十三仏下の広場が賑やかですので、窓から見下ろしてみますと、ステージではGONsanが存知あげません女性シンガーが熱唱中でありました(^.-)☆
ステージの方は、後で拝見します事にして、いつものように先に〝十三重石塔〟に向かってみます事に…
〝十三重石塔〟は供養塔なんでしょうけど、またまたWEB上で検索してみますと、「Yahoo!知恵袋」に、こんな記載がありましたネ。
◆Yahoo!知恵袋「十三重石塔って?」
十三重石塔を、よくお寺で見かけますが、どのような意味合いが在って建立しているのでしょうか!
--- https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1225398377 ---
★ベストアンサー nak********さん
-- 2009/04/21 01:49 --
石造層塔には、二重、三重、五重、七重、九重、十一重のものがありますね。こうした石造層塔で私が調べたデータが約400基あり、そのなかには「金石文」と呼ばれる銘文が残されているものがあります。それを解読すると、ほとんんどのものは供養塔です。
金石文はこんな感じですね。「為二親得脱比丘尼妙阿造立者也正応六年癸巳三月日」
最古の石造層塔は、滋賀県石塔寺三重石塔で飛鳥時代、造立年がはっきりしているものでは天平勝宝3年(751)建立の明日香村竜福寺層塔(竹野王塔)で、五重塔だったと思われます。十三重石塔最古のものは大阪太子町鹿谷寺十三重石塔で、8世紀後半の造立です。
石塔寺は百済系の塔、鹿谷寺塔は新羅系の塔だとするのが通説です。他に奈良時代の塔で有名なのは奈良市塔の森六角十三重石塔ですが、その後、石塔はほとんど造立されなかったようです。
十三重石塔が数多く造られだすのは平安後期からです。このことから考えると、造立理由として末法思想や浄土信仰を考慮する必要がありますね。他に、金剛界四仏が表されているものがありますから、密教系の塔もあります。
ただ、全部がこうした浄土信仰の所産ではなく、木造塔が火災で焼けたために石造にしたケース、民衆の幸福を願ったものなどもあります。また、なかには墓塔として建立されたらしく、骨臓器が発見されているものもあります。
木造十三重塔では、奈良県談山神社塔(重文)が有名です。また、笠置曼荼羅図(重文)には木造十三重塔が描かれておりますが、この塔は焼失してしまっており、その場所には現在、石造十三重塔(重文)が建てられております。
★その他の回答(1件) シンタ・マニ、チョンデンデーさん
-- 2009/04/21 09:57 --
十二という数は、十二因縁、十二支を意味します。因縁を超えた十三という数、宇宙の摂理である十二支、十二か月を超えた十三という不思議な数に因んだようです。
また十三は十三仏の最後、虚空蔵菩薩をあらわしているとされ十三重の塔は虚空蔵菩薩をあらわすといわれます。ちなみに、二重の塔と俗に言われているのは、法華経に説かれる多宝塔様式の物が多く、五重の塔は密教形式で地水火風空の五大をあらわしています。
後世になって庭園の飾りのようにされて一般の庭園にも飾ったりしているようですが、本来はお釈迦さま自身をあらわす象徴であり、供養する対象として寺院に建立されています。お墓ではありませんが、墓標、供養塔としてお墓にしていることもあるようです。
…と、こんな記載。まぁ難しい事はよく分かりませんけど、〝供養塔〟の認識でイィのかも(^.-)☆
ところで、十三佛廣道寺には奥の院が有るハズなんですけど、毎回、十三仏を訪れます度に奥の院への上り口をキョロキョロと…でも、何処から上がりますのか毎回分かりません(^-^;
何年か前に訪れました際に、この〝十三重石塔〟から奥に続きます山道がありますから、少しばかり進んでみたのですけど、手入れも無く荒れ放題にも感じられましたので、歩行続行は断念し引き返した事がありました。
多分、この道が奥の院へと続くのかも分かりません。また、いつの日か、機会を見つけて先に進んでみたいとは思います(^-^)
それでは、広場に向かってステージ拝見です(^-^)//"
GONsan のホームページ ↓
日本全国通過旅 (http://gon.mbsrv.net/)