「佐木島灯台⇒」の案内表示を横目に直進しますと、「裸の島・らくがき黒板 MEMORIAL COTTAGE」の表示が…これは何なんでしょう?
WEB上で検索しますと、こんな記載が…
◆「らくがき黒板」自由活発な子ども活写
<生きて・映画監督 新藤兼人さん(1912年~)>
--- 2009/08/28(最終更新:2020/2/12) 中国新聞デジタル ---
「裸の島」を撮りたいと思って三原を出たり、入ったりしていたとき、文化活動をしていた佐藤光男さん(旧かもめ信金理事長、1998年死去)から話が出ましてね、「らくがき黒板」を映画にしないか、ということなんです。
それは広島大付属三原小(三原市館町)の青木博先生(故人)が取り組んだ教育実践です。教室の後ろにもう1つ黒板を掛けて子どもたちが希望とか不満とか、自由に書いていいという内容(59年6月、単行本を出版)でした。
子どもたちに自由に発言させることが、そのころ新しい教育として注目されていた。「裸の島」の足がかりに三原で1つ仕事をするのはいいんじゃないか、創作活動としても面白いと思った。
映画「らくがき黒板」は三原市や広教組の協力で59年3~4月に撮影された。広島大付属三原小や三原市内の大藤酒造、沼田大橋、筆影山などでロケされた。城下町風情を残した当時の街並みを写している。
青木先生の役は俳優(加地健太郎さん)を入れて、実際の教え子(3、4年生での出来事を5年の終わりから6年初めに撮影。約40人)全員に出演してもらった。それまでやったことがない試みだからこちらも冒険でね。
「らくがき黒板」があるような教室だから自由活発だった。本当にてこずった。付属三原小にライトを持ち込み、教室で青木先生が授業をやるかたちを撮った。そうしたらそんなことはやってないよ、とか意見が出たりして(脚本を変えたことも)。
みんなが1つの方向に向かっていくとはどういうことか、友だちとはどういう関係かがテーマだった。青木先生は穏やかな人でね、撮影をずっと見てもらった。子どもたちは今、三原市の中核になっている。僕たちにも記念になる仕事だった。
撮影中は民家に泊まって、まちの人がよく協力してくれた。三原にいる間、沖合の宿弥(すくね)島(「裸の島」を撮影した無人島)を意識していた。「らくがき黒板」の撮影が終わると、ライトなどを大藤酒造に預けて、「裸の島」で使う予定の、桜が咲いている映像を撮ったんですよ。
三原の人情に触れた新藤さんはその後もたびたび訪れた。69年には大藤酒造の敷地内にセットを組み、サスペンス映画「かげろう」を製作。殿山泰司さんをモデルにした2000年製作の「三文役者」でも一部を三原市沖の佐木島で撮影している。
…と、こんな記載がありましたけど、映画「らくがき黒板」の撮影記念に残されましたモノなのかも…
そして、〝大野浦海水浴場〟入口には、こんな案内板が…
◆佐木大野浦自然海浜保全地区
この地区は、いつまでも海水浴などに利用できる浜辺としておくため、自然海浜保全条例に基づいて指定したものです。
指定年月日 昭和55年8月1日
瀬戸内海は、われわれが祖先から継承した尊い風土である。
ここは、海の幸と白砂の浜、そして緑濃い里にはぐくまれた豊かな人間の営みがあった。
天与の美しく清らかな自然を守り育てることが、われわれの共通の責務である。
(瀬戸内海環境保全憲章より)
この地区で、地形の変更や土石の採取などの行為をしようとするときは、届出が必要です。
詳しい事は、尾道農林事務所におたずねください。
--- 広島県 ---
◆宿祢島(すくねじま)
佐木島の沖に浮かぶ、周囲約200メートルの小さな無人島です。島の名前のとおり、大和時代の伝説や、古くは旧石器時代の石器が出土するなど、歴史的な島でもあります。
この島を舞台に制作された映画が、「裸の島」(1960年~)です。大手映画会社が全盛の頃、高い芸術性と制作の自由を求めて設立された新藤兼人監督を中心とする独立プロ「近代映画協会」が、厳しい制作状況下で、最後の仕事として臨んだ作品です。俳優は、殿山泰司、乙羽信子の2人、スタッフは全部で13人、予算は500万円、佐木島での合宿方式と、当時の映画界では異例のことばかりでした。
後にこの映画は、モスクワ国際映画祭でグランプリを獲得。世界七十数カ国で公開され、全世界に感動を巻き起こしました。
新藤監督は、2002年に文化勲章を受章、また、2003年には三原市の名誉市民に推挙されました。この一連の出来事は、新藤監督とともに、島民、三原市民の喜びであり、誇りとなりました。
-- 2008年3月 フィルム・コミッションみはら 事務局:三原市観光文化課 ℡0848-67-6014
…と、こんな記載がありました。
そして、〝さぎしまウォーキングガイド〟には、こんな記載も(^-^)
◆大野浦海水浴場
日本初の海浜セラピー基地として人気上昇中!
大野浦海水浴場からは、また、海岸沿いを左廻りに一周ウォークが続行です。
暫く進みますと、今度は『海底水道管注意』『送水管破損事故 監視中 三原水道部』の大きな看板が(^.-)☆
1978年(昭和53年)に、『小佐木島へ佐木尻川海岸から海底送水が始まった』ようであります。
◆小佐木島
海岸は、ほとんど手付かずの自然が残っており、釣りや自然観察に最適な島です。人口5人です。(2022年3月31日現在)
人口5人の小さな島ですけど、貴重な海底水道管ですから、日頃から破損事故が生じませんよう留意しておられますのでしょうネ(^_^)v
暫く進んで行きますと、〝まみいの家〟と表示されました民家が…
これは何なんでしょう?WEB上で検索してみましたけど、何にも出て来ませんでしたネ(^-^)//"
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