、境界線の延長方向が問題となり紛争が起き、争いは長年続いた。
 明治22年(1889)、市町村制が施行され向田野浦村と須波村属佐木は合併、一つの行政区域、鷺浦村とになった。

 --- 2015年12月 郷土史家:山下博巳 制作:元気さぎしま協議会 ---

 永年続きました紛争も和議により決着。その際に交わされた〝覚書〟の内容が、説明板の下に記載されておりますけど、何と綴られていますのか、GONsanにはよく分かりません(^-^;
 事細かな取り決めがありましたのでしょうネ(^-^)/
 この国境から少し進んだ路傍には、〝第五北川丸遭難慰霊地蔵〟が…そして、この慰霊地蔵の左側の道を上がって進みますと〝第五北川丸遭難者慰霊碑〟がありますのでしょうけど、残念ながら〝さぎしま一周ウォーク〟のコースに入っておりませんから…

 ◆第五北川丸遭難慰霊地蔵。
 第五北川丸(総トン数39トン)は、昭和32年(1957)4月17日瀬戸田港から尾道港へ帰途の佐木島西海岸沖で座礁、転覆し113人の方が亡くなった第五北川丸沈没事故。この犠牲者を追悼する地蔵さん。

 それではまた、〝第五北川丸沈の海難事故〟をWEB上で確認してみます事に。

 ◆第五北川丸沈没事故

 --- 出典:フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』---

 第五北川丸沈没事故(だいごきたがわまるちんぼつじこ)は、1957年に発生した海難事故である。
 舵を甲板員見習に任せたために操船を誤り、暗礁に座礁・転覆した事により発生した事故。定員の3倍を超える乗客を乗せたうえ、救命胴衣も定員の半分しか用意しておらず、死者・行方不明113名を出す惨事となった。

 ・事故の概要

 1957年4月12日は穏やかな天気であり、「西の日光」といわれる生口島(当時:広島県豊田郡瀬戸田町、現在:広島県尾道市瀬戸田町)・耕三寺には大勢の団体参拝客や花見客が訪れていた。
 午後0時半に瀬戸田港から尾道港への帰途についた芸備商船の定期客船であった第5北川丸(総トン数39t、旅客定員77名、船員7名、合計定員84名)が出航した。
 この客船は、定員が84名であったにもかかわらず、235名(うち子供12名)という旅客定員の3倍超の乗客と乗員4名を乗せていた。しかも同船は建造から33年(1924年建造)経過した老朽木造船であり、乗員5名のうちひとりを別の用事のために下船させたため、船長自らが切符整理を行い、舵を当時16歳の甲板員見習(事故により死亡)に任せていた。生口島瀬戸田港から尾道港に向け出航しておよそ10分後、佐木島西方にある寅丸礁(事故後、灯台が設置された)と呼ばれている暗礁に座礁・転覆し、あっというまに沈没してしまった。
 付近を航行していた運搬船や漁船がただちに救助に当たったが、船内に閉じ込められるなどして死者・行方不明113名、負傷者49名を出す惨事になった。
 海難審判(1959年3月26日・言渡)では、操船を未熟かつ資格のない甲板員見習にまかせた船長の職務上の過失に加え、老朽木造船に安全性を省みずに多くの乗客を乗せるなど運航会社による運航管理が不適当であったとして責任があるとされた。

 ・その後の経過

 事故後、現場近くの地元住民らが中心となり、現場近くで毎年4月に慰霊祭を開催してきたが、慰霊会を執り行っていた地元佐木島の住民及び遺族が高齢化してきたため、節目となる五十回忌にあたる2006年4月8日の法要を最後に遺族に対して参列呼びかけをしなくなった。しかし、地元住民により慰霊祭は毎年続けられており、事故から60年目を迎えた2017年4月12日の慰霊祭には約20人が集まった。

 ◆第五北川丸遭難者慰霊碑(だいごきたがわまるそうなんしゃいれいひ)

 -- 事故現場を臨む丘の上にある慰霊碑 --
 昭和32年4月、佐木島西海岸沖での座礁により113人の方が亡くなった、第五北川丸沈没事故。この犠牲者を追悼するため、事故現場を臨む丘の上に慰霊碑が建立されています。地元では、有志によって参道の整備や慰霊碑周辺の樹木の剪定や清掃が行なわれ、事故のあった毎年4月12日に慰霊祭を行なっています。参道には慰霊祭に満開となる桜が植樹されています。

 …と、こんな海難事故でしたようであります(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(7)

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 向田港方向に進んでおりますと、左手に「第五十九番 薬師瑠璃光如来」「藤見園」。これらを横目に進みますと、また、左手に三重の塔を備えた立派なお寺が…何にも表示がありませんから、何と言うお寺なのか…建物右側には「天御通法昇命」と刻まれた石柱。その隣りに、お上人らしき方の像が…
 そして少し進んで行きますと、鳥居の奥に、どなたかの立派なお墓が…お墓の前の石柱には「天御通法昇大人命」と記載です。
 鳥居が設けられていますと言う事は、先ほどの建物は〝お寺〟でなくて〝神社〟なのかも…でも、三重の塔がありますし…ガイドさんの説明がありましたのかどぅか…随分縦長で皆さん歩行ですから、皆さんを集めて説明される訳でもありませんし…何にも分からないまま、単に眺めながらのウォーキングも結構辛いものではありますねぇ~
 そぅしていますと、後方から、御神輿と氏子の皆様を乗せた軽四トラックが(^.-)☆
 佐木島を三つの地域に分けますと、〝佐木地区〟〝須ノ上地区〟〝向田地区〟となりますのでしょうネ…と言う事は、この日は丁度、〝佐木地区〟の秋祭りでしたのでしょうねぇ~せっかくですから、パチリです(^-^)//"

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ふ~ん、永らく親しみました「鞆の浦駅伝」…今大会で終了ですか(^-^;

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 本日、A.M.10:00から中村老人クラブ役員会開催で、中村集会所行きのGONsanでした。
 ここ数年、老人クラブの会合は水呑交流館で行っていましたから、中村集会所に入りますのは久し振り(^-^)
 定刻5分前に集会所に到着しますと、まずは掲示板を確認です。そして、眼が止まりましたのが〝第11回鞆の浦駅伝大会〟の開催案内ポスターです(^.-)☆
 ふん、ふん、今年は、11/19(日)の開催ですネ。
 詳細を確認しようと、スマホで〝第11回鞆の浦駅伝大会〟を検索しますと、〝大田ゆうすけ福山市議〟のホームページが出て来ましたネ(^-^)
 ここから大会開催要領を入手しますようですけど、大田市議のトップページに『鞆の浦駅伝は、第11回大会をもちまして終了となります。たくさんのご参加・ご支援ありがとうございました。』の記載ですから、〝んっ!?〟のGONsanです。
 〝第11回大会〟と言いますと、今大会なんですけど…ふ~ん、永らく親しみました「鞆の浦駅伝」…今大会で終了ですか(^-^;
 終了の理由は、何なんでしょうねぇ~
 水呑~鞆間の交通事情?…新たに、規模拡大し、別の駅伝大会を開催?…と、勝手に想像してみますGONsanですけど、分かりません。何故なんでしょうねぇ~
 昨年の大会は観戦しませんでしたけど、今大会が最後となりますと、また写真を撮らなくては(^.-)☆
 竹ヶ端陸上競技場を、9:00スタートですか…観戦が楽しみですネ(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(6)

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 長浜海岸では、皆さん、思い思いに休息です。
 GONsanは、砂浜に広がっています植物に眼を向けておりますと、『ハマゴウ』の標識が…
 ズッと一面に、この〝ハマゴウ〟が連なっているのかと思いましたら、途中から種類が異なりまして、今度は『ハマボウフウ』の標識です。
 〝ハマゴウ〟〝ハマボウフウ〟とは、どんな植物なんだろう?…と思っていましたら、掲示板が設けられ、そこには説明文が(^-^)

 ◆さぎしまの植物
 ハマゴウ(浜香) クマツヅラ科ハマゴウ属

 本州、四国、九州に分布し、海岸の砂地に生える落葉低木です。
 佐木島長浜海岸では、十数本ですが、須ノ上地区の海岸には群生があります。
 茎は長く、幾本にも枝分かれしながら砂の上や中を這って伸び、根をおろしていいきます。広がった茎の先からは、断面が四角形の枝が30cmほど立ち上がります。葉は対生し、裏面には灰白色の軟毛が密生しています。
 7~9月、枝の先に円錐花序をだし、青紫の花を多数付けます。
 花の長さは1.5m、秋には直径5~7mmの球形で淡黒色の硬い実が熟します。
 株全体に香気があり、葉茎を線香や染料に、果実を薬用にしたそうです。

 ◆さぎしまの植物
 ハマボウフウ(浜防風) セリ科ハマボウフウ属

 海岸の砂地に生える多年草です。
 日本各地に広く分布していますが近年減少し、佐木島でも十数株が細々と生育するだけです。砂に埋もれながら、厚くて光沢のある2回3出羽状複葉の葉を四方に広げます。株の高さは低く5~10cmほどです。5月中旬から茎の先端に小さな白花を密につけます。
 若葉や葉柄は刺身のつまとして使われたり、いろいろに調理されて食用とされてきました。現在では、栽培によって賄われています。
 和名は、薬用とした中国産のボウフウ(防風)の代用として、根を使っていたことによるといわれています。

 暫しの休息を終えますと、またウォーキング再開です。
 長浜海岸近くには、「太平山(たいへいざん)登山道入口」と「屋外トイレ」が…〝太平山〟への登り口はいくつかありますのでしょうけど、その一つ(幸神登山口)が此処のようですネ(^.-)☆

 ◆太平山

 佐木島の最高峰で、高さ267.5m。登山ルートは3つあります。2016年11月、離島の100名山に選ばれました。
 3ルートの登頂目安(休憩は含まれていません)
 ・幸神口→みはら賭→千畳敷→頂上(計約50分 1.6km)
 ・向田口(35分)→二本松(15分)→頂上(計50分 1.7km)
 ・須ノ上口(25分)→観音さん(20分)→頂上(計約45分)

 太平山登山口から少し先には、神社が…〝さぎしまガイドマップ〟には、〝幸神(さいのかみ)〟と記載です。

 ◆幸神
 通称「サイノカミ」と呼ばれている神社です。
 祀られているのは猿田彦の尊(サルタヒコノミコト)で道祖神、庚申(こうしん)さんとも呼ばれている道の神様です。
 昔この地は、南は安芸、北は備後の国境でした。この境に外界からの疫病など災いをもたらすものを、この境にて侵入を防ぐ信仰があり祀られたのだそうです。

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イノシシとの遭遇…襲ってきますから恐いですネ(^-^;

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 昨日の早朝、福山市引野町3丁目にイノシシが出現し、20代男性が襲われ、両手・顔を負傷されました様子。
 う~ん、またイノシシが出現ですか…
 つぃ先日の9/28にも、福山市の都心部・船町で、夕方近くにイノシシが出現。男女2人が襲われ負傷。この件につきましては、WEB上にこんな記事が…

 ◆福山中心部にイノシシ出没「えさ不足原因か」専門家分析

 --- NHK広島 NEWS WEB 2023/09/29 17時36分 ---

 28日、福山市の中心部にイノシシが現れ、男女2人が足をかまれて軽いけがをしました。
 市街地にイノシシが現れたことについて、専門家は「猛暑などが原因でえさが不足し、山から街に下りてきた可能性もある」と分析しています。
 28日午後5時前、福山市船町で体長1メートルほどのイノシシが現れ、歩道を歩いていた40代の男性と女性が足をかまれ、軽いけがをしました。
 イノシシは駆けつけた警察官に捕獲され、地元の猟友会に引き渡されたということです。
 現場は、JR福山駅から南東に700メートルほどの福山市の中心部でしたが、なぜそのようなところにイノシシが現れたのか、イノシシの生態に詳しい広島大学大学院の谷田創名誉教授は、現時点の可能性として、福山市の北側や西側の山を下り、市内を流れる芦田川に沿って市街地まで渡ってきたと考えられると指摘しました。
 その上で理由について、夏からの猛暑などの影響でイノシシのえさのどんぐりや幼虫が不足していることも考えられ、えさを求めて市街地に来た可能性もあると分析しています。
 谷田名誉教授は、万が一イノシシと出くわした場合の対応について、「急にパニックになって大声を出したり、走って逃げたりするとイノシシが突進してくる可能性がある。一度落ち着いて、イノシシを見ながら少しずつ後ずさりをして回避することが必要だ」と話していました。

 ふ~ん、餌不足で市街地に出没ですか…不運にも遭遇しますと、襲ってきますから恐いですねぇ~
 対処法として、
 >急にパニックになって大声を出したり、走って逃げたりするとイノシシが突進してくる
 >可能性がある。一度落ち着いて、イノシシを見ながら少しずつ後ずさりをして回避する
 >ことが必要だ
 …との事ですけど、う~ん、GONsanが、そのような場面に遭遇しましたら、落ち着いた行動が取れますかどぅか…
 もぅ随分前の、昨年の今頃でしたか…深夜の2時頃、我が家前で、就寝前の喫煙をしておりましたら、我が家横の市道を〝ツカ、ツカ、ツカ…〟と蹄の音と共に黒い物体が走って来ます。
 んっ!?…牛なのだろうか?…と、音のします方向に眼を向けていますと、至近距離でイノシシと分かりましたからもぅビックリ(^-^;
 息を殺して、身動きもせず見つめておりましたら、そのままイノシシは走り抜けて行きましたが、この程度の遭遇でも本当に恐かったですネ。
 深夜ですけど、街灯の灯りでイノシシとハッキリ分かりましたし、と言う事は、イノシシにもGONsanの姿は眼に入っているモノと思いますけど、まさに〝猪突猛進〟のイノシシですから、前方しか眼に入りませんで襲われなかったのかも分かりません。
 その2~3日後、福山市都心部の南町に出没し捕獲された旨、テレビニュースで知りました。GONsanが目撃のイノシシでしたのか否かは分かりませんが(^-^)

 とにかく、イノシシとの予期しません遭遇には、ただただ、怖さしかありません。
 結構、躰もデカイですし、あの勢いで当たられましたら、負傷程度では済まない感じもしてしまいます。
 もし、GONsanに向かって来ておりましたら、急いで逃げながら『イノシシだぁ~助けてぇ~~~』と、叫び廻っていたものと思います。とても、冷静な、落ち着いた対応は、取れなかった事でしょうねぇ(^-^)//"

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9/24(日)は、〝さぎしま一周ウォーク〟に参加のGONsanでした(^.-)☆(5)

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 〝まみいの家〟から少し先に進みますと、海岸沿いに石碑が…
 近付きまして見てみますと、「鷺浦町土地改良区七瀬農道整備事業記念碑」と記載されてありました。「施工年度 昭和47年4月~50年3月31日」とも。
 この記念碑の右隣りには、コンクリート造りの小屋が…案内して頂いたボランティアガイドさんのお話しでは、当時の小学生の生徒さん達の、登下校時の避難所・待機所と言っておられましたような(^-^)
 GONsanは、周辺の景観に眼を向けながら写真にも納めながらの歩行ですから、皆さんに追い付きました時には、大概、ガイドさんの説明は終わっております。ですから、多分、そのような事でしたような(^-^;
 海岸沿いの、この農道の峠を越えまして、山際に眼を向けますと、羊さんが…
 微動だにしませんから、置物かも…ですが、ズームを効かせてよくよく見て見ますと、う~ん、本物のようですネ(^.-)☆
 飼育場らしき小屋には、『海のまきば』と記載ですから、本物の羊さんのようですねぇ(^_^)v
 青々として美しい瀬戸内に眼を向けながら皆さんの後方を歩いておりますと、こじんまりとした住居が何棟か…使用されて無いようですけど、ちゃんと手入れはされております。
 ガイドさんのお話しでは、これらの建物は凡て別荘との事でありました。5~6棟はありましたか…
 太陽光発電所、マリンパーク海賊を横目に、到着しましたのが〝長浜海岸〟であります。

 ◆長浜海岸
 西向きに本土が見え、夕日がすばらしい海岸です。
 この海岸の砂浜は大変に広くて長く、瀬戸内海の多くの島の中でも、自慢できる素晴らしい砂浜です。海水浴や砂浜ウォーキングにも最適で、近くに公衆トイレも設置されています。
 瀬戸内海の多くの島の中でも自慢できる素晴らしい砂浜です。

 …と、WEB上には、こんな記載が(^-^)
 ここで、暫し休息です。長浜海岸から正面(西方)方向の三原市幸崎に眼を向けますと、今治造船広島工場のドックが(^.-)☆
 参加者のお一人の背中に眼を向けますと、背中に〝呉爾羅〟の記載です。〝呉爾羅〟とは、何なんでしょう?
 呉市から参加された方なのだろうか?…と、スマホで検索してみますと、ふ~ん、〝ゴジラ〟は漢字で〝呉爾羅〟と書くのですねぇ~知りませんでした(^-^;
 相変わらず無知のGONsanですから、自分自身に苦笑です(^-^)//"

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ふ~ん、パチンコの〝ガイア〟が倒産ですか…

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 10/31付け中国新聞朝刊に、「パチンコのガイア倒産」の記事掲載がありましたけど、ふ~ん、〝ガイア〟が倒産ですか…
 そぅ言えば、もぅ随分前に、経営者の方の不祥事とか資金繰り悪化…等の話題も出ておりましたけど、そぅ驚くことでもないのかも…
 町内のGONsanの知人に、パチンコ好きな方が身近におられますけど、利用しておられますのは何処のパチンコ屋さんでしたか…
 WEB上には、こんな記事が…

 ◆パチンコのガイアが倒産 負債額850億円

 --- 2023/10/30(月) 22:30配信 テレビ朝日 ---

 パチンコチェーンを展開するガイアが東京地裁に民事再生法の適用を申請しました。負債額はおよそ850億円で、パチンコの運営会社では最大の倒産です。
 ガイアは全国でパチンコホールを展開するほか、不動産賃貸や売買などを手掛けていました。
 民間の調査会社「帝国データバンク」によりますと、30日に東京地裁に民事再生法の適用を申請し、保全・監督命令を受けました。
 ガイアの年間の収入はピーク時には5,800億円を超えていましたが、新型コロナによる臨時休業や電気代の高騰などが経営を圧迫し、2023年5月期は1,895億円まで落ち込んでいました。
 負債額はガイアがおよそ850億円、グループ6社がおよそ283億円でパチンコ運営会社としては過去最大の倒産だということです。

 …と、こんな記事ですけど、福山で〝ガイア〟と言いますと、GONsanはパチンコとは近年は無縁ですけど、〝メガガイア福山明神町〟と〝ガイア新涯店〟程度は知っております。
 国道2号線沿いの〝メガガイア福山明神町〟は、オープンし未だ数年しか経ていませんような…結構、大きな建物ですから眼に付きますし、繁盛しているのかと思っていたのですけど…
 この〝メガガイア福山明神町〟…今後も営業が続いていきますのか否か分かりませんけど、パチンコ好きな方々には気になりますニュースなんでしょうねぇ~
 今度、GGで顔を合わせましたら、日常利用していますパチンコ屋さんは何処なのか、また聴いてみます事に(^-^)//"

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 ・地域 広島県福山市
 ・星座 牡牛座


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